第5話 メイドは焼け跡で助けた女性でした
「ルチア様、朝ですよ」
翌朝。ドアをノックする音でルチアは目を覚ました。
(んん……。お布団がフカフカ……)
頬に触れる羽布団の感触で、自分が嫁いできたのだと実感する。
「入ってちょうだい」
柔らかな絹の枕に未練を残しつつ起き上がる。
ドアから入ってきたのは、30代後半の赤毛のメイド。顔の右半分に大きなやけどの痕がある。
彼女を見て、ルチアは一気に目が覚めた。
「ジーナ? 無事だったの?」
信じられない再会に息をのむルチア。メイドは目を潤ませてお辞儀をした。
「ルチア様……。よくぞご無事で」
「ジーナ!」
2人はひしと抱き合った。
ジーナとルチアの出会いは、黒龍の惨禍の翌日、焼け跡での事だった。
黒龍は顕現から数時間で黒い雲になって消えてしまったが、蹂躙された中心街は一面焼け野原だった。
「お腹すいたよぉ……。お母様……」
食料を探して焼け跡をさまよっていたルチアは、川の縁に立つ女性の後ろ姿を見てハッとした。
(赤毛で、背が高くて、30歳手前くらいで、ペーズリー柄のワンピースを着ている……。間違いない、お母様だわ!)
ルチアは目を輝かせた。
(ガレキから土壇場で抜け出せたのね!)
母を目の前で焼き殺された現実を、幼かったルチアはまだ受け入れられていなかった。
「お母様!」
叫んで駆け出すルチア。しかし、程なくしてルチアは彼女の様子がおかしい事に気づいた。
女性は何かをぶつぶつと呟きながら、死体がひしめきあう川面を見つめている。やがて靴を脱ぎ、両足首をリボンで縛り合わせ、明らかに飛び込む体勢をとった。
「お母様、やめて!」
無我夢中で駆け寄り、女性の腰に抱きつくルチア。女性はバランスを崩してガレキの上に転がった。
「やめてぇ……。死なせてちょうだい……」
泣き崩れる女性。その顔は母とは別人だった。
(お母様じゃなかった……。それに)
ルチアはショックを受けた。
(この人、顔に酷いやけどをしているわ)
女性は相変わらず泣き続けていた。
「あの子が死んで、婚約も破棄されて。生きている意味なんてない!」
女性は子どもの頭蓋骨を抱きしめていた。
「前の旦那との子どもも可愛がってくれた、素敵な婚約者だったはずなのに。あたしの顔のやけどを見たら逃げ出したの」
女性の涙が乾いたガレキを濡らす。
「あたしもあの子の所に行くんだ……」
その時不意に、自分のものではない記憶が、ルチアの脳内に流れこんできた。
燃え盛る炎の中、ジーナを見つめて必死に口を動かす、幼い少女の映像。
娘を追って炎に飛びこもうとするジーナに、少女が遺そうとした言葉は……。
「……娘さんは、最期言ったんでしょう。『ママ、元気でね』って」
ルチアの口をついて言葉が出た。驚いた女性が目を見開く。
「あんた、なぜそれを……。あたしにすらよく聞きとれなかったのに」
女性は、ルチアのワンピースの裾の刺繍に目をとめた。
「その家紋、カッシーニ辺境伯家?」
ルチアがうなずくと、女性は驚いて頭を下げた。
「これは失礼いたしました。聖女様にご無礼を」
ルチアは困惑した。
「私、まだ聖女じゃないわ」
女性は首を横に振った。
「今発現なさったでしょう。死者の記憶をのぞき見るお力が」
ありがたやありがたや、と女性はルチアを拝み始めた。
「娘の最期の言葉を教えていただき、ありがとうございます……。あたし馬鹿でした。娘が『元気でね』って言ってくれてたのに、死のうとするなんて」
女性は深々とおじぎをした。
「隣の郡の親戚を頼って行ってみる事にします。聖女様、ささやかなものですが」
女性はポケットからビスケットを取り出した。
「ありがとうございます!」
丸1日何も食べていなかったルチアは、ビスケットに飛びついた。
「このご恩、私忘れません! お名前を教えて下さい」
女性は微笑んだ。
「ジーナ・ベリーニです」
その後ジーナは、近くの救護所までルチアを送り届けてくれたのだった。
「あれから10年……。ルチア様にお仕えできると知った時は夢のようでした。こんなに大きくなられて……」
