冷笑王子から婚約破棄された私に、公爵になった幼馴染が素敵な贈り物をくれました
私の婚約者、フィリップはこの国の第四王子。
王位継承権は低いものの、聡明なお方で通う学園では他の追随を許さない秀才ぶりを見せている。
そのため学園内の女の子達にも人気で、彼は憧れの象徴だ。
それに比べて私は侯爵令嬢という肩書き以外には特に取り柄のない女。
容姿も屋敷や社交界では『綺麗だ』と言って育ててもらったが、学園にいる女の子達のような華やかさはない。
そんなわけだから、まるで釣り合ってはいない。
フィリップとは週に一度一緒にお茶をする機会があるのだけれど、その時の彼の態度は私に興味がないことが滲み出ている。
いつも彼の眼中には本しかなく、私の顔は見てくれない。
学園で話しかけても冷笑されるだけ。
その時も彼の視線は手に持った本しか捉えていない。
こんな婚約、なんの意味があるのかわからないわ。
◇
「アリーヌ、君との婚約を破棄したい」
とある茶会の日。
フィリップは私にズバリと言った。
長い前髪と眼鏡の奥に見える冷淡な瞳は珍しく私の顔を見つめている。
こんな形で見つめられるのなんて、望んでいないのに。
「僕は君を愛せないんだ」
わざわざ言われなくてもわかっている。
私の父は薬学に長けている。
領地は国内で最大の薬の生産地であり、他国との貿易も盛んだ。
国の活性化のためにも、うちの家と強固な縁を持ちたがった現国王によってやや強引に組み込まれた婚姻だった。
しかしいくら婚約相手と言えど、家柄以外に長所の無い女なんてつまらないだろう。
私の趣味と言えばお菓子作り程度だが、それすらもフィリップには鬱陶しいようで。
以前はお菓子を焼いて茶会に持ってきていたのだが、当の彼は『甘いものは好みじゃない』なんて見向きもしてくれなかった。
「わかりましたわ。……終わりにしましょう」
「すぐに用意する」
「……はい」
なんでだろう。
ロクに会話をした覚えもないはずなのに、目に涙が溜まる。
「アリーヌ?」
「いいえ。なんでもありませんわ」
きっと自分の失態に情けなさを感じているのね。
王子との婚約なんて幼い頃から夢に見ていた話だ。
小さい頃からお伽話で聞いてきたような憧れを掴み損ねた自分に涙が浮かんでいるに違いないわ。
家に帰ったらお姉さまに慰めてもらおう。
一緒に温かい紅茶を飲みながら、お母さまともお父さまともお話がしたい。
だって今飲んでいる紅茶、何故か物凄く冷たく感じるのだもの。
「そう言えば、君はお菓子を作るのはやめたのか?」
「いえ、作っていますよ。ただ持ってくるのは迷惑かと思いましたので」
「……あぁ。そうか」
何がそうか、なのだろう。
彼の考えていることは全くわからない。
少し私から視線を逸らしたが、その意図もよくわからない。
「さようならアリーヌ」
「さようならフィリップ」
互いに詰まったような声で別れを告げた。
‐‐‐
婚約の解消は滞りなく行われた。
元々私の家族はこの婚約に積極的ではなかった。
そのため、あの日屋敷に帰ってから事の顛末を伝えると、お姉さまもお母さまもお父さまもみんな抱きしめてくれた。
だから自室に入ってからは少し泣いてしまった。
フィリップの前では我慢していたのに、つい一人になると切なさに押しつぶされそうになった。
それから、学園生活は変わった。
少し居心地よくなった。
憧れの対象であるフィリップの婚約相手として、周りから嘲笑されていたのは分かっていたもの。
婚約の解消が知られたおかげで、誰からもやっかまれることはなくなったわ。
今ではむしろ憐れまれている。
それはそれで胸が痛くなるけれど、私のせいでフィリップの名声に傷をつけることは無くなってよかった。
そして私との婚約が解消されてすぐ、フィリップの隣には女の子が集まるようになった。
私より位の高い公爵令嬢に、学園一綺麗な子、そんな子達が集まるのは流石としか言いようがない。
だけれど、彼は相変わらず不愛想だ。
同性の私でも息をのむような笑みを向けられても胡散臭そうに顔を背けるだけ。
まぁ私の時みたいに、直接冷笑は浮かべないのだけれど。
「アリーヌ、どうかした?」
「いいえお姉さま。なんでもありませんわ」
「そう。ならいいんだけど」
お菓子を作っている最中だというのに、考え事に耽ってしまった。
