11 公開の場で2〜ユーフェミア〜
殿下の護衛を任されている近衛部隊の方々が全員昏倒して動けなくなったので、改めてお話し合いをしましょうとお父様が提案したのですが、殿下も侯爵令息も聖女(笑)さんもなかなか現実に戻って来られないようで少々困っています。
「な…な……」
ようやく何かを呟くまでに回復したのか殿下が口をワナワナと震わせます。
「何をしたのだ…」
とはいえ元気に吠えられるほどには回復していないようです。まあキャンキャンうるさかったから黙っていただくために武力を見せたのですけれど。
「ご覧になった通りですわ殿下。近衛部隊の方々の魔法はお父様の結界に傷ひとつつけられず、逆にお父様の腕の一振りで全員が昏倒。これが戦だったら殿下はこの後捕虜として当家に拘束されて陛下との交渉材料に使われるところです。良かったですわね話し合いの席で」
そう言って淑女の笑みを向けると殿下は悔しそうに私を睨みつけます。
「だからお前は可愛げがないと言ってるんだ!おおかた近衛の食事に一服盛ったのだろうこの卑怯者め!」
あらまあまた吠えるようになってしまいました。脅してもダメ追い詰めてもダメ。そうなると叩くなり口を抑えるなりしないと吠え癖は治らないかもしれません。
「王妃に可愛げが必要なら確かに私には向いてませんわね。王妃様はとても高貴で可愛らしいお方だとは思いますが。それから」
扇子で口元を隠して目を細めます。こうすると私の印象はとても冷たいものになるとフェリス様から教えてもらったここぞという時のとっておきです。
「近衛部隊の皆様に毒を盛った事実はありませんが私が卑怯者であるという事は事実と認めましょう」
扇子で隠した口元でやや長めの詠唱をできる限りの早口で唱えます。お父様のように詠唱を省略できるほどの腕前はありませんのでこうして隠れて詠唱するのです。話の間としては充分すぎる時間を置いてから魔法を起動します。期待通りの魔法が作用したことを確認して話を続けます。
「なぜならあらかじめ剣を突きつけてから会話するような卑怯な女なのですから」
パチンと音を立てて扇子を閉じると殿下の前に集まっていた魔素に形が与えられていきます。物質化した魔素は無骨な短剣の形を取って殿下の眼前に浮かんだまま停止しました。
殿下からしたら目の前に抜き身の短剣が自分の方を向いて浮かんでいるのが見えるでしょう。先端恐怖症の方にはさぞ恐ろしい光景です。殿下がそうであるかは知りませんけれど。
「なんだこれは?」
目の前に浮かぶ短剣の柄を掴んで取ろうとしますがびくともしません。掴めるということで幻影でない事は実感していただけたと思います。
「かつて大シン帝国で使われていた魔法ですわ。呪いと魔法の中間のようなものと言ったらよろしいかもしれません」
まあ本当は処刑法なのですけれど。
「その短剣は殿下が大声を出すたびに近づいていきます。大シン帝国ではこの魔法をかけた状態で鞭打ってわざと大声を上げさせたそうですわ」
そうして恐怖と苦痛を与えたと。この呪術を学んだ時はそのサディスティックなやり様に不快感を覚えたものですけれど、まさか自分でかける日が来るとは思ってもいませんでした。まあ私はここからさらに嬲るような趣味はありませんが。
「ふざけるな!お前…」
ですから大声は…と言おうとしたら短剣がスススと殿下の顔に吸い寄せられていきました。意外と大きく動きますわね。この調子ではあと3度も大声を出したら殿下の高いお鼻にもう一つ穴が開いてしまわれます。
「落ち着いてお話がしたいのであって流血は趣味ではないので、できれば大声を出さずにいてくださると助かりますわ。そうでないと顔に短剣が刺さったままお話し合いをすることになりましてよ?」
「…………」
