8-1 君と彼女のリリィヴァガンザ
穏やかな日差しが窓から入り込んできて、私は目を覚ました。
あれからもう三日が経過した。
私はその間ずっと疲労感が取れず、ほとんど寝たきりだった。
その間、京子からはいくつかメッセージが届いた。
それで分かったのは、仁美が命を落としたことがみんなの記憶によみがえったこと。
睦月とハルカと七緒は入院しているということ。
彼女たちは意識不明のままだが命に別状はないらしい。
京子が見舞いに行ったところ、睦月たちの家族も来ていたようで、つまり誰も命を落とさなかった。
無事と言えるかは怪しいが、学校の友達が誰ひとり命を落とさずに済んだのはうれしかった。
でも、みくりさんは本当に命を落としてしまった――。
みくりさんの訃報は「仁美が所属した事務所の社長が謎の急逝を遂げた」という話として私の耳に入ってきた。
「みくりさん、本当にごめんなさい」
私と仁美せいで、なんの罪もない人の命が失われてしまった。
その事実は消えない。私はその十字架を生涯背負わなければならないだろう。
――でも仁美は、こんな最低な私たちの事を助けてくれたんだ。
私の部屋のドアが開く。
「一花、体の具合はどう?」
「おはよう、お母さん。もう大丈夫」
仁美の魂が救済され、永眠したその次の日の夜、お母さんが帰ってきたのだ。
帰ってきた母に私は驚き、でも嬉しくて、私はお母さんに抱きついてわんわん泣いてしまった。
仁美が妖魔として現れた日、父と母は仁美に捕らわれた。
そして仁美の魂が救済された後に、母は意識を取り戻し、自力で救急車を呼んだのだという。
母は一晩の入院で回復したものの、父の方は今もなお意識不明の状態で入院中。
いまのところ命に別状はないものの、場合によってはこれから数カ月にわたる入院を余儀なくされるという話だ。
そして私は帰ってきた母さんに問いただした。私の父と仁美の母親との間に何があったのかを。
それは約10年前のこと、
当時、仁美の母は埼玉市内の製薬会社の営業社員で、私のお父さんを接待の場に誘うなど、二人で会う機会が度々あったという。
最初はただの営業だったのかもしれない。
しかし、内向的でどこかパッとしない、自分の旦那である仁美のパパよりも――、
当時は特に野心家で、上昇志向の強かった私のお父さんに惹かれてしまったらしい。
どんな経緯があっても、お互いに既婚者である以上、それは許されないことだ。
ただお互い既婚者であることは知っていたものの、仁美の母は仕事では旧姓を使っていたという。
しかも仁美の母は、自分のパートナーが私のお父さんと同じ大学病院の医師であることは言わなかったらしい。
一花の父も、不倫相手の旦那が、まさか自分の職場で一緒に働いているとは夢にも思わなかっただろう。
後になってそのことを知ったお父さんは、自分の不倫が仁美の父を通じて大学内に広まることを恐れ、
そして仁美の父に、汚職の濡れ衣を着せて追い出した。
――そのあと仁美の家族がどうなってしまったのかは、全て仁美から聞かされたとおりだった。
母は父の過去の不倫を知っていた。
そして仁美が、その不倫相手の娘であることにも気づいていた。
仁美が言っていた通り、「蓼原」という珍しい苗字の人間がそういるはずもなく……、
母も、過去に夫が不倫した相手の肉親が、まさか娘の同級生で親友というかたちで現れるなどとは夢にも思わなかったことだろう。
そのことに気付いていながら私にひた隠しし続けたことを、母さんは私に謝り続けた。
「仁美ちゃんが一花の親友として現れた時ね、私は、きっとこれは私とお父さんへの罰なんだと思った。お父さんは不倫したとき、そのことが病院に知れ渡って出世に関わることを恐れて、反対に仁美のお父さんに汚職の濡れ衣を着せて陥れた。仁美ちゃんの家族を崩壊させたのは間違いなくお父さんよ。私は、まだ小さかった一人娘のあなたを守るためだと自分に言い訳をして、お父さんのやったことから逃げたの。でも娘を言い訳にするなんて一番最低なことだった。そのせいで仁美ちゃんまであんなことになっちゃって――。一花、本当にごめんなさい」
母の打ち明けた話に、私はどう声をかけるべきかすぐには分からなかった。
私はお母さんを許すべきなのだろうか、それとも怒りをぶつけるべきなのだろうか?
