第16話 ペネロペの頼み
久しぶりに戻ってきた叔父の家。
「皇太子殿下、ようこそお越し下さいました……。ルチアも久しぶりだな」
ルチア一行を出迎えた叔父は、なぜかすっかりやつれ果てていた。心なしかルチアに対する態度も軟化したように見える。
「ずいぶんお疲れのようだ、カッシーニ辺境伯」
ロレンツォは表面上は労りを見せたが、表情は険しい。ルチアを冷遇した彼を許せないのだろう。
「ルチアは貴公の家で、家事を一手に押しつけられていたそうだな。いなくなって初めてルチアのありがたみに気づいたか?」
初手から威嚇するロレンツォ。
叔父は首を横に振った。神経質にまぶたがひきつっている。
「家事どころではありません。いいから早く、ルチアをペネロペのところへ……」
元から情緒不安定だった叔父だが、さらに参っているようだ。ルチア一行は、いぶかしみながらペネロペの部屋へ向かった。
「ペネロペ様は、一体どういうおつもりなんでしょう。ルチア様を呼びつけておきながら、自室から出もしないなんて」
ジーナはプリプリしている。ロレンツォも同調した。
「ジーナの言うとおりだ。ルチア、無理して行かなくていいんだぞ」
しかし、ルチアは別の事を心配していた。
(もしもペネロペが……。ああ、どうかこの予感が当たりませんように)
神にも祈る気持ちでドアをノックする。
「お義姉様? 入ってくださいませ」
ペネロペのか細い声に応えて、ルチアはゆっくりとドアを開けた。
ペネロペは、寝巻きを着てベッドに横たわっていた。
まずルチアの目に飛び込んできたのは、スカーフで覆われたはげ頭。美しかった金髪は、見る影もない。
サイドテーブルには、作りかけの魔道具が薄くホコリをかぶって放置されている。しばらく触っていないようだ。
力なく上げた右手には、紫色の斑点がくっきりと浮き出ていた。
「わたくし、ひどい顔でしょう。あと持って数ヶ月だって、お医者様もさじを投げましたわ」
ペネロペは諦めたような笑みを浮かべた。
(黒龍の呪い……!)
ルチアは夢中でペネロペに駆け寄った。
「どうして! ペネロペはあの日、サンタアクアにいなかったのに!」
悲鳴に近い声を上げて、ペネロペの体を抱き寄せる。寝巻きの薄い布地を通して、ペネロペの異常に骨ばった体の感触が伝わってきた。
「お義姉様、お優しいのね。私、お義姉様がお父様にいびられていても、何もして差し上げられなかったのに」
ペネロペは弱々しくルチアを抱きしめ返した。熱があるのか、腕が火のように熱い。
「お話ししますわ。あの日、本当は何があったのかを」
ペネロペはベッドの天蓋を見つめながら、秘密を打ち明けた。
「あの日、お父様はお義姉様と伯母様を探しに、サンタアクアに行かれたの。わたくしは当時5歳。幼心にお父様が心配で、馬車の荷台に忍びこんで……」
ペネロペが言葉を切る。ルチアは震える声で後を引き取った。
「サンタアクアまで、こっそりついて行ってしまったのね……」
ペネロペはうなずいた。
「途中でお父様は、馬車を道端に停めて焼け跡に入っていってしまわれましたわ。ガレキで道がふさがれていて、馬車で通れなくなっていたのね」
ペネロペは話を続けた。
「わたくしは気づいて荷台から顔を出しましたの。お父様がどちらに行かれたかも分からず、途方に暮れていると……」
ペネロペは、大きなため息をついた。
「頭上の黒い雲から、真っ黒な雨が降り出しましたの」
ルチアのみならず、ロレンツォとジーナも凍りついた。黒龍が変化した黒い雲から降った雨は、瘴気を多量に含んでいたので有名なのだ。
「じゃあペネロペは、黒い雨に打たれて……」
ルチアの声がますます震える。
「ええ」
ペネロペの目の奥が、シャッターが降りたように光を失った。
「雨の中ガレキの向こうからやってくる人たちは、誰もが全身焼けただれてボロボロでしたわ」
ペネロペは、思い出すのも苦痛だという顔をした。
「お父様もああなって帰ってくるのではないかと思うと、居ても立ってもいられなくて。長い間、雨に打たれながら馬車の外で待っておりましたの」
