2-4 どうしてもっと甘えてくれないの?
私は仁美に促されるまま、学校に登校した。
その間、仁美は何一つとしておかしな様子は見せなかった。
仁美と一緒に授業を受けている間も、京子も加わって、3人で学食で食事をとっている間も……。
そして2人して堂々と無断遅刻した罰として、空き教室の掃除をするハメになった今も。
仁美の様子には何一つおかしなところは無かった。
(私がおとなしく仁美に従っていれば、なにも起きないっていう事?)
仁美が話しかけてきた。
「やっぱり二人で先生に怒られちゃったねー」
「まぁ、あんな風に堂々と遅刻したりしたらね」
二人して苦笑いする。
「みんな驚いてたよね。私はともかく、優等生の一花ちゃんが遅刻するなんてって」
「ごめんね、私のせいで」
「えへへ、私は一花ちゃんと一緒にいられればなんでもいいよ♪」
私は机をぞうきんで拭き、仁美はほうきで床の塵やゴミを集めている。
「これだけ綺麗にすれば充分かな?」
「うん、あー、つかれたぁー」
そう言って、仁美は床にベターっと座った。
のんびりとした仁美につられる形で、私も仁美の隣にペタンと座る。
静かな校舎の中、グラウンドからは運動部に所属している女子生徒たちの活気ある声が聞こえてくる。
こうして静かに二人きりで過ごしていると、自然と身体から余計な力が抜けてきた。
(あー、なんか、凄く懐かしい気持ち……)
仁美と二人で何も考えずにぼんやりしていると、まるで昔の頃に戻ったような気分になる。
そう、まだ進路について真剣に考えなくても良かった高校二年生の秋ごろまでは、本当に心穏やかで輝いている日々だった。
まるであの時に戻れたような、すごく穏やかな気持ちになれた。
仁美が身体を近づけてくる。彼女の体温が服越しに伝わってきた。
仁美は身体をうーんと伸ばしながら世間話を始めた。
「あー、なんかアニメが見たくなってきちゃった」
「仁美、今は何か見てるの?」
「女の子向けのアニメかなぁ。でも最近は新しい女の子向けアニメってあんまり多くないから、昔のアニメをレンタルしてるんだけどね」
「そうなんだ」
「一花ちゃんは何かアニメ見てる?」
「ううん、最近は全然・・・」
「一花ちゃん大変だよね、一花ちゃんのパパ、やっぱり厳しい?」
「うん、昨日も偏差値の事でちょっと言われちゃった。もう三年生だし、来年は受験だから仕方ないけどね」
「そうなんだ。でも一花ちゃん、お父さんの事は好きなんでしょ?」
うん、お父さんのことは好きだよ。
私はそういうつもりだった。
でも私の口から出てきた言葉に、私自身も驚く。
「私、お父さん嫌い」
私は内心ぎょっとした。けど――、
嫌い。
その言葉を口にしたとたん、お父さんに対する憎悪が急に私の中にあふれ始めたのだ。
「へぇ、どうして?」
仁美がそれとなく先を促してきた。
「仁美だって知ってるじゃない。だってお父さん、私の夢を邪魔するんだもん。私のやりたかったことを、お父さんは邪魔するんだもん」
私は私じゃない何かに突き動かされるかのように、お父さんに対する恨みの言葉が吐き出される。
「そうよ、私は本当は自由に生きたいのに!どうして親だからって、私の将来まで勝手に決めつけられないといけないの? いつも私を子供扱いして偉そうにして! 大人だからって! 親だからって! それに――」
これ以上は続けるべきじゃない。
それでも私は言わずにいられなかった。
「それに、お父さんがあんなことを私に言ったから、そのせいで仁美は自殺しちゃったんじゃない!」
目の前に仁美がいるのに、私はいったい何を言ってるんだろう?