ようやく想像力を働かせてくださったのか、殿下の顔がみるみる青くなっていきます。まあ深く刺さる前に停止するよう調整してあるのですが、それでも鼻の穴が増える程度には刺さるはずなので、無駄吠えをやめてくれるはず、と信じたいところです。
「どうか大声で喚き立てるのでなく落ち着いてお考えを聞かせてくださいまし。殿下は一体なにをなさりたいのですか?」
「…………」
吠えられないと途端にお返事ができないようで、殿下は口をモゴつかせて呻きます。
「私との婚約を破棄したいだけなのですか?それともミーナ様を立派な聖女にして王妃にとお考えなのですか?あるいは当家から秘伝を掠め取って王家の資産となさりたいのですか?」
どれを取っても最低の動機ですがこれ以外に理由があるならば教えて頂きたいものです。私のことが嫌いだという理由が一番まともなのは笑いどころでしょうか。
「…………」
「どれですの?殿下。他に私の思いつかない理由があるならば今ここでお聞かせくださいまし」
どんな理由でも叩き潰してみせますけども。その思いを笑顔に変えて口角を上げます。
「……お前には及びもつかない考えがあるのだ」
目を逸らして不貞腐れたように呟きますが、拡声魔法のおかげで殿下の声は中庭に響き渡ってしまいました。
「まあ、まあまあまあ!それは一体どのようなお考えですの?教えてくださいな」
子供のような言い訳を始めた殿下に嬉しくなって声が裏返ってしまいました。淑女として恥ずかしいことですがお父様も隣で小さく肩を振るわせたのをしっかり見ていますので、おあいこということで後でお叱りを受けることはないでしょう。
まあ元々お父様は淑女としてどうのということはあまり言わないお方ですけれど。きっとどこかで見ていらっしゃるお母様には、衆目の前で浮かれたことを怒られてしまうかもしれません。
「うるさい。お前には関係のないことだ」
私と目を合わせないまま呟きます。これまで怒鳴っていれば勢いでなんとかなった無理筋も、大声を禁じてしまえばこれほど惨めな言い訳にしか聞こえないというのは新たな発見です。傍聴人からも失笑の声が漏れ聞こえますが殿下は気づいていないご様子。
「とはいえこのままでは死んでしまいますのよ?それに少なくとも楽しい時や悲しい時に大声を出すこともできないままでは殿下の人生が心配ですわ」
目に見えるからこそ進行を抑えられる私の魔法とは違って、お父様がかけた呪いは時間経過と共に手足から腐り始めて全身が崩れ落ちていく恐ろしいものです。陛下も殿下も手先が腐り始めたあたりでこの場へと出ていらっしゃると予想してはいましたが、その前に目に見える魔法でご自身の立ち位置を理解いただけたことはよかったかもしれません。
「理由は言えないけど国家レベルの大切な秘密があるから、当家は黙って呪いを解除しろと、そう仰りたいんですの?」
「そうだ。この僕が命じているのだ。貴様は黙って言う通りにすればいい」
ここでようやく私と目を合わせました。大声が出せなくとも会話はできるとようやく気づいていただけたようです。その目に上位者としての威圧感が戻ってきました。反対に傍聴席からの失笑も増えているのですがそこには気づいていらっしゃらないようですが。
「今なら謝ればこれまでのことは無かったことにしてやる。ミーナよりも優先することはないが側妃として迎えてやっても良い」
「まあ、どうして私が殿下の側妃になりますの?」
頓珍漢なことを言い始めた殿下に思わず問い返してしまいます。今さら王家と縁づいたところで当家に利はありません。破棄したばかりの盟約も元通りというのは流石に都合が良すぎるお話です。
「王妃はミーナと決めている。貴様…お前は側妃として僕に侍ることを許そう。なんならエルンストの昇爵を父に推挙しても良い。だから不貞腐れるのは終わりにして許しを乞えばいい」
この期に及んで当家を許すだなんてもはや狂人の発想かと思いましたが、生まれた時からこのような考え方しかしてこなかったと思うとあながち狂っているとも言い切れないかもしれません。まあ関係ないのですけれど。
