第15話 生き延びてくれてありがとう
「……みんな、喜んでくださいましたね」
「そうだな」
先住民地区を去る前の晩。ルチアとロレンツォは、宿代わりの村役場の一室で寝台に腰かけていた。部屋には2人きりだ。
ルチアはふわりと微笑んだ。
「私、初めて生き延びて良かったって思えたんです」
ルチアの頬は喜びに赤く染まっていた。
「初めて気づいたんです。私は呪われ聖女なんかじゃない。あの惨禍を生き延びた事には、ちゃんと意味があったんだって」
ルチアは熱を込めて語る。
「亡くなった方たちの記憶と、生きている方たちを橋渡しする事。それが、私の生き残った意味なんだと思います」
「良かった……。ルチアがようやく生きる意味を見つけてくれて」
ホッとした様子のロレンツォ。ルチアは彼に問いかけた。
「私もう、ロレンツォ様に出会えた事を、母や他の亡くなった人たちに申し訳なく思わなくていいんですよね」
ロレンツォは力強くうなずいた。
「ルチア、生きていてくれてありがとう。愛してる」
「私もです」
ロレンツォの胸に頬を寄せるルチア。2人は唇をそっと重ね、部屋の灯りを消した。
しばらく抱き合った後、ロレンツォはルチアに幼少期の話を語って聞かせた。
「終戦からほどなくして、ジーナがうちにやってきた。母を早くに亡くした俺は、ジーナと実の親子のように仲良くなった」
ロレンツォの体温を感じながら、ルチアは彼の静かな語りに耳を傾けた。
「ある日俺はジーナに訊いたんだ。そのやけどはどうしたのかって。ジーナは父の目を盗んで、黒龍の惨禍の事を俺に話してくれた」
ロレンツォは話し続ける。
「俺は信じられなかった。父を偉大だと思っていたからな。この目で真実を確かめたいと言う俺を、ジーナはお忍びでサンタアクアに連れて行ってくれた。そこで見たのは……」
言葉を切るロレンツォ。彼の黒い瞳は、幼い日に目にした焼け野原の記憶を見つめているようだ。
「あちこちに転がる人骨。街をさまよう戦災孤児たち。掘建て小屋と闇市の群れ。俺は自分の父が、消えない傷を何万人もの人に与えてしまったのだと気づいた」
ロレンツォは声を詰まらせた。
「俺は放置されたガレキの山から、黒龍の被害を物語る品々を発掘してリュックに詰めた。溶けたビール瓶。止まったままの掛け時計。表面が泡立った屋根瓦。あの日の記憶を、少しでも繋ぎ止めておきたかったんだ」
「ありがとうございます、ロレンツォ様……。私たちの記憶を、かえりみられなかった記憶を、暗がりから見つけてくださって」
ルチアはロレンツォの背中に回す手に力をこめた。鼻の奥がツンと熱くなる。
「ロレンツォでいい。名実ともに夫婦になったのだから」
ルチアの髪に口づけるロレンツォ。
「ありがとう、ロレンツォ」
ルチアはロレンツォの肩に顔を埋めた。
「帝国に帰った俺は、持ち帰った黒龍の惨禍の資料を父の眼前に並べた。そして必死に頼んだんだ。どうか王国に謝罪して欲しい、と。しかし……」
ロレンツォはギリリと歯を食いしばった。
「父は反省する素振りすら見せなかった。『戦争とは弱肉強食だ。そして朕は強いのだ』と」
憎々しげに語るロレンツォ。ルチアはある事を思い出した。
「ロレンツォ、チェーザレ陛下の毒殺未遂の嫌疑をかけられた時、殺意自体は否定しなかったわよね」
カマをかけると、ロレンツォはギクリと固まった。
「まさかだけど……。黒龍の卵を使わせないために、チェーザレ陛下に対して暗殺とかクーデターとか考えていない?」
ロレンツォはしばらくベッドのシーツをもてあそんでいたが、観念したようにうなずいた。
「父の苛烈で残酷な性格は、一生治らないだろう。ルチアを巻き込みたくなかったから話さなかったが、クーデターは必要だ」
ロレンツォは拳を握りしめた。
「その上、父はルチアの能力を良からぬ事に利用しようと企んでいるようだ。生かしてはおけない。ルチアは……俺が守る」
ルチアはしばらく黙って考えていたが、やがて口を開いた。
「ロレンツォ、どんな危険をおかしてでも私を守ろうとしてくれているのね。嬉しいわ。でも……」
微笑みながらロレンツォを諭す。
「チェーザレ陛下は、ご自分がもたらした惨禍の実態を、本当の意味では知らないんだと思うの。貴族たちがララに冷たかったのも、先住民の実態をよく知らないからでしょう」
ルチアは、ロレンツォの肩に手を乗せた。
「私気づいたの。人間が憎しみ合うのは、お互いの事をよく知らないからじゃないかって」
そして、ロレンツォに言い聞かせる。
「チェーザレ陛下の事、もっとよく知ろうとしてみたら?」
ルチアの念頭には、チェーザレの悲しい過去があった。
ロレンツォは顔をしかめた。
「父の事なら、よく知っているつもりだ。ルチアは、もしも今さら叔父さんや従妹さんの事を知れと言われたら、受け入れられるのか?」
ルチアは寝台を抜け出すと、机の引き出しから一通の手紙を取り出した。
「従妹が……ペネロペが、私と話したいんですって」
便箋をロレンツォに見せる。ペネロペが数日前よこした手紙だ。
「久しぶりに叔父たちを訪ねようと思っているの。ペネロペの事、あまり知らないまま嫁いできてしまったもの」
ロレンツォは血相を変えた。
「ダメだ! またボロボロに心を傷つけられるぞ」
ルチアは微笑んで首を横に振った。嫁いできた時の悲しげな微笑みではなく、芯のあるしっかり者の微笑みだった。
「傷つけられそうになっても、もう大丈夫。私には……」
ロレンツォに向き直り、花が咲いたような笑みをこぼす。
「ロレンツォという、帰る場所があるんだから」
ロレンツォはしばらくルチアを見つめていたが、やがてふっと笑った。
「分かった。ルチアの意思を尊重しよう。ただし、心配だから俺もついていく」
「ありがとう」
ルチアはロレンツォの首に手を回すと、再び抱き合った。
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