では、婚約解消いたしましょう。
王立学園で、年に一度のダンスパーティーが行われていた。
いつもの制服姿とは違い、煌びやかなドレスに身を包んだ女生徒達。美しく着飾った女生徒達と、ダンスを楽しむ男子生徒達。婚約者が居る生徒は、婚約者とダンスをするのが、当然の流れだったのだけれど……
私の婚約者は、私ではなく別の女性と楽しそうに笑顔を交わしながら踊っている。
「オリバー殿下はリアナの婚約者なのに、殿下もセシリー様もどういうおつもりなの!?」
私よりも先に怒りをあらわにしたのは、親友のミモザだった。
「私はダンスがあまり得意ではないから、殿下はセシリーを誘ったのかもしれないわ」
「リアナはもっと怒っていいと思うわ! 最近、殿下とセシリー様は四六時中一緒に居るじゃない! セシリー様に婚約者のような顔をされて、悔しくはないの?」
ミモザは呆れ顔でそう言いながら、二人を見た。
心の中では、めちゃくちゃ腹が立っている。
だけど私は、おしとやかで完璧な令嬢でいなくてはならない。それが、殿下の望みだったからだ。
私の名前は、リアナ・ブライド。十七歳。ブライド公爵家の長女に生まれた。
王太子であるオリバー殿下とは、三年前から婚約をしている。
婚約をした三年前に言われた言葉、それを私は忠実に守って来た。おしとやかで完璧な令嬢は、殿下の好みだった。それから、『俺よりも強い女は嫌いだ』『俺を立てない女は嫌いだ』『俺より頭のいい女は嫌いだ』そう言われ、殿下の理想の女性になる為に努力をして来た。
本当の私は、おしとやかどころか落ち着きはないし、気が強いし、負けず嫌いだ。もっというなら、剣術もそこそこの腕前で殿下より強い自信まである。『完璧な令嬢』とは程遠い。それでも努力し続けて来られたのは、殿下を愛していたからだ。
オリバー殿下とは、三年前行われた王太子の婚約者を選ぶ試験で初めてお会いした。彼は私に、笑顔で右手を差し出し『君がいい』と仰ってくれた。
真っ直ぐに私を見つめる蒼い瞳、光に反射して輝く美しい金色の髪の殿下に、一瞬で恋に落ちていた。
自分でも、単純だったとは思う。それでも、殿下は私の初恋だった。
目の前で楽しそうに笑顔を浮かべながら踊る二人を見ていると、あの時の殿下とはまるで別人のように思える。
音楽が止まると、殿下は私の方へゆっくりと歩いて来た。
隣には、一緒に踊っていたセシリーの姿がある。二人は私の前で足を止めると、見せつけるように殿下がセシリーの肩を抱き寄せた。そして、私を睨みつけながらこう言った。
「お前は、セシリーをずっといじめてきたそうだな」
殿下の言葉に、耳を疑った。
セシリー様とは、話したこともない。それなのに、いじめたとはどういうことなのか。
セシリー様は、子爵令嬢。彼女のことは、それくらいしか知らない。最近、殿下と一緒にいるところを見かけることは多かったけれど、嫉妬している自分が嫌で見ないようにして来た。
「オリバー殿下!? 何を仰っているのですか!? リアナが、そのようなことをするはずがないではありませんか!!」
ミモザは私と殿下の間に入り、私を庇おうとしてくれた。
「お前、どういうつもりだ? たかが男爵令嬢ごときが、俺に意見するつもりか?」
キッと睨みながら、ミモザにつめ寄ろうとする殿下。
「ミモザは私を想ってくれただけです。お話は、私が伺います。ミモザ、ありがとう」
ミモザに目配せをして、後ろに下がってもらった。男爵令嬢のミモザが、私の為にそこまでしてくれたことは嬉しかったけれど、巻き込みたくはない。
「まあいい。セシリーに、いじめたことを謝れ。お前がしたことは、最低なことだ!」
「仰っている意味が分かりません」
意味が分からないし、年に一度のパーティーの場で身に覚えのないことを糾弾されている理由も分からない。
周りの生徒達は、何事かとこちらに注目し始めた。パーティーの最中なのだから、注目されるのは分かりきっている。殿下は、わざとこの場を選んだようだ。
「しらばっくれるつもりか!? セシリーに、婚約者が居る俺と親しくするのは良くないからやめろと言ったそうだな!?」
それは、正論だと思うのだけれど……
仮にも王太子殿下が、婚約者以外の女性と親しくしているのはいいことではない。だけど、私はそんなことは言っていない。
「殿下、私はセシリー様とお話ししたこともありません。ですから、そのようなことを言った覚えもありません」
殿下の顔が、怒りで赤く染まっていく。身に覚えのないことを、認めれば納得するのだろうか。
私のことを、全く信じていないことがよく分かる。
「お前は、セシリーが嘘をついているとでも言うのか!? お前がしたことは、それだけではないことは分かっている! セシリーが学園で孤立するように仕向けたり、物を隠したり、しまいにはセシリーの馬車に細工し、事故を起こさせようとしたそうではないか!」
私には、全く身に覚えがない。
殿下は、私が嘘をついていると言っているようなものだ。婚約者の私ではなく、殿下の隣でわざとらしく怯える演技をしている彼女を信じるというのか……
「……」
もうこれ以上、言葉が出て来なかった。
何を言っても、殿下は信じてはくれないのだから。
「お前には、失望した。容姿だけでお前を婚約者に選んだが、こんなに性悪だったとはな!!」
こんな時に、殿下が私を選んだ理由を初めて聞かされた。容姿だけ……あんなに殿下の好みでいるために努力して来たのは、全てが無駄だったようだ。
だんだんと、怒りが込み上げて来た。
殿下の理想の女性になる為に努力し続けて来た三年間は、一体何だったのだろうか。
銀髪で紅い瞳は、ブライド公爵家の血筋で稀に生まれることがある。その銀髪で紅い瞳の私が、珍しかっただけなのかもしれない。一瞬で恋に落ちたのは私も同じだが、この三年間、ずっと殿下を想って来た。殿下と想いあっていると、私はいつから勘違いしていたのだろう。
「お前との婚約は、考え直すしかないな!」
私の顔色を窺うようにそう言う殿下。考え直す必要なんてない。
「その必要はありません。私を信じていただけないのでしたら、婚約解消いたしましょう」
演技をするのは、もうやめた。
殿下が私を信じていないのに、結婚なんて出来るはずがない。
私の言葉に殿下の顔が真っ青になり、セシリー様は満面の笑みを浮かべた。考え直すと言ったのは殿下なのに、なぜ真っ青になるのか。そんなことはどうでもいいくらい、殿下に失望していた。
「それなら、僕がリアナ嬢の婚約者に立候補します!」
会場が静まり返る中、一際元気な声が響き渡った。
声の主は、同じクラスのライアン・ケイル様だった。彼は、この国の友好国ハインボルトから来ている留学生だ。
銀髪で顔立ちが整っている蒼い瞳のライアン様。容姿がとても美しいと令嬢達が毎日騒いでいた。
「お二人は、婚約を解消なさるのですよね? それなら、僕が立候補しても問題はないでしょう?」
いつもからかって来るから、これも冗談なのかと思った。殿下があのように私のことを話した後で、本気で私と婚約したいだなんて思うはずがない。
そう思いながら、ライアン様をチラリと見ると、口調は軽いのに冗談だとは思えないくらい真剣な顔をしていた。もしかしたら、私を庇おうとしてくれているのかもしれない。
「あ……いや……俺は、考え直すと言っただけで、婚約を解消するとは……」
急に歯切れが悪くなる殿下。
婚約を考え直すくらいなら、解消してしまった方が私との縁が切れるのに、なぜ解消したがらないのか分からない。
「先程殿下は、リアナ嬢の犯した罪を仰っていたではありませんか。罪を犯した彼女を、王太子妃に迎えることは、国王陛下もお許しにはならないでしょう。僕は信じませんが、殿下はセシリー嬢の話を信じたからこそ、あのようなことを仰ったのですよね? でしたら、婚約は解消するしか道はないと思います」
ライアン様の仰る通りだ。
私が馬車に細工したのだと、殿下が信じているのならば、王太子妃になどなれないのだと分かるはず。私達の婚約は、もう終わっているということだ。
「い、いや……待て、待ってくれ! 俺はただ……」
何か言いかけたところで、セシリー様が殿下の腕に自分の腕を絡ませ、胸を押し当てた。殿下は鼻の下を伸ばしながら、セシリー様を見つめている。
「オリバー殿下……リアナ様が、私を睨んでいます。また酷い目にあわされそうで、怖いです……。殿下、私を守ってくださいますよね?」
睨んでいるのではなく、呆れているのだ。男性とは、こんなことで喜ぶ生きものなのだろうか……
おしとやかな女性が好きだと言っていたはずの殿下が、まるで真逆な女性にいいように操られている。
「あ、ああ……そうだな」
「ご心配はいりません。殿下とはすでに終わったのですから、この先お二人に関わることはありません。それでは、失礼します」
私の言葉など信じないのだから、これ以上否定したところで意味はない。殿下に愛されたいと願って来たのに、あまりにも酷い仕打ちに一気に目が覚めた。
そして私は、振り返ることなく会場を後にした。
「リアナ嬢!」
馬車に乗り込もうとしたところで、追いかけて来たライアン様に呼び止められた。
そういえば、お礼も言っていなかった。
「ライアン様、先程はありがとうございました」
丁寧に頭を下げてお礼を言うと、ライアン様はにっこりと微笑んだ。
「礼を言うということは、僕の婚約者になってくれるということでいいのかな?」
「え!? あの……そのお話は、冗談ではなかったのですか!?」
「あの場で冗談を言うほど、愚かではないつもりだよ」
確かに、王太子殿下に嘘をつくようなことは出来ない。セシリー様は嘘しか言っていなかったけれど……
「先程殿下が仰っていたことは、気にならないのですか? 私は殿下と一緒に居ることに嫉妬して、セシリー様に酷いことをするような人間なのですよ?」
何もしていないと分かっているのは、私しかいない。ミモザは私を信じてくれるけれど、あの状況で殿下の口から出た言葉なのだから、ほとんどの人が信じただろう。
「君がそんなことをするはずがない。ずっと、オリバー殿下の為に自分を抑えて来たことも知っている」
ライアン様は、私の目を真っ直ぐに見つめながらそう言った。私を、信じてくれるというのだろうか……?