「今さら殿下に許しを乞おうとは思っていませんわ。先ほどから一体何を仰ってますの?」
「うるさい。お前は黙って僕に従っていればいい」
これほどの頑なさは同情はすれど狂人と思って対応するしかありませんね。あまりにも頓珍漢な物言いに少し気勢が削がれてしまいましたが、改めて扇子を開いて冷たいと定評のある顔を作ります。
「もう結構ですわ。殿下がいつまでも醒めない夢の中におられるのは理解しました。目の前の短剣を眺めてご自分のお立場をよく理解なさってから改めてお話をいたしましょう」
手先が腐り始めてからお話し合いという予定に変更はなさそうです。
「さて」
改めてマクスウェル侯爵令息とミーナ様に顔を向けます。
「殿下は気が狂っていらっしゃるようなので改めてあなた達のお話を伺いたいのですけれど」
「なんだと!?」
私の嫌味に殿下が反応してまた吠えてしまいました。再度短剣がスススと進んで殿下が仰け反ります。仰け反った分だけ短剣もついてくるので何の意味もありません。あまりにも話が通じない殿下の様子に騎士団長様が殿下を羽交締めにして王宮の中へと引きずっていってしまいました。騎士団長様には後でお礼を言わなくてはなりませんね。
「ご覧の通り強権を失った殿下はただの気狂いでしかありません。あなた達が拠り所としていたのがあのような気狂いとその父親であるというのはご理解いただけたかしら」
侯爵令息に対して、そして陛下と殿下にあまりにも無礼な言葉使いだとは認識しつつ、あえて傲岸不遜な態度と口調で立場を固定化させます。
絶望しつつも歯を食いしばっている様子だった侯爵令息は、しばらくすると一転して憑き物が落ちたような顔でソファから立ち上がりました。私とお父様の前に跪いて首を垂れます。
「これまでの言動の全てを謝罪します。誠に申し訳ありませんでした」
ミーナ様も慌てて侯爵令息に倣って跪きます。震えているだけで何も言いませんが態度で示してくださったのでこれ以上は脅かすのはやめてあげてもいいかしら。
と思ったのですが。
「それは何についての謝罪かな」
隣からお父様の声がしました。見ると美しい笑顔はそのままに驚くほど冷たい瞳で彼らを見ています。鏡の前でフェリス様と何度も練習した冷たいと定評のある私の瞳。それはやはりお父様に似ているのだと分かりました。
「お話し合いのつもりでいたから気安く話していたけど、君達が非を認めるというならどの罪をどうやって償うかの話をしようか」
「あ…いえ…」
侯爵令息は返答に詰まっています。交渉するつもりできたのでしょうから、全面的に非を認めてからの言動を想定してこなかったのでしょう。
「先ほどの続きだけど」
侯爵令息の逡巡を無視してお父様がミーナ様に目を向けます。
「ミーナ・フロイス男爵令嬢。君は本当に聖女なのかな?」
お父様の言葉にミーナ様が顔を上げます。真っ青な顔で震えながらもお父様と目を合わせています。
「ほ、本当です」
ミーナ様はつっかえながらもしっかりと応えました。
「私が生まれた時からこのアザはあります」
お父様は考えを巡らせるように少し間を置いて続けます。
「そのアザが聖女の証であると君に教えた司祭の名前を言えるかな?」
「そ、それは」
「君が男爵家に引き取られる前に住んでいた村はラインハルト領のポンデ村だね。そこの教会は長年司祭が不在だったと聞いている。現在でもろくな加護判定の儀は行われていないようだけど、君は本当に加護判定の儀を受けたのかい?」
「…………」
「受けていないのか。ではなぜ君はそのアザが聖女の印だと知っていたのかな?」
ミーナ様は応えられません。下唇を噛んで視線を下げています。
「ニホンという国に心当たりはあるかな?」
お父様が知らない国の名前を口にした途端、ミーナ様がはっきりと顔を上げお父様を驚愕の目で見ました。