仁美は口元だけで笑いながら、私の事を見ている。
「そうだよ! 何もかもお父さんのせいだよ! 私のせいじゃない! 仁美が自殺したのは、何もかもお父さんが悪いんだ!」
「私は悪くない! 私は悪くない! 私は悪くない! 私は悪くない! 私は悪くない! 私は悪くない!」
「お父さん! 仁美を返してよ!」
「仁美は私の夢をずっと応援してくれた、たった一人の友達だったのに!」
「仁美を返して! 返して返して返して返して返して!返して!!!!」
「返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して!」
「仁美を返してよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
お父さんなんか、だいっっっ嫌――
「可哀想な一花ちゃん」
「ずっと苦しんでたんだよね」
「大丈夫。私はちゃんとここにいるよ」
「絶対に一花ちゃんのそばを離れたりしないから」
「それにね――」
「パパもママも、もういないから、ね♪」
――あれ、私、いま何言ってたんだっけ?
「うん、お父さんのことは好きだよ、もちろんお母さんも」
私は仁美にそう返事した。
「医者として人の命を助けるお仕事をしてて、でも私の事もきちんと愛してくれる。尊敬してるよ」
「あはは♪ 一花ちゃんって本当にいい子だね♪ 一花ちゃんのそういう真面目なとこ、私、大好きだよ♪」
二人で笑い合う。
「そういえば私、パパとの思い出ほとんどないなぁ。私が小さい頃からお仕事忙しそうだったから」
仁美はのんきそうな声で、おもむろにパスケースを取り出した。
そのパスケースの中には小さい頃の仁美と、そして彼女のお父さんとお母さんが写っている。
私も何度か見たことがある、仁美が大事にしている家族写真だ。
私は目を見開く。
「そ、それ……」
「あ、一花ちゃん覚えてたんだ。私の唯一の家族写真」
私はその写真を見て動揺を覚えた。
「覚えてる? 入学したての時に私がうっかり落としちゃって、一花ちゃんが探してくれたの」
「そうじゃなくて、その……」
「? どうかした?」
「あ、え、ううん。いいの、何でもない…」
私はごまかした。
(やっぱり、"あの時の事"は全部なにかの間違いなのかな? 仁美が命を落としたのも、私が仁美にした酷いことも、なにもかも私が見た悪い夢?)
つい先月、私が仁美にしてしまった最低な行為。
私は仁美の事を自殺に追い込んでしまったと思ったけれど、
(そう、そうよ。じゃないと、仁美の家族写真が今ここにあるはずがない……)
もしあの時のことが本当にあった出来事だったら、今ここに仁美の家族写真が存在するなんてありえない。
仁美は生きてるし、私はあんな酷いことを仁美にしたりなんてしなかった。
(よかった、本当によかった)
私は心の底から安堵した。
「すごく嬉しかったなぁ。一花ちゃんが私のために一生懸命探してくれて……」
「だって大切な家族の写真だったんでしょ? 探してあげるのは当然じゃない」
「一花ちゃん優しいよね。ほら、一年生の時って、私たちはクラスメイトだったけど、別に仲良しさんってほどじゃなかったでしょ? なのに私のためにあんなにしてくれて――」
うっとりとした眼差しで仁美は私の事を見てくる。
「私、あの時から優しい一花ちゃんの事、凄く好きになったの」
「ありがと、フフ♪」
二人して笑い合う。
本当に懐かしい。
仁美の言う通り、高校一年生の時はお互いクラスメイトの一人で、親友という関係ではなかった。
あの頃は京子が私や仁美、他のクラスメイトを誘って遊ぶという事が多かった。
だからあの時は仁美とこんな風に二人きりで過ごし、笑い合うような親友になるなんて思っていなかった。
仁美は私の手に触れる。
「私は一花ちゃんが側にいてくれれば、生きていけるよ」
「仁美?」
「一花ちゃん」
「え、うん……」
「キスしたいな」
「え?」
唐突にそんなことを言われてあっけにとられ――、
そして急速に背筋になにか冷たいものが流れる。
