8 アトキの戦い
その日の朝、いまだ日も昇らぬうちからアキトの村には、馬の嘶きや大声が飛び交っていた。
日も昇らぬとはいってもすでに東の空はやや白んできている。
昨晩のお祭り騒ぎとは一変して、今朝の空気には緊張感をはらんでいた。
別働隊として動くこととなったケイバンとソル、それとクリスは他の者達よりも一足早く出立していた。
進む道はいまだに足元も暗く歩きずらいが、3人はそれほど苦にもせず歩いていく。
「わあ、父さん川の向うに“マーレ(豚のような家畜)”のようなものがたくさん見えるよ」
ユニ・オ・ロンガ(ロンガの鼻)に続く、ロンガ山の斜面から見渡せる盆地を眺めながらクリスが楽しそうに微笑む。
ユニ・オ・ロンガ(ロンガの鼻)とは、アキト村から近い盆地に向かって突き出した尖角岬のような場所である。
ケイバン達はそこを目指しているのだった。
やや明るくなり、暗かった盆地が青みがかる。
確かにクリスが言ったように盆地中央を横切るように川らしきものが見え、その向うの所々で小さい黒いものが動いていた。
一行はそのまま見物するわけにも行かず、その足を速める。
狭い山道は有難いことに緩やかな斜面で、馬でも十分に進むことができた。
木々が生い茂り、やや暗がりではあるが、漏れてくる光を頼りに山道を登り抜ける。
しばらく進みと一瞬にして視界が開け、やや色を取り戻しつつある盆地が飛び込んできた。
遠くに見える東の山々の稜線付近が明るさを取り戻ししている。
そのシルエットを浮かび上がらせ、空の半分は白から紺色へのグラデーションへと変化を見せていた。
川の向うに見えた“マーレ(豚のような家畜)”のようなものは、相変わらず小さくてはっきりとは分からないが、その大地の色は川を挟んで向こうにいた。
川の手前は黄色や緑に覆われ、やや生命感には乏しいが草原地帯であることが見て取れる。
だが川の対岸の先は所々に草むらしかない見た目にも寂しげな土地であった。
しばしそのままケイバンは馬の足を止め、無表情に盆地の周囲を見渡す。
地形の把握とここまでがんばってくれた馬の休憩も兼ねてであろう。
まだ馬も白い鼻息を激しく繰り返していた。
「丁度いい頃合か、ソル?」
「ああ、そのようだな。ここから下に降りる頃には合図が上がる頃だろう。」
馬をなだめるかのように首を擦っていたケイバンの声にソルも答えた。
もうすぐ日が昇る。
ユニ・オ・ロンガ(ロンガの鼻)を下る頃には皆の行動が開始されるであろう。
ケイバンはやや落ち着きを取り戻した馬の手綱を取り、クリスに向かって告げた。
「頃合だな。・・・クリス、ここで見ているんだぞ。ここまではやつらもやっては登ってはこんだろう」
「うん、そうしておく。」
手を挙げ、クリスが笑顔で応える。
クリスが胸で拳を固め、一時の別れに見送る。
「いってらっしゃい、シェン・ソゥ・クーのご加護を」
「ご加護を。」
ケイバンとソルの二人はそう言ってまだ薄暗い木々の間を馬を操り、駆け下りていった。
クリスは二人を見送った後、ややしばらくして顔を村のほうへと向ける。
すると右手の草原側から数騎の影が疾走しているのが見えた。
おそらく第一陣とであろう。
予定であればパーティー”シスレィ”と“バクシス(星明りの意味)”、それに“モンテ・リーザ”(時を告げる雨)のはずである。
クリス自身はそこまで詳しくは知り得なかったが、“シスレィ”がその影の中にいることだけは大人たちの会話から推測できていた。
そのためその騎影に対してもケイバン達と同様、胸で拳を固めその活躍とぶじをった祈った。
その時湿原と思われる川のはるか向こうに火の手が上がった。
川下のほうから奥の山まで一直線に燃え上がったのだった。
これが“ガッソ”を一網打尽にする網であった。
川上から“マーレ(豚のような家畜)”のようなものを追ってくる“ガッソ”を炎の壁で“シスレィ”達のほうへと誘導する。
まあ、実際にはモレイラであったのだが。
そしてさらにケイバン達が後続を断ち、挟み撃ちにする作戦である。
だが川向うは湿地である。
湿地では馬は使えず、降りて戦わなくてはならない。
いかに冒険者とはいえ、ケイバン達もその機動性は制限される。
そのため、横の逃げ道を炎で蓋をする必要があったのだった。
「なんだろ?油でも引いてあったかな。」
クリスの推測どおりだった。
目を中央へ戻すとすでに“シスレィ”達は川の手前で止まっており、横に広がり、突撃体制に入っていた。
同時に“モレイラ”の集団の先頭はやはり炎の壁に気付き、川のほうへと近寄ってきているようであった。
ここまでは作戦通りである。
やがて盆地の東に横たわる山々の稜線はいよいよ白い光に包まれだし、山の峰と峰の間から一条の光が帯が盆地に光をもたらす。
西の空にかすかに夜空の余韻を残す他は全ての景色に色彩が戻る。
夜明けであった。
光を受けた盆地内は、一気に生命の活気を取り戻したかのようにクリスは思えた。
それまで見えなかった。
風に揺れる木々や日の光を反射する川面。
“モレイラ”のいななきや“ガッソ”の雄叫び。
皆一斉に時が動き出したように思えた。
「はじまった・・・。」
どこか不思議な光景に息を呑み、クリスは見逃すまいと目を見張る。
先ほどの“モレイラ”の集団に目を移すと、その狂気にも似た集団が雄叫びを上げて“モレイラ”の後続に迫る。
赤黒い集団、“ガッソ”であった。
クリスはケイバン達の姿を探す。
ケイバン達はユニ・オ・ロンガ(ロンガの鼻)を真っ直ぐ下り、川に向かったはずである。
すでに“ガッソ”は川の向うに姿を現している。
目を凝らし、川の手前を注意深く探す。
“いた”
川に程近い草むらに割れ目が走り、一直線に川に向かっていた。
間違いなくケイバンとソロの2騎の馬であった。
彼らにも“ガッソ”の姿が見えているのであろうか、その速度を上げた。