第3話 雪原の少年
敗戦後、隣の郡の叔父に引き取られて1年が過ぎた雪の朝。
ルチアは小さな手をあかぎれだらけにしながら、井戸で水くみをしていた。
「お前の顔を見ていると、姉上の記憶がよみがえって辛くて仕方がない。姉上が死んだのはお前のせいなのに!」
叔父にそう怒鳴られ、家を追い出されて水くみをさせられているのだ。いつもの事である。
(叔父様、ごめんなさい……。お母様、ごめんなさい……)
寒さで真っ赤に染まったルチアの頬に、涙が伝う。涙のしずくは、冷気であっという間に凍りついてしまった。
不意に、後ろから知らない少年の声がした。
「すいません、お嬢さん」
飛び上がって振り向いたルチアの目に映ったのは、少し年上の黒髪の美少年。大きなリュックを背負っている。服装や訛りから、帝国からの旅人だと推測された。
「……何でしょう」
おどおどと少年をうかがうルチア。
「道を教えてくれないか。メイドとはぐれてしまって……」
少年は精一杯気丈に振る舞っていたが、黒い瞳は心細そうに揺れていた。長いまつげに雪の結晶が乗っている。
「迷子になったら、この街の宿屋で落ち合う事になっているんだ」
「宿屋に行くなら、地上の道を使うとかなり遠回りです。子どもの足では厳しいでしょう」
自分とほとんど年が変わらない少年を、ルチアは思いやった。
「地下に、かなり昔に作られた良い近道があるんですよ」
ルチアはメモ帳を取り出して、丁寧に地図を描いてやった。歴史の勉強中に、この辺の古戦場で死んだ将軍の記憶をのぞいて知った地下道だ。
「寒いでしょうから、この魔道具もどうぞ。従妹が作ったんです」
放熱する鉄粉を入れた袋を、ポケットから差し出す。
「ありがとう。君は親切だ」
ルチアが渡した袋で手を温めながら、少年が微笑む。ルチアはドキリとして目を伏せた。褒められるのは久しぶりだった。
「私、そんないい人間じゃないです」
母の死に際が目の前によみがえる。
少年は首を振った。
「どうしてそんな事を言うんだ。君は優しいし博識だ」
そして、不思議そうな顔をした。
「こんな昔に作られた地下道、死者しか覚えてないはず……。あっ」
少年は何かに気づいたようだ。
「もしかして」
少年は目を見開いた。
「君は、あの令嬢か? カッシーニ辺境伯家の分家の、唯一の生き残り。死者の記憶をのぞける……」
少年はルチアの噂を知っているようだ。「呪われ聖女」と蔑まれるのを覚悟するルチア。
しかし、少年は予想外の事を申し出た。
「俺と一緒に来ないか」
目をみはるルチア。少年は申し訳なさそうな表情で、ルチアの手を取った。
「君は黒龍に家族を奪われ、使用人以下の扱いを受けている。心がすり減って、卑屈になっているようだ。全部俺のせいだ」
何で少年がそんな事を言うのか、ルチアは理解できなかった。しかも彼は帝国人。胸が不信感でいっぱいになる。
「私にはこれがふさわしいのです。お引き取りください!」
少年の手を振り払う。よろけて雪に尻もちをつく少年。はずみでリュックのフタが開き、中身が飛び出した。
ルチアは驚いた。雪の上に散らばったのは、黒龍の惨禍の記憶を生々しく宿す品ばかりだったのだ。
溶けてホルンのように丸く曲がったビール瓶。
黒龍が顕現した瞬間を指して、止まったままの掛け時計。
熱線を受けて表面が泡立った屋根瓦。
「……どうして、こんな物を」
「知りたかったんだ。俺たちの国が、一体どんな仕打ちを君たちにしてしまったのか」
少年の真摯な瞳が宿しているのは、ただの好奇心ではなさそうだった。
(こんな人も、帝国にはいるのね)
ルチアは意外だった。
「……知ろうとしてくださって、ありがとうございます」
ルチアは言った。
「でも私、帝国の人に引き取られて、自分だけ幸せになるわけにはいきません」
少年の目を見て、はっきりと告げる。
「黒龍の被害に遭った人たちの苦しみが、誰からもかえりみられない限り……」
帝国は、黒龍の惨禍について発表する事を、王国の人々に禁じていた。被害に遭った人々の多くは、焼け跡にバラックを立てて貧しい暮らしを送っていた。
「……そうか、分かった」
少年は、真っ直ぐにルチアの目を見つめ返した。
「いつか俺は、もっと力をつける。君ばかりじゃなく、黒龍の被害に遭った人たちの声が、日の目を見るような世界を作ってみせる」
リュックに中身を詰め直し、背負って立ち上がる少年。
雪道を歩き出し、少年は最後に振り返った。
「それまで、覚えていてくれるか。君は幸せになるべきだって事を」
「……はい」
ルチアの心の底に、その言葉はいつまでも残っていた。
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