4-1 昔いじめられたから、仕返しするね
そこは見知らぬリビング。
私の目の前に、見知らぬ中年の男と女が血まみれで倒れていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
"私"は自分の両手を見ている。
"私"の身体はべっとりした真っ赤な体液にまみれていた。
(なにこれ? 私、どうしてこんなことになってるの?)
身体の言う事が聞かない。
まるで自分の身体ではないかのように、"私"の意志にまったく関係なく体が動いていた。
いや、そもそもこれは"私"の身体じゃない。
「パパ……、ママ……」
「いやあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「なんで!? どうして私がこんなことを…………!」
「いやだぁ! 嘘って言ってよぉ! いやだああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
"私"は倒れているその二人を前に、涙を流し続けていた。
やがて泣きつかれた"私"は――、
「私も……今からそっちに行くね……」
そう言って、血まみれの包丁を手に取り、首にあてがう。
首元に鋭く冷たい包丁の刃の感触が生々しく伝わってきた。
(やだ、やめて!)
"私"は声すら出せないでいた。
なんの抵抗もできず、包丁が首を切り裂いた。
「――――――――ッ!」
汗をびっしょりかいて、私は目を覚ました。
目が覚めたとたん、酷い動悸と頭痛に襲われる。
だがそんなことよりも、私は首元をさする。
「切られてない、よね?」
酷い悪夢を見たせいで多少頭痛はするものの、別に身体のどこもケガなんかしてないし、出血だってしていない。
だけどイヤに生々しい夢だった。
そもそも目の前に倒れていたのは誰だったのだろうか?
いやそれも気になるが、夢の中で、仁美の顔に浮かんでいたのと同じ、サソリを模したハート型のあざを見た。
手の平、手の甲、どちらも見るが、当然そんなものは浮かんでいなかった。
「ただの夢? ううん、きっとただの夢だよね」
スマホのバイブ音が断続的に鳴る。
私はスマホを見た。母親からのメッセージだ。
「お母さん?」
特に何も考えないでメッセージを見る。
『おはよう』
『ごめんなさい、お仕事の都合でお母さんもお父さんもしばらく家に帰れそうにないの』
『お夕飯はデリバリーとか使っていいから』
『あと、学校にはちゃんと行ってね』
『お父さん、成績が良くないと家庭教師つけるかもだってさ』
父さんと母さんが仕事の都合で帰れなくなるのはたまにあることだった。
うっかりしていたが、いつもの起床時間を少し過ぎていた。遅刻を心配するほどの時間ではないけど。
私はお母さんに手短に返事すると、さっさと学校に行く準備を整えることにした。
「おーす、一花ぁー」
学校にたどり着き、教室に入ると、京子がいつものように快活な声で挨拶してくる。
「京子、おはよう」
「んー? 一花ぁ、昨日もだけど、なんか髪ボサついてない?」
「あ、うん。なんか最近生活リズムおかしくなっちゃって」
「あー、わかる。私も好きな配信者のライブ見てつい夜更かししちゃうし。――あっ、仁美おはよー」
「京子ちゃんおはよー♪ 一花ちゃんもー♪」
「うん、おはよう」
登校してきた仁美も加わり、三人で談笑。
本当にこうして過ごしていると、目の前にいる仁美がもう生きてはいなくて、妖魔とかいう、悪霊になっているだなんてまったく思えない。
昨日も確かに不可思議なことは起きて私は錯乱したけれど……。
改めて考えると別に私を傷つけるようなものとも思えない。
みくりの真剣な雰囲気にのまれていて、昨日は深刻に考えていた。
でも例え本当に死んでいるのだとしても、こうして仁美の望み通り、穏やかな日常を過ごせて解決につながるなら、それでいいじゃないか。
私はそう思っていた。
「そういや仁美、きのう睦月と何かあったん?」
そんなことを京子が口にした。
「別になにもないよ」
「アレおっかしいなぁ。なんか昨日の夕方に、睦月が仁美を見かけたって言ってたんだけど」
そう言って京子は後頭部を掻いた。
「なんか睦月が部活帰りに、家の近くの公園で仁美が赤ちゃんあやすオモチャのガラガラ振りながら睦月を見て笑ってたって言ってたよ。仁美と家の近くで出くわしたことなんかないからなんか不思議がってたけど」
「なんのことだろ? 私、分からないや」
「……ね、ねえ。京子、いったいなんの話をしてるの?」
イヤな胸騒ぎを感じて、私は声をうわずらせて尋ねた。
「いや、あたしもよく分からないんだけど、いま話したまんまだよ。なんか昨日の夕方くらいにさ、睦月からグループチャットに連絡来てさぁー」
睦月とは、水野睦月というクラスメイトのことだ。
クラスメイトの一人というだけで、親しいわけではないのだが、一花はクラス委員長でもあるので、多少の接点はあった。
ただ正直、あまりいい印象はない。
睦月は一年生の時、かげで仁美に嫌がらせをしていたからだ。
(まさか……)
背筋に寒気が走った。
仁美を見る。しかし彼女は特に変わった様子を見せていない。
私は世間話の"てい"を装い、話を促した。
「そうなんだ。あ、そういえば睦月さん見当たらないけど、京子、何か知ってる?」
京子と睦月とはそこそこ仲が良いのだろう。というより、京子は明るい性格なのでクラス受けもよく、交友関係の幅が広いのだ。だから私が知らないことも結構知っている。
「それがさぁー、なんか今日になって連絡つかないんだよね。まだ来てないみたいだし。あたしも昨日はちょっと忙しくてすぐにリプできなくてさ。あっ、もしかしてそれで怒ってるのかなぁー。なーんで返事くれないんだろ、既読もつかないし」
「そ、そうなんだ」
ますます嫌な予感がする。
私は夢を思い出す。
"あの子"の手には、サソリを模したハート型のあざがあった。
私はそれも聞こうとしたが、隣に仁美がいるこの状況でそれを聞くべきか躊躇った。
横にいる仁美は相変わらず、何も感じていないような顔のままで感情が読み取れない。
すると――、
「ねぇ、睦月は来た?」
声が聞こえた方を見ると、見知った女の子が二人いた。
(七緒さんと、ハルカさん)
綾瀬七緒。もう一人は音無ハルカ(おとなし はるか)。
二人は1年のころから水野睦月と仲が良かったが、3年に上がってからはそれぞれ別のクラスになったようだ。
七緒は生徒の一人に睦月がもう登校してきたかを訪ねているようだ。
「ううん、今日はまだ見てないよ」
「そう、ありがと」
「ねぇ七緒ちゃん、やっぱり――」
「今は良いから、行くよ」
ハルカは不安げに語りかけていたが、七緒がそれを制止。
そして教室を後にしようとする。
一瞬、七緒と私の目が合った。
彼女は私を見た後、隣にいる仁美の方を不審そうな眼差しで見つめた。
そしてチャイムが鳴り、ホームルームが始まった。
やはり、水野睦月がクラスに現れることはなかった。