第29話 母の声が聞こえる
チェーザレは、ビアンカに連れられて天空馬車に乗って去っていった。
「良かったわ。チェーザレ様が、お母様の最期の言葉を正しく知れて」
ルチアはホッとため息をつく。
「帝国に帰ったら頑張らないとな」
慣れない帝冠を片手で押さえながら、ロレンツォは頼もしく笑った。
「でも不公平ですね」
ジーナは少し不満そうだ。
「ルチア様は、お母様の最期の言葉を知らないままなんですから」
ルチアはハッとした。
「私……今なら、お母様の記憶をのぞけそうな気がするの」
「何だって?」
「何ですって?」
驚くロレンツォとジーナ。
「私、お母様の記憶をのぞく事を、心のどこかで恐れていたのね」
ルチアは言った。
「お母様は、私に助けを求めながら、恨めしく死んでいったと思ってたから」
でもね、とルチアは続けた。
「チェーザレ様の一件を見て気づいたの。お母様はもしかしたら、ただ私の幸福を望みながら死んでいったんじゃないかって……」
ロレンツォはルチアの手を握った。
「のぞいてみればいい。結果がどうあれ、ルチアの気持ちは俺が受け止める」
ジーナもルチアを励ますように笑った。
「きっと大丈夫ですよ。うちの子みたいに、死者は後に遺した者の幸せを祈るものです」
「ありがとう……。2人とも」
ルチアは涙ぐんだ。目をぎゅっと閉じ、降霊術を発動する。
(お母様、私に記憶を見せてください)
パチパチ、パチパチ。
炎が燃える音がする。肉が焦げる音がする。
ルチアは、母の視点で「あの日」の出来事を見ていた。
炎が揺らめく向こうでは、幼い日のルチアが泣いている。
母はルチアに手を伸ばし、最期の力を振りしぼって口を動かした。
その言葉は……。
「逃げて。そして……」
母がルチアの口を借りて言葉を発する。
「幸せに、なって」
そこで記憶は途切れた。
(お母様……)
ルチアの瞳から涙がこぼれ落ちる。
(私、自分を好きになっていいのね。幸せになるべきなのね)
目を開けると、周囲の全員から祝福の言葉が降り注いだ。
「おめでとさん!」
「めでたいなぁ!」
民衆の万雷の拍手。
「おめでとう!」
もらい泣きする叔父。
「おめでとうございます!」
背中をさすってくれるジーナ。
そして、ロレンツォはルチアを抱きしめた。
「おめでとう、ルチア」
ルチアはロレンツォの背中を抱きしめ返した。
「ありがとう、ロレンツォ」
そして、全ての死者にかけて誓った。
「一緒に、幸せになりましょう」
西の空では、夕日が染めた薄紅色と、東から近づく群青色が共存している。
(夜と昼の境目が溶ける時間。まるで、死者と生者をつなぐ、この空間みたい)
ルチアは思った。
慰霊碑のアーチ越しに、夏の夕日が一筋の光を投げかける。
2人を優しく照らす光は、まるで死者たちからの祝福のようだった。




