二話 交番と病院にて
サタンが連れて行かれたのは最寄りの交番だった。
そこは小屋程度の小さな交番で、内装も質素で極まりない。木製の机が幾つかと、椅子が置かれているだけだ。奥に控室のような部屋があるだけで、それ以外は一室だけである。
先程まで現場に居合わせていた警官の秋津が椅子に座ると、事情聴取を始めた。
「それで、あんたの出身地と、名前は?」
秋津の対面に座らせられて、さらに縄で拘束されているサタンは答える。
「我はヴァルハラから参った。名はサタンである」
「ええっと、ヴァルハラ、そしてサタン、ねえ……」
これまで聞いたこともない国や名前に戸惑いながら、秋津は書類に記載していく。
「その、ヴァルハラ?っていう国は、どこにあるんだ?」
「うむ、そうだな。この地球からは数億光年離れているだろうか」
「数億光年!?」
秋津は席から立ち上がり驚嘆した。
「それにしても、あんな攻撃を受けて、赤ちゃんが無事だったなんてね……」
そう発言したのは葵だった。彼女は交番の入り口の壁面に背を預けながら、両手であの謎の赤ん坊を抱きかかえて、顔をじっと見つめている。
本来であればあの後に救急車でも呼んで病院に連れていく必要があると思われたのだが、この通りに元気一杯であり、一見すると傷ひとつ確認できないのだ。
「えっと、性別は、っと」
「あうあう」
そこでさらに外傷がないか確かめていく。服を捲ってから肌を視認していく。だが赤ん坊の体にはやはり外傷一つ見受けられない。
そして今同時に、大事な情報も確認できた。
「あ、貴方は、女の子なのね」
「う、う、う……」
「あらら、急にどうしたの?」
そんなやり取りをしていると、赤ん坊は顔色を悪くさせてしまった。やはり先程の攻撃が何らかの影響を及ぼしたのだろうか。赤ん坊はとうとう泣き出した。
「ほーら、ばー」
葵は機嫌をなだめようと変顔をしてみる。効果覿面だった。
「まま、まま」
「いやいや、私はママなんかじゃないって」
誤解されてしまった。
「う、う、う」
でも赤ん坊は再び機嫌を崩す。赤ん坊は葵の手で暴れるようになって、サタンのいる方向に両手を伸ばし出したのだ。まるで彼を希求するかのように。
「え?」
もしかして。
と思いながらもサタンの方に歩み寄っていって、赤ん坊を近づける。すると彼女は嘘のように急に泣き止んだ。それから顔に笑顔まで乗せ始めた。
「この人間めが!ヴァルハラの王に対して、そのような口をきくとは、どんな無礼者か!?」
「きゃっきゃ」
「むむ?」
ほぼ暴言だらけの事情聴取されているサタンも首を動かして、後ろを見た。そこには葵に抱き抱えられている赤ん坊が、彼に向けて手を差し伸べてきている様子だった。
「うきゃっきゃ」
「我に用か」
「うん。どうしてか、赤ん坊が貴方を求めているらしいのよ」
でも赤ん坊が求めているのは、どうやら、サタンの角らしいのだ。それを掴むと、赤ん坊は強靭な力を持って葵から離れる。
そして赤ん坊がサタンの頭の角に乗っかると、笑い出した。
「きゃっきゃ」
「我の鬼電を必要としているのか?」
サタンがそう呟くと、葵が質問をした。
「鬼電?それが貴方の発する電気みたいなのを言っているの?」
「そうだ。ヴァルハラに生まれた者は全員、体内に鬼電と呼ばれる電気を宿している。それは我々のエネルギー源であるのだ。そしてこの角は余剰な鬼電を放つための放電するための器官じゃ」
「エネルギー源、放電、ねぇ」
頷きながら、葵はしばし思考を巡らせる。
でもどうして赤ん坊はサタンを希求するのだろうか。見た目は完全に鬼だし、それに全身は強靭だし、赤ちゃんから見ればどうしても恐怖の対象でしかあり得ない、というのが普通なのに。
「うーん」
と結論は出ないまま、そこで秋津は指示を出した。
「まあ、取り敢えず、病院でも行ってくれば?」
「そうよね」
という事で、葵とサタンと赤ん坊は専門機関を利用することに決めたのだ。
「その間、俺はお前を刑務所送りにしてやるからな!待ってろよ、サタンよ!」
「なんと無礼な!我はヴァルハラの王なのだぞ!」
「はいはい」
「きゃっきゃ」
という醜い口喧嘩を無視しながら、葵と赤ん坊は交番から退出。
数十分後。
「これは奇跡ですね!!!」
小規模ながら、設備が整う地元の病院へと移動。そこで直ぐに専門医から状況を分析してもらった。すると、医者である彼は驚きの診断を下したのだ。
「き、奇跡?」