「私のことを、前から知っていたのですか?」
自分で言うのもなんなのだけれど、殿下の好みの女性を完璧に演じられていたと思う。それほど、努力して来たからだ。それでも抑えて来たと言い切ったライアン様は、私のことを前から知っていたとしか考えられない。
「四年前、僕は父に連れられてこの国に来たことがあるんだ。その時に見た女の子は、強くて凛々しい女の子だった。名前も知らないその子にまた会いたくて、この国に留学して来たのに、その子にはすでに婚約者が居た。もう二度とあんな思いをしたくなくて、先程はすぐに立候補をしていた」
大切な思い出を思い出すように話す、ライアン様。
それって……ライアン様は、私に会うためにこの学園に来たということ……?
「そのような理由で、よくご両親が留学をお許しになられましたね……」
簡単に留学させてくれるなんて、ライアン様はいったい何者なのだろうか。侯爵令息とは聞いていたが、侯爵家が大切なご子息をそんな理由で他国に留学に出すとは思えない。
友好国とはいっても、ハインボルトは大国だ。ハインボルトには、この国よりも大きな学園があり、さまざまな国からの留学生が通っている。わざわざ小国のこの国に、留学する必要などない。
「呆れられてしまったね。両親は、意地でも嫁を捕まえて来いと言ってくれたんだけどな。まさか、その子にはすでに婚約者が居るとは思わなかったけどね」
「ずいぶん、面白いご両親ですね」
「そうなんだよ! だが、嫁を捕まえなければ帰って来るなともいわれていてね。僕の為に、婚約者になってくれないか?」
冗談のように言っているけれど、目を見れば本気なのは伝わって来た。だけど今は、そんな大事なことを決められるほど冷静ではない。
「考えさせてください」
その答えが、精一杯だった。
「分かった。卒業するまでには、まだ時間はあるからね。だが、大人しく待っているつもりはないから、覚悟しておいて」
戸惑いながらも頷くと、ライアン様は顔がくしゃくしゃになるほどの笑顔を見せてくれた。
好きだった方と婚約を解消したばかりだというのに、彼のおかげでモヤモヤとした気持ちは消え去っていた。
オリバー殿下は偽りの私を求めたけれど、ライアン様は私自身を見てくれている。それが、こんなにも嬉しいことだとは知らなかった。
「ライアン様こそ、覚悟してくださいね? 私はもう、今までの私とは違います。逃げ出したくなっても知りませんよ?」
なんだか、自由になれた気がした。
オリバー殿下に愛されたくて必死にもがいて来たことが、知らず知らずのうちに自分自身を苦しめていたのかもしれない。
「望むところだ」
そう言うと、ライアン様はまたくしゃくしゃな笑顔を見せてくれた。
邸に戻ると、両親に婚約を解消したことを話した。きっとガッカリされるだろうと思っていたけれど、意外にもすんなり受け入れてくれた。
「怒らないのですか?」
意外な反応に、思わずそう聞いていた。
もちろん、怒られたいわけではない。
「お前が無理をしているのを、知っていたからな。私達は、お前が決めたことを応援する」
父はいつだって、私のことを一番に考えてくれる。
「婚約者よりも、何処の馬の骨ともしれない女を信じるような殿下なんて、リアナには相応しくないわ! そのような方は、こちらから願い下げよ!」
セシリー様は子爵令嬢だから、何処の馬の骨とも……なんてことはないけれど、お母様なりに励ましてくれている。
私には、兄が一人居る。兄も父と同じで、いつだって私を一番に考えてくれる。この家族の一員で、本当に良かった。
翌日、学園に登校すると、昨日とはまるで世界が違っていた。
私は、『嫉妬をして、セシリー様をいじめていた性悪令嬢』と噂になっていた。あの場で、誤解をとく努力をしなかったのだから、こうなることはある程度予想していた。悪口を言われたところで、傷付くような弱い人間じゃない。
「昨日のことがあったというのに、平然と学園に来られる神経が分からないわ」
「セシリー様が、そんな目にあっていたなんて……。お可哀想」
「オリバー殿下に捨てられたのも、自業自得ね!」
何も証拠がないのに噂しているあなた達が、私には信じられない。話したこともないのに、噂を鵜呑みにするような人達に興味などない。
「見て! あのふてぶてしい顔! これほど噂になっているのに、全く反省していないみたい!」
ふてぶてしい顔は、生まれつきよ!
前は同じ顔をしていても、『美しい』と褒めていたくせに!
「私は反省するようなことをしていないのですが、あなた達は反省すべきではないかしら?」
少しイラッとした私は、気づいたら噂をしている令嬢達にそう言っていた。
「私達は、何もしていません!」
「そうです! なぜ、私達が反省しなければならないのですか!?」
本気で言っているから、タチが悪い。
「救いようがありませんね。誰かを悪く言うことが、善だとでも思っているのですか?」
「な!?」
「それは……」
何も言い返せない令嬢達は、そのままそそくさと逃げて行った。
一人では何も出来ないのに、集団になると途端に強くなる。そんな考え方だから、善も悪も判断が出来ない。
「さすがだね!」
いつから居たのか、声がした方を振り返るとライアン様が立っていた。
「……見ちゃいました?」
ライアン様は頷くと、ゆっくり近付いて来て、私の前で立ち止まった。
「格好良く助けるつもりだったのに、リアナが格好良く蹴散らしていたから、出るタイミングを逃してしまった」
先程の私を、格好いいと?
ライアン様は、変わった人だ。だけど、何だか心地良い。
「ポイント、稼げませんでしたね」
「次は頑張る!!」
冗談のつもりだったのに、張り切るライアン様の姿を見ていたら、なぜだか『頑張れ』と思ってしまった。
教室に入ると、ミモザが私に気付き、勢い良く駆け付けてきた。
「リアナ! おはよう!」
子犬のようにシッポを振っているみたいに、私の姿を見つけて喜ぶミモザが可愛い。
周りはこんなにも変わったのに、ミモザだけはいつもと同じ。そんな風に接してくれることが嬉しくて、胸が熱くなるのを感じた。
「おはよう、ミモザ」
何故か目をキラキラさせながら、私を見てくる。
「? どうしたの?」
首を傾げると、ミモザは私の後ろに立っているライアン様をちらりと見た。
「昨日は、ライアン様と二人きりでどこへ?」
耳元に唇を寄せて、小声でそう聞いた。
昨日のことを思い返してみると、私が会場を出た後にライアン様が追いかけて来たことを言っているようだ。
もしかして、勘違いされてる?
「どこにも行っていないわ。昨日はあのまま、邸に戻ったもの」
それを聞いたミモザは、明らかにガッカリした顔をした。
「昨日のライアン様はとても素敵だったから、リアナと上手くいってくれたらいいなと思っていたのにな。あのような状況で、立候補するなんて確実にリアナのことを想っているわ!」
後ろにライアン様が居ることを、忘れたようにそう言うミモザ。 それとも忘れているのではなく、わざと聞こえるように言っているのか……
「ミモザ、昨日はごめんね。それと、ありがとう」
「私は、リアナの為なら何だって出来るわ! 男爵令嬢の私を、リアナは親友だと言ってくれた。学園でいじめられていた時も、リアナが助けてくれた。今こうして居られるのは、リアナが居てくれたからだもの」
あんなことがあった今も、私の友達で居てくれるのはミモザだけだ。
私はただ、男爵令嬢だからといっていじめていた令嬢達が許せなかった。
おしとやかで完璧な令嬢を演じていたはずの私が、あの時だけは我慢が出来なかったことを思い出す。『オリバー殿下の婚約者』というだけで、一言やめなさいと言ったら逃げて行ってしまったけれど。
その肩書きがなくなった今、いじめの対象は私になっているみたいだけれど、返り討ちにしてあげる気満々だ。
「ミモザが居てくれる……それだけで、十分だよ。それに、もう我慢する必要はなくなったわけだし」
私の言葉に、首を傾げるミモザ。
「私ね、オリバー殿下の浮気性にものすごく腹が立っていたの!」
首を傾げていたミモザは、今度は目を丸くして驚いていた。
お昼休み、学食でランチをしながら全てを話した。
「ミモザ、ごめん。本当は私、完璧な令嬢なんかじゃないの。こんな私でも、友達でいてくれる?」
ミモザはすぐに頷いてくれた。
「もちろん! どんなことがあっても、私はリアナの味方だから! それにしても、殿下は酷すぎる! リアナが殿下の好みの女性になろうと努力していたのに、好みとは正反対のセシリー様と……」
いつものように、私の代わりに怒ってくれる。もしかしたら、ミモザが怒ってくれていたから、私は我慢出来ていたのかもしれない。
「ずっと私の代わりに怒ってくれていたこと、本当に感謝してる」
「そう言ってもらえて、嬉しい。リアナの役に立てていたなんて、すっごく嬉しい!」
ミモザの笑顔は、太陽みたいに輝いていた。
「ここ、いいか?」
ミモザと話しながらランチをしていると、なぜかオリバー殿下が私の隣の席に腰を下ろした。
「……いいとは、言っていませんけど?」
昨日の今日で、いったいどういうつもりなのだろうか。何事もなかったように話しかけて来る殿下に、苛立ちを覚える。
「昨日のこと、謝りたいんだ」
今更謝ってもらったところで、殿下を許す気にはなれない。
「謝罪とは、何に対してですか? 私を大勢の前で性悪扱いしたことですか? ミモザに失礼な態度を取ったことですか? それとも、セシリー様に騙されていいように使われたことですか?」
「セシリーは、そんな女じゃない! 謝りたいのは、婚約を考え直すと言ったことだ!」
謝りに来たと言いながら、また他の女性を信じて庇う。
「では、殿下は私がセシリー様をいじめていたと本気で思っているのですね? そのような方と、結婚することなど出来ません。すでに父が、陛下に婚約解消の書類をお渡ししているはずです。私達はもう、婚約者ではありません」
性悪だと思っているのに、謝りたいとは意味が分からない。
「ま、待ってくれ! 俺は、お前を愛しているんだ!」
ますます意味が分からない。
愛する人を信じないばかりか、セシリー様の言葉を信じて私が彼女をいじめていたと思っている。そんな私を、愛してる? 殿下は、バカなのだろうか。
「私はもう、殿下に興味はありません。食事は済んだので、これで失礼します」
「お前……変わったな」
席を立った私に、オリバー殿下はそう言った。
変わった? 私は元々、こういう性格だ。そんなことも知らないで、何を愛してるというのだろうか。
「殿下の好みの女性になれず、申し訳ありませんでした。ですが私は、元々こういう性格です。愛してると仰るなら、私のどこを愛していたのでしょう?」
私も、殿下と同じなのかもしれない。私は、殿下の何を愛していたのだろうか……
「リアナ様……そんな言い方は、酷いと思います!」
いつから居たのか、セシリー様は涙を浮かべながら私に抗議した。
酷いのは、どちらだろうか。私には何を言ってもいいけど、自分達には言うなとでも言いたいようだ。
「自業自得だと思うけど?」
またまたいつから居たのか、ライアン様がそう言った。
「ライアン様には、関係ないではありませんか!」
ライアン様に邪魔をされるとは思っていなかったのか、涙を浮かべていたセシリー様が声を荒げた。
「リアナ嬢は、僕の婚約者候補だ。関係ないのは、君の方じゃないかな?」
ライアン様に関係ないと言われ、セシリーは泣き出してしまった。
「酷いですぅー! ふぇぇぇん……」
殿下はオドオドしながら、セシリー様の肩を抱き寄せて慰めている。
「ライアン……お前、何様だ!? 女性を泣かせるなど、最低の男がすることだ!!」
殿下のこの言葉で、ライアン様の雰囲気が明らかに変わった。
「殿下こそ、どういうおつもりなのですか? 涙を流していないからと、心が傷付いていないとでも?」
表情には現れていないけれど、怒っているのだと分かる。
「もうやめましょう。ライアン様、ミモザ、行きましょう」
ライアン様の言葉で、私の心が救われた気がした。気の強い私が、涙を流すようなことは滅多にない。だからといって、傷付いていないわけじゃない。
それにしても、王太子殿下があんなに簡単に騙されてしまうなんて、この国の未来が心配だ。
午後の授業を終えて帰ろうと馬車に向かっていると、なんだか周りが騒がしい。
「殿下から挑んだそうよ!」
「麗しいお二人が決闘だなんて……見に行くしかないわ!」
「どちらが勝つのかしら!?」
決闘?
