第18話 皇帝の陰謀
帝国の宮殿の地下深くに作られた、黒龍の卵の研究室。
薄暗い部屋の中央には、巨大な円柱形の水槽がそびえ立っている。
中を満たす毒々しい緑の培養液に浮かぶのは、直径1.5mほどの黒い球体。
ポコポコと泡を出しているそれは、改良され強化された、新型の黒龍の卵であった。
「よくやった、フェリッリ公爵令嬢。お前ほど役に立つ魔導師はそうそういない」
チェーザレは猫なで声で、かたわらにひざまずくビアンカ・フェリッリ公爵令嬢を見下ろした。舞踏会でルチアと揉めていた令嬢である。
「父の遺志を継ぎ、兄の無念を晴らすまでですわ」
ビアンカの表情は、チェーザレの位置からは分からない。
「新型の黒龍の卵は、聖女を生贄に捧げる事で爆発的な威力を発揮する」
ほくそ笑むチェーザレ。
「ルチア・カッシーニには、近い内に犠牲になってもらう必要があるな」
チェーザレの笑みはゾッとするほど冷たかった。
「……最初から、そのおつもりで彼女の嫁入りを許可したのでしょう?」
ビアンカの言葉に、チェーザレは上機嫌でうなずく。
「お前がルチア・カッシーニと揉めたのは知っている。彼女を捕らえたあかつきには、生贄の儀式を手伝わせる栄誉をやろう」
ビアンカはしばらく何かを考えていたが、やがて静かな口調で言った。
「彼女を捕らえるところから、お手伝いさせてくださいませ」
「いいとも。よほど彼女が憎いのだな」
ビアンカは黙ったままだった。
ビアンカを退出させると、チェーザレは部屋に1人きりになった。
夜中の研究室はとても静かだ。黒龍の卵から泡が発生するコポコポという音以外には、何も聞こえない。
チェーザレは近くの椅子に腰掛け、しばし物思いにふけった。
「これで、ますます国を強くできる。強い皇帝になれる」
チェーザレのつぶやきが、研究室の薄闇にぽつりと響く。チェーザレは天井をあおいだ。
「これで許してくれるかな……。母上」
チェーザレは先代皇帝の5番目の妻の子、第10皇子として生まれた。
間もなく先代皇帝は亡くなり、長きにわたる皇位継承争いが勃発。
10人の皇子とそれぞれの外戚が、血を血で洗う謀略合戦を繰り広げた。
チェーザレが5歳の冬。母方の祖父の屋敷に身を寄せていたチェーザレと母は、共に夕食を囲んでいた。
「チェーザレ、ハンバーグ残すの? 好物でしょう」
「今日はお腹いっぱい……。母上代わりに食べて」
「おやつにケーキを3つも食べるからでしょ。全くもう……」
母はぶつくさ言いながら、チェーザレの分のハンバーグにフォークを伸ばす。
「ありがと母上! 部屋で宿題やってくるね」
2階の自室に引っ込むチェーザレ。しかし、ドアを閉めた瞬間、階下から悲鳴が聞こえてきた。
「きゃあぁぁぁ! 奥様、しっかり!」
「毒殺だ! 解毒剤を持ってこい!」
メイドの悲鳴と、祖父の怒号。
チェーザレが息を切らして食堂に戻った時、母はすでに床に倒れて事切れていた。
どれくらい経っただろう。寝室に寝かされた母の亡きがらのそばに、チェーザレは呆然と座りこんでいた。
使用人たちのヒソヒソ話から、幼いチェーザレも大体の事態は把握できた。
(新入りの料理人が兄皇子のスパイで、僕を狙ってハンバーグに毒を入れたんだって。母上は代わりにそれを食べて死んだ。……僕のせいだ)
「辛いだろう、チェーザレ」
気がつくと、祖父が隣に腰を下ろしていた。チェーザレはすがる思いで祖父に尋ねる。
「母上が死んだの、僕のせいなのかな」
自分を責めるな、と慰めてくれるのを期待していた。
「ああ、お前のせいだ」
祖父は無表情に言い放った。
言葉を失うチェーザレ。祖父は続けた。
「お前の母上は、お前を毒殺からかばって命を落としたも同然だ。お前は母親を犠牲に生き延びた。一生背負っていけ」
シワだらけの手が、がっちりとチェーザレの小さな肩をつかむ。
「ご、ごめんなさい、母上、許してっ」
泣き出すチェーザレ。祖父はピシャリと叱りつけた。
「泣くな!」
おびえて震え上がるチェーザレ。その幼い瞳を、祖父はギラつく目で捕らえた。
「母上はお前に言い残した。『強い皇帝になってね』と」
祖父の言葉が、一文字一文字、チェーザレの幼い脳に刻みこまれる。
「この遺言を一生かけて叶えろ。母親を犠牲に生き延びたお前の生きる価値は、それしかない」
回想を終えたチェーザレは、大きなため息を吐き出した。
(あれから朕は、強い皇帝になるべく走り続けてきた。かじりつくように帝王学を学び、謀略をめぐらして兄皇子たちを次々と殺害し、12歳で皇帝の座についた。即位後は富国強兵に励み、国際社会で覇権を握った。そして……)
水槽の中でコポコポと泡を出し続ける、愛すべき最終兵器を見つめる。
(強さを追い求めた果てに手にしたのが、黒龍の卵だ)
連邦とは相変わらず仲が悪い。叛意丸出しの息子・ロレンツォも、ルチアと共にサンタアクアに行ったきり帰ってこない。
チェーザレの頭に、恐るべき考えが浮かんだ。
(黒龍の卵を落とすとしたら、連邦か……サンタアクアだな)
邪悪な笑みを浮かべる。
「朕こそは強い皇帝だ。強くなくては生きている価値がないのだ」
自分に言い聞かせ、チェーザレは水槽の表面をそっとなでた。