7 アトキ
その半分近くもが湿地に占められている盆地、それがアトキである。
およそ統治所の管轄内の北に位置し、管轄内といってもアトキまでは50Kmの距離がある。
平地で馬の駆け足なら2、3時間で辿り着くが、山を越え、谷を越えてとなると半日ほどの時間を要する辺境だ。
アトキ村から先には広大な盆地が広がり、丸くはないが広いところで20Kmほどある。
しかし広大な盆地にしては住む人も少なく500人程度が住む小さな農村にしか過ぎない。
盆地の半分である10Kmほどは人が住める草原地帯だが、そのほかは川を挟んで湿地となっていた。
この地形的特徴が栄えない理由であった。
また、遠くに連なる山々の先は隣国「シェンツィ・グラノス(熱き国)」との国境となっている。
この湿地と山脈が魔獣のテリトリーとなっていた。
そのため度々”魔獣”の襲来はあったものの、おかげでここ300年ほど大きな戦はなかった。
ディバレンスを始めとする討伐隊一行は、すでに先発しているパーティー“シスレィ”を除いた主力冒険者8名と個人参加合わせた総勢15名が、半日ほど馬に揺られて到着した。
ディバレンスはアトキの村長に出迎えられ、立ち話ではあったができるかぎりの状況を聞く。
一方、討伐隊一行は装備や道具を整理したり、あとからやって来た商隊から荷物を受け取ったりと大忙しで準備を進めていた。
当然ケイバンやクリスも住民と混じって協力した。
皆が忙しげに作業を進めているところで、斥候をしてきた“シスレィ”のモデナもやってきて、状況をディバレンスに報告する。
「すでに“モレイラ(泥豚)”の集団は川の手前前まで来ているそうです。“ガッソ”は確認されているだけで24頭。内2頭が“ディ・ガッソ”です」
そこはディバレンスにあてがわれた農家の一角であった。
乱雑に置かれた荷物もそっちのけで、ディバレンスはモデナの状況説明を聞いた。
頭数が増えてはいたものの驚くほどではなかった。
“ガッソ”達も今のところは川を越えて村にまで来る様子は無く、餌のモレイラ(泥豚)を追いかけているとの事だった。
だが“ガッソ”達の追いかけっこも次第に村に近づいており、川を越えることは時間の問題であろうとの推測であった。
「うむ、今の手勢だけでも十分対処できそうだな」
モデナの説明を一通り聞き終えた後、満足そうにディバレンスは唸った。
準備や整理に追われ、皆が一息つけたのはすでに夕刻になった頃であった。
何しろ雑用やらも含めて30人の大所帯である。
装備や道具だけではなく、食料や雑貨など大勢が野営するとなるとそれなりに大掛かりとなってしまう。
村からもそれなりの歓待として料理なども提供され、普段の夜は静まり返ったこの村もその日かぎりは祭りのような賑やかさを取り戻していた。
その中でディバレンスを始めとする討伐実行の指揮クラスの面々が集まり、明日の作戦会議を行っていた。
当然ケイバンは後方支援でもしていればよいかと思っていたが、なぜかその会議に呼ばれた。クリスの面倒はソルに頼もうと思ったが、すでに村の連中と親睦を深める真っ最中だった。
仕方なくモデナに言って“シスレィ”に相手をしてもらう羽目になった。
ケイバンがディバレンス達のいる部屋に入ると話が始まるところであった。
中にはディバレンスの他モデナなど5名の者がいた。
皆に挨拶をし、手短な空いたところに座った。
「明日は朝日の出と共に討伐戦を始める」
ディバレンスはそう言って明日の作戦予定を話し始めた。
概要としてはこうである。
朝夜明け前を出発し、日の出前に各自所定の位置に就き、合図と共に行動を開始する。
所定の位置はパーティー”シスレィ”と“バクシス(星明り)”、それに“モンテ・リーザ”(時を告げる雨)が前衛に立つ。
3つのパーティーはユニ・オ・ロンガ(ロンガの鼻)から川下へ2Kmの地点に布陣し、残りの冒険者はディバレンスが指揮して後衛に回り、村への侵入を防ぐ。