お姉さまに声をかけられてハッとする。
もう彼との関係は終わったのだから、すっぱり忘れてしまわないとね。
甘い匂いの立ち込めるオーブンの前でじっとしていると、隣にお姉さまが立つ。
「久々のお菓子作りなのに、元気ないわね」
「そう見えます?」
「そりゃもう。ずっと元気はなかったけど、ここ数日は輪をかけて酷いわ」
「気のせいですわ。きっと」
「どうせ彼の事を考えてたんでしょ? フィリップ第四王子」
指摘が図星だったため、私は口をつぐんだ。
黙り込む私にお姉さまはため息を吐く。
「あまり気にしないことよ。彼、偏屈で有名だしアリーヌは悪くないわ」
「でも、でも……」
「こういう時は外に目を向けるものよ。きっと良い出会いがあるはずよ」
外、か。
要するにフィリップ以外の男性と、って事よね。
改めて彼以外の男性と結ばれる事を想像する。
否、想像しようとして苦笑した。
フィリップとの婚約が成立して三年。
私も今年で十六歳だ。
今更他の男性なんて、想像もつかないわ。
なんて思っていた私だったけれど。
「おい! アリーヌ! お前に縁談だ!」
血相を変えて扉を開けるお父さまを見て私は口をあんぐり開けた。
偶然ってあるものね。
◇
すぐに屋敷にとある男の人がやってきた。
「お久しぶりですアリーヌ嬢。俺の事を覚えておいででしょうか?」
「シルヴァ……。どうして」
部屋で私を見つめるのは背の高い男の人だった。
明るいブロンドの短髪に、頬には傷の後がある。
軍人のようなすごみも感じさせるその顔だけれど、私には馴染み深いものだった。
シルヴァ・グーディメル。
私と同い年で、元々近くに住んでいた子爵の次男だ。
昔から社交界など、貴族同士の集まりでよく顔を合わせていたし、歳や二番目の子供という点で共通点のあった私達は仲良しだった。
そんな彼だけれど、最近になっては顔を合わせていなかった。
「アリーヌ。今の彼は公爵になったんだよ」
「公爵!?」
はしたなくもつい大声を出してしまった。
だって、爵位なんて簡単に得られるものではないし、なにしろ公爵と言えば貴族の最高身分だ。
目を真ん丸にする私を、シルヴァは小馬鹿にするように笑う。
「俺は国の軍に入ったんだ。そこで活躍して、爵位を譲り受けた。最近国境で悪さをしていた異民族を俺が制圧したんだぜ」
知っている。
学園でもみんな話していたし、基本的に本以外には興味を出さないフィリップも話題に出していた。
曰く、金髪才子の軍師。
まさかそれが、昔からヤンチャだった幼馴染だったなんて思いもしなかったわ。
「で、そこでだがアリーヌ」
「は、はい」
「俺と結婚して欲しいんだ」
「えっ!?」
先程までの余裕ある笑みはない。
彼の眼は本気だった。
「お前を妻に迎えたい」
真っ直ぐに言われ、私は面食らう。
つい最近第四王子との婚約という玉の輿を逃した直後だったこともあるだろうが、あまりにも唐突で、さらにあまりにも意外な人物からのお話で頭がまるで回らない。
どうして私なのかしら。
「そ、それはお父さまの薬学が目当てだから? だとしたら、まだ他にも姉妹はいるし……」
うちの屋敷にはお姉さまのほかに、妹が二人いる。
まだどちらもレディーとは言えない年齢だが、数年もすれば私よりきれいになるのは明らかだ。
だけれど、シルヴァは首を振った。
「薬なんてどうでもいい。それに、君じゃなければ意味がないんだ」
「……っ!」
嬉しかった。
涙が溢れそうだった。
フィリップに言ってもらいたかった言葉、私が求めていた婚約というのはこういうモノだったもの。
と、そこでお父さまは苦笑する。
「だけど、少し焦り過ぎではないかね。娘はまだまだ傷心中だからね。そもそもシルヴァ君、君はまだ戦地から帰ってきたばかりだろう?」
「そんなに早く来たの?」
「あぁ、実はまだ実家にも顔を出していないんだ。王様にもらった領地も目で見ていないしな」
「なんで!?」
「そりゃ、お前が他の男に取られたら困るからだよ」
信じられないことを言うシルヴァに、私は言葉を失う。
「まぁその話は後だ。とりあえず今度、一緒に花でも見に行こう。良い場所があるんだ」
「花……?」
「あぁ。帰り道で見つけたんだ。是非お前に見てもらいたい。……っと、お菓子も作って来てくれよ? 俺はアリーヌの焼いたお菓子が世界で一番好きなんだ」
「……うんっ」
