第6話 お風呂で大変身
浴室に行くまでに、何人かの使用人とすれ違った。みな帝国人だ。
ジーナのやけど痕に覆われた顔を見ると、ギョッとして振り返ったり、仲間内でヒソヒソ話したりする。
「あの顔じゃ化粧もオシャレも楽しめないだろう。気の毒に」
一人が聞こえよがしに言った。
「良いんですよ、あんな奴ら無視して」
無理した様子で笑うジーナ。
「あたしの分もルチア様を綺麗にできれば本望です」
悲しげな表情に、ルチアは胸が痛んだ。
広く長い廊下をつきあたりまで進むと、薔薇が彫られた純白の扉があった。ジーナが扉を開けると、温かい湯気がフワッとルチアを包みこむ。
中には、叔父の家の食堂ほどもある洗い場と、大理石で出来た巨大な浴槽があった。
「素敵……」
思わずうっとりするルチアを、ジーナは嬉しそうに見つめた。
「でしょう? 昨日あたしが、浴室の隅から隅までピカピカに磨き上げたんですよ」
ジーナは手早くルチアの服を脱がせた。自らも動きやすい貫頭衣に着替えると、4種類の壺を盆に乗せて差し出す。
「ロレンツォ様が、特注の入浴剤を用意して下さっています」
壺からは、それぞれ違う種類の芳香が漂ってくる。
「自信をもたらすホワイトローズの香り。リラックス効果のあるラベンダーの香り。リフレッシュさせてくれるベルガモットの香り。そして、心を穏やかにするカモミールの香り。どれになさいますか?」
「……じ、じゃあ、カモミールで……」
侍女に風呂に入れてもらうなんて久しぶりで、ルチアは緊張していた。叔父の家では、ぬるくなった残り湯を一人で使っていたのだ。
「承知しました!」
浴槽いっぱいに沸いたお湯に、カモミールの壺の中身を注ぐジーナ。薄緑の粉が湯船に溶けていく。
軽くかけ湯をした後に浸かると、甘く優しい香りがルチアを包みこんだ。昨夜ロレンツォがいれてくれたお茶を思い出す。
「いい匂い……。ありがとう、ジーナ」
水面に鼻を近づけて、カモミールの香りを胸いっぱいに吸い込む。ちゃぷん、と揺れる水面は、あの惨劇の日の川面とは全く違う色をしていた。
15分ほどつかった後、ジーナはルチアの髪を洗い始めた。
全体をしっかりとお湯で濡らした後、指の腹で優しくシャンプーを揉み込んでいく。頭皮をマッサージされるようで、とても気持ちがいい。アプリコットとジャスミンの香りが、あたり一面に広がった。
シャンプーを2回ほど繰り返した後は、白くとろみのある液体を入念に髪にすりこまれる。今度の液体は、頭皮を避けて塗るようだ。アップルとベリーの香りが匂いたつ。液体のぬめりのおかげで、絡まった毛玉がほどけていく。
液体を髪につけたままで洗顔。もっちりとした真っ白な泡で、丁寧に顔を包みこまれる。お湯で全てを洗い流した後は、顔が驚くほどすっきりした。
それからもう1回湯船につかり、その後入念に体を洗われた。部位によってボディーソープの種類を使い分けられたのには仰天した。
(叔父の家では考えられない贅沢だわ……)
泡だらけになった体を、T字型のカミソリで優しく撫で回される。泡を洗い流すと、ムダ毛も垢も綺麗さっぱり消えていた。身体中が軽い。
(自覚していなかったけれど、私こんなに汚かったのね)
ルチアはピカピカになった体を見下ろし、ため息をついた。
「ありがとう、ジーナ。さっぱりしたわ」
「まだまだ大事な工程が残っていますよ。お風呂上がりのスキンケアは美容の基本ですからね!」
ジーナは張り切って、いくつもの瓶を戸棚から取り出した。
「全て帝国最高級の品を、ロレンツォ様が注文して下さいました」
シャバシャバした透明な液体と、とろりとした白い液体を、順番に顔に塗りたくられる。続いて顔にも小さなカミソリをあてられた。眉の周りや口元の産毛を剃られる。ひじやひざを中心に、身体中にミルクのような液体をすりこまれると、肌が見違えるようにモチモチになった。