なんだか物騒な話をしている。
殿下というのが聞こえたけれど……まさかね。
そう思いながらも、気になって見に来てしまった。私の予想が外れてくれればいいと思っていたけれど、的中していた。
殿下と、ライアン様は向かい合いながら何かを話している。
「俺が負けたら、潔くリアナを諦める! だからお前が負けたら、リアナを諦めろ!」
私の気持ちを無視したこの決闘に、何の意味があるのだろうか。たとえ万が一、殿下が勝ったとしても、彼とやり直すつもりなんて全くないのだから。
「決闘なんて、バカげたことはしない」
私に気付いたライアン様は、決闘の申し出を断った。少し、違和感を感じる。
私が駆け付けた時、ライアン様はやる気だったように見えたからだ。
「逃げるのか!?」
負けるのが怖いから逃げるのだと、殿下は思ったのだろう。勝ち誇った顔でそう言った。それが無性に腹立たしく思えて、殿下の前に出ていた。
「私がお相手いたします!」
その場にいる誰もが、驚いてポカンと口を開けている。まさか、私が決闘を挑むとは誰も思っていなかったようだ。
「きゃ~! リアナ、素敵~!!」
ミモザも気になって来ていたようで、一人だけ黄色い声援を送ってくれている。
「お、女とは戦わない!」
「なぜですか? 私は身を守る為に、幼い頃から剣術を学んで来ました。殿下が勝ったなら、婚約解消はなかったことにしてもかまいませんよ?」
「そ、そうか! では、勝負!」
婚約解消をなかったことにすると言った途端、やる気満々になった。単純。
「ライアン様、その剣を貸していただけますか? それと、審判もお願いします」
ライアン様は何も言わず、持っていた剣を渡してくれた。彼は、私が勝つと信じてくれているように見える。
「……始め!」
周りに集まった生徒達は、この状況が何なのかまだ理解出来ていない。男性二人の戦いになると思っていたのに、女の私がやると言い出したのだから仕方がないのかもしれない。
「来ないのか?」
殿下は余裕ぶって、私を挑発している。
殿下の向こう側に、セシリー様の姿がある。愛しの殿下の戦いだというのに、応援をしようともしない。殿下が勝ったら、また私と婚約することになるのだから、応援なんて出来るはずがない。
「では、行きます!」
先ずは、上段から斬りかかる。
「そんなものか?」
防がれるのは、分かっていた。
どう頑張ったところで、女の私では力が弱い。このまま力押しすれば、そのうち弾かれてしまう。けれど、それが狙いだった。
殿下が剣を弾き返すタイミングを見計らって、自分の剣を殿下の剣にスライドさせる。
殿下は力いっぱい弾き返したのだから、体勢が崩れる……
「動かないでください」
スライドさせた剣を、素早く殿下の喉元に突き付けた。
「そこまで! 勝者、リアナ嬢!」
私の勝利に、また周りがポカンとしている。
「きゃ~!! リアナ、かっこいい! 素敵過ぎる~!!」
約一名を除いて。
静まり返っているからか、ミモザの声がよくとおる。でも、応援されて悪い気はしない。
「今のは……女相手だから、本気になれなかっただけだ!」
負けていいわけをする殿下は、何だか惨めに思える。
「だとしても、負けたのですから、私のことはお忘れになってください」
「そんな約束は、していない! 俺が勝ったら、婚約解消をなかったことにすると言っただけだろう?」
……呆れて、何も言葉が出て来ない。
一発くらい、殴っておけば良かった。
「でしたら、僕がお相手いたしましょう。先程の約束、覚えていますよね?」
「ライアン様……?」
先程、決闘なんてしないと言ったばかりなのに……
「剣を、貸してくれるかい?」
素直に剣を渡して、後ろに下がる。
「ようやくやる気になったか。手加減は期待するな!」
いきなり斬りかかるオリバー殿下の剣を、ライアン様はひらりと交わした。そして、剣を構えた。
あの構えは……
勝負は一瞬だった。
ライアン様の剣はオリバー殿下の剣をなぎ払い、顔を突き刺す直前で止まった。オリバー殿下はそのまま、動くことも出来ず、瞬きすら出来ずに固まっていた。
「約束、しましたからね?」
剣を下ろしたライアン様は、いつもの笑顔に戻っていた。
「リアナ嬢、帰ろうか。勝ったご褒美に、カフェに行こう! 何か奢って欲しい」
いつものライアン様に、なんだかホッとする。
「私も勝ちましたよ?」
「では、リアナ嬢には僕が奢る」
「それって、意味があるのですか?」
「意味はありまくりだ。僕は、リアナ嬢に褒められたいしご褒美が欲しい! そして、リアナ嬢に奢りたい!」
変な人……
でも、意外と隣の居心地は悪くない。
「なんなら、アーンしてくれても」
「却下」
「そんな即答しなくてもいいじゃないかー」
いじけるライアン様と一緒に、私達はカフェに向かって馬車を走らせた。
◇ ◆ ◇
「殿下、私……まだ話していないことがあります」
リアナとライアンがカフェに向かって居なくなり、周りに集まっていた生徒達も無様に負けたオリバーに声をかけることなく帰って行った。そんな中、セシリーがオリバーに近寄って話しかけた。
「今更、なんだというんだ……」
愛するリアナに負け、恋敵のライアンに一瞬で負けてしまったオリバーは、何もかもどうでもよくなっていた。
「リアナ様とライアン様は、前から付き合っていました。二人は、ずっと殿下を騙していたのです!」
もちろん、そんな事実はない。
セシリーは、いつまでもリアナを諦めようとしないオリバーに苛立っていた。色仕掛けにも、泣き落としにも簡単に引っかかるくせに、リアナへの愛は消えることがなかった。それならば、リアナを排除するしかないと考えていた。
「そんな……そんなの嘘だ!! リアナは、俺を心から愛してくれていた」
「殿下は、お優し過ぎるのです。リアナ様は、ずっと本当の自分を殿下に隠して来たではありませんか! このまま、二人の婚約をお許しになるのですか? 殿下を裏切っていたリアナ様も、他国の侯爵令息ごときのライアン様も、地獄に突き落としましょう!!」
「リアナが、俺を裏切っていたなんて……許せない!」
何もかもどうでも良くなっていたオリバーの目に、怒りの炎が宿った。
セシリーにいいように使われて、本当に単純な男だった。
カフェに到着した私達は、席に座り、ケーキと紅茶を頼んだ。
「そろそろ、話して下さいますか?」
ライアン様のお誘いを受けたのは、ゆっくりお話してみたいという気持ちもあったけれど、本当の理由は彼の口から真実を聞くことだった。あの決闘の時の構えに、見覚えがあったからだ。
「やはり、バレてしまったか」
まるでイタズラが見つかった子供のように、舌を出しておどけてみせる。
「私が気付くと思ったから、決闘はしないと言い出したのですか?」
あの時、ライアン様は決闘する気だった。そうしなかったのは、私に気付いたから。
「そこまでバレていたかー。その通りだよ。リアナ嬢なら、分かってしまうと思ったんだ。君の予想通り、僕はハインボルトの王族だ」
思った通りだった。
あの構えは、ハインボルトの王族だけが使っている剣術だ。構えを真似することは出来ても、その先の動きを見極めることは出来ない。それほど素早く、鍛錬を積まなければ使いこなすことは出来ない。
ライアン様が四年前にこの国に訪れたと言った時に、思い返せば分かることだった。名前を、偽ってはいなかったのだから。四年前この国に訪れたのは、ハインボルトの国王陛下と第五王子のライアン様。あの日、ライアン様の剣術を見て、あまりの美しさに感動したのを覚えている。たった十三歳で、あの剣術を身に付けた天才だと言われていた。
ライアン様のお母様は侯爵家出身で、確かケイル侯爵。こんなに分かりやすかったのに、気付かなかったなんて……
「侯爵令息と偽ったのは、どうしてですか?」
「王子としてじゃなく、君と普通の恋がしたかったんだ。まあ、この国に来たら君はすでに婚約していたんだけどね……」
ものすごく落ち込んでしまった。
「そんなに、私を想って下さっていたのですか?」
「もちろんだ! 君を見た瞬間、すぐにあの時の女の子だと分かった。でも君は、あの頃とは違っていた。いつも辛そうで……必死に元気付けようとしたけど、すぐにあしらわれてしまった」
あれは、からかっていたわけではなかったんだ。
「お待たせしました」
店員さんがケーキと紅茶を運んで来て、テーブルの上に置いて下がった。
なんだか少し、気まずい。ライアン様の気持ちも知らずに、私は彼に酷い態度を取っていた。こんなにも想ってくれていたのに、申し訳ない気持ちでいっぱいになり下を向いた……のだけれど、なんだか視線を感じて顔を上げると、ライアン様が私の頼んだケーキをじーっと見ている。視線は、私にではなくケーキに向けられていたようだ。
「……どうしてケーキを見つめているのですか?」
「いやあ、チョコレートケーキも美味しそうだと思って」
私が頼んだのはチョコレートケーキで、ライアン様はチーズケーキを頼んでいた。
「あげませんよ?」
「え~!! 一口だけ!」
「ダメです」
「あーん……」
「しません」
いつの間にか、気持ちが楽になっていた。
本当に不思議な人だ。黙っていれば、とても綺麗な方なのに、話し出すとまるで子供みたい。
周りの席に座る令嬢達が、ライアン様のことをチラチラと見ている。
「よそ見するな、僕だけ見ていろ」
急に身を乗り出して顔を近づけ、真顔でそう言った。
令嬢達を気にしていたことを、言っているのだろうか。
そういえば、ライアン様は私のことしか見ていない。……あとケーキ。
