第8話 夢のような舞踏会
ジーナにプレゼントする仮面が完成したのは、披露宴の1週間前だった。
顔の右半分を覆う、優雅な曲線美の白い仮面。目の周りには朱色の装飾が描かれ、赤い羽根がこめかみ部分についている。
「まあ素敵! これでやけど痕が隠せるわ。ルチア様、ララちゃん、ありがとうございます!」
ジーナは仮面を胸に抱きしめて涙ぐんだ。
「いえいえ。皇太子妃殿下が私を助けて下さったおかげです」
ララは照れくさそうに頭に手をやった。
「私、おかげさまで皇帝陛下の給仕係に選ばれたんですよ。これで故郷の父に仕送りできる額が増えます」
ジーナとララが喜んでいるのを見て、ルチアは自分まで嬉しくなった。
(誰かの役に立つと、私の心まで癒されていくみたい)
ルチアは少しだけ自分を好きになれた気がした。
披露宴当日。ドレスで正装したルチアは、ロレンツォと共に大広間の扉の前に立っていた。
「私に、こんな大役が務まるのでしょうか……」
気後れするルチア。ロレンツォは励ますようにルチアの手を取った。
「大丈夫、君は綺麗だ。きっと招待客の誰よりも」
「ロレンツォ様のおかげです……」
ルチアがまとっているのは、ロレンツォがプレゼントしてくれたドレスだった。
マリーゴールドのようなオレンジ色の生地は、光の加減で花が浮かび上がる一級品。
ふんわりと広がるスカート部分には金糸で刺繍がほどこされ、繊細な輝きを放つ。
胸元のフリルは、バニラのような温かみがある白。控えめで上品だ。
首には、古代の蝶を閉じ込めたコハクのネックレスが下がっている。
「ルチア様、胸を張って下さい」
後ろからジーナが元気づけてくれる。
「ドレスのおかげだけではありません。ルチア様は心までお美しいんですから」
おしゃれな仮面とオリーブ色のドレスは、ジーナの凛々しさを最大限に引き立てていた。
(私が、プレゼントした仮面……)
ルチアの心が決まった。
「ありがとう、ジーナ」
ルチアは腹をくくり、ロレンツォに手を引かれて、大広間に踏み出した。
豪奢な大広間だった。
天井から吊られた壮麗なシャンデリアは銀色に輝き、乗せられた何千本ものキャンドルが炎をゆらめかせている。
華やかな旋律を奏でるのは、選りすぐりの音楽家を集めた帝立オーケストラ。
色とりどりのドレスを身にまとった貴婦人たちや令嬢たちが、大きな扇で口元を覆って談笑している。
一目で上等と分かるタキシードに身を包んだ男性たちが、シャンパングラスを交わしていた。
壁際に並べられた料理はどれも美味しそうだ。牛肉と緑黄色野菜のテリーヌ。サーモンと玉ねぎのマリネ。キャビアのカナッペ。柔らかそうなローストビーフ。可愛らしいケーキやマカロン。その他、ルチアが名前も知らないようなご馳走の数々。
どのテーブルの上にも、胡蝶蘭や白薔薇といった華やかな花々が飾られている。
ロレンツォの周りに、早速客人たちが集まってきた。9割が着飾った令嬢だ。
「ロレンツォ殿下! お招きに預かり光栄ですわ!」
「今宵もお美しくていらっしゃる!」
黄色い声でキャアキャアと騒ぎ立て、ルチアを押しのけようとする。
当のロレンツォは仏頂面だった。
「俺にあいさつするなら、妻にもあいさつするのが礼儀だろう」
令嬢たちの視線が、一斉にルチアに突き刺さる。嫉妬と侮蔑をはらんだ視線に、ルチアは思わず身をすくめた。
「……お初にお目にかかります。ルチア・ツィタ・カッシーニ・ジェンティレスキと申します」
深々と頭を下げる。背筋が曲がらないように気をつけるので精一杯だ。
ロレンツォは、ルチアをかばうようにそばに寄り添った。
「ルチアは他国から来たばかりで、頼る者が少ない。俺は彼女を守り通すが、お前たちも何かと手助けしてやって欲しい」
令嬢たちはざわめいた。
「冷血皇子と呼ばれた殿下が、こんなにも情熱的に……」
「何で敗戦国の呪われ聖女を!」
「しっ、殿下に聞こえるわよ」
ヒソヒソ声がルチアの耳に届く。
ルチアがいたたまれず縮こまったその時、オーケストラの奏でる曲がワルツに変わった。
「ダンスが始まるぞ。行こう、ルチア」
ロレンツォに手を引かれ、ルチアはホッとして令嬢たちの輪から逃れた。
ルチアたちは大広間の中央に進み出た。皇太子と妃がどんな風に踊るのか、皆が注目している。
ルチアが手の平にじっとりと冷や汗をかいているのに気付いたのか、ロレンツォが手をギュッと握りしめてくれた。
「大丈夫だ、ルチア。練習したんだろう」
耳元でささやかれ、ルチアの頬が熱くなる。
(私が仮面作りの合間にジーナと特訓していたの、見ていてくださったのね)
ルチアと繋いでいない方のロレンツォの手が、ルチアの背中に回された。冷血皇子の名前に反して、温かくて大きい。ルチアは胸が高鳴るのを抑えられなかった。
曲の始まりをオーケストラが奏でるのに合わせて、2人そろって足を踏み出す。
緊張でガチガチのルチアを、ロレンツォは見事にリードしてくれた。前後左右に華麗なステップを踏み出し、ルチアが足を踏みそうになっても巧みに避けてくれる。
気がつけば、ルチアにもダンスを楽しむ余裕が生まれていた。ターンするたびにスカートが柔らかく膨らみ、金糸の刺繍がきらめく。
ロレンツォの胸に頬を寄せ、ルチアは幸せを噛み締めた。
ルチアは気づかなかった。ドス黒い憎しみのこもった目で、ルチアを遠くから見つめる令嬢に。