「最後は髪の毛ですね」
「えっ、自然乾燥じゃないの?」
「傷んでしまいますよ! せっかく見事な長いお髪なのにもったいないです。乾かし方にもコツがあるんですよ」
金属で出来た筒のような魔道具を構えて、ジーナはスイッチを押した。温かい風が吹き出す。
「まず温風で乾かした後、仕上げに冷風で髪を引き締めるんですよ」
「帝国にはこんな便利な魔道具があるのね!」
ルチアは感動した。
(ペネロペが見たら、さぞかし興味を持ったでしょうね。分解して仕組みを調べたがるに違いないわ)
目の前に浮かぶのは、従妹のペネロペの顔。
ペネロペは常にしかめ面で、叔父のルチアいびりを止める事はなかった。
しかし、ペネロペ自身がルチアをいじめた事は一度もなかった。寒い中水仕事を強いられるルチアに、いつもぶっきらぼうに温かい魔道具をくれたものだ。
(あの子、今頃どうしているかしら)
そうこうしている内に、ルチアは浴室の隣の部屋に連れて行かれ、化粧をほどこされた。
「ルチア様は結構まぶたが厚い方ですから、二重を作るにはファイバーが最適かも知れませんね。ベースメイクはマットが似合うでしょう。眉毛は並行眉が今のトレンドです」
叔父の家ではメイク道具どころか日焼け止めすら買ってもらえなかったルチア。ジーナの解説はまるで呪文のようだ。理解を諦めて、全てお任せすることにする。
「マスカラはお髪の色に合わせてテラコッタが良さそう。涙袋にはゴールドラメを乗せて……。ふふっ、磨けば光るって、この事ですねぇ」
40分後。差し出された鏡をのぞいて、ルチアは面食らった。
(これは……。誰?)
鏡の中に、ルチアが初めて見る女性が映っていた。
美しい令嬢だ。
栗色の大きな瞳は、夕焼け色のグラデーションに彩られたまぶたの奥で、思慮深そうな輝きをたたえている。
長く繊細なまつ毛からは、瞬くたびに温かみのあるオレンジのニュアンスが透けた。
ふっくらとした唇は、淡い炎のように揺らめくロゼベージュ。
深い鳶色の髪の毛は上品に結い上げられ、ツヤツヤと輝いている。
肌はマットな質感のファンデーションとパウダーで、陶器のように滑らかに仕上げられていた。
「完璧ですよ、ルチア様」
ジーナが誇らしげに笑う。
「スキンケアとヘアケアを毎日続ければ、披露宴までにはもっとお美しくなられます」
ジーナが笑うたびに、火傷の痕が大きく引きつれる。ルチアは胸が痛くなった。
「ジーナ、ごめんなさい」
反射的に謝ってしまう。
「お気に召しませんでしたか?」
ジーナが心配そうに顔をのぞきこむ。首を横に振るルチア。
「いいえ、とても素敵だわ。私にはもったいないくらい」
頑張って微笑んでみせる。
「良かった! ロレンツォ様も喜ばれますよ。化粧品を選ばれたのもあの方ですから」
顔を輝かせるジーナ。
(あたしの分もルチア様を綺麗に出来れば本望です、ってジーナは言った)
あの悲しげな笑顔が、まぶたの裏に焼きついて離れない。
(私だけが、こんなに美しくなって良いはずがない)
ジーナだけではない。あの日、顔をやけどでパンパンに腫らして、ウジ虫を傷口から湧かせていた人たち全員に申し訳ない。
「披露宴には、ジーナも一緒に来てくれるの?」
「はい、ルチア様。もちろんお供いたします」
きりりと顔を引き締めるジーナ。その姿は凛々しく美しい。
(ジーナはこんなに綺麗なのに、みんなはどうして分からないのかしら)
披露宴でジーナが浴びせられるであろう、心ない視線。想像しただけで辛い。
(せめて、オシャレにやけど痕を隠せるものを探してプレゼントしよう。化粧品か何かを)
ルチアは決心したのだった。