葵は言葉を鸚鵡返しのようにして、医者の返答を仰いだ。
「ええ。この赤ん坊は元々原因不明の難病を抱えていて、そのままだと寿命が尽きてしまう、そんな過酷な運命にあったのですが、なんと謎のこの電気的な現象によって、その生命が回復していっているのです」
「うそお!!!」
医者の診断に、葵はただただ口を大きく開けて、驚くことしか出来なかった。
それもそうだろう。まさか、原因不明の難病があんな侵略者の鬼によって治癒していくだなんて。
「ですが、安心してはなりませんね。赤ん坊はただ漸次的に病状の回復を行っているので、もしこの電気の供給が滞ってしまえば、大変な事になるでしょう」
「げ!!!」
またしても医者の驚きの説明に、葵はあんぐりと大きく口を開いた。
でもここである程度の科学的な説明はされたはずだ。あの鬼サタンは特別な鬼電を体内に宿し、それを二本角で放電する。そしてその放電によって赤ん坊の難病が段々と回復していく。でもその為には、赤ん坊は角の上で長居して、鬼電を連続的に供給されなければならない。
そして当然ながら、サタンと赤ん坊がここでなくてはならない関係性が生まれたのだ。もしあの暴れん坊将軍サタンが刑務所にでも入ったら、赤ん坊が大変な事になってしまうのだ。
という事で葵は直ぐに病院から赤ん坊を持って、退出。向かった先は先程の交番だった。数分後、全速力で走りながら葵は交番に到着。
そこで罵声の応酬を聞いた。
「おのれ!我に対して無礼を働くとは、何事じゃ!我はヴァルハラの王なのだぞ!」
「警察である俺に悪口言ったな!それはこの国じゃ、罪だぞ!お前は刑務所行きだ!」
「なんだと!?」
そんな喧嘩のような雰囲気を呈す交番の中に、葵は赤ん坊を持って、突入していく。
「ちょっとストップ!!!」
「む?」
「は?」
という葵の突然の登場によって、場は凍りついた。沈黙に満ちた空間で、葵はサタンに歩み寄っていき、泣き止まない赤ん坊を、彼の角の上に乗せていく。
「ちょっと貴方の角、借りるわね」
「うううー」
「むむむ?」
そして赤ん坊はサタンの角の上に乗ると、なんと一瞬にして泣き顔を消して、笑顔に戻ったのだ。屈託のない笑顔だった。鬼のようなサタンの顔とは、それこそ正反対の素晴らしいものだった。
「きゃっきゃ」
と喜々しながら赤ん坊は、サタンの顔をいじくり始める。どうやらやはり、彼女は怖くないらしい。むしろ、親として見ているのだろうか。
「どうしたのだ、お主よ」
そしてなんと、先程まで汚らしい口喧嘩の応戦を繰り広げていたサタンも、赤ん坊に接すると、まるで人が変わったように口調が滑らかになったのだ。
「うきゃきゃ」
「ほう、そうか。そこが良いのか。それならば、そこに居るが良い」
「いいの?」
サタンがそう優しく言ってくるので、葵は思わず訊ねた。
「ああ、構わない。我の故郷、ヴァルハラでは、例え赤の他人の赤ん坊に対しても、心優しく接するのが、我らの文化なのである」
「へえー!それって私達日本と一緒じゃん!」
「そうなのか、日本よ!ヴァルハラと相性が合いそうだな!」
数億光年離れたサタンの生まれ育った文化。それはなんと、日本とも共通点が垣間見れるものだったのだ。葵は感心して、サタンに抱いた偏見を幾ばくか取り除いた。
そこで葵は続けて、説明したのだ。
「えっと、それでね、サタン」
「どうしたのだ?」
「実はさ、さっき病院に行ったら、サタンの鬼電ってのが赤ん坊に必要らしくて。だからそうやっていつも角に乗せてあげてほしいの」
それはなんとも不躾な要望だったので、まあ、拒絶されるのがオチだろうな、と思っていた。だかしかし、サタンは意外なレスポンスを発したのだ!
「なんだと!?赤ん坊は大変な状況に陥っているのか!もし我の鬼電によって力になるであれば、是非、我の角に乗るのだ!」
「い、いいの!?」
思ってもみなかったぐらいの反応に、葵はさらに訊いてみる。
「良いに決まっているだろう!例え、我々の国が数億年離れていても、命の尊さは変わらないのだ。もし我が力になれるのであれば、我はどんなことでもせしめようぞ」
「さ、サタン!」
葵は感激した。まさか、地球を侵略してきたあの鬼のようなサタンがこんな素晴らしい精神の持ち主だったとは。まさに感激ものだ。
という事でサタンが刑務所行きになることは免れたのだ。赤ん坊とサタンは奇妙な関係が結ばれたので、しばらくはここ京都に滞在することになったのだ。