大人の醜いドロドロとした世界のことなんか、私には何も分からない。
当事者だった母さんの話は仁美から聞いた内容よりも生々しく、聞いているだけでその醜さに苦しくなった。
いや、今だって私は、あの厳格なお父さんが不貞に走り、保身のために仁美の父を陥れたなんて話、信じたくなかった。
だけどその娘である私だって、仁美に赤ちゃんごっこをお願いしたり、自分勝手な感情で仁美にさんざん酷い言葉を投げつけ追い詰めたのだ。
だから、私がお母さんにすべきことは、許すことでも怒りをぶつけることでもないと思った。
「お母さん、私もね、仁美のことを傷つけるような事をしちゃったの。優しくて頑張り屋さんな仁美に嫉妬して、酷いことをたくさん言っちゃった。しかも私も、お母さんみたいにその事実からずっと逃げてたの。だから私は、お父さんやお母さんを責める資格はない。……でも一つだけ本当なのは、仁美はとてもやさしくて、こんな最低な私たちの事を、助けてくれたってことなの」
私はお父さんが恨みの対象だと知った時、もうお父さんとお母さんは生きて帰ってくることはないと覚悟した。
だけど妖魔になった仁美は、自分の心の中の強い恨みと戦った。
きっとそれは私を悲しませたくないという気持ちの表れ。
仁美は最後までずっと私の親友でいてくれたのだ。
「仁美は最低な私たちの事を許して、助けてくれたし、私のことをずっと好きでいてくれた。こんな私にも、精一杯生きるチャンスをくれたの。仁美は本当にやさしい、私の一番の親友。そのことを、お母さんもどうか忘れないで」
お母さんはずっと泣いていた。私が仁美を前にずっとそうしていたように――。
私は学校に行くため、着替えを済ませる。
ふと見ると、スマホに京子からメッセージが入っていた。
『今日の放課後、仁美の家に行ってお花を手向けたい』
『私、まだ仁美をちゃんと弔ってあげられてないから』
『一緒に行ってくれる?』
そうメッセージか入っていた。
私は「一緒に行こう」とメッセージして、身支度を整える。
デスクには、仁美のカセットテープ。そしてオモチャのガラガラが置いてある。
私はオモチャのガラガラを軽く振る。
「仁美、私は決めたよ。私、絶対に声優になる。仁美がお父さんとお母さんを助けてくれたのも、私に夢を叶えて欲しいからだよね? 仁美の分まで精一杯、生きていくから。どうか、私の事をずっと見守っててね。行ってきます」
私はドアを開けて光の差す外の世界へと踏み出した。
「クランクアップおめでとー!」
京子がパーーン!とクラッカーを鳴らした。
えっ?
外に出た瞬間、目の前に広がったのは巨大なホールだった。
目の前には無人の観客席が広がってて、そして京子が笑顔で私を待ちかまえていたのだ。
「すっっっっごい素敵だったよ! 私、二人がキスしたときめっちゃ感動して泣いちゃった! ね? 七緒っちとかも凄い迫真の演技だったよ。私も友人Aみたいな役だけじゃなくて、もうちょっと出番が欲しかったんだけどなぁー」
「バカなこと言わないで! 全身ズタズタにされて火あぶりにされて、本当に苦しかったんだから!」
「そんなことどうでもいいでしょ! もうこれで終わりでしょ? もう開放してよ!」
「はやく帰りたいよぉ……! パパに会いたい! ママのごはんが食べたいよぉ!」
「そうよ、とにかくもう私たちを解放して! お願いだから! ねぇ!」
七緒と睦月とハルカは、悲痛な面持ちで誰かに訴えかけている。
京子が不満げに口を尖らせた。
「もー、みんなもうちょっとクランクアップの余韻を楽しもうよー。私はとっても楽しかったけどなぁー。こんな刺激的な経験、普通に生きてたら経験できないじゃん」
「一花ちゃん、本当に最高だったよぉー♪」
そう言って仁美が私にしがみついてきた。
「一花ちゃんの心からの愛の言葉、とても嬉しくて、本当に感激しちゃったの♪ それにあんな風に一花ちゃんからキスしてくれるなんて思わなかった♪ 私の事を本当に愛してくれて、いますごく幸せ♪」
喉が干上がるのを感じる。
いったい何なの?
さっきからこれは何?
また何か変な夢を見ているの?
みんなが何を言ってるのか分からない。
ここはどこ?
どうして入院中の七緒たちが目の前にいるの?
いま私にしがみついている仁美は、どういうことなの?
まさか、妖魔になった仁美は永眠できてないということ?
まだ終わってないということなの?