いつもはおどけているのに、急に真剣な顔をするから心臓に悪い。
「見ていますよ」
近付いたライアン様の鼻を、ぷにっと指先で上に向けてみた。
「よろしい」
鼻を上に向けられたまま、まだ真面目な顔をするからおかしくなって笑ってしまった。
「ふふっ」
「やっと笑ってくれた。凛々しい君も素敵だけど、笑顔も可愛い」
まだ鼻を上に向けられたまま、微笑みながら褒めてくる。この人には、勝てない気がする。
結局、カフェの代金は全部ライアン様が払ってくれた。
自分で奢って欲しいと言っていたのに、「女性に払わせるわけにはいかない」だそうだ。私がカフェに行きやすいように、奢ってと言ったのかもしれない。私のことを、凛々しいとかカッコイイとか言うのに、ちゃんと女の子扱いもしてくれる。
ライアン様のおかげで、救われている自分がいた。
「リアナ! お前、浮気していたそうだな!」
翌日学園に登校すると、オリバー殿下にいきなりそう言われた。私の机の上に腰を下ろし、腕組みをしながら鼻息を荒くしている。
「何のことか、分かりませんが?」
正直、浮気をしていたと言われてカチンときている。私がどれだけオリバー殿下に一途だったか、分かっていなかったようだ。
「ライアンとずっと浮気していたから、俺との婚約を解消したいなどと言い出したのだろう!?」
自分が一番だと思っているオリバー殿下が、浮気されていたという考え方をするとは思えない。そう思って教室の入口を見ると、セシリー様の姿があった。きっと、セシリー様の入れ知恵だろう。けれど、セシリー様の表情は焦っているように見える。あの様子から、オリバー殿下が直接私を責める予定ではなかったのだろう。
「聞いているのか!? お前達を、絶対許さないぞ!?」
「許さない……とは? どうするおつもりなのですか?」
いい加減、私の机の上からどいて欲しい。
「お前の父親に何かの罪を着せて、破滅させることも出来るんだぞ!!」
本当に、殿下はバカだ。
得意気に、そんなことをベラベラと……
「それは、脅しですか? こんなに沢山の人がいる中で、私の父に冤罪をかけると仰ったのですよ? 言動には、責任を持ってください。それから、父に手を出したらあなたを許しません。地の果てまで追いかけて、必ず後悔させて差し上げます」
殿下を睨み付けると、怯えた子犬のように小さくなっていた。
「す……すまない! 今のは、冗談だ!」
「そうですか、安心しました。そろそろ、私の机の上からどいてくれます?」
家族を脅しの材料に使うなんて、許せなかった。
「あ、ああ、すまない……」
素直に机の上からおりる殿下。
殿下がバカだったから、冗談で済んだ。もしも殿下が先程言っていたことを先に仕掛けていたら、冗談だったじゃ済まされない。セシリー様は、やり過ぎた。
もう一度教室の入口の方を見ると、すでにセシリー様の姿はなくなっていた。その代わり……
「本当に申し訳ありません、リアナ嬢。兄に代わり、謝罪いたします」
セシリー様と入れ違いで姿を現したのは、この国の第二王子ウォルター殿下だった。
「な!? ウォルター、なんでここに……」
オリバー殿下は、ウォルター殿下がこの国に居ることに驚いている。
ウォルター殿下は、三年前から他国に留学していた。それがなぜか、この学園の制服を来てこの場に居るのだから、オリバー殿下だけでなく私も驚いている。
「ウォルター殿下、お久しぶりです。お戻りになられたのですね」
「はい、今日からこの学園に通うことになりました。よろしくお願いします」
「おい! 俺を無視するな!」
「兄上は、黙っていて下さい。ご自分が何をしたか、まだ理解出来ないのですか!? これ以上、恥を晒さぬようお願いします」
「な……!?」
オリバー殿下は前王妃様の子で、ウォルター殿下は側室だったスフィア様、今の王妃様の子だ。
王太子にはウォルター殿下の方が相応しいとの声が多かったけれど、結局オリバー殿下が王太子になった。王太子の婚約者を決める試験は、オリバー殿下を支えることができ、実家の力が大きい令嬢が集められていた。つまり、オリバー殿下に足りない分を王太子妃で補うつもりだったのだ。
オリバー殿下が完璧でないことは、試験の前から知っていた。幼い頃から、優秀なウォルター殿下と比べられて辛い目にあっていたオリバー殿下。そんな殿下の私に向けてくれた笑顔が眩しくて……その瞬間、オリバー殿下に恋をしていた。まさか、こんな風になってしまうなんて、あの時は思いもしなかった。
私達の婚約がなくなり、オリバー殿下は王太子ではいられなくなるかもしれない。けれど、ウォルター殿下の帰国が早過ぎる。オリバー殿下が、セシリー様と親しくしていたことが原因なのだろうか……?
「ウォルター? 帰国していたのか!?」
そういえば……
「ライアン! また会えて嬉しいよ!」
ウォルター殿下が留学していたのは、ハインボルト王国だった。
ライアン様はハインボルトの王子なのだから、親しくしていても不思議はない。
「国に戻るのは、もう少し先になると言っていなかったか?」
二人とも、久しぶりに会えてすごく嬉しそう。
「事情が変わってね。それより、麗しの美少女は見つかったのか?」
「ああ……すぐに見つけることは出来たんだが……」
ライアン様が、私の顔を見ながら複雑そうな表情をした。……麗しの美少女って、まさか私!?
「まさか、麗しの美少女はリアナ嬢なのか!?」
やめて! 何その恥ずかしい呼び方!
「僕もこの学園に入って初めて知ったんだ。なんだか、申し訳ない……」
「謝る必要はないよ。リアナ嬢に愛想尽かされた兄が悪い。リアナ嬢、ライアンの気持ちは本物です。どれほどあなたに、恋焦がれていたか……」
私の知らないところで、ライアン様は私のことをずっと想ってくれていたのだと改めて実感していた。
お昼の時間、少し一人になりたくて中庭のベンチに腰を下ろして、空を見上げながらぼーっとしていた。
私は、ライアン様をどう思っているのだろう……
正直、自分の気持ちが分からなかった。ライアン様のことは、もちろん好きだ。その好きが友達としてなのか、恋愛感情なのかが分からない。
一緒に居ると楽しいし、癒される。けれどそれは、ミモザと一緒に居ても同じだ。
私はまだ、誰かを好きになるのが怖いのかもしれない。初めて恋をして、本当に大好きだった人にあんな仕打ちをされた。ライアン様がそんな人じゃないことは、分かっている。分かっているけれど……踏み出せないでいる自分に、苛立ってくる。
「はあ……情けない……」
そもそも私は、恋愛初心者なのだ。
片想いだけは経験者だけれど、相手からこれほど想われるなんて初めてで、どうしたらいいのか分からない。
「……なのよ!」
ぼーっとしていたら、何だか後ろが騒がしい。
ベンチの後ろの木が邪魔して私が居ることに気付いていないのか、何人かが口論しているようだ。
「……ごめ……んなさい……」
違う。口論ではなく、これは……
「本当に目障りね! 姉をいじめる性悪のくせして、泣き真似なんかしても私達には通じないわ!」
「そうよ! 何様のつもり!?」
「その顔を見ると、吐き気がするわ!」
完全にいじめだ。
ベンチから立ち上がり、彼女達の前に姿を現すと、女子生徒達はいっせいに私の顔を見た。
「何をしているの?」
三人の女子生徒が、一人の女子生徒を取り囲んでいて、その取り囲まれている女子生徒は涙を浮かべながら怯えた顔をしている。どう見てもいじめだけれど、彼女達の口から聞きたかった。
「あ、あなたには関係ないわ!」
「ちょっ! やめなよ……リアナ様を知らないの!?」
「リアナ様って、あの!? オリバー殿下に、婚約解消されたのでしょう?」
私のことも、好き放題言ってくれる。
いじめられていた女子生徒は、震えているように見える。けれど、なぜだかこの顔とこの怯え方に見覚えがあるような……
「あのリアナだけど、それが何か? 一人の子を寄ってたかっていじめて、あなた達恥ずかしくないの?」
「いじめなんてしていません! マディソンは、泣き真似をしているだけです! 泣き真似をして同情を誘う、性悪なんです!」
泣き真似……?
私には、そうは思えなかった。
「マディソンは、姉であるセシリー様を毎日酷い目にあわせているのです!」
……今なんて?
姉であるセシリー様って、まさかセシリー様の妹!?
「で? セシリー様を酷い目に遭わせているところを、あなた達はその目で見たの?」
何となくだけれど、状況が掴めて来た。
「それは……見ていません。ですが、セシリー様が泣きながら仰っていました!」
セシリー様が嘘をついていたのは、オリバー殿下にだけではなかったようだ。
「セシリー様が泣きながら言ったことは信じるのに、涙を浮かべて謝るマディソン様のことを信じないのはなぜ?」
「それは……」
深く考えることもせず、片方の言うことを鵜呑みにして一人を三人で囲んで責めるなんて許せない。
「リアナ様は、セシリー様がお嫌いなのでしょう!? だから、セシリー様が酷い目にあっていようとどうでもいいのでしょう!?」
確かに、セシリー様は嫌いだ。けれど、今はそんなこと関係ない。
「私に、ケンカを売るつもりなの? それなら、買ってあげるわ」
三人の女子生徒を睨みつけながら、少し低めの声でそう告げた。
自分は正しいのだと思い込んでいる人間は、何を言ったところで納得したり反省したりはしない。私はオリバー殿下で、懲りている。
「もう行こう……。リアナ様は、オリバー殿下に剣術で勝っているのよ? それに、腐っても公爵令嬢だし……」
全部、聞こえているけど?
