動くしっぽが
現代短歌なので、小難しいことは抜きにして。
感じたままを詠んでみました。
お気楽に味わってみてください。
ひだまりであくびする猫 気だるげに
動くしっぽが描くハピネス
一日遅れの、にゃんこネタ。
猫大好きなのですが、我が家には猫はいません。飼いたいのですけれどねぇ。
お義母さんが、猫嫌い。しかも手強い。
仕方ありませんから、嫁は時折猫カフェへ通います。
結婚前、猫を飼っていました。
飼っていたというか、餌付けしたというか。
野良猫でした。メスの三毛猫。野良ちゃんといっても、とても人懐こくて、向こうから寄って来たのですよ。当時わたしは急性胃炎を悪化させ、自宅療養中で落ち込んでいたので、この猫ちゃんがやって来るのが楽しみでした。
普通野良猫といえば警戒心が強くて、近寄れば逃げてしまいますが、この子は近寄ってくる。おそらくもともとは飼い猫で、何かしらの理由で野良生活になってしまったのでしょう。人間を怖がりませんでした。
ちょうど昼ご飯の時間にやってきていたので、わたしの分を少し分けてあげるようにしていたら、毎日通ってくるようになり、そのうち居付きました。
当時母とふたり暮らしで、適当にかまってくれて、適当に静かな実家は猫にとって居心地がよかったようです。
そのうち「うめ」と名前が付き、その頃には大手を振って我が家に出入りをしていました。ご近所さんにも、すっかり認知されていたりして。どこからも元の飼い主の名乗りが無いので、そのままうちの猫になりました。
帰省した弟から「なんでうめなんておばあちゃんみたいな名前にしたんだよ」とツッコミも入りましたが、うめが我が家に大手を振って出入りを始めた頃は梅の季節だったのです。それに「三毛猫にエリザベスとかヴィクトリアと付けるよりはいいでしょ」と言ったら納得しました。
一応アントワネットも考えたのですが、おそらく「やめてくれ」と言われたと思うのよね。
最初は猫の存在を嫌がっていた母も弟も、そのうちうめに夢中になってしまいました。猫グッズが次第に増えていき、あれほど渋い顔をしていた母なのに、ついには一緒に布団で寝るようになってしまうし。
どこから見つけてくるのか、スズメの子を銜えてくることもありましたし、夜中に捕まえたネズミを見せに来たこともありました。本猫は褒めてもらうつもりだったのでしょう。自慢げな顔で獲物を銜えたまま、くぐもった声で「にゃおん」と鳴くのですが、その度にこちらは悲鳴を上げねばなりませんでした。
そんなうめでしたが、やはりシーズンになると夜中にフラフラ出歩いてアバンチュールを楽しんでいましたっけ。これも猫の習性ですからね。密閉性の高いマンションではありませんでしたから、結構自由に出たり入ったりができたのです。
野良生活体験猫ですから閉じ込めるのもかわいそうだと、わたしたちも自由にさせていましたし。
その結果何度か妊娠したのですが、子猫は産めませんでした。産んでも死産で、うめの身体に負担がかかるだけ。かわいそうなので避妊手術をしました。
うめはおとなしい子で、悪戯して壁紙をひっかくような悪さはしませんでした。食べ物を探してあちこち荒らすような真似もしません。お利口さん、でした。
そのうちわたしも再就職して日中留守になるようになったのですが、閉じ込めるのはかわいそう(ほら、元野良ちゃんですから)と戸締りをする際は、家の外に出すようにしていました。
ある日、わたしが家に戻ると、裏庭に面したサッシが5センチほど開いているのです。
背筋が凍るとはこのこと、すわ「泥棒に入られた!」と思いました。
恐る恐る家の中に入りあちこち見て回ったのですが、荒らされた様子はありません。わたしが家を出た時のまま。人が出入りしたような形跡はないのです。唯一違っていたのは、2階の押入れの襖が5センチ程開いていたこと。
きちんと閉めてあったのに?
もし泥棒が隠れているのなら、ここしかないでしょう。手に裁縫用の竹製の物差し(50センチ)を握り、覚悟を決めて襖を勢いよく開けてみたら――
「にゃぁ」
寝ぼけまなこでうめが顔を上げました。
よかったんだけどさ。よかったんだけど、安堵感と拍子抜け感で脱力してしまいましたよ。「お帰り~、お腹空いたよ~」とうめは嬉しそうに鳴くのだけれど。ちょっと腹立たしさが……。
隙間風を防ぐサッシのゴムパッキンに爪を立て、渾身の力でうめは開けたみたいだけど、猫にそんな馬鹿力があったとは! どうも、サッシのカギをかけ忘れたみたい。
いやはや。お留守番、ありがとうございました。
その後開けるところを目撃しましたが、本当に驚きました。しかもどんどん開け方が上手くなり、時間短縮していくし。
母とわたしとうめの生活はしばらく平和に続いたのですが、お別れの時はやはりやってきました。病気でどんどん衰弱していき、餌も水も口にしなくなって。
動物病院に入院して治療もしましたが、お医者様にも覚悟をしてくれと言われました。猫のがんだったように記憶しています。
とても苦しそうで観ていられないと母はボロボロ泣いて、これ以上苦しまないようにと、最終的には安楽死させてあげることにしたのでした。
最後のお別れに行ったときのことです。立つこともできなかったうめが、わたしたちの顔を見ると病室の奥から歩いて来て弱々しいしい声で、でもはっきりと「にゃぁ」とひと声鳴いたのです。
もう、ふたりして涙腺崩壊。動物病院のスタッフさんたちにも人気のあったうめなので、みんなで泣いてしまいました。
その後、母は猫を飼っていません。ご近所さんの猫をかわいがったことはありますが、もうあんな思いはしたくないと拒み続けました。どんなにかわいい猫でも、うめ以上の存在にはなれないのでしょうね。
今も実家には、うめの写真が飾ってあります。
わたしにとっても、うめは特別の存在。うめ以上の猫はいないのかもしれません。
でも、やっぱり猫を飼いたいなぁ~と思ってしまうのですよ。
浮気じゃないですけれど。
ご来訪、ありがとうございます。
特別な存在。きっと皆さまにもあると思います。