13 王妃様のお見舞い〜ユーフェミア〜
中庭での会談を終えたその夜、仮の棲家にしている某国にある別荘でお父様お母様と夕食の席につきました。案の定お母様からは会談の際の私の浮き足だった振る舞いを咎められましたが、それ以外は当初の想定を超えて大幅に進展があったことを一緒に喜びました。
「ねえ旦那様、そろそろいいでしょう?」
お母様がお父様に何事かをお願いしているようです。
「そうだね。今日の感じだと我々を王宮で見かけても表だって捕らえるようなことはしてこないだろう。今夜のうちに宰相に許可を取っておくから、明日にでもお見舞いに行こうか」
お見舞いという言葉にピンときた私にお父様がクスリと笑って続けます。
「ユーフェミアも行くだろう?王妃様のお見舞い」
もちろん行きます、と返して明日の予定を話し合いました。
翌日、宰相様の執務室に転移した私達家族を宰相様と使用人が驚愕の目で見つめました。
「いやまさか、この部屋にも転移の魔法陣を仕掛けてあるとは思わなかった。オフィーリア夫人お久しぶりですな」
魔法陣というか座標を示すマーカーなのですがそれは内緒です。お母様と宰相様が挨拶を交わすのを眺めつつ執務室の中を素早くチェックします。見たところ武器になりそうなのは壁にかけてある剣と宰相様の机の引き出しにしまってあるだろう魔法銃でしょうか。
扉の外には衛兵も立っているでしょうし、もしかしたら使用人も護衛を兼ねているかもしれません。床下や天井裏にも探知の魔法をかけて素早く入念にチェックします。
「クリアですわ」
小さく呟くとお父様が私の頭に手を乗せ軽く撫でてくれました。どうやら今回も合格のようです。お父様も当然索敵や探知をしているわけですが、お父様より大幅に遅れると後でやり直しをさせられてしまいます。
お父様と一緒に魔獣のひしめくダンジョンの中層に転移して即座に探知と索敵を行い、間違えたらその場にいる魔獣を殲滅しないと家に戻してくれないというスパルタの訓練はとても辛いものでした。
「王妃様は起きていらっしゃるか?」
お母様との挨拶がひと段落したところでお父様が宰相様に尋ねます。
「ああ、おかげさまで体調はかなり回復しているようだ。大事を取って公務はお休みしていただいているが短時間の面会なら問題ないだろう」
そう言ってから宰相様は入り口を開けて衛兵に先ぶれを指示しています。間も無くして戻ってきた衛兵から面会の許可が出た旨を聞いて私達は執務室を出ました。
宰相様を先頭に歩く私達家族を見た方は一様にまず驚愕の顔を浮かべます。そして顔を引き攣らせてやり過ごそうとするか、丁寧に頭を下げて敬意を示してくれる方に分かれます。
悟られないように索敵と探知を繰り返しつつ進んでいくと、私達のかなり後方をピッタリと付いてくる気配に気がつきました。王家の影でしょうか、それとも敵対派閥の手の者でしょうか。
それらの気配は次第に増えていき5人を超えるとそれ以上は増えなくなりました。前後左右に距離を取っていますが私達の歩みに合わせてそれらの陣形も移動しているので、私達を監視しているのは間違いないでしょう。
「5人付いて来ますわ」
お父様に囁くとニッコリ笑って頭を撫でてくれます。最近は探知で失敗したことはないので、正解して頭を撫でていただくためのおねだりのような気もします。18歳にもなって恥ずかしいことですが私はまだお父様に頭を撫でてほしいのです。
王妃様の私室の前に立ち呼吸を整えます。3人で素早くお互いの身だしなみをチェックして宰相様に目を向けます。軽く頷いた宰相様が扉をノックすると返事を聞く前に扉が開きました。扉を開けたまま身を引いてくれた侍女に会釈して入室します。窓際に設られたソファに腰掛けていた王妃様が立ち上がるのが見えました。
「ようこそエルンスト伯。さあどうぞこちらへ来て」
頭を下げた私達に王妃様の涼やかな声がかけられます。そのお言葉に頭を上げてお父様に続いて王妃様のお側に進みます。
