家について
「えっと、まずはここがリビングね」
「ほう、ここがリヴィングか」
「り、リヴィング?やけに流暢な発音ね……」
というのはさておいて、葵が家のツアーを続けていこうとすると、
「待てい!もしや、この家は、木材で出来ているのか!?」
「きゃきゃ!?」
とサタンは突然、深遠なる事実を悟ったかのように、大声を張り上げたのだ。
「ど、どうしたのよ、急に!」
葵は説明を要求した。
「だから訊いたのじゃ!この家は、木で出来ているのか、と!」
「そ、そうだけど、それが?」
「おお、ヴァルハラよ!我を許し給え!」
するとサタンは顔色を瓦解させながら、こう言ったのである。
「なんという恐ろしい家だ!ここは自然と文明が混同しているじゃないか。おお、木と家というものが果たして、一緒に組み合わさっても良いだろうか!?」
「は、はあ!?」
「我は一旦退散する!いくぞ、お主よ!」
「きゃきゃよ!」
という文句を持ってして、サタンは全速力でバタバタしながら、家から立ち去ったのだ。家の玄関に到着すると、サタンは金属靴を履いて、退出。
「……」
葵はただ絶句して、そのサタンの逃走劇を眺めていた。
一体どうして過剰に反応する必要があるのか。ただ疑問だった。自然と文明を敵対関係にみなしてしまうのは異常に思えた。一緒に仲良く共存しても、良いだろう。いいや、むしろそれぐらいが丁度良いはずだろう。
そのように思考を巡らせながら、遠く離れたサタンに向かって、
「べ、別に普通じゃない。家なんて、木で建てるのが日本では普通よ」
「なんという恐ろしい国じゃ、日本というのは!我は恐怖した!自然と文明の乱れである!」
「そ、そんな事はないわ!さ、流石に、言い過ぎよ!」
葵はそう言うと、サタンは説明を求めたのだ。
「どこが言い過ぎなのだ!家というのは、決して自然と文明が混同されてはならない聖域なのだ。家に住む者は文明者であり、そして文明者は文明という概念だけに包まれた聖域に住まねばならぬのだ!」
サタンから発せられる価値観について驚きつつも、葵は一つだけ気になる点があった。
「こ、混同?」
そうだ。さっきからサタンは自然と文明を対立させて、2つの概念を混同していると決めつけているのだ。だかそれは、そうなのだろうか。
だって、2つの概念は調和を持ってすれば、融合されることも可能なのだから。そして現に日本という国は、また、京都の富士家は、その理想に沿って、家という場所において体現しているのだから。
「我は失望したぞ、日本よ!」
サタンは富士家に指を指して、さらに叱咤を紡いでいく。
「あそこまで日本とヴァルハラの共通点を見つけて、親近感を持っていたというのに。自然と文明を混同するとは、この国は堕ちている!」
というあまりの言われざまに、葵は呆れながらも、そこで反論を試みた。
「サタン!貴方は間違っているわ!」
「おお、なんということだ!それなら、証明してみせろ!」
彼の挑発じみた反応を受けて、葵は口を開いた。
「日本は何も、自然と文明を混同しているわけじゃない。ただその2つを調和を持って、受け入れているだけよ」
「ちょ、調和だと……!?」
「きゃきゃ……!?」
そこでサタンは完全に動作を失った。まるで魂を突かれたように、ただその場に立ち尽くしたのだ。
「ええ。ほら、見てみなさい。この家は、ちゃんと自然とともに生きているの」
葵は移動してから玄関を出ると、家全体に片手を伸ばした。
「周りの環境を侵さずに、その中で、共生していく」
「むむむ……」
どうやらサタンはそこで少し考えを改めたらしい。段々と体を起動させていって、距離を持っていた富士家に再び接近していく。そして家の柱に、右手を当てる。
富士家を支える杉の柱は、温かみを宿していた。
「自然が温かい……?」
柱に触れながら、サタンは一言呟いた。
つまり自然は文明と融合しているというのか?
そこでサタンは心の底が揺らぐ戦慄的なセンセーションを感じ取った。そしてそれを無意識に、魂の表面が拒絶を見せた。その行為はあまりにも本能的であり、意識の表面化に浮かび上がるという事も決してなかった。
代わりにサタンが内から発したのは、使い古された感情とそれを乗せた言葉だった。
否。
そんな事はあり得ない!
そんなサタンの魂の葛藤を知る由もなく、葵は告げる。
「だから、ほら、家に入ってきて。別にゴキブリとかも居るわけじゃないからさ」
「ゴキブリだと?なんだそれは?」
「黒くて、テカテカに光ってる小さな生物」
「ほう、それは興味深い」
「あら、みんなで何してるのかしら」
という声をともに後ろから登場したのは、他ならぬ葵の母親だった。
「あ、お母さん」
「その人達は、一体誰なのかしら」
「ああ、うん、ちょっと説明しづらいんだけどさ……」
葵は頭を掻きながら、困惑した。
そして母親を含めた四人は、家に上がって、リビングに向かった。
「へー、そうなんだ。さっき地震の原因は、貴方だったのね」
葵が事情を何とか説明しきると、彼女の母親である緑は、すぐに状況を呑み込んで、そう言ったのだった。
富士緑は女性である。彼女の職業は大学教授であり、現在、地元京都大学で教鞭を執っている。
どうやら今日も既に大学での講義を終えて、早めに帰宅したのであった。そのついでに、買い物も済ませてきているらしく、台所には買い物袋も置いてある。
サタンの方も何とか、自然と文明の件についても一時的停戦という保留の状態にして、家に上がり込んできたのだ。
「我の無礼を許し給え」
「いえいえ。ところで、どうして日本、ううん、京都に君臨しようと思ったのかしら」
緑がそう訊ねると、サタンは、
「金閣寺の美に誘われたのだ」
「あら!」
というサタンの意外なる答えに、緑は上品にも口に両手をあてがう。
「我々ヴァルハラの者共は、現在、銀河遺産という壮大なプロジェクトの真っ只中なのだが、その途中の道で、我は見てしまったのだ。あの永遠に光り輝くような、堂々と屹立する金閣寺の姿を」
「そうだったのねー。って、銀河遺産?でしたっけ。一体どんな活動してるのかしら?」
「銀河遺産というのは、銀河に偏在する美しい物を永遠に保存するという、崇高なる理念に基づいた、保存活動だ」
「す、凄いスケールね……」
葵が横から感想を述べる。
「そこで、母上よ」
「は、母上!?」
という突然の言葉遣いの変化に、葵と緑はお互いの顔を見合わせて、驚いた。
「ど、どうして、お母さんのことを、そんな改まった風に呼ぶの?」
「むむむ?我は何かおかしな真似をしたのか?」
「いいや、別にそうでもないけど。普通、あんまり母上なんて表現、使わないからさ」
「そうなのか。失礼した。それでは改める必要があるらしいな」
サタンは改まった。
「でも、別に。ねえ、お母さん」
「ええ。もしヴァルハラでもそういう習慣なら、なにも無理に修正する必要はないわよ」
「おお、母上よ!貴方はなんという心の広さを持っているのだ!」