誰が腐っても公爵令嬢よ……
「きょ、今日はこれくくくらいにしておいいてあげげるわ」
言えてないし。
「そう」
「きゃあ!」
三人の女子生徒は、顔を真っ青にして悲鳴をあげながら逃げて行った。
失礼ね……何だか、化け物になった気分。
「大丈夫?」
悲鳴をあげて逃げたりしないか少し不安になりながらも、マディソン様の目を見ながらそう聞く。
「は、はい。助けて下さり、ありがとうございました」
声は小さいけれど、少なくとも私を怖がって逃げたりはしないようだ。
顔はセシリー様に似ているけれど、雰囲気が全然違う。
「あの……姉が、リアナ様に酷いことをしてしまい、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるマディソン様。
「マディソン様が謝る必要はないわ。頭を上げて。それに、セシリー様に酷い目にあっているのはお互い様でしょう?」
お互い様と言ったけれど、私と彼女は全く違う。
彼女の手は傷だらけで、首筋にアザのようなものが見える。夏だというのに長袖……きっと腕にはたくさんのアザがあるのだろう。髪はボサボサで、肌もボロボロ。
マディソン様はセシリー様をいじめているどころか、毎日使用人のように扱われているのだろう。アザは、体罰を与えられている証拠。両親はそれを咎めもせず見て見ぬふりか、セシリー様と一緒にマディソン様を虐げている……といったところだろうか。
「マ、マディソンで大丈夫です。リアナ様は、お優しいのですね……」
なぜかマディソンがまた涙ぐむ。
可愛い……何この小動物みたいな女の子は!
「私のことも、リアナでいいわ。行こう!」
マディソンの手を取って走り出す。
すごく華奢な手で、食事もろくに食べさせてもらえていないのが分かる。
「どちらへ?」
「学食! まだお昼休みは終わっていないから!」
私達は急いで学食に入り、二人分のおすすめメニューを注文した後、席に着いた。
「さあ、食べよう! いただきまーす」
「で、でも私、お昼は済ませました」
マディソンがそう言った後、盛大に彼女のお腹の音が鳴った。
「あ、えっと、これは……」
顔を真っ赤にしながら必死にいいわけしようとする姿があまりに可愛くて、思いっきり抱き締めたくなる。
「お金のことは気にしなくていいから。せっかく作ってくれたんだから、食べよう?」
「……はい」
ようやく食べる気になってくれて、ホッとしていると、すごい勢いでミモザがこちらに向かって来た。
「どこ行ってたの!?」
不機嫌そうに私の隣に腰を下ろし、頬を膨らませている。
「ごめん、少し考え事がしたかったの。一言言えば良かったね。本当にごめん」
いつもミモザとランチをしていたから、今日もそのつもりで探してくれていたようだ。
「許さないけど許す!」
それは、どっちなのだろう?
「ところで、彼女は? 何だか、見覚えがあるようなないような……」
マディソンの顔を、じーっと見つめるミモザ。
「彼女は、マディソン。さっき友達になったの。セシリー様の妹よ」
「……え?」
マディソン様をじーっと見つめていたミモザが、私の方を向いて目を丸くした。
「は、初めまして。マディソンと申します。先程、リアナ様に助けていただきました」
マディソンは、さっき出会った時から今まで、ずっとオドオドしている。人見知りなのもあるだろうけれど、それ以上に人と関わることが怖いのかもしれない。
「リアナでいいと言ったでしょう? はい、やり直し!」
「え……リ、リ、リアナ……」
「よろしい」
誰かを救いたいなんて、おこがましいのかもしれない。けれど、どうしても放っておけない。
「ようやく来たね。もうお昼休みが終わってしまう」
「ライアン様! ウォルター殿下と、ご一緒だったのですね」
「リアナ嬢が見つからないからと、ずっとあなたの話ばかり聞かされていました。そちらの方は?」
どんな話をしたのか、すごく気になる……
「彼女は、マディソンです。ウォルター殿下と同じ、一年生ですよ」
「そうなのですね。よろしくお願いします」
ウォルター殿下が、ライアン様と居てくれて良かった。
「ウォルター殿下、マディソンをよろしくお願いします」
ウォルター殿下と一緒に居れば、少なくともまたいじめられたりはしないだろう。
「それにしても、リアナは本当にお人好しね。よりにもよって、セシリー様の妹を助けるなんて」
お昼休みが終わって教室に戻ると、ミモザは呆れた顔でそう言った。
「誰の妹だろうと、関係ない。ミモザも見たでしょう? あんなにやせ細って……」
「僕は、リアナらしいと思った。ますます惚れ直したよ」
いきなり惚れ直しただなんて、そんな恥ずかしい言葉をサラッと言えてしまうライアン様にドキッとする。
「あ……今、ときめいたでしょ?」
真っ赤になって下を向く私の耳元に唇を寄せ、ライアン様がそう囁く。
か、か、か、顔が近い! 心臓に悪いから、やめて欲しい!
「ときめいていません!」
さらに真っ赤になった顔を隠すように、ライアン様から顔を逸らし窓の外を見る。
「残念……いつか必ず、君をときめかせてみせるから。楽しみに待っていてね」
ライアン様は、そのまま自分の席に戻って行った。
本当は、ときめいていた。これってもしかして……恋?
放課後、一年生の教室にマディソンを迎えに行くと……
「リアナ様よ! 素敵!」
「きゃ~! お美しい!」
「お美しくてお強いなんて、完璧です~!」
なぜか黄色い声が飛び交っている。
この反応は、いったいなんなのだろうか。
「リ、リアナ? どうされたのですか?」
私に気付いたマディソンが、驚いた顔で私を見る。
「マディソンを迎えに来たのだけれど、みんなどうしてしまったの?」
私を怖いと思っている様子はなく、ほとんどの生徒が顔を赤くして私を見ている。
「リアナ嬢は、一年生の間で大人気みたいですよ。兄上との決闘で、多くの生徒を魅了したようです」
ウォルター殿下は、約束した通りマディソンの側に居てくれた。オリバー殿下とは、大違いだ。
それにしても、こんなに好意的に思ってくれる生徒が居たなんて全然知らなかった。
「リ、リアナと殿下のおかげで、いじめられるどころかみんなが話しかけてくれるようになりました。学園が、楽しいと思えるなんて初めてです」
マディソンの表情が、少し明るくなった気がする。
「それなら良かった。じゃあ、行こう!」
「え……?」
戸惑うマディソンの手を掴み、馬車に乗せる。
行先は、パウエル子爵家。マディソンとセシリー様のご実家だ。
学園でいじめにあわなくなったとしても、根本的な解決にはならない。先ずは、ご両親と話をしてみようと思う。
「強引に馬車に乗せたりして、ごめんね」
パウエル子爵邸に向かう馬車の中で、マディソンに謝る。
マディソンはきっと、助けを求めたりはしないだろう。
「い、いいえ。ですが、急で驚きました。リアナは、本当に不思議な方ですね。強くて凛々しいのに、優しくて温かい……リアナのような方がお姉様だったら……なんて思ってしまいます。でも、どうしてうちに?」
私には妹は居ないけれど、こんなに可愛い妹が居たら溺愛しまくるだろう。
「マディソン、私の侍女になってくれない?」
「リ、リアナの侍女に……ですか?」
マディソンを、パウエル邸には置いておけない。
放課後までの時間、使用人にパウエル子爵家のことを調べさせていた。
幼い頃は、両親もマディソンを可愛がっていたそうだ。何をしても優秀で愛される妹が、セシリー様は許せなかった。嫉妬から妹をいじめる毎日、そしてその妹の怯える姿を真似るようになった。
泣きながら妹にいじめられていると言ったセシリー様を両親は信じ、マディソンへの態度が変わっていった……ということのようだ。最初は冷遇することから始まり、使用人のように扱うようになり、体罰が始まった。
短時間で、ここまで調べてくれた使用人に感謝だ。
パウエル子爵邸に到着し、門番に取り次ぎを頼む。
「どうぞ」
門が開かれ、馬車のまま邸の敷地に入り、玄関の前で止まる。
玄関では、パウエル子爵夫妻が出迎えてくれた。
「よくおいでくださいました! すぐにお茶の用意をさせますので、こちらへどうぞ」
笑顔で迎えてくれてはいるけれど、その笑顔が嘘くさい。仮にも貴族なのだから、笑顔くらいちゃんと作って欲しい。
「急にお邪魔してしまい、申し訳ありません。今日は、お話があってまいりました」
応接室に案内された私は最高の笑顔を見せ、そう切り出した。
「お話とは?」
そう聞きながら、マディソンをチラリと見る。彼女が私に泣き付いたとでも思っているのか、パウエル子爵夫妻は焦っているように見える。
告げ口されるとまずいという、自覚はあるようだ。
「単刀直入に申します。マディソンを、私の侍女にと考えております」
「そ……れは、素晴らしい! それで、給金はいかほどですかな?」
作り笑顔が本物の笑顔になり、嬉しそうにお金の話をするパウエル子爵。
「つきましては、こちらにサインをお願いします」
パウエル子爵家のことを調べさせた後、書類も揃えてもらっていた。
書類には、『マディソンをブライド公爵家の使用人として、住み込みで働かせることとする』『マディソンに支払われた賃金は、マディソン個人のものとし、第三者が所有、または使用してはならない』と記されている。
「これは……マディソンを、タダで寄越せと仰っているのですか!?」
書類を見るまで嬉しそうだったのに、今度はものすごい形相で怒り出した。
「何を仰っているのですか? マディソン個人に、お給料を支払うと言っているだけです。まさか、そのお金を横取りするおつもりだったのですか?」
「マディソンは、私達の娘です! 娘の稼いだ金を、どう使おうが勝手だ!」
横取りする気だったと、素直に認めてしまっている。
マディソンは、邸に帰って来てからずっと震えている。家族のはずなのに、邸に居場所なんかない。使用人達がマディソンを見る目も、冷たかった。
「マディソンは、あなた方の道具ではありません! 一人の人間です! どうしてそれが、分からないのですか? こんなにいい子に育ってくれたのに、どうしてこんなに酷い扱いをするのですか?」
マディソンの震える手の上に、自分の手を重ねる。
「な!? 令嬢の分際で、私に意見しようというのか!?」
