第9話 兄を亡くした令嬢
2人が踊り終わると、周りからワッと拍手が巻き起こった。
「見事なダンスでした!」
「なんと素晴らしい!」
「息がぴったりでしたよ!」
口々に賛辞を口にする招待客たち。
ジーナに汗をぬぐってもらいながら、ルチアは自然に笑みがこぼれた。
(ロレンツォ様が称えられていると、私まで嬉しい)
ルチア自身も褒められているのだという発想には至らなかった。
ダンスが終わると、ルチアとロレンツォは再び招待客たちに囲まれた。先を争って話しかけてくる彼らを、愛想良く、しかし手際良くさばいていく。慣れない人だかりに、ルチアはあっという間に疲れてしまった。
「ルチア、暑そうだぞ。少しバルコニーで夜風に当たってくるか」
「ありがとうございます……」
ロレンツォの言葉に甘えて、ジーナと共にその場を離れる。
バルコニーに出て、ルチアはようやく一息つけた。
「ルチア様、お疲れ様です。お水をお持ちしましょう」
「ありがとう……」
ジーナはルチアのために水をもらいに行った。道中で何度か殿方にダンスを申し込まれているのが見える。
(私が作った仮面、効果は絶大みたいね)
ルチアは嬉しくなった。
ジーナの姿が見えなくなった瞬間、ルチアの前に数人の令嬢が現れた。先ほどロレンツォにあしらわれていた令嬢たちだ。
「皇太子妃殿下にごあいさつ申し上げますわ。わたくし、ビアンカ・フェリッリと申します」
進み出てあいさつしたのは、リーダー格と思われる金髪の令嬢。フリルや宝石でゴテゴテと飾りつけた、すそを長く引くピンクのドレスを着ている。他の令嬢たちは、ビアンカの後ろでクスクスと笑っていた。
「そのコハクのネックレス、ご自分でお選びになられましたの?」
「ええ……」
おどおどしているルチアを見て、ビアンカがニンマリと笑う。
「さすが異国の方、独特のセンスをしていらっしゃるのね」
言い逃れできるギリギリのラインの嫌味を言ってくる。黙ってうつむくルチア。嘲笑をやり過ごすのには、叔父の家にいた時に慣れていた。
(宝石選びも、ロレンツォ様に決めていただけばよかった。私やっぱりセンスがないのね)
ビアンカの当てこすりは続いた。
「虫の死体が閉じ込められているネックレスなんて、本当にユニーク。幼き日に死線をくぐられた聖女様らしいですわ」
暗に「呪われ聖女」と蔑んでいるようだ。ルチアは唇をかんだ。
「黒龍の呪いを受けた王国人の女性は、不妊の方が多いとか。お世継ぎの事が今から心配ですわね」
ビアンカのあざけりは続いた。黙って耐え忍ぼうとするルチア。
しかし、ビアンカの次の一言で、ルチアは顔色を変えた。
「しかも、側近は死にそこないの化け物メイドでしょう? 呪いの被害者って、傷の舐め合いがお好きなのかしら。もう少し皇太子妃としての自覚を……」
「お言葉ですが!」
ルチアはビアンカの言葉をさえぎった。怒りで声が震える。
「わ、私の事はいくら悪く言っても構いません。でも……」
緊張してどもってしまう。だが、言わなくては。
「黒龍の呪いに苦しんでいる他の人たちを、侮辱するのは許せません!」
取り巻きの令嬢たちのクスクス笑いが止まった。ルチアの思わぬ反撃に気おされてしまったらしい。
唯一ビアンカだけが、憎しみの形相で言い返してきた。
「自分だけ被害者ぶらないで下さいませ! わたくしの兄上は……。あなたたちに殺されたのに!」
その瞬間、ルチアの脳内にビアンカの兄の記憶が流れこんできた。降霊術の能力が発動したのだ。
凄惨な記憶に圧倒されているルチアをよそに、ビアンカはまくし立てる。
「王国は帝国人の捕虜を虐待していましたわ! 人体実験や拷問は日常茶飯事。兄は誇り高い軍人でしたの。それなのに、どこでどうやって亡くなられたかすら分かっていない!」
次第に涙声になるビアンカに、ルチアは何も言い返せなかった。王国が捕虜に酷い扱いをしていたのは有名だからだ。
ただ、ビアンカが誤解している事が1つだけあった。教えるべきかどうか迷っていると……。
「そこまでだ、フェリッリ公爵令嬢」
いつの間にか、ジーナに連れられたロレンツォが戻ってきていた。ルチアを守るように、ルチアとビアンカの間に割りこむ。
「ロレンツォ殿下、なぜ止めるのです」
ビアンカは震える声で言った。
「亡き父のフェリッリ公爵は、戦争を終わらせた英雄魔導師でした。その跡を継いだわたくしと、敵国から来た呪われ聖女、どちらが正しいかは明白でしょう」
ビアンカは止まらない。
「父が黒龍の卵を開発したから、王国は大打撃を受けて降伏したのですわ! だから兄みたいな目にあう帝国人があれ以上増えなかったのではありませんか! なぜわたくしを妃にしてくださらなかったのです!」
「……ビアンカ様」
ルチアは見ていられなくなって口をはさんだ。
「私の降霊術で、あなたのお兄様の記憶をのぞき見ました」
ビアンカの目の色が変わった。
「本当ですの?」
ビアンカは目を見開いてルチアに詰め寄った。
「兄の死に際を教えてくださいな! 嘘ついたら承知しませんわよ!」
先ほどまで罵っていた相手に対して、この態度の変わりよう。よほど兄の死に際を知れずに苦しんできたのだろう。ルチアは胸が痛んだ。
「あなたのお兄様が最期にいらしたのは……。サンタアクア捕虜収容所です」
告げるルチア。バルコニーは沈黙に包まれた。
「……黒龍が顕現した、まさにその地点に?」
顔面蒼白になるビアンカ。ルチアは沈痛な面持ちでうなずいた。
「黒龍の呪いを受け、惨禍から13日後、苦しみながら亡くなられたようです」
彼が痛みと吐き気に苦しみ、口と耳から緑色の液体を垂れ流しながら亡くなった事は言えなかった。
「嘘つき! わたくしを苦しめようとして、でたらめを……」
「いいえ、本当です」
ルチアは続けた。
「ビアンカ様の将来の社交界デビューのために用意したそのドレス、着るのを見られないのを残念がっていらっしゃいました」
ビアンカはドレスの胸元を押さえた。
「確かにこのドレスは、兄が出征前に用意してくださったもの……。兄とわたくしだけの秘密のはずなのに」
ルチアの発言が真実だと認めざるを得なくなったようだ。
「そんな、父は、どうして……」
がっくりと膝をつくビアンカに、ロレンツォは目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「あの父上の事だ。フェリッリ公爵には事実を隠して、黒龍の卵の開発に利用したのだろう」
抜け殻のようなビアンカに、ルチアも語りかける。
「ビアンカ様は、王国を憎んで当然です。でも、もう一度ゆっくり考えてください……。黒龍を王国に召喚したのは、本当に正しかったのか」
ビアンカはフラフラと立ち上がると、取り巻きたちに見送られて無言で帰っていった。