「知っているようだね」
「は、はい!知ってます!私はそこから来ました!」
言いつつミーナ様の目から大粒の涙がこぼれ落ちます。
「そうか。なんとなく君の事情はわかったよ。珍しいことだが過去の記録にもちゃんと書いてある事実だ」
「そうですそうです!だから…!」
「異世界の不思議な遊戯として君はこの世界を捉えていて、ユーフェミアを陥れたのも物語の筋書きだからと深く考えてはいなかったと。そういうことかな?」
「…………」
またしてもミーナ様の体が固まります。
「殿下の劣等感を解消することで懐に入り込み、娘の罪をある事ない事でっち上げて自分が被害者であると周囲に思わせた」
「ち、ちが…」
「君の出自に関しては確認する必要があったけど、冤罪に関しては捏造の証拠がこんなにあるんだよ」
お父様が指をパチリと鳴らすと監視魔法の確認用スクリーンが中空にいくつも表示されました。見開きのノートほどの大きさのスクリーンはミーナ様の目の前にも私の目の前にも、それだけでなく円形の議場の至る所に現れ、いつかの特定の場所の映像を映し出しています。
『よし。よーし!頑張れ私!』
映像の中では一人で階段の上に立ったミーナ様が小声ながらもしっかりとした口調で呟いている声も聞こえます。
次の瞬間。
『きゃああああああ!』
大声を出してからしゃがんだミーナ様が階段をゆっくりと転がって行きました。どんどん転がる速度は早くなっていって階下に辿り着く頃にはゴロゴロと勢いよく転がっています。あれは痛そうだとは思いますが、ミーナ様が吹聴していたという『階段の上から突き落とされた』という状況に比べると随分と優しい転がり方だと分かります。
階下で動かなくなったミーナ様に駆け寄る人物がいます。殿下です。殿下は『ミーナ!』と声をかけながら彼女の体を優しく抱えて上半身を起こします。
『で…殿下…ユーフェミア様…が…』
映像の中のミーナ様は弱々しく呟いて気を失いました。
『ミーナ!しっかりするんだ!ミーナああああ!!!』
映像の中の殿下も大声でミーナ様の名を呼びます。お二人とも迫真の様子ですが、かたやミーナ様は猿芝居で、かたや殿下は大げさながらも真剣に彼女の身を案じているのが滑稽です。当家の監視魔法はそれぞれの様子を俯瞰的な視点や表情が大きく映る位置からしっかりと記録しています。
「…………」
映像が終わると中庭に一陣の風が吹きわたりました。娯楽小説ならヒュルルルルと擬音が記されていたかもしれません。映像で見せられた猿芝居に誰もが言葉を失っていました。
パチリとまたお父様が指を鳴らすと中空のスクリーンが別の映像を映し出しました。放課後らしい人のいない教室でミーナ様が机に座ってスンスンと泣いています。
『どうしたんだミーナ?』
また殿下の声がしてミーナ様の傍に殿下が姿を表しました。俯瞰視点の映像ではマクスウェル侯爵令息やフェリス様の婚約者の姿もあります。
『わた、私がいけないんですぅ…。ユーフェミア様の言うことに従わないから…』
『なんだこれは?』
映像の中の殿下が机から取り上げたミーナ様の教材やノートがビリビリに破れています。
『殿下と仲良くするなって…ぐすん…ユーフェミア様が婚約者なのだからって…』
『なっ!? それは本当か? ユーフェミア…あの女ゆるせんな』
またなんの猿芝居を見せられているのかと思ったら、ふいに映像が逆回しのように戻っていきます。殿下がスクリーンから消え、スンスンと泣くミーナ様が映し出され、再び再生を始めた映像はミーナ様が自分の教材にハサミを入れている瞬間が映し出されていました。
「…………」
映像が終わるとまた中庭に沈黙が訪れました。どこからどう見ても自作自演の一部始終を見せられて、怒り以上にやるせなさとか虚しさが胸に広がります。中庭のどこかから「アホくさ」という誰かの呟きが聞こえました。