令嬢の分際……その通りだけれど、間違っているものは間違っている。
父の名を出してもいいけれど、今はその必要はない。切り札は、取っておかなくては。
「あなた方がマディソンにして来たことは、ちょっと調べただけでボロボロと出て来ました。今日は、マディソンについてのことだけを調べましたが、他のことも調べてみましょうか?」
調べると言っただけなのに、パウエル子爵の顔が真っ青になっている。
「……わ、分かりました。サイン……いたします」
パウエル子爵は、渋々書類にサインし、手渡して来た。
急にこんなに素直になったということは、やましいことがあるといっているようなものだ。そして私は、調べないとは言っていない。
パウエル子爵のことは、マディソンの意見を聞いてから考えようと思う。
「ご理解いただけて、感謝いたします。では、私達はこれで失礼します」
マディソンと一緒にソファーを立ち上がったところで、応接室の扉が乱暴に開かれた。
「私の家で、リアナ様が何をしているのですか!?」
入って来たのは、セシリー様だった。私が来ていると、使用人に聞いたようだ。彼女は私を睨み付けた後、マディソンの顔を蔑んだ目で見ている。
「まあ! セシリー様、お帰りなさい。ちょうど今、帰るところでしたの」
まさか、私が邸に来るとは思ってもみなかっただろう。驚きと戸惑い、そして怒りも表情に現れている。
「オリバー殿下が私を選んで下さったから、悔しくて邸にまで文句を言いにいらしたのですか? ご自分に魅力がなかったのだと、素直に諦めたらよろしいのでは?」
私がセシリー様に文句など言ったことは、なかったと思うけれど……
「直接お話しするのは、これが初めてですね。今日の目的は、あなたではありません。セシリー様とは、今度ゆっくりと。私、借りを作るのは嫌いですの。ですから、全てお返しいたします」
セシリー様、あなたは許せない。
オリバー殿下をそそのかしてダンスパーティーの日に私に濡れ衣を着せたことまでは、正直どうでもいい。そのおかげで、殿下への気持ちがなくなり自由になれたからだ。
けれど、その後私の家族を脅しの材料に使おうとしたことや、マディソンに対しての行為は絶対に許せない。
私を敵に回したことを、後悔させてあげる。
「こ、こんなに素敵なお部屋……私なんかに、よろしいのでしょうか……」
マディソンと一緒にブライド公爵邸に帰り、部屋に案内をすると、感激して涙を浮かべている。
「今日からは、この邸がマディソンの家よ。生活に必要な物は、お休みの日に一緒に買いに行きましょう。それまでは、私のを使って?」
「そ、そんな……私は、使用人です。リアナ様の物をなんて使えません」
「リ・ア・ナ! 仕事中以外は、そう呼んで。お給料を出すのだから、もちろん使用人として働いてもらうわ。でもそれ以前に、私達は友達でしょう? 友達なら、貸し借りなんて普通でしょう?」
それだけではなく、これからはマディソンと家族のようになりたいと思っている。愛情を受けることのなかった彼女の心が、愛情で満たされるくらいに。
「……ありがとうございます。ですが、どうしてリアナは私にこんなに優しくしてくれるのですか?」
優しくされたことが、今までなかったのだろう。マディソンは、たった一人で今まで戦って来た。
「自分には、優しくされる価値なんてないと思ってない? それは、違うよ。私は、マディソンだから優しくする。なんか文句ある?」
かなりのキメ顔でマディソンを見ると、大きな瞳から涙が溢れ出していた。
「なん……で今……そんなかっこいい……顔……するんれすか~……ふぇぇぇ」
え……? そこ?
私がキメ顔したから、泣いているの!?
泣いているマディソンに近付き、思い切り抱きしめる。そしてそのまま、泣き止むまで頭を撫でていた。
それにしても、謎だ。どうしてこんなに可愛いマディソンが、セシリー様の妹なのだろうか。
ひとしきり泣いた後、マディソンは最高の笑顔を見せてくれた。何かが、吹っ切れたようだ。
「おはようございます、リアナ様! そろそろ支度をなさらないと、遅刻しますよ!」
翌朝、マディソンは元気いっぱいに私を起こしに来た。
「……もう少しだけ……」
掛け布団を頭まで被りもう一度寝ようとすると、ガバッと布団を引き剥がされた。
「ダメです!」
嘘でしょ……マディソン、性格変わりすぎ~!
マディソンの変わりように驚きつつも、イキイキしている彼女を見ると嬉しくなる。
「なんと……朝の弱いリアナが、こんなに早起きするとは! マディソンは、優秀だな」
「こんなにいい子がうちに来てくれて、本当に良かったわ」
食堂に行くと、珍しく早起きしたと両親は喜んだ。私はまだ、寝ていたかったのに……
私達は、同じ馬車で学園に登校する。
侍女の仕事は、朝と夕方から。学業を優先し、無理のない程度に働いて欲しいとお願いした。
昨日泣き止んだ後、両親のことをどうしたいのかマディソンに聞いた。彼女の答えは、「両親が悪いことをしているなら、罰を受けるべきです」とのことだった。虐げられて来たとはいえ、マディソンにとっては実の両親……彼女の顔は、苦痛に歪んでいた。
とはいえ、マディソンの意見は分かった。私はすぐに、パウエル子爵を調べるよう使用人に命じた。
学園に到着すると、マディソンは一年の教室に、私は自分の教室にそれぞれ向かった。
「おはよう、リアナ嬢。いつもより早いな」
後ろから声をかけられ、顔を見なくても誰なのか分かる。恋かも……? なんて思ってしまったからか、少しだけ心臓が高鳴る。
「おはよう……ございます」
自然に振る舞おうとして、逆に不自然な挨拶になってしまった……
「どうした? 元気がないな。そういえば、顔も赤いな。熱でもあるのか?」
おでこに伸ばされた手を、全力で避ける。
「ありません! 私は、元気です! 元気過ぎて、困っているくらいです!」
「そう? それならいいけど」
一瞬驚いた顔をした後、すごく優しい表情になった。
その表情を見た瞬間、愛おしさが溢れ出して来た。そしてようやく、自分の気持ちを確信した。
私は、ライアン様が好きだ。
教室に入ると、ミモザがものすごく暗い顔で私を見た。何かあったようだ。
「ミモザ、どうしたの?」
「リアナ、昨日パウエル子爵邸に行ってマディソンを攫ったというのは本当? セシリー様が、『妹に虐げられて来たけど、大事な妹であることは変わらない。リアナ様は、使用人にするからとマディソンを無理やり連れて行ってしまった……』と泣きながら話していたわ」
本当に懲りない人。
「そう、それは良かった」
「……え?」
私を追い詰めるつもりだったのだろうけれど、その行動は自分の首を絞めることになるだろう。
「ここ、いいか?」
ミモザと学食でランチを食べていたら、聞きたくない声が聞こえて来た。今回も、返事をしていないのに隣に座るオリバー殿下。
「セシリーの妹を、攫ったそうだな」
相手にするだけ無駄なので、無視しよう。
ミモザも、黙々と食事をしている。
「おい! 聞いているのか!?」
聞いていないので、さっさとどっかに行ってください。
「……まあいい。そのまま、聞いてくれ。俺は、王太子ではなくなるそうだ。父上は、側室だった女の子を王太子にするそうだ。あいつは……ウォルターは、何もかも俺から奪って行く。くそっ! 俺がいったい、何をしたっていうんだ!? なんであいつばっかり!!」
無視しようと思ったのに、出来そうにない。
「……本気で、そのようなことを仰っているのですか? ウォルター殿下が優秀なのは、生まれ持ったものだとでも思っているのですか? ウォルター殿下は、幼い頃から誰よりも努力して来ました。オリバー殿下は、何をしたというのです? 周りにおだてられ、プライドばかり高くなり、しまいには悲劇の主人公気取り。あなたなんかより、ウォルター殿下は何万倍も何百万倍も王太子殿下に相応しいです!」
ウォルター殿下は、前王妃様にお母様であるスフィア様が蔑まれていたのを毎日見てきたそうだ。スフィア様を守る為に、必死に努力をしていたのだとライアン様から聞いた。ウォルター殿下は、最初から優秀だったわけじゃない。愛する人の為に頑張れる、とても素敵な人だ。
「そのように褒められたら、ライアンには悪いけど、リアナ嬢に惚れてしまいそうです」
気付いたら、ウォルター殿下とライアン様が向かい側に座るミモザの後ろに立っていた。
「リアナは渡さない!」
不機嫌そうに唇を尖らせるライアン様。ウォルター殿下は、冗談で言っているのに……
「……やはり、分かってくれるのはセシリーだけか」
オリバー殿下のその発言で、どうして彼がセシリー様をあんなに信じていたのか理解した。
「残念ながら、セシリー様はオリバー殿下の気持ちを少しも分かっていません。セシリー様に、『私も同じです』とでも言われましたか? 彼女は優秀な妹に嫉妬し、使用人のように扱っただけでなく、暴力までふるっていました。殿下の前では、怯える妹の姿を真似していただけにすぎません」
オリバー殿下は努力しなかったとはいえ、優秀なウォルター殿下と比べられて来たことは事実だ。その気持ちを、セシリー様は利用した。優秀な妹が、自分のものを全て奪って行くと言われ、自分と重ねたのかもしれない。
「ふ、ふざけるな! セシリーは、そんな女性じゃない!」
オリバー殿下は激怒したまま立ち上がり、そのまま去って行った。
殿下がセシリー様を信じていても、彼女はすぐに裏切るだろう。先程殿下が、自分は王太子ではなくなると言っていたからだ。王太子ではなくなるオリバー殿下には、利用価値さえなくなる。自業自得だけれど、少しだけ気の毒。
「兄が失礼な態度を取ってしまい、申し訳ありません」
ウォルター殿下は、申し訳なさそうに頭を下げた。ウォルター殿下の方は、オリバー殿下と違い、兄弟を心配しているようだ。
オリバー殿下が王太子に選ばれたのは、ウォルター殿下がそれを望んだからだ。必死に努力して来たのは、王太子になりたかったからではない。
心優しい弟の気持ちも分からない、ダメな兄。オリバー殿下の性格を考えると、二人が分かり合えることはないだろう。
翌日、二週間後に王宮で開かれる夜会への招待状が届いた。ウォルター殿下がオリバー殿下に代わり、王太子になると発表する為の夜会だろう。