ベッド横で涙ぐむジーナ。有能なメイドらしく、目を潤ませながらもテキパキと作業を済ませていく。ルチアが顔を洗うためのお湯を用意し、髪をとかしてくれる。
「まあまあ、こんなにたくさん毛玉が……。朝食を食べたら、念入りにヘアケアをしなくては」
ルチアは恥ずかしくなってうつむいた。
「ごめんなさい……。毎日石鹸で洗ってはいたんだけど。ついでに言いつけられた洗濯も」
えっ、とジーナが声を上げる。
「洗濯用の石鹸で、お髪を? 言いつけられて?」
ルチアは困り顔でうなずいた。
(何かおかしな事を言ってしまったかしら……)
叔父の家で10年も続けてきた生活が、ルチアにとっての当たり前になっていた。
気まずく思ったルチアは、話題を変える事にした。
「ジーナは、どういう流れで帝国に来る事になったの?」
「チェーザレ陛下にスカウトされたんですよ。黒龍の呪いの長期的な影響を観察するために」
あっけらかんと言うジーナ。
「えっ!」
今度はルチアが声を上げる番だった。
「敵に、その……。モルモット扱いされて、どうしてそんなに明るくいられるの?」
失礼な言い方だと思いつつ、思わず問いかけてしまう。ルチア自身も、同じ実験体としてチェーザレに扱われているから、余計に。
「ひとえにロレンツォ様のおかげですよ。チェーザレ陛下があの調子だから、なおさらロレンツォ様がありがたく感じます」
ジーナが笑うと、やけどの痕がひきつれた。
「ロレンツォ様付きのメイドになってから、ロレンツォ様はあたしが話す黒龍の惨禍の様子を真剣に聞いて下さった。黒龍の惨禍を繰り返さない計画にも加えてくださった。そしてこのたび、ルチア様のお付きにしていただいた。こんなに嬉しいことはありません」
キラキラと輝くジーナの赤い瞳。ルチアは引け目を感じた。
「……ジーナはすごいわ。前向きで。私はまだ、あの惨劇の日に囚われたままなのに」
ボソリとつぶやく。ジーナはルチアの顔を心配そうにのぞきこんだ。
「ルチア様も、ロレンツォ様に協力なさっては? 降霊術は何かと役に立つでしょう。きっとやりがいを感じますよ」
提案するジーナ。
「あたしもそうやって、再び自分を好きになれたんです」
「自分を好きに……」
ルチアは反芻した。やがて首を横に振る。
「私にそんな価値はないわ」
燃えていく母の姿が、見殺しにした数多の重傷者の声が、ルチアの脳裏に蘇った。
ジーナは悲しそうな顔をした。
「自分が無価値だなんておっしゃらないでください」
ジーナの口調は毅然としていた。
「ルチア様はあたしの恩人なんです。あたしの恩人を貶めたら、承知いたしませんよ!」
言うが早いか、いつの間にか用意されていたカボチャのスープをルチアの口に押し込む。
「よく眠って、よく食べて、よくお風呂に入って。もっとご自分を大事になさって下さい!」
ルチアはごくん、とスープを飲み下した。
「……おいしい」
カボチャの実を味わえたのは久しぶりだった。叔父の家では茎ばかり食べさせられていたのだ。甘く濃厚な味が口の中に広がり、隠し味の生クリームの香りが鼻に抜ける。気がつけば、あっという間に完食していた。
カボチャの糖分が脳に回り、ルチアはジーナの提案について真剣に検討できるようになった。
(ロレンツォ様は、黒龍の惨禍が繰り返されないために全力を尽くしていらっしゃる。降霊術で協力すれば、少しは罪滅ぼしになるかもしれない)
降霊術の使いすぎで魔力と精神がすり減るのは、自罰的なルチアにとって願ったり叶ったりだった。
「分かったわ。ロレンツォ様に私も協力しましょう。降霊術を使って」
うなずくルチア。
「良かった! くれぐれもご無理なさらないでくださいね」
ジーナは顔を輝かせた。
「まずは披露宴で、誰よりもお綺麗な姿を披露する事ですね! さっそくお風呂場に行きましょう」
ジーナは腕まくりをした。
「念入りにピカピカにして、モチモチお肌とサラサラヘアーにしてみせます! ルチア様、きっと磨けば光りますから!」
意気ごむジーナに気おされながら、ルチアは浴室に連れていかれた。