「ちがうよ、もう終わったの♪ もう全部おしまい。全部終わったの♪ あー、本当に最高だったなぁー♪」
「意味わかんない、なんなの? そもそもここはどこ?」
「だからぁ、ここは演劇のための舞台だよ」
「仁美ー、その説明だとたぶん今の一花には伝わらないんじゃない? 最初から全部説明した方がいいと思うよ?」
京子が、初めて見せる悪意に満ちた笑みを浮かべた。
「全部フィクションだったって」
「フィクション?」
「うん、あのね。一花ちゃん、分かりやすく言うとね、全部嘘だったの」
「ウソ? ウソって何が?」
「だからぁ、何もかも♪ ぜーんぶ嘘♪」
仁美はとても楽しそうに笑う。まるでイタズラ好きな子供のように無邪気に。
「私が自分で命を絶ったのも、私が声優デビューして、それが原因で一花ちゃんと喧嘩別れしちゃったことも、私が妖魔とかいう化け物みたいになっちゃったことも、そもそも一花ちゃんのパパが不倫したっていう話も、それで私の家族がメチャクチャになっちゃった話も、ぜーんぶ、お芝居のための、ウ・ソ☆ 一花ちゃんが"転機"だと思った高校二年生の10月以降、お父さんに声優の夢を否定されたその日から今日にいたるまで、この7カ月間の出来事は、ぜーんぶこの"お芝居の世界"での出来事だったんだよ♪」
ひとみが一拍置いて、ポンと手を合わせる。
「つまり一花ちゃんは、私たちが作った舞台の上でずっとアドリブでお芝居をしてたの♪」
仁美が何を言っているのか、まったく理解できなかった。
なにいってるの?
去年の10月から7か月間も私は舞台の上で生活してた?
お父さんが私の夢を否定したのも含めて、全部ウソの出来事?
「そんなこと、ありえないでしょ」
「ねぇー、びっくりだよねぇー。私も最初はなにソレって感じだったもん」
京子が気楽そうにそんなことを言う。
そして、仁美と京子は天高く両手を掲げた。
「じゃあ、この舞台演劇を作ってくれた監督さんをご紹介しまーす♪」
「ジャーン♪ 観劇の魔女マーガレット様でーす♪」
ほんっとーに、最高のショーだったわぁー♪
あははははははははははははははははははははははははは!
悪意のある笑い声が響きわたり、そして現れたのは死んだはずの枢木みくり。
だがその外見はこれまでとは違う。
短くふんわりとしたツインテールは、足元まで届くほどバカバカしく長く、眼の色もなぜか変わっている。
そして額にはハートを模したサソリのタトゥーが刻まれた第三の眼が開いていた。
――――"魔女"。
彼女は最初からそう名乗っていた。
それは冗談でも嘘でもなく、本当だったのだと、私はようやく気付かされた。
「ご紹介にあずかり光栄よ。枢木みくりこと、観劇の魔女マーガレット。私の作った舞台演劇『君と彼女のリリィヴァガンザ』、楽しんでいただけたかしら?」
「さいこーーー!」
と言って、京子と仁美がみくりへと拍手を送る。
そんな京子たちの間を割って入ってくるかたちで、七緒たちがみくりに訴える。
「もう充分でしょ! 充分付き合ったでしょ!? お願いだからもう返して! 開放してよ!」
「もう無理! 耐えられない! お願い、お願いだからぁ……!」
「ひっく、パパ、ママ、たすけてぇ、えっぐ……」
七緒たちは狂乱している。
そんな三人をみくりは心底目ざわりと言わんばかりの眼差しで見ていた。
「あーハイハイハイハイハイ。分かったわようるさいなー」
「あんたらがいると興ざめするし、先にサヨナラさせてあげる」
「じゃ、バイバーイ♪」
みくりが指を鳴らした瞬間、三人は突然悲鳴を上げ、そして顔が突如として剥がれ落ちた。
手足から突然力が抜け、三人の身体はまるで糸の切れた操り人形のようになってその場に崩れた。
「ひっ――!」
私は突然朽ち果てた三人を目の当たりにして、恐怖でひきつった。
みくりはその残骸を見下ろしながら言う。
「こいつら三人はしょせん脇役だしね。でも一花と仁美の恋路を邪魔する敵役も欲しかったし。仁美もコイツらには、昔イジメられてた仕返ししたかったって言ってたからね。ま、またキャストをお願いするかもしれないけど、とりあえず魂だけは解放して現実世界に返してあげたわ……かなり長い間この世界に閉じ込めていたわけだから、肉体と魂がバラバラで廃人同然だろうけど♪」
「うわー、えっぐーい」
みくりの隣にいる京子は目を見開いて大袈裟におどろいてみせた。
「京子、あんたはノリノリで一生懸命頑張ってくれたから、あとでちゃーんとご褒美をしてあげるわ。たーっぷり、かわいがってあげる♪」
「わーい! 魔女様のごほうびだー!」
京子は嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ね、みくりに抱き着く。
ご主人に甘えるワンコでもあやすように京子の頭をなでるみくり。
「一花、あんたは本当に最高のキャストだったわ」
みくりは私の方を向いて言う。
「アンタの事を、仁美が殺しちゃうくらい惚れるのも無理ないくらいね」




