第1話 身代わりの縁談
「帝国のロレンツォ皇子が、我がカッシーニ辺境伯家から妃をお望みだ」
ある小さな王国の、まだ雪深い晩冬の夜。夕食の席で叔父が切り出した言葉に、ルチアは目を見開いた。
(戦勝国が敗戦国に、人質代わりに妃を差し出させるのは良くある事。でも……)
ルチアは考えこみ、パサパサした栗色のお下げを指に巻きつける。
(なぜ、我が家みたいな貧乏辺境伯の家から妃を?)
しばしの沈黙の後、カラン、という音で我に返るルチア。ビクッとおののいて横を見ると、従妹のペネロペが顔を真っ青にしてフォークを取り落としたところだった。ウィンナーが古びたテーブルクロスに転がる。
聖女を多数輩出する辺境伯家とはいえ、敗戦国の食卓は貧しい。
従妹のペネロペは叔父に溺愛されているので、クロワッサンとウィンナーにありつけている。アサリのスープまでついたごちそうだ。
しかし、母を亡くして叔父に引き取られたルチアは冷遇されている。塩漬けにしたカボチャの茎を、固い黒パンに乗せてモソモソとかじっていた。
「……お父様。わたくしに、あの冷血皇子に嫁げと?」
ペネロペは震える声で抗議した。
「嫌ですわ! ほんの10年前、我が王国を打ち負かし保護国とした帝国に嫁ぐなんて!」
頭をブンブンと横に振るペネロペ。派手にカールした金髪が左右に揺れ、ルチアの顔に当たるのもお構いなしだ。ルチアは縮こまる事しか出来ない。
「心配するな。帝国の狙いはおそらく、黒龍の呪いの長期的影響を観察する事。だとしたら、帝国に差し出すべきは……」
叔父が神経質そうに眉根を寄せてルチアをにらむ。ルチアは思わず身をすくめた。
「『呪われ聖女』のルチア、お前だ」
(久しぶりに食卓をご一緒させて下さったと思ったら……。少しでも期待した私が馬鹿だったわ)
うつむいて自嘲するルチア。
(でも、私にはやっぱりこの扱いがお似合いね。だって……)
ルチアの脳裏に、10年前の記憶が蘇る。
戦争末期、帝国がルチアの故郷に黒龍を召喚した、あの夏の日の記憶。
美しかった故郷、サンタアクアの街は、一瞬で破壊された。
(黒龍が惨禍をもたらしたあの日、家族で1人だけ生き残ってしまったのだから)
追い討ちをかけるかのように、叔父はルチアに冷たい言葉を浴びせた。
「ガリ勉でみすぼらしいお前だが、良いドレスを着せればそれなりには見えるだろう。姉上の形見のドレスが何着か残っている」
そう言うと、叔父は顔を歪めて手でおおった。
「何であの日、お前が生き延びて姉上が死んだんだ……」
啜り泣く叔父の頭には、まだ30過ぎだというのに白髪が目立つ。ルチアの母の話が出るといつもこうなのだ。
「姉上の忘れ形見と思って、お前を引き取って育ててきた。でも、黒龍の呪いを受けたお前は、近所では鼻つまみ者。一緒に暮らしているからって、呪われていないペネロペまで避けられる。もう限界だ!」
横で聞いているペネロペは、気まずそうに目をそらした。
「泣かないで、叔父様」
申し訳なく思ったルチアは声をかけた。
「私が犠牲になって全て丸く収まるなら、どこへでも嫁ぎます。私がいなくなればペネロペが嫌な思いをする事も減るでしょう」
ルチアは悲しそうに笑う。
「生き残った私は、そうでもしないと、死んでいった人たちに申し訳が立ちませんから」
その時、ペネロペが悲鳴を上げた。
「痛っ!」
ルチアと叔父が振り返ると、ペネロペは口の端から血を流していた。
「口の中を噛んでしまいましたわ……」
ペネロペは何かに怯えるような顔をしている。口を押さえたハンカチに広がっていく血のシミは、なかなか治まる気配を見せない。
「わたくし、もう黒龍の事なんて忘れたくってよ。部屋で魔道具作りの続きをいたしますわ」
そう言うと、「ごちそうさま」のあいさつもそこそこにフォークを置き、階段を上っていってしまった。
「ペネロペは本当に魔道具作りが得意だな」
叔父は食堂の棚を見た。そこに飾られているのは、ペネロペが作った数々の魔道具。
「床のホコリを吸い込んで動き回る円盤。入れた汁物が冷めない鍋。ペネロペの発明は、戦争の暗い記憶を忘れさせてくれる」
叔父はため息をついた。
「気持ち悪い降霊術使いのお前より、ペネロペの方がよほど聖女らしいぞ」
ルチアは何も言い返せなかった。
『魔道具作りの聖女』として頭角を現しつつあるペネロペ。
彼女の魔道具が商品化されない理由は、ルチアの従妹であるゆえに向けられる白い目だ。
「『呪われ聖女』の従妹なんですか? じゃあうちで商品化はちょっと……」
そう言われて全ての商談が破綻してきたペネロペ。ルチアは彼女に負い目を感じていた。
(やっぱり私は、罪を償わないと。おめおめと生き残って、たくさんの人たちに迷惑をかけているんだから)
ルチアは決意を新たにした。
(たとえ贖罪の方法が、元敵国の冷血皇子に嫁ぐ事であっても)
黒龍の呪いを受け、降霊術をあやつるルチアを、誰もが「呪われ聖女」と呼んで迫害する。
この国の人々はみな、辛い戦争の記憶を忘れて前に進みたい。
死者の記憶をのぞくルチアの能力は、見たくない過去を掘り起こす忌まわしい術だとみなされていた。
(でも、この術を活かせる数少ない方法を、私は知っているわ)
ルチアはいつものように全員分の皿洗いを済ませると、自室に向かった。
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