1 <冷血の辺境伯>
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「納得いきません! お姉様があの<冷血の辺境伯>のもとへ嫁ぐなど……!」
セレスティアは、妹のそんな言葉を場違いに穏やかな気持ちで聞いていた。家族への最後の挨拶の場であった。
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セレスティア・カーヴィル公爵令嬢。
由緒正しき貴族の生まれである。白銀の髪に紫水晶のような瞳は気品にあふれ、王家との縁も深く、本人の教養も申し分なく、家族仲も非常に良好。しかしセレスティアは、唯一にして重大な問題を抱えていた。
セレスティアは魔力を持たない。この国に生まれれば必ず持つはずのそれを、ほんのひとかけらも有していなかった。それどころか、そこにいるだけで周囲の魔力を乱し、効果を薄れさせてしまう体質だったのだ。
幸い愛情深い家族に囲まれていたため、セレスティアは自身の体質を呪わずにいられた。口さがない者もいるにはいるが気にしていたって仕方ない。そうやって図太く矜持を持って生きてきたのだが――。
「なぜお姉様がこのような……! まるで見せしめではないですか! お姉様はただ、そこにいらっしゃっただけですのに……」
「実際に王家の皆さまが危険に晒されたのは事実。仕方ありません。それに、犯人は全員罰を受ける前に自害してしまったわ。何か沙汰を下さねば収まらなかったのでしょう」
妹をなだめつつセレスティアは先日の王宮での事件を思い返す。
王家主催のパーティーで、あろうことか賊が出た。もちろん周囲には守りを固める騎士も魔術師もいたが、魔力による防衛術式がうまく働かなかった。
セレスティアが近くにいたからだ。挨拶のためだった。他意はなかった。
優秀な近衛騎士のお陰で事なきを得たが、一歩間違えばどうなっていたことか。
もちろん、セレスティアの術式妨害が意図したものではないことは皆分かっていた。王家も処罰の意思など見せなかった。しかし、何のお咎めもなしはありえない、王家の威信に傷がつく――と、王都の上層部はそんな風に言ったのだ。
(カーヴィル家の勢力を削がんと目論む者に口実を与えてしまった……それは完全にこちらの落ち度ね)
カーヴィル家は順当に行けば王家に嫁いでもおかしくない血筋なのだ。婚姻関係によっては王都の勢力図が大きく変わる。足を引っ張りたい者も少なくない。
にもかかわらず隙を見せてしまった。これはもう、完全にセレスティアが悪い。
まあ、セレスティア本人としてはこの体質もあるので王家に嫁ぐなんてことはありえないと考えていたのだが。万に一つの可能性も潰しておきたかったのだろう。
そんなわけでやにわに浮上したのが、とある辺境伯との縁談だ。
回想を終えたセレスティアは気を取り直して意図的に口の端を引き上げた。いつまでもため息をついてはいられない。セレスティアは儚げな見た目に似合わず、打たれ強くなかなかこざっぱりとした性格なのだった。
「カーヴィル家の名に恥じぬ生き方をしなくてはね」
「お姉様……さすがです!」
「あなたもですよエリザベス。例えば……ふふ。まだ一度もお会いしたことがない方を『冷血』だなんて言ってはいけないわ。案外お優しい方かもしれなくてよ」
「お姉様って無駄に前向きですわよね……。まあお姉様は男性の趣味がちょっと……特殊な方なので、案外相性がいいかもしれませんわね」
無駄とはなんだ無駄とは。あと色々失礼すぎる。そんな風に思ったが口には出さないでおく。セレスティアも、半ばやけっぱちなのは否定できなかったからだ。
どうなるのだろうわたしの人生。まあ、なるようになるか。願わくば、辺境伯が女子供に暴力をふるうような人間ではないことを。
早々に切り替え――もとい諦め、セレスティアは仕上げに完璧なお辞儀をした。
