第21話 チョコレートと手榴弾
「俺が幼い頃訪れた時、サンタアクアの街はもっと惨憺たる有様だった」
ロレンツォは語り始めた。彼の着ていた服は全て洗われて、近くの木の枝ではためいている。
「どこまでも広がる焼け野原。人骨だらけの川底。掘立て小屋の群れ……。宮殿で何不自由ない暮らしをしていた俺には衝撃だった」
うなだれるロレンツォ。仕立ての良いベストも、上等な絹のシャツもはぎ取られて、彼の背中は普段より一回り小さく見えた。
「黒龍のせいで孤児になった子供たちが、スラム街の隅にしゃがみこんでいた。彼らの頭はシラミとノミだらけだった」
ロレンツォはまざまざと思い出したのか、濡れた頭をかきむしる。
「子供たちは、俺の姿を見るなり群がってきた。『チョコレートください、ガムください』って。帝国人に物乞いするとコスパがいいって知ってたんだろうな」
ルチアのお腹がぐうと鳴った。戦中戦後のひもじさはよく知っている。帝国でははした金で買えるお菓子が、王国の子供たちには宝石のように輝いて見える事も。
「この子供たちが苦しんでいるのは自分のせいだ、って俺は思った。何も知らずにいた自分が恥ずかしかった」
ロレンツォの濡れた黒髪から、しずくがポタリと落ちた。波紋が川面に広がる。
「罪悪感を紛らわしたくて、俺はリュックに入っていたチョコレートを1人1人に配ったんだ」
ルチアは複雑な思いだった。
(ロレンツォの気持ちは分かるわ。でも、その優しさは……)
ルチアの心を読んだかのように、ロレンツォは言葉を続ける。
「俺が自分の愚かさに気づいたのは、翌日の事だった」
ロレンツォの声が震え始めた。
「朝起きると、宿屋の前が何やら騒がしい。慌てて着替えて出てみると、チョコレートを求める孤児たちが列をなしていた」
大人なら容易に予想がつく展開だが、子供だったロレンツォには想定外だったらしい。
「俺の手持ちのチョコレートは、子供たちの半分に配ったあたりで尽きてしまった。俺はただ立ち尽くすしかなくて……。残りの半分の子供たちの失望の目は、今でも忘れられない」
ロレンツォは顔を覆った。
ルチアは何も言えなかった。
(子供ながらに精一杯埋め合わせようとしたのね……)
ロレンツォには同情したが、チョコをもらえなかった子供たちの気持ちも分かってしまう。
ロレンツォは吐き出すように話を続けた。
「埋め合わせをしようと必死な俺は、翌日ある王国人の若い女性を見つけた。帝国人の兵士に抱きつかれながら、唇をかんで涙を目にためていた」
「子供は見ちゃダメなやつじゃない」
ルチアはおぞましさに身震いした。
「俺は夢中で止めに入った。『やめろ! 婦女暴行は軍法違反だぞ!』って。兵士は俺が高貴な身分だと察したのか、飛び上がって逃げて行った」
「良かったじゃない。今回は救えて」
ホッとするルチア。
しかしロレンツォは首を横に振った。
「へたりこんだ女性に俺は近づいた。『大丈夫ですか?』って。完全にヒーロー気取りで得意になっていた。すると女性は……」
ロレンツォは自嘲して笑った。
「俺の頬を平手打ちした」
「ああ……」
大体の事情を察するルチア。
「女性は叫んだ。『うちはこれで飯を食っとるんです。どんなに嫌でも、こうして帝国の兵士に媚を売らんと生きていけんのです』って」
「娼婦の仕事の邪魔をしちゃったのね……」
ルチアは苦笑した。ロレンツォはうなずく。
「最後に女性は俺を睨んで言った。『うちをこんな女に誰がしたと思うとるんですか。あんたら帝国のお偉いさん方でしょう! 今さらヒーロー気取りはやめてくださいな』って」
女性と幼いロレンツォ。ルチアは両方の気持ちが分かってやり切れなくなった。
「廃墟と化したサンタアクアで、俺はようやく気づいたんだ。無責任なその場しのぎの優しさは、誰も幸せにしないんだって」
幼いロレンツォの心中を察して、ルチアは胸が痛くなった。
「まだ小さい内に気づくなんてすごいわよ」
精一杯慰めようと近寄って……。気づいた。
ロレンツォの左の脇腹に、5cmほどの傷跡が走っている。
まるで鋭い破片で切れたような。
固まったルチアを見て、ロレンツォは疲れたように笑った。
「この傷か……。手榴弾を投げつけられたんだ」
「いつ? どこで? 私に出会う前?」
心配のあまり質問攻めするルチア。
「ルチアに出会う前だ。ジーナと共にサンタアクアの街を去る直前、宿屋のボーイの兄弟が玄関にお見送りに来てくれた」
ロレンツォの顔が一段と暗くなった。
「兄は手を叩いて歌い踊り始めた。たどたどしかったが、帝国の歌だった。俺は愚かにも、別れを惜しんでくれているんだと思いこんだ。弟の方が俺の後ろに回りこんだのにも気づかず」
ロレンツォはギリリと歯を食いしばった。
「突然、ジーナが『危ない!』と叫んで俺を突き飛ばした。何が起きたのか分からない内に……爆発音が響き渡ったんだ」
ルチアは言葉を失った。
「気がつくと、例の兄弟が床に倒れていた。兄は頭、弟は腹から血を流して……。自爆テロに巻きこまれたんだと、俺はようやく気がついた」
ロレンツォはたまらない様子で口を押さえた。吐き気がするのだろうか。
「弟の方の手に握られた手榴弾の焦げ臭さを、俺は一生忘れないだろう」
「その手榴弾で脇腹にケガをしたのね……」
「ああ。ジーナに何度も謝られた。『危ない目に遭わせてすみませんでした』って。でも正直俺はどうでも良かった」
ロレンツォの目の奥が、シャッターが降りたように暗くなった。
「俺と関わると黒龍の被害者は不幸になる。中途半端な優しさは、かえって毒になる。俺は決して許されない」
ロレンツォの決意は固いようだった。
「だから決めているんだ。黒龍の被害者たちへの罪滅ぼしは、目立たない裏方としてやり通すって。理解も感謝も、俺は求める資格がないって」
ロレンツォは黙りこんだ。風が木の梢を渡る音が、重い沈黙を揺らす。
しばらくして、ルチアは大きく息を吸いこみ……思い切り叫んだ。
「ロレンツォの、馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」




