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第4話 花婿の優しさ

 1ヶ月後。ルチアは帝国の宮殿の謁見の間で、形ばかりの結婚式を挙げていた。

 祝福する参列者など1人もおらず、いるのは警備の兵士と高官が数名。実質人質の花嫁が歓迎されるわけもなく、冷たい雰囲気が漂っている。

 隣に立つ花婿のロレンツォは、仮面で顔を隠していた。帝国では花婿の側が顔を隠すのが慣わしらしい。


「今ここに、帝国皇太子ロレンツォ・アルド・ジェンティレスキと、王国辺境伯令嬢ルチア・ツィタ・カッシーニの結婚を認める」

 目の前の玉座で気だるげに長い足を組むのは、痩せた黒髪の男。帝国の皇帝、チェーザレ・ジェンティレスキだ。


「ロレンツォがどうしてもお前を妃にしたがってな。降霊術を使う聖女とは興味深いので許可した。黒龍の呪いの長期的影響を間近で観察できるのも好都合だ」

 さらりと言うチェーザレに、ルチアはギリリと歯を食いしばった。

(私の故郷を黒龍で滅ぼした張本人のくせに!)


「お言葉ですが、父上……」

 ルチアの隣に立つロレンツォが口を開くのと、ルチアが頭を下げるのが同時だった。

「ふつつか者ですが、精一杯義務を果たさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」

 感情を押し殺した平板な声を心がけるルチア。


(私さえ我慢すれば、王国の平和は守られる。それに……)

 降霊術で知ったチェーザレの辛い過去を思うと、どうしても彼を憎みきる事はできなかった。


「自分の立場を正しく理解しているようだな。とりあえず1ヶ月後の披露宴に向けて備えるように」

 チェーザレはルチアを満足げに見下ろした。

「ほぼ全ての国から招待客がやってくる。忌々しい連邦の連中以外はな。朕に恥をかかせるでないぞ」

 扉を指さし、式は終わりだと手で示すチェーザレ。それを合図に、ルチアたちや招待客は退出した。


 扉が閉まった後、チェーザレは意地悪く笑った。

「聖女を利用すれば、より強力な黒龍を顕現させられる。悪く思うでないぞ、聖女様」

 小さくつぶやいた声は、ルチアたちの耳には届かなかった。



 ロレンツォとルチアは、使用人たちに寝室に連れていかれた。バタンとドアが閉められ、洗練された調度品の中で2人きりになる。

 ゆっくりと仮面を外したロレンツォを見て、ルチアは驚きの声を漏らした。


「あの、私たち、お会いした事が……」

 恐る恐る問いかけるルチアに、ロレンツォがうなずく。

「あの雪の日以来だな。地図を描いてくれたお嬢さん」


 艶のある黒髪。通った鼻筋。切れ長で涼しげな、黒曜石色の瞳。長いまつげ。

 間違えようもない。あの日、黒龍の惨禍の資料をリュックに集めていた、迷子の少年だった。


 ルチアは信じられなかった。自分に求婚してきた皇子様が、かつて「俺と一緒に来ないか」と申し出てくれた人だなんて。


「……何で」

 ルチアは震える声で問いかけた。

「ロレンツォ皇子は冷血だと噂です。黒龍の被害について知ろうとなさっていたあなたが、どうして」

 黒龍の召喚を肯定する世論が強い帝国で、ロレンツォが変わってしまったのではないか、と不安になる。


「父を油断させるために流した噂だ。表面上は父に従順なふりをしている。でも……」

 ロレンツォは低い声で言った。

「俺は、黒龍の召喚は間違っていたと思っている。二度とあってはならない惨禍だと」


 ルチアはロレンツォの言葉が素直に嬉しかった。しかし、まだ心配の種は残っている。

「なぜ私を妃に選んだのですか? 敗戦国の貧乏令嬢の私は、あなたの求婚を拒めないと知っていながら」

 権力にものを言わせてルチアを我が物に、とロレンツォが考えているのだとしたら……。ルチアは考えて恐ろしくなった。


「勘違いしないでくれ。これは白い結婚だ」

 ロレンツォは真剣な顔で言った。

「俺は、黒龍の惨禍を二度と繰り返さない世界を作りたい。それをルチアにすぐそばで見ていて欲しいだけなんだ。それ以上は望まない」

 理想を語るロレンツォの黒い瞳は、寝室のランプの灯りで美しく輝いている。ルチアは思わず見とれてしまった。


「ルチア自身がルチアを好きになれていないのに、俺がルチアに手を出す事はできない」

 ロレンツォの口調からは、混じり気なしの誠意が感じられた。


 ルチアは少し安心した。しかし、ロレンツォの言葉にどうしても引っかかってしまう。

「私が、私を好きに……。そんな事、できるでしょうか」


 不安げなルチアに、ロレンツォは安心させるように微笑んだ。

「大丈夫だ。とりあえず今夜は暖かいものでも飲んで、ゆっくり眠るといい」

 ロレンツォは、部屋の隅に用意された茶器に手を伸ばした。危なげのない手つきでお茶をいれてくれる。数分の後、ルチアの眼前にハーブティーが差し出された。


「どうぞ、ルチア」

「ありがとうございます」

 花模様のティーカップに口をつけると、カモミールの優しい香りが鼻腔いっぱいに広がる。

「……おいしい」


 叔父の家にいた時は、温かい飲み物などめったに口に出来なかった。緊張で強張っていた体が、じんわりと内側からほぐれていくのを感じる。

 しかし、喉が潤うと、罪悪感がチクチクと胸を刺激した。


(水を下さい)

(助けて下さい)

 黒龍の炎に追われた人々は、みな一様に水を求めていた。渇きのあまり、黒龍が変化した黒雲から降る黒い雨を口にする者までいた。

 全身に火傷を負い、喉の渇きを訴える彼らの声は、ルチアの耳の底にこびりついて離れない。


(逃げる途中、たくさんの人たちに水を求められた。どうする事も出来ず、何人見殺しにしたか分からない。そんな私が、ハーブティーなんていう贅沢品で喉を潤すなんて……)


 夜着の膝をきつく握りしめ、ルチアは声を絞り出した。

「ありがとうございます、ロレンツォ様。もう大丈夫です」

 ティーカップを返したのが、ロレンツォには会話の終わりの合図に見えたようだ。

「俺は隣の部屋のソファで寝ている。何かあったら呼んでくれ」

 そう言うと、少し寂しそうに寝室を出ていった。


(ロレンツォ様に冷たい態度を取ってしまったわ)

 ロレンツォの寂しげな背中を思い出し、ルチアは悔いた。

 自分はロレンツォの愛情にふさわしくない、と今でも思う。一方で、評判通りの冷血皇子ではなかった事に安心している自分もいた。


(ここなら安心して過ごせそう。でも、私はロレンツォ様の優しさに値するのかしら……)

 叔父の家では考えられないフカフカのベッドで考え事をしているうちに、ルチアは久しぶりにぐっすり眠ってしまった。


 そして目が覚めた時、思わぬ再会がもう一つ、ルチアを待っていた。

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