「まだまだあるんだけど全部見てたらキリがないからこのくらいにしておくよ。次はこの映像を見てほしい」
そう言ってまたお父様が指を鳴らします。まだあるの?というざわめきが中庭に広がり、また中空のスクリーンに今度は様々な映像が映し出されました。それらにはミーナ様が男性と抱き合う様子や唇を重ねる様子が映し出されており、驚くことにそれぞれの男性が違うのです。
お父様が指を鳴らすとまた映像が切り替わり、どこかの商店で未開封の商品を買い取ってもらっているミーナ様の様子が映し出されました。深く確認したいとは思いませんが、男子生徒からもらったプレゼントをお金に替えているのでしょう。ニッコリ笑って店主と握手を交わし、帽子を目深に被ってお店を出ていくミーナさんの後ろ姿で映像が終わりました。
またお父様が指を鳴らします。すると今度はどこか景色の良い場所で殿下と見つめ合うミーナ様が映し出されます。
『俺はあの女を王妃にするつもりはない。卒業と同時に婚約を破棄して君と新たに婚約を交わそう』
『嬉しいですぅ。でも私ユーフェミア様に謝らなくちゃ』
『何を言っているんだ。君の命を狙うような悪女に謝る必要なんてないさ。俺が自らあの女には裁きを下すから君は安心していればいい』
『はい殿下』
甘く囁き合うお二人の様子に沈黙ではなく失笑が中庭に満ちます。映像の中のお二人と背景がロマンチックであればあるほど、不貞の現場であるという事実が滑稽な舞台演劇のように失笑を誘うのです。
「もういいか」
パチリと指を鳴らすと中庭に浮かんでいたいくつものスクリーンが消失しました。
「このように君は明確な意図を持ってユーフェミアを陥れようとした。それはある意味成功し王太子は君を正妃にしてユーフェミアを断罪することにした。結果として我々は王家に対して宣戦布告をして順当にいけば陛下と殿下は断頭台に行くことになった。これら全て君の罪なんだけどどう思う?死刑以外の選択肢あるかな?」
「い…いえ…あの…」
可哀想なほどに震えるミーナ様ですが、いくら学園の中での火遊びとはいえ国家存亡の危機を招いたお一人ということで、やはり厳しい処罰は免れないかもしれません。さすがに学生時代の罪ですから死罪というほど重い刑にはならないと思いたいですが、そこはお父様や宰相様や司法の方々の判断に委ねるほかありません。
ですが混乱しているミーナ様はお父様の言葉通り死罪が確定したと思ったようでした。
「ごめんなさい…ごめんなさい…私そんなつもりじゃ…お願い許して…」
うわごとのように呟きながらイヤイヤと頭を振るばかりで、とうとう尻餅をついてしまいました。侯爵令息が助け起こすかと目をやりますが、彼は彼で映像の数々がショックだったのか呆然とミーナ様を見つめて口をハクハクと動かすだけで行動を起こす様子がありません。
「オーウェン・マクスウェル侯爵令息。君も呆けている場合ではないよ」
お父様が侯爵令息に声をかけます。侯爵令息はゆっくりと顔をお父様に向けました。
「これまで見てきたように馬鹿者と嘘つきにまんまと騙された君達は自分の婚約者も放って男爵令嬢と不貞を働いていた」
「あ…いや…」
「そして男爵令嬢の言うままに、自分の婚約者が男爵令嬢をイジメていると言いがかりをつけて私的な断罪行為を繰り返した。違うかい?」
「いえ……違いません…」
私やフェリス様などの生徒達からの報告に大人達が何もしなかったわけではありません。中には事態を過小評価して放置した親もいますが、私や学友達の親はしっかりと証拠を集めて自家の有利に働くよう備えていました。
お父様の証拠は先ほどのように映像で記録されているので、もはや言い逃れは不可能と思ったのでしょう。宰相令息は素直に認めました。