気付けば、仁美はうっとりとした目でこちらを見ていた。
そして彼女の手が私の手をつかんでいる。
その手から伝わってくる感触が……、
昨日、私の背筋を凍り付かせたあの感覚を思い出させた――。
「あはっ♪ 一花ちゃん、照れちゃって、かわいい」
「ちょ、ちょっと、冗談でしょ?」
私はあわてて抵抗する。
でも仁美は引き下がらない。
「私、一花ちゃんのこと好きだもん」
「うっ……」
さっきよりも距離を縮めてくる。
「お願い、キスさせて」
顔を近づけてくる仁美に、私は――、
「いや――!」
私は仁美の手を振り払ってそれを拒絶した。
次の瞬間、再び何かおそろしい出来事に見舞われるかもしれない。
それが分かっても、恐怖に駆られて仁美の要求を拒んでしまった。
「……………………」
強い拒絶をした私の事を、仁美はぼんやりと眺めている。
そして少し悲しそうな顔で笑って見せた。
「困らせちゃってごめんね。一花ちゃんは別に私のこと、恋愛対象だとは思ってないもんね」
「え?」
それは意外な反応だった。
「私、自分の気持ち抑えるのへたっぴだから」
「えっと、う、うん。その、いいのよ」
なにがなんだか分からないけど、とにかく彼女の機嫌を損ねる結果にはならなかったようだ。
私はほっとして気を緩めた。
そして、しばらく気まずい沈黙が流れる。
私はちょっと怖くなって、なんでもいいから気まずい空気を追い払いたくなって別の話題を持ち出した。
「そういえば、仁美との夢を見たの」
「あ、そうなんだ。どんな夢見たの?」
「えっと、私と仁美で、仁美のお家でボイスドラマを作っててね――」
「私はそんなの知らないよ」
目の前の仁美の顔が、突然真っ白なマスクに覆われる。
顔はなく、その代わりに不気味なハートの形をしたサソリのタトゥー……。
気付けば景色も変わっている。
今朝私の家の中で起きたように、教室の中が女の子向けのキッズスペースのような景色に変わった。
「ひっ!」
全身が粟立ち、私は身体がすくんでしまう。
「一花ちゃん、私はどんくさくてなんの取り柄もない、一花ちゃんがいないと生きていけない女の子なんだよ」
「私は、一花ちゃんの心のよりどころになってあげる以外に価値なんかない女の子」
「だから一花ちゃん」
「私ともっと遊ぼうよ♪」
「私にもっと甘えてよ♪」
「一花ちゃんの甘やかな声、もっともっと私に聴かせて♪」
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
私は錯乱して教室を飛び出した。
「だ、誰か、誰かいないの!?」
廊下に飛び出ると、やはり廊下も同じように景色が変わってしまっていた。
しかも生徒はおろか教師の姿すらどこにもない。
まるで私一人だけが、誰もいないおもちゃの世界にでも放り込まれたような感覚だ。
「やだ! たすけて!」
私は何も考えられず、一心不乱になって走り出す。
そして外に出た。
――はずだった。
しかし外の景色も変わっている。
さながらファンシーな世界観をモチーフにしたテーマパークのような景色が広がり、歩いているのは着ぐるみを着たキャストたち。
もうなにがなんだか分からない。
おもちゃのガラガラの音が聞こえる。
「うっ……」
私はその場で吐いてしまった。
「もうやだ、もう嫌だ……わ、私、こんなの――」
ブウゥゥゥゥゥゥゥゥ……。
「ひっ!」
スカートのポケットの中で何かが振動する。
スマホだった。
見ると、電話のコール画面。
だが知らない電話番号だった。
しばらくためらうが、私は意を決してその通話に応じる。
「も、もしもし?」
『学校裏にある教会まで来なさい』
聞いたことのない、女の人の声だ。
でも私は相手を問いただす余裕もなく――、
「え? きょ、教会? どうして?」
『大人しく従いなさい! 早く来るの!』
そう言われて一方的に切られた。
校舎の中を見る。もはや学校は学校の姿をしていなかった。
だが、位置関係はある程度理解できている。
私はとにかく学校の裏手にある教会へ向かう事にした。