「エルンスト伯、オフィーリア、久しぶりね。そしてユーフェミアさん」
王妃様が立ち上がり私と目を合わせます。
「あなたには謝っても謝りきれないことをしました。どうか愚かな私達を許してください」
そう言って頭を下げられます。王族が頭を下げるなど本来あり得ないことですが、それがどういうことか理解した上で謝罪をしてくれた王妃様に私も最敬礼の角度で頭を下げます。
「王妃様に謝っていただくことはございません。どうかお顔を上げてくださいませ」
先に頭を上げてそう言うと王妃様も頭を上げてくださいます。そして私の両手を取りまた目を合わせます。
「ありがとう。そして本当にごめんなさい。あなたの10年間を台無しにしてしまったわ」
体調がお悪いにも関わらず真摯な熱のこもった王妃様の瞳に胸が暖かくなります。
「いいえ。いいえ王妃様。私は台無しだなんて思っておりません。こうして王妃様と交流させていただいたことは私の生涯の誇りとなりましょう。私からはお礼を申し上げこそすれ、謝っていただくなんて滅相もございません」
私の返事を噛み締めるように瞳を閉じられた王妃様は、ややもして目を開けられ私にニッコリと笑いかけてくださいました。
「ありがとうユーフェミアさん。バカ息子のことは別としてこれからはお友達になってくれるかしら」
涙を滲ませた目を細めて笑顔を作られた王妃様のなんと尊いことか。このお方にこれ以上お辛い思いをさせてはいけないと私は心に誓いました。手を取っていただいたまま私はまた深く頭を下げます。
「もったいないお言葉、心に刻みます。私からもお願い申し上げます。どうかこれからもお側に侍ることをお許しくださいませ」
私の言葉にお父様もお母様も同様に頭を下げました。
「我らエルンスト。王家が変われど王妃様に生涯の忠誠を捧げます」
私と同じように王妃様の尊い涙と笑顔を見てお父様もお母様も心を決められたのでしょう。古エルンスト伯が初代国王と交わした約定の言葉をなぞって宣言します。
当家が違う国家に所属する道は無くなりました。どこまでもこのお方を支え、このお方の国づくりをサポートしていくことが新たなるエルンストの歩む道となります。
「ありがとうエルンスト伯、オフィーリア。本音を言うと陛下や息子のことよりも、あなた達が遠くに行ってしまうのがとても寂しかったの。さあ顔を上げて私をハグしてくださらない?」
王妃様が私の両手を優しく引いて体を密着させます。顔を上げたお母様が王妃様と私を抱き込むようにハグし、お母様の後ろからお父様が私達に寄り添います。
ポロポロと涙をこぼしながら笑う王妃様につられてお母様の瞳からも涙が溢れます。様々な思いに押しつぶされそうになりながらも親愛の情を示してくれる王妃様と、王妃様のご様子に心を痛めながらもお二人の絆が切れなかったことに安堵して泣くお母様。
夫と息子の命を奪う相手であるのに、離れ離れになるのが寂しいと泣いてくれるこのお方のために、最後の断罪をきっちり終わらせて改めてこの国の礎となることを誓いました。
それから数時間、これまでの私の人生でもっとも高貴で責任重大な時間を過ごして私達は王妃様の私室を辞去しました。体調を気使って早めにお暇を告げる私達に王妃様はもうちょっととせがんで共にいることを望んでくださいました。
陛下や殿下のこと、これからの国の辿る道行きと障害になりそうな事象や貴族などなど、私が聞いて良い話ではないのに、宰相を交えての国のトップ会談はあらゆる分野に渡って吟味され、結局は王妃様が女王として立つことがもっとも混乱が少なく貴族からの反発もないだろうということに落ち着きました。
「陛下の妹殿下が帰ってきて即位すると言い出したらどうする?」
「王国に踏み入った段階で殺すと脅せばいいだろう。古い王朝の血が残っているなど迷惑だとも」
宰相様の問いにお父様はあっけらかんと返しました。