「この場にいる誰もが知っているとおり高位貴族の結婚はほぼ全てが政略によるものだ。家と家とのつながりを密にして派閥の力関係を調整したり、大掛かりなインフラ工事を共同で行うための契約の象徴だったり、王族に至っては他国との同盟や協定の礎として故郷を離れて嫁いでいくこともある大切なお役目だ」
「…………」
「それを蔑ろにするどころか、愛しい令嬢が泣いているからという根拠で家同士の契約を台無しにするというのは、君の家の中だけの問題ではなく派閥や国家に迷惑をかける行いだと思うのだがどうだね?」
お父様が小さく指を鳴らすと侯爵令息の眼前に小さい魔法スクリーンが現れ何か映像を映し出します。私からは確認できませんが、おそらくご自分のした愚行を見させられているのでしょう。
「…………はい」
ようやく短い返事を返しますがそれだけです。思考を投げ出した虚な顔でスクリーンを見ています。殿下ほどの強靭なメンタルも迷惑ですが、ここまで精神が弱いというのも困りものですね。
「仮にこれを私の息子が行ったならば縁を切って家から叩き出すだろう。まあウチに息子はいないがね。マクスウェル侯爵家の中で決めると良い。君の先ほどの謝罪というのはこれらの行為についての謝罪で良いのかな?」
「はい……ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
また手をついて深々と頭を下げます。
「ふむ。ことあるごとにウチの娘にも言いがかりをつけていたけど、そのことについて謝罪はない?」
宰相令息の目の前のスクリーンに映る映像が変わったのがわかります。あれはおそらく食堂で取り巻きの皆さんが絡んできた時の様子です。
「いえ」
宰相令息が私に顔を向けました。
「ユーフェミア嬢には事実無根の言いがかりをつけご迷惑をおかけしたことを謝罪します」
「謝罪を受け入れますわ」
私も冷たい印象を引っ込めて頷きます。これにより私の名誉は回復され、ご臨席の貴族達がその証人となりました。
お父様に目を向けるとニッコリ笑って頷きました。私の名誉を回復しミーナ様に精神的な打撃を与えたことで満足したようです。マクスウェル宰相に顔を向けると宰相様も頷いて立ち上がり、令息とミーナ様の側に歩いてきました。
座り込むお二人に声をかけて立ち上がらせ、騎士団の方に命じてお二人をどこかへと連れて行きます。そして改めて私達に向き合いました。
「最低限の武力行使で済ませてくれたことを感謝する。近衛に死んだ者はいなかった」
そう言って頭を下げてくださいます。
「あとは陛下だが」
お父様の言葉に宰相様がお顔を上げられます。
「謝罪するならこの場に出てこい。さもなくば呪いにより腐り果てて死ねと伝えてくれ」
呪いの内容に傍聴席からどよめきが聞こえます。当家としても陛下と殿下をどうしても処刑したいわけではありませんが、貴族としてケジメをつけなければならないのはご理解頂きたいところです。
もし仮に王国と当家との和解が成ったとしても、国家存亡の危機を招いたとして陛下の断頭台は避けられないことでしょう。陛下のお命と当家の名誉を天秤にかけたなら間違いなく当家は名誉を重んじます。
「わかった。縄をかけてもこの場に引きずり出すことを約束する」
宰相様はわかってくれているようで安心しました。
「抵抗するなら自由にすれば良いが、近衛や軍を使うならその命の責任は陛下ひとりにあるとも言っておいた方が良いかもな」
「流石にそこまで愚かではないと信じたいが、この場の制圧劇を見ていなければ間違った判断を下しかねないのが恐ろしいところだ」
「暗殺するつもりはないのか?」
「…………私からはなんとも」
「すまん。やるなら俺がやろう。そうでなければお前に王族殺しの汚名を押し付けるところだった。そんなことになったら宰相をやめなければならないからな」
「…………」