「では、行って参ります。いずれ手紙を出しますわ」
セレスティアは最後まで弱音ひとつ吐かなかった。
それが貴族としての矜持である。
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冷血の辺境伯、ギルベルト・アイゼンベルグの名は王都にも轟いている。
髪も瞳も闇を切り取ったかのように漆黒の、全身を黒衣に包んだ人物。
アイゼンベルグ家はカーヴィル家にも劣らない古い血筋で、代々保有する魔力量は王家をも大きく凌ぎ、だからこそ辺境に追いやられたのだと囁かれている。
中でも、現当主であるギルベルトの持つ魔力量は白眉であった。
先の戦争ではその身ひとつで敵の一個大隊を制圧し、直近では発生した大規模な魔獣のスタンピードを最小限の被害で押し留めた。
戦場での彼は、それはもう恐ろしい様子なのだという。日頃は氷のような無表情だというのに戦で疲弊しているときほど笑うだとか、敵を斬れば斬るほど機嫌がよくなるだとか言われている。
敵からは鬼神と恐れられ、強大な力を持つばかりに味方からも遠巻きにされる。ほとんど喋ることもなく、相対した人間を射殺さんとするかのような鋭い目つきと眉間の深い皺は地獄の底の住人のよう――なんて、これがセレスティアの知る<冷血の辺境伯>の全てだ。直接会ったことはない。
見事に無責任な噂ばかりである。要するに、ものすごく強くてものすごく怖いらしいことしか分からない。
(うまくやっていけたらいいのだけど……)
馬車に揺られ既に十日以上が経過している。想定よりも時間がかかってしまったが、目的地はもう目の前だ。
この辺りは王都よりも気温が低く、遠見をすれば黒々とした森が広がっていた。しかしここに至るまでの城下町は想像以上に人が多く賑わっており、領地を治める辺境伯の辣腕が感じられる。
領主の魔力が多いほどその力の及ぶ範囲は広くなる。これも当然の結果であろう。
そんな城下町を通り過ぎた先、国境線にある森を背にした重厚な造りの邸宅。門の前には二人分の人影がある。
馬のスピードが徐々に落ちてきた。やがて馬車が停まり、扉が開く。
――太陽の下にありながら、闇夜のような男だ、と思った。
噂に違わぬ夜色の髪と瞳。その顔は不機嫌そうに顰められていることを除けばかなりの美丈夫であることがうかがえた。ひんやりとした温度のなさそうな視線や情の薄そうな唇は、この外見も冷血の名に一役買っているのであろうと思わされる。セレスティアの鼓動は強く跳ねた。
それにしても、わざわざ外まで出迎えに? と僅かな違和感を覚えたが、今はそれを気にするときではないだろう。
セレスティアは友好的な関係を築くべく、高鳴る心臓をどうにかなだめ微笑んだ。
「お初にお目にかかります、セレスティア・カーヴィルと申します。この度は急な申し入れを受けてくださり幸甚の至りです」
深々と頭を下げつつ反応を窺う。とても静かだ。
……いくらなんでも静かすぎる。というか完全に無視されている。確かにこの婚姻は辺境伯にとっても拒否権のないものではあっただろうが、それにしたって無視はないのではないか。
まさか人違いということもないと思うのだが……とセレスティアが視線を上げると、それはもう不機嫌そうな顔が見えた。
いや、不機嫌というか。
もはや世界を呪っているかのような表情だった。具体的には、凍てつくような無表情と凍えるような不快感を行ったり来たりしている顔だ。血どころか空気も冷たい。
試しに一歩近付いてみたら近付いただけ後ずさられた。はたしてこのまま近付き続けたらどうなるだろう。もちろんする気などない。
あと何秒無視されたらこの非礼を咎めていいのだろうかとセレスティアが遠い目をしていると、辺境伯の肩が僅かに動いた。
反射的に見上げてふと気付く。
なんだか……顔色が悪いような? 唇の色がちょっと白い、ような……?