その後しばらく父を交えて雑談をし、その場はお開きになった。
シルヴァを見送って屋敷に入ると、にやにやしたお姉さまが待っていた。
「おめでとう」
「何がですか?」
すました顔で返事をすると笑われる。
まるで心の内側を覗かれているようで居心地が悪いわ。
なんて思っていると。
「そう言えばお菓子焦げそうだったからオーブンから出しておいたわよ」
「あぁっ!」
なんということかしら。
一番楽しい工程をお姉さまに奪われてしまった。
◇
数日後、私は馬車に乗ってシルヴァと共に外出していた。
連れて行ってもらったのは丘の上に咲く一輪の名も知れぬ花。
恥ずかしい話だけれど、花の種類もよくわかっていない私にとってそれは『綺麗』の一言で表現するほかなかった。
「どうだアリーヌ、気に入ってくれたか?」
「綺麗なお花。でも、なんのお花かわからないわ」
「ははは。そんなもんどーでもいいんだよ。それに、ほら」
手を私に差し伸べて笑うシルヴァ。
なんとなくその手を握ると、彼は走り出す。
「わっ」
「転ぶなよ? 昔みたいに泣かれるのは勘弁だぜ」
「もう……」
舞踏会で、私は彼と踊った。
その時も無茶な動きで私は困らされ、そして転んだ。
恥ずかしさや悲しさ、惨めさで涙を流してしまった私に、シルヴァはげらげら笑っていたのを覚えている。
最低な男ね。
と、シルヴァに案内された場所は崖になっていた。
そしてそこから見えるのはエメラルドのような輝きを放つ海。
「いい眺めだろ」
「……凄く綺麗」
「ははは、海も花も綺麗に一括りにされちゃあ堪ったもんじゃねえな」
「どうして私なの?」
私は隣で馬鹿笑いをする彼を見上げる。
昔は私より背が低かったのに、成長というのは恐ろしいわ。
シルヴァは海を向いたまま言った。
「ずっとアリーヌの事が好きだった。だけど、俺じゃ婚約なんて言い出せなかった」
「……」
「子爵と国家財産の侯爵。その差は歴然だ。だから俺がお前に婚約を申し込むには、それなりの位が求められる」
「えっ? もしかして……」
「そうだよ。俺はアリーヌを手に入れたくて軍に入った。勉強は性に合わなかったし、それに一気に功績をあげるなら戦争に限る」
まさかの話だった。
私と結婚したいがために、命を懸けて戦地に立っていたの?
「アリーヌ。お前の事が好きだ。俺と結婚して欲しい」
「……」
今度は私を真っすぐ見つめる彼。
こうして見ると随分大人びた顔になった。
体は全体的に筋肉質で、筋張っていて、昔のあどけなさは感じられない。
と、そんなシルヴァの足が、微かに震えているのが分かった。
緊張しているんだ。
私に断られるのが怖いのかしら。
それだけ、愛されているのだろうか。
「ずっと俺の隣にいて欲しい。なんでもあげる。お菓子を作り続けられる場所、豪華な屋敷、綺麗なドレスに高価な宝石。だから、アリーヌの愛情だけは俺にくれないか?」
大げさな人ね。
そんな事言われたら逆に困ってしまうわ。
「嫌よ」
「えっ?」
「そんな交換条件で婚約なんて嫌よ」
「……」
「ちょっと待ってて」
私はそう言って馬車に戻る。
そこでバスケットを手に取って、またシルヴァの元に行った。
「このお菓子、自信作なの。食べてみて」
「……お、おう」
告白の返事もせずにお菓子を差し出す私。
そんな態度に彼は目をパチクリさせながら、だけどもバスケットからマカロンを一つ取り出す。
「かわいいな」
「味は?」
「……美味い。何年も前に食べたクッキーより上手になってる」
「当たり前じゃないの。もう」
「これだよ、これ。美味過ぎて泣けてくる……。甘いものには目がないんだよ俺!」
「知ってる」
昔からシルヴァはそうだ。
パーティー会場のお菓子にこっそり手を出して、いつも怒られていた。
「ねぇシルヴァ」
「なんだよ」
「私、お菓子作りくらいしか取り得ないよ?」
「何言ってるんだ。一つでもあるだけ凄い事だぜ? それにアリーヌは可愛いし、優しいし、取り得なんて挙げ出したらキリがない」
「居場所をくれて、ありがとう」
「なんだよそれ」
困ったように笑うシルヴァを見て、私もふと笑みがこぼれる。
自然に笑うのなんていつぶりかしら。
少なくともフィリップと一緒の時にはなかったわ。
なんて、いつまでもあの人の事を考えていても仕方ないわね。
もう私の居場所は、私を愛してくれる人がいるのだから。