そこできっと、セシリー様はオリバー殿下を見限る。
王宮で開かれる夜会の前日、使用人からパウエル子爵の報告書を受け取った。思った通り、パウエル子爵は真っ黒だ。
「お父様、少しお時間よろしいでしょうか?」
その夜、受け取った報告書を父に見せた。パウエル子爵の処分は、父に任せることにした。
パウエル子爵の犯した罪は、横領と密売。この国で売買を禁じられている物を、他国に売っていた。パウエル子爵は、爵位剥奪で済めばいい方だ。
父はすぐに陛下に報告をし、内密に調査が始まった。使用人が調べてくれた報告書があるから、それほど時間はかからないだろう。
そして、夜会の日が訪れた。
ドレスを着るのは、学園で行われたダンスパーティー以来だ。あの日は、オリバー殿下の好みに合わせた地味なドレスを着ていた。けれど今日は、めいっぱい着飾る。
「うっとりするほど、お美しいです……」
マディソンは、鏡越しにうっとりした顔で私を見ている。
「ありがとう、マディソンもとても綺麗! やっぱり、マディソンには赤が似合うと思った。髪は私がやってあげるから、ここに座って」
今日はマディソンも、侍女としてではなく一緒に夜会に出席する。
学園が休みの日に必要な物を買いに行った時、ドレスや靴も買っていた。両親と会うことが出来るのは、もしかしたらこれが最後になるかもしれない。酷い目にあわされては来たけれど、マディソンにとってはそれでも家族だ。
「お願いします」
素直に、ドレッサーの前に腰を下ろすマディソン。そろそろ、私の性格を分かって来たようだ。遠慮したところで、怒られるだけだと。
「少しは、仕事に慣れた?」
髪をとかしながらそう聞くと、鏡越しにマディソンは微笑んでいた。
「こんなに良くしていただいて、慣れないはずがありません。リアナに出会って、初めて幸せだと思いました。旦那様も奥様も優しくして下さり、本当に感謝しています」
「……そう思ってくれて、良かった。はい、出来たわ」
支度を終えた私達は、両親とは別の馬車で王宮へと出発した。
急な夜会の知らせにも関わらず、王宮にはたくさんの貴族の馬車が次々と到着していた。その中には、パウエル子爵夫妻とセシリー様の姿もある。そして、すぐに私達に気付いた。
「まあ! リアナ様ではありませんか! 堂々と、私の妹をお連れになっているのですね。オリバー殿下に、リアナ様の横暴な振る舞いをやめさせて欲しいと進言いたしますわ!」
今日はいつになく、セシリー様が偉そうな態度を取ってくる。まさか急な夜会は、自分との婚約を発表する為だと思っているのだろうか。
「所詮、公爵令嬢……王太子妃には逆らわない方が身の為だと思うぞ?」
パウエル子爵の態度も、ずいぶんと大きくなっている。これは、勘違いしていると確信した。
それも、仕方がないことかもしれない。王太子には、ウォルター殿下が相応しいという意見が多かったことは知っていても、選ばれたのはオリバー殿下だった。オリバー殿下の婚約者を選ぶ試験に参加していた公爵家以外は、何も知らされていなかった。オリバー殿下が王太子でいる為に必要だった公爵家の力がなくなれば、必然的にオリバー殿下は王太子ではなくなるということも知る由もない。オリバー殿下でさえ、知らなかったのだから。
「どなたが王太子妃なのでしょう? そのようなお話は、聞いていませんが」
「未だに、オリバー殿下が自分のことを愛しているとでも思っているのですか? おめでたいですね。リアナ様は、私に借りを返すと仰っていましたが、それは不可能のようですね」
勝ち誇った顔で私のことを見る。
「私にはもう、心を寄せている方がいます。オリバー殿下には、全く興味はないので心配はいりません」
初めて、ライアン様への気持ちを口にした。そうしたのは、少し先にライアン様の姿が見えたから。彼の姿を目で追いながらそう口にすると、彼と目が合った。私の声は聞こえていないはずなのに、まっすぐ私を見つめながらこちらに近付いて来て、私の前で足を止めた。
「リアナに、呼ばれた気がした」
急に呼び捨てで呼ばれ、一気に鼓動が速くなる。
「侯爵令息のライアン様が、リアナ様にはお似合いですね!」
嫌味のつもりなのだろうけれど、セシリー様は大国の意味が分かっていないのだろうか……
ハインボルトはこの国の五倍程の領土があり、人口は約七倍だ。それに、他国の貴族を蔑むような発言は、国際問題にもなりかねない。勘違いとはいえ、王太子妃になろうとしている人間の発していい言葉ではない。
「ライアン様は、とても素敵な方です。私は、ライアン様に出会えたことに感謝しています」
心からそう思える相手に出会えたことは、奇跡だと思う。
「ま、負け犬は、何を言っても負け犬ね。そろそろ、失礼します。オリバー殿下に、ご挨拶をしなくては」
「セシリー様、夜会を楽しんで下さいね」
最初にセシリー様が『妹』と言ってから、一度もマディソンについて触れようとはしなかった。それどころか、マディソンの顔を三人は一度も見ていない。そんな扱いを受けても、マディソンは気にしていないようだ。
セシリー様が、この夜会を楽しめることはないだろう。今から絶望を味わうことになるだろうけれど、同情する気持ちが全くわかない。
会場の中に入ると、先に入って行ったセシリー様がキョロキョロしながらオリバー殿下を探している。
「どんなに探しても、時間までは姿を現さないだろう」
ライアン様の言う通り、今は誰にも会いたくはないだろうし、これから弟に王太子の座を奪われるのだから、時間までは一人で居たいだろう。
国王陛下が会場に姿を現し、その後ろにはオリバー殿下とウォルター殿下の姿がある。その様子を、セシリー様は目を輝かせながら見ている。
「急な招待にも関わらず、集まってくれたことを感謝する。我が息子オリバーが、婚約を解消したことを知る者も多いだろう。我が息子ながら、情けなく思っている。オリバーは廃太子とし、新たにウォルターを王太子とする」
急な発表に、会場内がザワつく。
「どうして……?」
オリバー殿下よりも、セシリー様の方がショックを受けているようだ。セシリー様とパウエル子爵は、呆然としながらオリバー殿下を見ている。
「お姉様……」
酷い目に遭わされてきた姉でも、マディソンは心配なようだ。けれどセシリー様は、慰めようと近付いたマディソンの頬を思い切り叩いた!
バシンと乾いた音が響き渡り、何事かと皆が視線を向ける。
「汚い手で、私に触れないで! 何そのドレス!? 全然、似合っていないわ! ゴミのようなあなたが着ても、ゴミでしかないのよ!」
ショックのあまり、ここがどこなのかも忘れて、いつものようにマディソンを罵倒した。
「マディソン、大丈夫?」
急いでマディソンに駆け寄り、セシリー様を睨みつける。
「リアナ様も、本当に情けないですね。そんなゴミを庇って、なんになるのですか?」
情けないのは、セシリー様の方だ。誰かを見下さなければ、自分の価値を見いだせない。
「何の騒ぎだ?」
気付くと、周りの人達だけでなく陛下もこちらを見ていた。私が言い返さなかったのは、この場がどこなのか理解していたからだ。
「へ、へ、陛下……何でもありません!」
「そうは見えなかったが?」
鋭い目付きで、セシリー様を見ている。
「父上……私は、ようやく自分の過ちに気付きました」
先程の様子を見て、オリバー殿下もセシリー様の本性を知ったようだ。そして、会場にいる学園の生徒達も同じだった。
「マディソン様を、誤解していたわ……」
「リアナ様が攫ったと仰っていたけれど、全部嘘だったのね!」
「自分の妹を、ゴミだなんて……」
「マディソン様は、毎日こんな扱いをされていたの? 酷過ぎる……」
周りの、セシリー様を見る目が変わった。
「オリバー殿下? 私は、何も悪くありません! 私を、信じてください!」
嘘で塗り固めたセシリー様の、何を信じろというのか……
「黙れ! 俺はお前に騙されて、愛する人を失った! 何もかも失ったんだぞ!? 助けろ? ふざけるな!」
オリバー殿下が全てを失ったのは、自業自得だ。それが理解出来ないから、セシリー様のような女性に騙されたりするのだ。
「確かに、セシリーは最低だ。だが、君達もたいがいだと思うけど? 人を責める前に、自分のしたことを反省すべきだ」
ライアン様の、言う通りだ。
セシリー様の嘘を鵜呑みにして来たのは、自分達なのだから。
「他国の侯爵令息ごときが、出しゃばるな!」
オリバー殿下は、やっぱり変わらない。
「いい加減にしろ。他国の要人に暴言をはくなど、あってはならぬことだ! ライアン、申し訳ない」
ライアン様に向かって、国王陛下が頭を下げた。
「ち、父上!? 何をなさっているのですか!?」
オリバー殿下だけでなく、貴族達も戸惑っている。
「お前は、ハインボルト王国の王太子を侮辱したのだぞ!? この国が、滅ぼされることになってもいいというのか!?」
ライアン様が王族だと知った時から、王太子なのではと思っていた。ハインボルト王国で王太子に選ばれるのは、あの剣術を身に付けた王子だけだからだ。けれど、陛下は本当にライアン様がそんなことをするとは思っていないだろう。オリバー殿下に、自分が何をしたか分からせたかったのだと思う。
「ハインボルトの……王太子……?」
また、オリバー殿下よりもセシリー様の方がショックを受けている。
「……知らなかった……こととはいえ、非礼をお詫び……いたします……」
歯切れの悪い謝罪をするオリバー殿下。そのオリバー殿下を押し退けて、セシリー様がライアン様の前に立ち、上目遣いで瞳をうるうるさせながら見つめている。
オリバー殿下を見限り、媚びる相手をかえたようだ。先程、「侯爵令息のライアン様が、リアナ様にはお似合いですね!」と言っていたのに、ハインボルトの王太子だと分かった途端に態度を変えた。ここまで来ると、逆に尊敬する。その様子を見たオリバー殿下が、セシリー様の腕を掴んだ。
「いい加減にしろ! お前は、どこまで恥知らずなんだ! ライアン……殿下は、リアナを想っている。お前の出る幕はない!」
オリバー殿下は、見たこともないくらい真剣な顔でそう言った。
「離して! 王太子じゃなくなったオリバー殿下には、何の価値もないわ!」
あれ程媚びていた相手に、そこまで言える神経がすごい。