「あの……?」
「……中へ」
やっと喋ったかと思えばたった三文字。辛うじてそれが“館の中へ入っていろ”という意味だと分かったのは、辺境伯がセレスティアの返事も聞かずどこかへ駆け出し、代わりにずっと傍にいたもう一人の男が話しかけてきたからだ。
「セレスティア・カーヴィル様。どうか我が領主の非礼をお許しください。ギルベルト様は魔獣の討伐任務に向かわれましたので、中でお待ちいただけますか?」
「あなたは……」
「申し遅れました。私はアレン・ベイカー。ギルベルト様の腹心の従者です」
臆面もなくそう言った男は、柔らかい笑みを浮かべた。茶色の、男性にしてはやや長めの髪に鳶色の瞳を持つ彼――アレンは軽やかな語り口で続ける。
「ギルベルト様の態度に納得のいかないところも多々あるかと存じますが……きっとすぐご理解いただけるものと信じております」
一歩間違えば軽薄にも見られそうな声音だが、絶妙なバランスで親しみやすい雰囲気が成り立っている。
何より、『きっとすぐご理解いただける』という物言いが引っ掛かった。どういうことだろう。
セレスティアは既に、先ほどまでの非礼を水に流す気になっていた。なるほど、優秀な従者であるらしい。
「アレン様、こちらこそよろしくお願い致しますわ」
「どうぞ気安くアレンとお呼びください、未来の奥様」
よく言うわ。
と、まあ、こちらは口には出さず。
セレスティアは自らの意思で、館への第一歩を踏み出した。
思えばおかしいところは多々あった。
まず違和感を覚えたのが、わざわざ門前まで出迎えに? ということだ。別に外での出迎えなど、それこそ従者に任せてしまっても構わない。
次に、応接間に通されたとき。出された紅茶はその香りだけで上等な品であることが分かった。調度品は華美すぎずしかし美しく調えられており、できる限りの歓待の気持ちが伝わってきた。
そして最も気になったのが、この家の使用人たちだ。まだほんの一部しか見ていないが、誰も彼も雰囲気が柔らかく、生き生きと働いている様子だったのである。あの、世界の終わりみたいな顔の辺境伯のもとで働いているとは思えない。
美味しい紅茶を飲み焼き菓子までしっかりといただき、アレンと他愛ない会話をしながら辺境伯を待っていたセレスティアは、合間合間でそんなことに思いを巡らせていたのだが。
その疑問は、突如として氷解することとなる。
「セレスティア嬢! 待たせてしまって大変失礼した。なるべく早く終わらせてきたつもりなんだが……」
部屋に駆け込んできたその男を見たセレスティアは内心驚愕していた。服装も同じ、髪色も瞳の色も同じ、身体的特徴は辺境伯とまったく同じであるというのに、つい数刻前に目にしたのとはまったく異なる様子だったからだ。深く刻まれていた眉間の皺は見る影もなく、それどころか口元には笑みすら浮かべている。
これがかの<冷血の辺境伯>?
驚きで何も言えずにいたセレスティアに、ギルベルトは「――ああ」と困ったような笑みをこぼし、言った。
「そうだ、自己紹介もろくろくできていなかったな。おれはギルベルト・アイゼンベルグという」
「ギルベルト……様?」
「うん。ご覧の通り、おれは魔力量と戦しか取り柄のないつまらぬ男だが……ここでの生活に不便はさせないと約束しよう。よろしく頼む、セレスティア嬢」
「え、ええ……こちらこそよろしくお願い致します、ギルベルト様」
相変わらず一定の距離を保った対面だったが、それでも先ほどまでの不機嫌さはどこへやらだ。ちらりとアレンに視線を向けたのだがしらーっとした顔で何も言わないので、ギルベルトの名を騙る何者かでもないらしい。
ならばここでセレスティアが言うべきことはただひとつ。
「ひとまず、どういうことなのかご説明いただけるということでよろしいでしょうか?」
セレスティアの心からの言葉に、ギルベルトはやはり困ったように笑って「すまない……」とこぼすのだった。