第10話 幸せになる資格
「大変だったな、ルチア。少し休もう」
ルチアはロレンツォに連れられ、夜の庭園に向かった。すっかり春になっていて、もう寒くはない。ジーナは空気を読んだのか、いつの間にか姿を消した。
「……ビアンカ様、大丈夫でしょうか」
「彼女が遅かれ早かれ知るべきだった事だ。俺も父皇帝の罪状をまた1つ握れた」
カモミールの茂みの中のあずまやに2人で腰掛ける。ロレンツォは持ってきた水のグラスをルチアに手渡した。
喉は潤ったが、ルチアの心は晴れなかった。
「私、今日の今日まで、ビアンカ様みたいな人の心中を想像した事がありませんでした」
ルチアはグラスに映る星明かりを見つめた。
「やはり私は、罪深い国に生まれたから、傷つけられて当然なのでしょうか」
「そんな事はない」
ロレンツォは強い口調で否定した。
「確かにルチアの祖国は、戦争で色々悪い事をしてきた。だが、王国人全員が悪人ではない」
ロレンツォはルチアの両肩にそっと手を置き、自分の方を向かせた。
「ルチア、君ほど美しい心を持った人はいない。控えめで、博識で、優しくて。君が傷つけられていい理由なんて、どこにもないんだ」
「……ありがとうございます」
ロレンツォの体温が、肩に置かれた手から伝わってくる。カモミールの香りが一面にただよう中、ルチアは安らぎを感じていた。
「それに、あの日殺され傷つけられたのは、王国人だけではない。ビアンカの兄のような帝国人も、工場に強制労働のため連れてこられていた占領地の人々も、等しく惨禍に巻き込まれた」
ロレンツォは続ける。
「黒龍の召喚は、人類全体に対する冒とくなんだ」
「おっしゃる通りです」
ルチアはうなずく。
「ロレンツォ様は、あの惨禍が二度と繰り返されないために計画を立てていらっしゃると伺いました。私も降霊術で協力して、罪滅ぼしをいたします」
あずまやにもうけられた大理石のテーブルの上で拳を握りしめる。
ロレンツォは首を横に振った。
「罪滅ぼしだなんて意識を持つ必要はない。君は幸せになる資格を、ちゃんと持っている」
あずまやの屋根のすき間から差し込む月明かりが、ロレンツォの真剣な顔を照らした。
「君を幸せにする、なんて思い上がった事は言えない。ただ、君が幸せを取り戻していく道のりを、隣で支えさせて欲しいんだ」
そして、黒曜石の色の瞳が、真っ直ぐにルチアを見つめた。
「好きだ、ルチア。愛している」
「ロレンツォ様……」
「ルチア……」
見つめ合う2人。
月が雲に隠れ、あずまやが完全に闇に包まれる。
夜の空気いっぱいに匂う、甘いカモミールの香り。
やがてルチアとロレンツォは、どちらからともなく唇を重ねようとした。
その時。
空に閃光が走った。
続いて爆発音。
ルチアはパッと身を引いた。恐怖で頭がいっぱいになる。
「黒龍の卵! 上空で孵化したんだわ! あの日と同じ」
パニックになって頭を抱えるルチア。
「落ち着け! 花火だ」
なだめるロレンツォもうろたえている。
「何て無神経な演出だ……。聞いてないぞ。責任者を叱責しなくては」
怒りに美しい顔を歪ませながら、ルチアを抱きしめて背中をさすろうとするロレンツォ。しかし。
ルチアの脳裏に、あの日の無数の死者たちの記憶が、ルチア自身の記憶と混ざって流れこんできた。
花火の爆発音と光がトリガーとなって、降霊術の能力が暴発したのだ。
「嫌……っ!」
ルチアはロレンツォの腕を振り払った。
「ルチア、どうして」
当惑するロレンツォ。
「ごめんなさい」
彼に背を向け、ルチアは走り出した。
次々と上がる花火の音に耳をふさぎながら、広大な庭園をでたらめに走り抜ける。
(私、何を思い上がっていたんだろう。私の住むべき世界は、こんな幸せな世界じゃないのに)