この会話にどよめきがいっそう強くなります。王国を離脱して宣戦布告した当家にしか陛下を殺害する大義はありませんから、宰相様としては賛成などできるはずもなく、かといって反対もしないという消極的賛成の立場を示すことで、周りの貴族達に王家の終焉を伝えているのでしょう。
だんだんとどよめきが収まっていくのがわかります。ひとりまたひとりと傍聴席から立ち去っていき、それに応じて宰相様の顔色も良くなっていきます。貴族から裏切り者に対する視線を向けられなかったことに安堵しているのでしょう。
傍聴席にいた半数が立ち去ったタイミングでお父様は拡声の魔法を解除しました。そして宰相様に何事かを呟いてニヤニヤしています。ガックリと肩を落とした宰相様の背中をバンバンと叩いてお父様が楽しそうに大きな声で笑いました。学生時代からの友人としてのお二人の姿を見られた気がして嬉しくなります。
ふと傍聴席にいた令嬢と目が合いました。ペコリとお辞儀をしてくれたので私も笑顔でお辞儀を返します。令嬢が立ち上がり私の方へ歩いてくるので私もお父様に一言告げて立ち上がります。
「ユーフェミア様」
令嬢より一足先にフェリス様が私の傍に寄ってきました。
「フェリス様。見ていて下さいましたのね。ありがとう」
「もちろん見ておりました。格好良かったですわ」
うふふあははと笑い合っていたら傍聴席にいた令嬢が私達の側までやってきました。
「あ、あの」
令嬢が手を前に組んでおずおずと声をかけてきます。私やフェリス様より少し年下に見える令嬢の立場は分かりませんが、話しかけるのに躊躇しているご様子に私から名乗ることにいたします。
「ご臨席ありがとうございました。私はエルンスト伯爵家の長女ユーフェミアと申しますわ。今は王国から離脱したので自称伯爵家ですが、そのうちどこかのお国に属して正式な爵位を得ましたら改めてご挨拶致したいと思います。以後お見知り置きをよろしくお願い申し上げます」
「ご丁寧にありがとう存じます。私はミネルバ辺境伯の次女アンナと申します。ユーフェミア様のご活躍を目の前で拝見させていただいてとても光栄ですわ。家族や友人に自慢したくて厚かましくもご挨拶に上がらせて頂きましたの」
辺境伯といえば侯爵相当のご身分。当家より格上にも関わらず大変丁寧に挨拶してくださるアンナ様に好感が持てます。
アンナ様を交えてフェリス様とお話していると、宰相様とお話を終えたお父様が私達のところにやってきました。
「やあフェリス嬢。今日は来てくれてありがとうね。ええと君は」
「お初にお目にかかります。ミネルバ辺境伯が次女アンナと申します」
アンナ様がこの上ないほど美しいカーテシーを披露されます。体幹がしっかりしていらっしゃるのでしょう、アンナ様の所作はとても優雅で気品に満ちています。年下ながら上位貴族のお手本のような動きに尊敬してしまいます。
「おおミネルバ伯の。ミネルバ殿にはお世話になって」
お父様を見つめるアンナ様の瞳が恋する乙女のそれに似ていることに気づいてしまいました。私は狭量な娘ではないですし、お母様を愛しておられるお父様が娘以上に年の離れた令嬢に心奪われることはないとわかっていますので、自慢のお父様を好きになってくれるアンナ様にさらに好感が持てます。
「あれはまた勝手に落ちておりますわねユーフェミア様」
「ええフェリス様。もしかしたら私に声をかけて下さったのもお父様狙いかもしれません」
超絶素敵なお父様を持つ娘としてこれまで同じような経験には枚挙にいとまがないので、いつものようにフェリス様とクスクス笑い合います。お父様も令嬢の相手は手慣れたものでアンナ様のアピールを軽くいなして対応されています。
「先日お話ししたお見合いパーティーの件ですけれど、アンナ様もお誘いしてみようかしら」
「それがいいですわね。伯爵様の夫人への愛情には立ち入る隙がございませんので、アンナ様にお相手がいないのであればやんわりと誘導して伯爵様のことは諦めて頂きましょう」