当時のペネロペの心境を想像して、ルチアは胸が痛くなった。
「お父様がお義姉様を連れていらしたので、わたくしはまた荷台に隠れて屋敷に戻りましたわ。使用人たちもそれぞれの家族を探しに行っていたので、上手く誤魔化せましたの。10年以上を経て、呪いを発病するまでは」
ペネロペが話し終わると、部屋は重苦しい沈黙で満ちた。
沈黙を破ったのは、ロレンツォの問いかけだった。
「なぜずっと秘密にしていたんだ? 普通の5歳児なら、父親に全てを打ち明けそうなものだが」
ペネロペは力なく首を横に振った。
「ずっと、忘れたかったのですわ。あの惨禍の事を。自分が呪われているかも知れない事を」
ペネロペの落ちくぼんだ目に涙が浮かぶ。
「伯母様の死に打ちひしがれたお父様に、わたくしが黒い雨に打たれた事なんか言えまして?」
黙りこむロレンツォ。
「わたくしがこっそりお父様について行った事は誰も知らない。わたくしさえ忘れてしまえば済む事でしたもの」
「忘れてしまえば」という言葉を、ペネロペはことさらに強調した。
「わたくし、お義姉様の存在から目を背ける事で、あの惨禍を忘れようとしてきましたの」
ペネロペの表情には、悔恨がありありとにじんでいた。
「戦争のもたらした貧しさを忘れたくて、便利で近代的な魔道具の発明に没頭してきましたの」
ペネロペのこけた頬を、一筋の涙が伝う。
「でもお義姉様が帝国の先住民たちにした事を聞いて、初めて気づきましたの。忘れてはならない記憶があると。辛い過去に向き合う事でしか得られない強さがあると」
言うが早いか、ペネロペは力を振りしぼった様子でベッドの上に起き上がった。そのままルチアの両手を握りしめる。
「お義姉様、お願い。最期にわたくしに償うチャンスを下さいませ。わたくしの魔道具作りの力、お義姉様と皇太子殿下の取り組みに生かして下さいませ」
言い終わると、ペネロペは肩で息をしながら、ぐったりとうなだれてしまった。
「顔を上げて、ペネロペ」
ルチアは優しく言った。
「あなたの気持ち、確かに受け取ったわ。サンタアクアで起きた黒龍の惨禍の記憶、どうやって生きている人に伝えましょうか」
するとペネロペは、サイドテーブルの上を指さした。
「黒龍の惨禍で亡くなった方の記憶を追体験できる、頭に装備する魔道具の開発を考えておりますの」
言われてみれば、サイドテーブルの上の未完成の魔道具は、メガネのような形をしている。
「お義姉様が1回念を込めて資料館かどこかに置けば、多くの人が長い間、入れ替わり立ち替わり使えるような……。でもなかなか上手く行かなくて」
ペネロペの言葉を、ルチアはゆっくりと反芻した。
「頭に装備する魔道具……。亡くなった方の記憶を追体験……。資料館……」
ルチアはハッと閃いた。思わず膝を打つ。
「ジーナ! その仮面をペネロペに渡して!」
ジーナに仮面を渡されたペネロペは、興味深そうに色々な角度からすみずみまで丹念に観察した。ルチアが説明を補足する。
「先住民の伝統工芸品なの。私が仮面に死者の記憶を込めてプレゼントしたら、かぶった人もその記憶を追体験していたわ」
ペネロペはパッとやつれた顔を輝かせた。
「この仮面、膨大な魔力を感じますわ! ちょっと改良を加えれば、素晴らしい装着型魔道具になりますわ! お義姉様の魔力との相性が抜群でしてよ!」
ルチアはニコリと笑った。
「ペネロペが改良した仮面に、私が黒龍の惨禍の記憶を込めましょう。資料館か何かに展示して、来館者にその仮面をかぶってもらえばいいわ。そうしたら亡くなった方々の記憶が、後世まで広く受け継がれる」
ペネロペは晴れやかな顔でうなずいた。
「一緒に世界中に届けましょう、お義姉様。今までかえりみられなかった死者たちの記憶を。二度と同じ過ちが繰り返されないように」
仲直りした義姉妹が、固く手を握り合う。
嬉し泣きするルチア。
もらい泣きするロレンツォとジーナ。
しかし、その場を邪魔する者がいた。
「論外だっっっっ!」
ドアをバーンと開けて飛びこんできたのは、血相を変えた叔父だった。