第27話 皇帝は膝をつく
チェーザレは慰霊碑の前に膝をつき、後ろ手に縛られて悶え苦しんでいた。
目の前に広がるのは、黒龍がサンタアクアの街に召喚された、あの日の光景。
最初にチェーザレが追体験した記憶は、家の下敷きになった中年男性のものだった。
「熱い、熱い、熱い、熱い、熱い」
身動きが取れない中、炎が迫ってくる。恐怖でもがいても、折れた材木が体を傷つけるばかり。
目の前では、男性の娘と思しき若い女性が、生爪をはがしながら必死で材木をどかそうとしている。
「お父ちゃん、お父ちゃん、今助けるよ」
そう言う娘の髪にも火の粉が飛んでくる。
「馬鹿もん、はよ逃げんかい!」
男性は叫んだ。
「どうして親の言う事が聞けないんじゃ! この親不孝もんが!」
同時につま先に火がつく感触。
「わしの分まで生きてちょうだいよー」
泣く泣く逃げていく娘に呼びかけながら、男性は炎に包まれた。
ハッと正気に返ったチェーザレの目の前に、無表情の女性が立っていた。
「うちの父の記憶です」
チェーザレは何か言おうと口を開いたが、言葉を思いつく前に再び記憶の追体験に巻き込まれていった。
次に追体験した記憶は、ある女性の記憶だった。
全身が焼けるように痛む。指先から自分の皮膚がむけて垂れ下がっているのが見える。手に持っているのは、裂けた腹からはみ出した自分の腸だ。
それでもガレキの中で職場から帰宅するのは、家に残してきた息子が心配だからだ。
「ピエトロ……。ピエトロ……」
つぶやきながらたどり着いた自宅は、ペシャンコの真っ黒焦げになっていた。
「ピエトロ!」
最後の力を振り絞ってガレキをどかすと、小さな頭蓋骨が1つ。かぶっている焦げた帽子には、見慣れた刺繍がついていた。
女性はその場に崩れ落ちると、そのまま息を引き取った。
「うちの娘の記憶です」
再び正気に戻ったチェーザレの目の前に、刺すような目の老婆が立った。
チェーザレは口をパクパクさせる事しかできず、また次の記憶に飲みこまれていった。
次に追体験した記憶は、救護所に寝かされた若い女性の記憶だ。
「かゆい、かゆい、かゆい、かゆい、かゆい」
顔をかきむしるたびに、ウジ虫がポロポロと落ちてくる。悪臭を放つ膿も一緒だ。かゆくてたまらない。
体が熱で火のように熱い。喉がカラカラに乾く。寝かされたゴザから起き上がって川辺に水を飲みにいった。
水面に映った顔を見て、女性は呆然とした。
「これは……。誰? 化け物みたいじゃない!」
顔面一面をひどいヤケドが覆っていたのだ。
思わず吐き気がしてえずく。口から出てきたのは……真っ赤な鮮血だった。
「おえっ、おえっ、おえっ」
吐いている内に、意識が薄れて河原に倒れこんだ。
再び正気に戻ったチェーザレは、自分の顔が無数の引っかき傷だらけなのに気がついた。
女性の記憶を追体験している内に、自分も顔をかきむしっていたらしい。
「かゆかったでしょ? 怖かったでしょ?」
カーラが冷ややかにチェーザレを見下ろす。
「苦しいでしょ? 母ちゃんはもっと苦しかったんよ」
チェーザレはもはや言い返す気力もなく、再び記憶の追体験に飲まれていった。
そんな事を繰り返す事、およそ30回。
ついに追体験する記憶が尽きたチェーザレは、魂が抜けたように芝生に倒れ伏していた。
いつの間にか太陽は西に大きく傾いている。
「これでようやく分かりましたか? 自分が何を奪ってしまったか」
ルチアが諭すように言う。
「心に響きましたか?」
黙ってチェーザレはうなずいた。
自分の引き起こした惨劇を間近で見せられ、メンタルはボロボロ。逆らう気力は残っていなかった。
ルチアはチェーザレの縄を解いてくれた。そのまま手を引いて慰霊碑の前まで連れて行く。
「ここで、お詫びをしてください」
ルチアがチェーザレの目をのぞきこむ。
「自分なりの言葉で、行為で、お詫びを」
チェーザレはうなずいた。
「それでいいのです」
ルチアの口調が柔らかくなる。
チェーザレは口を開いた。
「ごめんなさい……母上」
そして……。
ポケットから拳銃を引き抜き、こめかみに押し当てた。
「何をなさるのです!」
ルチアが慌てた様子で飛びついてくる。チェーザレは手首をひねり上げられた。
「放せ! 朕は今、生きている価値を失ったのだ!」
もがくチェーザレ。
ルチアは必死の形相でチェーザレに言い聞かせた。
「陛下の亡きお母上は、陛下に生きて欲しいはずです!」
チェーザレの頭の中で、何かがプツンと切れた音がした。
「お前に何が分かる!」
頭を抱えて叫ぶ。
「母上の最期の言葉は『強い皇帝になってね』だった」
チェーザレは声が震えるのを抑えられなかった。
「母上を犠牲に暗殺から生き残った朕は、母上の遺言を守って罪滅ぼししてきた。でも……」
ルチアの腕から逃れようと、手首に力を込める。
「朕は今、黒龍の惨禍を見て、弱く情けない姿をさらしてしまった。だから……」
チェーザレはルチアの腕を振り払うと、再び銃口をこめかみに向けた。
「強い皇帝じゃなくなってしまった朕は! これ以上おめおめと生き延びても! 母上に顔向けできないんだ!」
チェーザレが引き金を引こうとした、その時。
突如眼前に、自分のものではない記憶がよみがえった。
生まれたばかりの赤ん坊を、病院のベッドの上で抱っこする女性。
「可愛い、可愛い私の息子。チェーザレと名付けましょう」
始まった記憶の追体験は、チェーザレの母親のものだった。
「チェーザレ、『母上』って言ってごらん」
「チェーザレ、あんよが上手ね!」
「チェーザレ、好き嫌いせず食べなさい」
それは、確かに愛されていた日々の証。
「見えていますか? 私が降霊術で得た、陛下のお母上の記憶です」
ルチアの声が耳元で聞こえる。
「陛下のお母上の、本当の最期の言葉……。ご自分の目で見て、確かめてください」
次話ですが、ラスト一気に更新したいので、28−30話までは明日まとめて更新となります。
ハッピーエンドです、よろしくお願いいたします。