公爵になった幼馴染が、素敵な贈り物をくれたのだから。
‐‐‐
【フィリップの視点】
「どいつもこいつも肩書きばっかりだ」
僕はイライラしながら自室の扉を開ける。
そのまま服を脱ぎ捨て、ベッドに寝転がった。
長い前髪が顔にかかる感覚が鬱陶しい。
周りにいるモノ全てが煩わしく思えて仕方がない。
「あの、フィリップ様……」
「放っておいてくれと言っただろうが。聞こえなかったのか?」
「いえ、すみませんでした」
ドアの外にいる侍女の相手すら面倒だ。
アリーヌと婚約を破棄してから学園生活は変わった。
彼女が俺のそばにいる時間が減った分、他の女が寄ってたかってくるようになった。
これが迷惑極まりない。
やれカッコいいだの、やれ賢いだの。
そんな事言われなくてもわかっているんだよ。
「くそっ」
あいつらの狙いなんてわかっている。
全員金だ、地位だ、名声だ。
自分の価値を見出すために僕を踏み台にしようと思っているのが目に見えてる。
その明け透けさが不愉快極まりない。
それに比べて彼女は。
「アリーヌ……」
決して派手ではないが、その素朴な笑みが僕は大好きだった。
彼女だけだった。
僕の第四王子という肩書きに興味を示さなかったのは。
まぁ肩書きも何も、そもそも彼女の眼中には僕の存在自体がなかったようだが。
「僕も悪かったけどな……」
彼女を前にしてしまうと、いつも緊張してしまった。
恐らく僕はアリーヌに恋をしていた。
初めての感情と、嫌われたくないという感情からつい素っ気ない態度を取ってしまった。
それに、上手く笑えていた自信がない。
学校で話す度に彼女の話に笑顔を交えて相槌を打とうとしていたが、僕が笑うと彼女はまるで悲しそうに顔を伏せていた。
昔から感情を顔に出すのが苦手だった。
いつも父や母から叱られる日々。
礼儀作法をいくら完璧にこなせるようになっても意味がない。
「どうすればいいんだよ、一体……」
そして極めつけは数日前の事。
王が直々に爵位贈呈を行った金髪才子の軍師。
彼は玉座の間で堂々と言い放ったらしい。
『爵位をいただいたところで図々しいのは承知ですが、もう一つ願いがあります』
『セルトン侯爵が娘、アリーヌ嬢を譲っていただきたいのです』
『俺が彼女と結婚すれば、薬の貿易に王家とのパイプを作ることを約束します。それに、俺も今後国に何かがあった際にはすぐに軍人として先導することを誓います』
元々僕とアリーヌの婚約は、セルトン侯爵の薬学技術を王家の手中に置きたいという思惑の元に成り立ったものだった。
だからこそ、この提案に父は乗った。
その背景には僕とアリーヌの関係が上手くいっていないというものもあった。
悔しい。
好きな女をぶんどられて腹が立たない男なんているわけがない。
だけど、僕には権力がない。
たかが第四王子だ。
王位継承権もロクにない、お飾りの王子。
いくら容姿や頭脳で優位に立とうが、結局は王や軍人には適わない。
そういう時代だ。
忘れよう。
アリーヌとは終わった関係なのだ。
もう、僕達は関係ない。
学園でいくら顔を合わせようが、第四王子と公爵夫人だ。
夫人、か……。
「アリーヌのお菓子、美味しかったな」
甘いものが苦手な僕だが、彼女のお菓子だけは食べられた。
むしろ好物だと言っても過言ではない。
初めての時に、お菓子嫌いな僕は傷つけまいと彼女に『甘いものは好みじゃない』と言い放ったが、実は彼女が帰った後にお菓子を食べたのだ。
そして感銘を受けた。
こんなにおいしい、心温まる食べ物があるのかと。
今までに食べたどんなに名高いパティシエの作るお菓子よりも、それは美味しかった。
だが、口下手な僕は『美味しかった』の一言も言い出せなかった。
幸いしばらくはお菓子を作り続けてくれたため、このままでいいかなんて腐った事を考えていた。
当然すぐに彼女はお菓子を作るのをやめてしまった。
僕は彼女が帰った後にお菓子に手を付けていたし、一見すると無視していたようにも見えるため無理はない。
なんてな。
いつまでも彼女の事を考えるのはやめよう。
もう終わった関係なのだから。
僕は彼女を愛す権利すらないのだから。
読んでくださってありがとうございます(╹◡╹)
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