「君は、パウエル子爵の……。そうか、ちょうどいい」
陛下が右手を上げると、兵がパウエル子爵を取り囲んだ。この夜会で、パウエル子爵を捕えるつもりだったようだ。
「陛下!? これは、どういうことですか!?」
罪を犯していたのに、子爵はなぜ捕まるのか分からないという顔をしている。
セシリー様は何が起きたのか分からず、口をパクパクさせながら兵に捕らえられたパウエル子爵見た。
「理由は、自分が一番良く分かっているだろう? 連れて行け!」
「お待ち下さい、陛下。少しだけ、お時間をいただけませんか?」
兵が連行しようとした時、パウエル子爵と話がしたいと申し出ると陛下は静かに頷いてくれた。
「パウエル子爵、あなたに親として最後にやっていただきたいことがあります。今までマディソンを苦しめて来たのですから、これからはマディソンの幸せを願って下さい。この書類に、サインを頂けませんか?」
差し出したのは、ファドリー侯爵とマディソンの養子縁組の書類だ。ファドリー侯爵は子供が生まれず、養子を探していた。
パウエル子爵はきっと 、爵位を失うことになるだろう。子爵の罪を暴くと決めた時から、養子先を探していた。
「……私達は、どうなるのですか!? マディソンだけを救って、私達は見捨てる気なのですか!?」
あれ程私をバカにしていたのに、救ってもらうつもりでいるようだ。罪を犯した人を救う程、私はお人好しではない。
「欲に目がくらみ、罪を犯したのはあなた自身です。悪いことをしたら償う……子供でも、理解出来ることなのに、反省さえしないのですね。何か一つくらい、いいことをしたらどうですか?」
パウエル子爵はしばらく考え、マディソンの顔を見た。
「マディソン……すまなかった。ずいぶん、綺麗になったな……」
そう言って、書類にサインをした。
パウエル子爵はそのまま、連行されて行った。残された夫人は、逃げるように会場から出て行く。そして、セシリー様は……
「どうして私ばかり、こんな目にあうのでしょう……? 私が、何をしたというの?」
悲劇のヒロインを、演じていた。
さすがに、今更セシリー様に騙される人間は居ない。彼女の行動に、皆呆れて何も言えない。そんな中、オリバー殿下が口を開く。
「つくづく、自分がバカだったのだと思い知らされた。セシリー、お前には呆れる。お前は、俺に何を言ったのか覚えているか? リアナの父であるブライド公爵に、密売の罪を着せようと言った。まさか、自分の父親の罪をブライド公爵に着せようとしていたとはな……」
オリバー殿下が直接私を問い詰めて来なかったら、本当に父が罪を着せられていた。なんて恐ろしいことを、セシリー様は考えていたのだろうか。
「……だから? 私は、自分が一番大事なだけよ! それの、何が悪いの? みんなそうでしょう? リアナ様……あなたさえ居なければ、全部上手く行ったのに! 何もかも、あなたのせいよ!」
演技をしても無駄だと分かったからか、開き直ったようだ。
「お姉様、もうおやめ下さい! リアナ様は、お姉様とは全く違います! リアナ様のせいにするのは、間違っています! 今のこの状況は、お姉様がして来たことが原因ではありませんか!」
あのオドオドしていたマディソンが、セシリー様に説教をしている。マディソンはもう、弱くなんかない。
「あなたまで……なんなの……よ……」
あれ程強気だったセシリー様が、今までと違うマディソンにたじたじになっている。
「マディソンは、セシリー様に怯えていた頃のマディソンではありません。あなたが今そうしているのは、あなた自身がして来たことが原因です。人を貶め、人を騙して来たセシリー様には、何かを手に入れる資格なんてありません。この先の人生、後悔しながら生きて下さい」
セシリー様に手を差し伸べる人は、誰一人居ないだろう。
「目障りだ。連れて行け」
陛下はため息をつきながら、兵に命じた。
オリバー殿下の発言で、セシリー様は国の高位貴族を陥れようとした大罪人となった。オリバー殿下が実行しなかったことで、死罪になることはないだろうけれど、この国には居られないだろう。
何もかもを失い、抜け殻のようになったセシリー様を兵が連行する。
「リアナ、バカな息子のせいで嫌な思いをさせてしまったな。本当に、すまなかった」
私なんかよりもずっと、陛下は心を痛めている。オリバー殿下もウォルター殿下も、陛下は同じように想っていらっしゃった。
「いいえ、私の力不足でした。オリバー殿下をお支えすることが、私の役目でした。ですが私は、殿下の言いなりになり、自分を偽ってしまいました。たとえ殿下に嫌われようと、私がしっかりしなくてはならなかったのです」
殿下の好みになろうと、間違った努力をしていた。
「それは違う。そのようなことを、君に押し付けるべきではなかったのだ。最初から、ウォルターを王太子に選んでおくべきだった。自分を責めるのは、やめなさい」
陛下はそう言うと、会場から出て行った。
去り際の悲しげな表情から、自分を責めているのは陛下の方だと思えた。
その後、夜会はそのまま続けられたけれど、話題はパウエル子爵家の話ばかりだった。今日の主役は、ウォルター殿下なのに……
「出番があまりなかった……」
出番が少なかったと落ち込むライアン様を、ウォルター殿下が慰めている……のかと思ったけれど、
「ライアンは、良い方だよ。僕なんて、一言も話していない……」
二人で落ち込んでいた。
「何を落ち込んでいるのですか?」
二人に話しかけたところで、背後に気配を感じて振り返る。
「……ミモザ?」
「お二人はまだいいではありませんか……。私なんて、存在感すらなかったのですよ?」
二人より、ミモザの方が落ち込んでいる。
「ウォルター殿下は主役なのですから、さっさと挨拶回りをしに行ってください! ライアン様、落ち込んでいないで踊りますよ! ミモザは、いつもの笑顔を見せて!」
「そ、そうですね。行ってきます!」
「リアナ……踊ってくれるのか!?」
「リアナが言うなら、いくらでも笑うわ!」
ようやく三人は元に戻った。
楽しい夜会……とは行かなかったけれど、これで学園生活は平和になりそうだ。
私達がダンスをしている間、学園の生徒達がマディソンに謝っていた。その生徒達を、ミモザが説教している。なんだかんだ言っても、ミモザは面倒見がいい。
「よそ見するな」
ライアン様に視線を向けると、あまりの近さにドキッとする。それでも、彼から目をそらすことが出来ない。
いつから私は、こんなにも彼に惹かれていたのだろうか。
そういえば、ライアン様とダンスを踊るなんて初めてだ。このまま時が止まってくれたらいいのにと思える程、素敵な時間だった。
夜会から一ヶ月後、パウエル子爵は財産を全て没収され、爵位を剥奪されて平民となった。夫人はパウエル子爵を見限り、離婚して実家に戻ったのだけれど、実家の両親は夫人を受け入れてはくれず、結局一人で生きて行くことになったようだ。横領や密売をしてまで贅沢な暮らしをして来た二人が、平民として生きていくのは厳しいだろう。
セシリー様は、手のひらに罪人の証の焼印を押され、国から追放された。焼印は大罪人の証で、国から追放された罪人が他の国でまた罪を犯さないようにする為だ。その証があることで、入国出来る国も限られる。王太子妃になれると思っていたのに、いきなり崖から突き落とされたようになってしまった。けれど、自分の目的の為なら何をしても許されると思っているのだから、自業自得だと思う。今まで苦しめて来たマディソンの気持ちを、少しでも分かってくれたらいいのだけれど……
あれから、オリバー殿下は変わった。
オリバー殿下は、自分が居ればウォルター殿下が気をつかうだろうと他の国に留学しようとしていた。そんなオリバー殿下を、ウォルター殿下が引き止めた。「これからは、兄弟で力を合わせて国を守って行こう」と差し出された手を、オリバー殿下は泣きながら握った。それからは、あれ程努力しなかったオリバー殿下が、国の為に勉強を始めたそうだ。二人で協力していけば、この国は大丈夫だと思えた。
「リアナ、そろそろ婚約をしないか?」
休み時間、急に真面目な顔でライアン様がそう言う。
「また、唐突ですね」
ずっとそう思ってくれていたことは分かっているのだから、唐突とはいわないのかもしれない。
ライアン様が何者でも、きっと私は彼に恋をしていた。けれど、彼がハインボルトの王太子だとはっきり分かってしまった今、彼との婚約は王太子妃になることを意味する。どんな理由があるにせよ、私は一度失敗した人間だ。このまま彼と婚約してもいいのか……悩んでいる。
「何時でも、何処でも、何度でも言うよ。僕は案外、しつこいからね。君が受け入れてくれるまで、諦めるつもりはない」
真っ直ぐに気持ちを伝えてくれるライアン様に、これ以上ないくらいに想いが募る。
「私なんかで、いいのでしょうか……。ライアン様には、もっと相応しい方が……」
すぐにでも好きと伝えたいのに、口から出たのは可愛げのない言葉。
「リアナがいいんだ。分かっているだろう?」
分かってる。ライアン様は、いつだって本当の私を想ってくれていた。
「そうですね……分かっています。ライアン様、婚約はまだ出来ません。ですが、恋人としてライアン様のお側に居させてくださいませんか?」
ハインボルトの王太子妃になるという心の準備は、まだ出来ていない。けれど、ライアン様のことは好き。これが、私の出した答えだ。
「それはつまり、僕を好きだってこと?」
嬉しそうな顔でそう聞かれて、コクンと頷く。
「きゃ~! とうとうリアナが、ライアン様と……」
「ようやく、麗しの美少女を振り向かせたか」
「今日は、お祝いですね!」
いつの間にか、ミモザやウォルター殿下やマディソンがじーっと私達を見ていた。
そういえば、ここは教室だった……
「今日からリアナと僕は、恋人同士だ!」
「「「わああああああああぁぁぁぁぁっ!!」」」
なぜか、教室に居た生徒達も大歓声をあげた。
この状況、恥ずかし過ぎる。でも、今日だけは嬉しそうなライアン様に付き合ってあげることにしよう。
まだまだ始まったばかりだけれど、ライアン様をこの先もずっと愛している。
END
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。