第20話 俺に近寄らない方がいい
ルチアに対するロレンツォの冷たい態度を見て、老人は顔をしかめた。
「ルチア様がお気の毒じゃ」
そうつぶやいたのが口の形で分かる。
「ね、じいちゃん。皇太子殿下は冷血でしょう?」
カーラは得意げだ。
「その上皇太子殿下、毎日BDCCに通い詰めてベッタリ癒着しているらしいのよ」
一気にその場の空気が変わったのが、ルチアは分かった。
BDCC(Black Dragon Casualty Commission)とは、戦後の帝国がサンタアクアに設立した研究機関である。黒龍による人体への影響を調査するための機関だ。
BDCCは黒龍の被害者にものすごく嫌われていた。黒龍の被害者を検査するだけで、一切治療をしてくれなかったからだ。
しゃれた馬車で患者の家を訪れ、山の上の研究所に連れて行く。そして文字通り丸裸にして徹底的に検査した挙句、何の治療もせずに家に送り返す。
(まあ、そりゃ嫌われるわよね)
ルチアは黒龍の被害者の気持ちがよく分かった。
老人ははっきりと顔をしかめた。
「おやおや、BDCCに……。カーラ、早くこっちにおいで」
そしてルチアに向き直った。
「皇太子殿下はBDCC帰りでお疲れのあまり、自ら肥溜めに落ちなさったんですよ。そういう事にして下さい、ルチア様」
老人はカーラの肩を抱くと、そそくさと家の中に引っこんでしまった。
2人きりになると、ロレンツォはルチアに謝った。
「ルチア、冷たい態度をとってすまなかった」
真っ青な顔でえずく。
「早く引っ張り上げてくれ、臭くてかなわん」
ルチアはロレンツォを引っ張り上げた。
「服が台無しだわ。お忍びでここまで来たの?」
「いや、BDCCからの帰りだ。ルチアが気になってこっそり見にきたんだ」
ロレンツォは答えた。
「バラック街の出口に、ジーナが運転する馬車を待たせてあるんだが……」
口ごもるロレンツォ。ジーナに今の格好を見られたくないのだろう。
「近くの川で服を綺麗にしてから馬車に戻りましょうか」
ルチアの提案に、ロレンツォは一も二もなくうなずいた。
数分後。ロレンツォは川で水浴びをし、ルチアはロレンツォの服を洗濯していた。
「ごめんよ、ルチア。冷たい態度を取ったり、汚物まみれの洗濯をさせたり……。ハクショイ!」
裸で河原の石に腰掛けてくしゃみをするロレンツォ。夏が目前とはいえ、川の水は冷たいのだ。
「いいのよ、洗濯くらい。慣れてるもの」
ルチアは手際よく洗濯物を処理していく。叔父の家で毎日させられていたのでお手のものだ。
「それより……」
洗濯物を木の枝で干してしまうと、ルチアはロレンツォに真剣な顔で向き直った。
「どうしてさっき私に冷たい態度を取ったの? お爺さんたち、ロレンツォの事を誤解してたわよ」
「黒龍の被害者の前で、俺に近寄らない方がいい」
ロレンツォは悲しそうな顔で言った。
「俺は帝国人だ。俺と親しげにしたら、お前の聖女としての評判も落ちるぞ」
「何でそんな事を言うの!」
ルチアはいら立った。
「ちゃんと誤解を解こうとすれば、ロレンツォがいい人だってみんな分かるはずなのに」
拳を握りしめる。
「なのにロレンツォは、自分から被害者の方々を避けている。取材にもついてこないで、どうしてBDCCに通い詰めているの?」
ロレンツォが遠くに行ってしまう気がして、ルチアはロレンツォの冷え切った手を握った。
「ちゃんと話してよ。私たち、夫婦でしょ……」
ロレンツォは無言でルチアを眺めていた。その瞳は、まるで何かを諦めているようで。
(これは……)
ルチアは気づいた。
(ロレンツォの瞳、昔の私と同じ)
ルチアは思い出した。
(全て自分のせいだと背負いこんで、自分を責めている人の瞳だわ)
ルチアは取り乱した自分を恥じた。深呼吸をして自分を落ち着かせると、今度は笑顔でロレンツォに向かい合う。
「もしよければ、話聞くわよ。ロレンツォ」
ルチアは着ていたマントを脱いで、ロレンツォのむき出しの肩にかけてやった。
ロレンツォはしばらくルチアを見つめていたが、やがてポツリポツリと語り始めた。
幼少期にお忍びでサンタアクアに行った時の、悲しい思い出を。