「あのお方は大国ベラスケスの王族に嫁いで行きましたから、あの方のお子が我が国の次世代を継ぐとなるとベラスケス王朝になりかねません。なるべく血は流したくないですが、我が国に欲を持つならお子を作られないよう外交ルートを通じてお願いするのも一つの手立てかもしれません」
「お願いという形でやんわりと王朝断絶の意思を伝えるということですな。あちらがそれを無視したとしても我が国に欲を持つのは不可能だと理解するでしょう」
王妃様のお言葉に宰相様がすかさず返します。当然ながらこのお二人は実質的に政務を回してきたので息がピッタリ合っています。それを楽しそうに見ているお父様の瞳も輝いています。
「いやはや、王妃様とお前はまるで女王と王配のようだな」
お父様も私と同じお考えのようで、話題がひと段落した段階でおかしそうに言いました。休憩のお茶を用意してくれた侍女にお礼を言ったお母様が振り向いて頷きます。
「近い将来そうなるかもしれないわね」
にししと笑うお母様の言葉に王妃様がクスクスと笑い、宰相様は居心地悪そうにしています。夫と息子がこれから処刑か幽閉になるというのに余裕すら感じられる王妃様の様子に、いかに王家が冷え切った関係だったのかがわかります。
このお方がこれまでどれほどお気持ちを殺して陛下に尽くしてきたのか、それは私などには考えも及ばない辛いものだったことでしょう。仕事上とはいえ宰相様の支えが大きかったのはお二人の阿吽の呼吸を見ていればわかります。
宰相様は随分早くに奥様と離縁されていますから、もしかしたら将来はそういうこともあるのではと、私も未来に希望を感じて笑顔になりました。
王妃様のお部屋を辞して宰相様の執務室に戻る際、やはり私達の様子を伺う5つの気配の存在を感じました。お父様とアイコンタクトを取ったのち、お手洗いに向かうと告げて私だけ3人と別れます。
護衛についてくれる衛兵が2名私の後についてきます。この2人も敵だと想定した場合、最大7人の影と戦闘になる可能性を考慮して結界と迎撃用の魔法を準備しておきます。案の定、5つの気配のうち3つが私の進路上に移動して私を取り巻く気配は5つとなりました。
あらかじめ王妃様のお部屋でお花を摘ませていただいていたのでお手洗いに向かったのは単なる陽動です。お父様は監視魔法で私の周囲を見てくれていますし、いざとなったら転移で駆けつけてくれる手筈になっています。
護衛に外で待機してもらいお手洗いに入ります。個室の1つに入って小声でいくつかの防衛用魔法を詠唱、個室から出たところで音もなくお手洗いに入ってきていた影3人と対面します。ここに3人ということは外にいる衛兵2人もグルだと考えて間違いありません。
「女性用のお手洗いに何のご用かしら」
風体から男性とわかる影3人に問いかけます。目元以外をマスクで隠しているので人相までは判別できない影が返答なしに動きました。
3人同時に懐から取り出した小瓶を地面に叩きつけます。液体ということは気化させることで魔法を封じる薬品の類でしょう。1人でなく3人同時というところに抜け目のなさを感じますが抜け目ないのは当家も同様です。
口元を手で覆って備えていた魔法を起動します。飴玉サイズに空気を圧縮した風の魔法を口の中に含んで口を閉じたまま呼吸できる環境を整えます。魔法で生成される空気を吸って鼻から吐く。これを繰り返す限りは気化した薬品を吸い込むことはありません。
薬品の効き具合を確かめることなく迫ってきた影の一人に、電撃を帯びた光球を放って昏倒させます。残り二人は私が平然と魔法を行使したことに驚愕して一瞬動きが止まります。
同時起動していた魔法をお手洗いの中空に放って私は個室に逃げ込みドアを閉めます。一瞬遅れてボン!と大きな音がして個室のドアが震えました。
風を爆発させる魔法が成功しドアの向こうで痛みにうめく声を確認して個室から再び出ると、先ほど立っていた二人の影が地面に蹲って悶絶していました。破壊された窓を確認して風の爆発がうまく作用したことを確認します。