合図は誘導の意味も含めて火を放つという作戦であった。
こうして聞き終えた後、納得したのであろうか特に反応を示す者はいなかった。
そこでディバレンスは遠くに腰を下ろしていたケイバンに聞いた。
「どうかね?」
突然の問にケイバンは手を顎にやり、髭を撫でながら答える。
「おおむね・・・っと言ったところかな」
そう言ったケイバンは決して満足とはいえない表情をしていた。
その意図するところを汲み取ったようにディバレンスがその理由を聞き返す。
問われたケイバンは思うところを話す。
「逃してしまう可能性が高いかな」
モデナを含め、5人の目がケイバンに注がれる。
ディバレンスはただ頷くだけであった。
確かに単に餌を追っている“ガッソ”が固まって移動しているとは考えにくい。
今のままの作戦であれば、正面からの衝突でしかその効力が発揮されない。
湿地ということもあり、“ガッソ”が逃走した場合には深追いできない。
その場合、アトキ村の安全確保という目標には不十分な結果に終わる可能性が大いに有得る。
だがこのようなことは分かりきったことである。
なぜディバレンスがこのような大穴の空いた作戦案を提示してきたかが不思議なくらいであった。
ケイバンの最もな指摘に触発されたのか、モデナの声が挙がる。
「私もケイバン様と同じように感じます。奴らの退路を断つことも必要ではないでしょうか?」
モデナの提案に始まり、皆口々に自分の意見を出し始める。
ディバレンスはのんびりと構え、腕を組んで頷ていた。
ケイバンはそんな様子を眺め、“人を使うことがうまいな”とディバレンスに視線をやった。
そんなディバレンスはケイバンの視線に気付いたのか、一瞬ニヤッと口元を緩めたのだった。
よもやとは思ったが、やはりケイバンを呼び水にして会議の活性化を図ったらしい。
確かに多数の冒険者が組んで行う“狩り”は珍しいが、今後も無いとは言い切れなかった。
そのためにもこのような話し合いにも慣れておくほうが良いのであろう。
むしろ前討伐戦においてこのような話し合いをしておけばという後悔もあった。
“なんとも食えないおやじである“
ケイバンにとってそんな感想の会議であった。
1時間ほどの話し合いが続いた後、話はまとまり各自が部屋を後にする。
結局は合図の火を川向こうに張り巡らし、さらに別働隊が集団後方から追い上げ、退路を断って殲滅を図るといったものであった。
だがその結果、ケイバンとソロが別働隊を担うというおまけ付であった。
むしろそれがケイバン達を連れてきた理由でもあった。
もちろん発案者はディバレンスであった。
ケイバンは部屋を出るとき、ディバレンスに呼び止められる。
十分出汁になったことへの礼である。
「すまんな、押し付けて」
「かまわんさ、最初からそのつもりであったろうに」
笑いながら近寄ってくるディバレンスに手を広げ、気にしていない素振りでケイバンは答える。
言い当てられたディバレンスは悪びれた様子も無く肯定する。
むしろ笑いながら付け加えた。
「まあ、俺もソルも気を使っているのさ」
「なんだ、ソルの差し金か」
冗談のようにも聞こえるが、実際のところ本当の話であった。
ケイバンのように目立ちやすい冒険者が、皆の前でその能力を十分に発揮することは危うい。
騎士団にでもスカウトされたいという望みがあるならばそれでもいい。
だがケイバン達はその反対である。
そのため能力を十分に活かすためには、皆の目の届かない場所で活躍してもらうほうが最も効果的なのであった。
そこで別働隊として行動し、皆と離れた場所で戦えるようソルが提案したものだったのだ。
ディバレンスは頷き、そう告げると“明日は頼む”とだけ言い残し、ケイバンを見送った。
いつもながらソルのそつのなさに感心しつつ、クリスを引き取とるために“シスレィ”の野営に足を向けた。