6 出立
長い人外の時が過ぎてあたりが日の光を浴びる頃、やっと人が安心して闊歩できる時間が来る。
昨夜はディバレンスとの話の後ケイバンは宿に戻ったが、結局ソロは戻ってこなかった。
いつものことなので、気にせずに朝は二人で「レイア・ド・アコースギルド(統治所)」に向かった。
やはり朝の空気は冷たい。
ケイバンやクリス、マロア(馬)の息までも白い。
防具が馬の歩みに合わせて鈍い音を奏でながら統治所にたどり着く。
「レイア・ド・アコースギルド(統治所)」には、すでに多くの冒険者が集まり、賑わっていた。
ケイバンがドアを押しのけ、ギルドへ入るとざわついた一同の視線が注がれた。
さすがに戦いの前の空気は緊張感がある。
ケイバンにとっては慣れた挨拶のようなものであるのだが、慣れぬクリスは少し驚き立ち止まる。
周りを眺めるとそこには昨日のモデナをはじめ、ソルやディバレンスが目に入った。
そのままケイバンはクリスを連れてソルに近寄る。
ソルも気付くが何やらにやけ顔である。
どうやらソルの目には、少し大きめのマントを引きずるクリスを連れているケイバンが、この場には不似合いな滑稽な光景に移っているようであった。
そんなソルの様子も気にせずにケイバンは声を掛ける。
「どうやら我々が最後だったようだな。」
それを聞いてソルは隣のクリスに向かって小声で聞いた。
「どうせ、寝坊したのだろう」
クリスはほほ笑みで答え、それを挨拶とした。
その笑顔を見てソルは、頭をなでながら御満足そうな笑みを浮かべてその様子に感心した。
一人前の冒険者でも皆高揚し、ロビー全体がざわついているのに対して、クリスのほうは父親同様の落ち着きぶりだった。
さらにソルの軽口は続く。
「クリス、ちびってないだろうな。」
「うん、大丈夫だよ。後ろで見てるだけだし。」
屈託ない笑顔でクリスはそう答える。
クリスの答えに不満なのかソルは表情を歪めた。
「なんだ一緒にいかないのか?」
本気でそう思っているソルにさすがにケイバンが口を挟む。
「おいおい、焚き付けないでくれ。まだ無理だよ。単体ならまだしも複数相手では」
ケイバンとしてもクリスに一通り剣は教え込んでいたつもりではあるが、いざ実践となると不安は拭えない。
ましてや1匹ではなく、複数であればなおのことである。
ケイバンとしても苦し紛れの言い訳であるものの本心であることには違いないのであった。
それを自信と見て取ったのかソルが揶揄する。
「くくく、さすがだな“単体なら”か・・・、どんな教え方してるんだ、こんな歳で“ガッソ”相手に“単体なら”なんて」
そうやってソルがケイバンをからかっているうちに真紅のマントが靴の音を響かせて近寄ってきた。
「ケイバン様、ついでにソル殿、おはようございます、昨日は失礼いたしました。」
モデナは後ろにパーティーメンバーの3人を従えてケイバン達に会釈をした。
ソルを“ソル殿”と呼んだところは、一応モデナなりの礼儀であったらしい。
アトキの話で少しは株を上げたのかもしれない。
「やあ、おはよう」
ケイバンはモデナの礼に答え、同じように会釈する。
ソルは軽く手を上げての挨拶だった。
そして父親同様に会釈をしてクリスもモデナを向かえた。
「おはようございます。“シスレィ”」
子どもはやはり女性には受け入れやすいものなのか。
明らかに“シスレィ”全員がソルに対する表情とは違った対応をした。
「おはよう!クリス。昨日は助かりましたよ」
そんな対応の違いに不満げなソルを横目にモデナが一歩近づき、”ピラッ”とクリスのマントの一部を摘み上げる。
「フル装備だけど、まさか・・・」
クリスが防具を着込んでいることを確認して視線をケイバンに向ける。
同様に残る“シスレィ”もケイバンに視線を注いだ。
女性から責められるような視線には慣れておらず、これにはさすがのケイバンも困り果てたようで、鼻を掻きながら言葉を選んでの返答となった。
「まあ、なんだ。息子も冒険者の端くれ。参加といっても遠くからの見学だがね。それであれば邪魔にはならんだろ」
「そうでしたか。防具を着込んでいたのでてっきりご一緒かと思ってしまって・・・、そういうことでしたら承知いたしました。」
モデナ達は心配そうな表情を残しながら納得したようであった。
ケイバンは渋々ではあったが引き下がってくれたことに感謝し、言葉を添える。
「ありがとう。理解してくれて」
モデナはその言葉をクリスの顔に視線を落としながら聞いてからケイバンに向き直る。
「では先発しますので、お先に失礼します。アトキにて。」
モデナ達“シスレィ”は先発隊として先に出ることとなっていたため、この場を去ることを告げる。
さすがにこの時はケイバンに対してだけでなくソルに対しても同様に視界に捉え、胸で拳を固める公式な作法で挨拶した。
ケイバン達も、いやソルさえもこの時ばかりは同様の挨拶を行った。
「アトキにて、シェン・ソゥ・クーのご加護を。」
この挨拶は大陸中のどの冒険者の間でも行われる挨拶であった。
特に決まりではないのだが、古よりの習慣が今も続いている願掛けのようなものだった。
命の掛かった別れや挨拶のときに使われるのが慣わしで、“八大オゥーガー”の一龍、シェン・ソゥ・クーの加護を求めたものであった。
「ご加護を」
そう言い残して“シスレィ”全員が振り返り、靴の音を響かせながら出口へと向かっていった。
その姿を見守りつつ、いよいよ始まる戦いに気持ちを切り替えるかのようにケイバンは一息入れた。
そのまま息子クリスの頭に手をやり、クリスもケイバンに上目づかいに目を向け、頷いた。