渦巻く風の魔法でお手洗い内の空気を外の空気と入れ替えていると、外にいた衛兵が飛び込んできました。
「なっ!?…これは…」
中の惨状を見て絶句しています。
「それは何に驚いているの?通した記憶のない影がお手洗いに入り込んでいること?それともお仲間が失敗して私がピンピンしていること?」
「あ…いやそれは…」
「お返事は結構」
問答するのも時間の無駄なので光球を放って二人を昏倒させお父様に念話で話しかけます。
『状況クリアですわ。影3人と衛兵2人を無力化。周囲に怪しい気配なし。衛兵は敵側か無能か分からなかったので念の為に昏倒させました』
『了解。的確な判断だ。こちら側の気配は消えたよ。宰相とオフィーリアを執務室に送ったらそちらへ向かう』
『了解ですわ』
痛みに悶絶している影2人があまりにも辛そうなので光球で昏倒させたのち回復魔法をかけておきます。最初に昏倒させた影の方も風の爆発で損傷を受けているでしょうからそちらも回復。完全に回復させたわけではないので命に別状はないでしょうがしばらくお仕事に復帰するのは無理でしょう。
そうこうしているうちにお手洗いの外が騒がしくなり衛兵がお手洗いの外から顔を覗かせました。
「申し訳ないのですが入ってこないでくださいます?ご覧の通り王家の影と衛兵に襲撃を受けましたので父の到着を待って状況を把握したいのです」
「はあ?…え…いやその」
「大丈夫。もう着いたから君達は一旦待機ね」
衛兵の肩を叩いてお父様がお手洗いに入ってきました。室内を見回して状況を確認して私に顔を向けます。怒られるか褒められるか一瞬緊張しましたが、お父様は私の頭に手を乗せて「よくやった」と言ってくれました。
「怪我しないでよかった。あとは私に任せてくれるかな?」
ほっとしてヨシヨシされている私にお父様が続けます。頷くと一瞬の浮遊感と共に視界が暗転し、次の瞬間には宰相様の執務室に立っていました。またお父様が転移で消えるのと同時にお母様が駆け寄ってきます。
「ユフィちゃん大丈夫?」
心配するお母様に大丈夫であることを伝えて宰相様に目を向けます。
「襲われたと聞いたが、何が起きたのかな?」
緊張する宰相様とお母様に先ほど何があったのかを伝えます。
「ここ王宮で顔をマスクで隠しているのは王家の影だ。陛下の差金だろうな」
「間違っていたら申し訳ないのですが衛兵の方も昏倒させました。大丈夫でしょうか?」
「影といえどエルンストのように転移ができるわけじゃない。手洗いのドアを通って入ったんだからその衛兵も影の仲間だな」
その言葉にほっと胸を撫で下ろし、使用人が入れてくれたお茶が置かれた席につきました。
間も無くしてお父様が転移してこられ、事態を騎士団に預けてきたことが報告されました。騎士団は近衛や影と違って陛下ではなく議会の指揮下にあるので、強権のない陛下にうやむやにされることはないだろうということです。
「これでまた一つ罪状が加わった。おおかた君を拉致して交渉材料に使おうと考えたんだろうが、君を侮ってしまったのが運の尽きだな」
「あの場での制圧劇を見ていないのか信じたくないのか、いずれにせよ早く終わりにしないと怪我人ばかりが増えていくな」
宰相様が立ち上がります。
「すでに議会の決は取ってある。これから陛下のところへ行って、君達へ謝罪するよう説得してこよう。それがダメなら拘束する」
諦めたような力の抜けた顔で宰相様が私達を見ます。すでに議会も承認済みとは思いませんでした。
「ああ頼むよ。公開の場で謝罪するなら呪いだけは解除してやる。苦しんで死ぬのか断頭台で死ぬのか本人に決めさせるといい」
「わかった。追って連絡するから何日か待っていてくれ」
そう言って宰相様は執務室から出ていかれました。使用人にお礼を言って私達も別荘へと転移で戻ります。
そして数日後に陛下と殿下から謝罪の申し出が宰相様を通じて当家に伝えられました。




