3 グリニグル・ギジェ
「でも思っていたよりも少なかったですねえ」
切り落とした翼から羽をむしりとりながら、半ば消えかけていたモデナの疑問に再びチェシャが石を投げる。
「そうね、こっちが3匹、向こうが4匹・・・。確かに一般人では危険だけれど、少ないわね」
報告されていた数からは15頭前後の予想であった。
”そう、確かに少なすぎる……”
モデナはそう思いながらもう少しこの周辺の探索を続ける決心をした。
群が分かれた可能性もあるからだ。
その時かん高い叫び声が木霊した。
メルモの声だ。
「モデナァ!」
声のしたほうへと首をめぐらし、すぐに身構える。
腰ぐらいまである草を掻き分け、グレーの鎧が駆け寄ってくるのが見える。
メルモであろう。
そのすぐ後ろに黒色の鎧、マリーゼが度々、振り返りながらその後を追ってきた。
「どうしたの、いったい?」
「はあ、はあ・・・、別なのが・・・」
メルモは近づくなり、息を整えながら話そうとするがままならない。
「落ち着いて!」
「はあ、はあ・・・・、ギジェ・・・」
今度はマリーゼが答えた。
「ギ、ジェ・・・“グリニグル・ギジェ”なの?ここに?」
この時、一気にモデナの疑問が不運な形となって解消された。
モデナは数が少ない理由は3つであろうと考えていた。一つは単なる誤報、もう一つは分裂、そして残る最後は・・・、“食われた”であった。
“グリニグル・ギジェ”は、岩のように硬くて大きな“ギジェ(かまきり)”である。
普通は山岳地帯で見られ、人も平気で襲う。
大きさはまちまちであるが、大きなもので人の3倍くらいとされていた。
特に“グリニグル・ギジェ”の特徴である大きな鎌は、骨が変形した長い爪のようなものである。
切れはしないが、突き刺せば岩をも穿つともいわれるほど危険だ。
このことから“グリニグル・ギジェ”を相手にするには通常、重装備した4名以上のパーティーが必要であった。
”確かに、山に近いが・・・、ここまで“ニークス(鳥)“を追ってきたのか?”
モデナは招かれざる客の名を聞いてもすぐ冷静に分析する。
だが今は“グリニグル・ギジェ”対する対処を優先し、仲間に告げる。
「謎解きはあとだ、迎え撃つ。前面に私とチェシャ、右にマリーゼ、左にメルモ。先に足をとめろ。展開!」
すばやく指示を出し、迎撃体制をとる。
足音と草を分ける音が近づき、“グリニグル・ギジェ”の喉鳴りが響いてきた。
近づくにつれて各自、武器を握る手に力が入る。
そのすべての音が一瞬、静まった。身を屈めているのだろうか、“グリニグル・ギジェ”の姿は見えない。
”右か?左か?”
誰もが不安にかられた瞬間であった。
次の瞬間、不意に高い草の壁を跳び越し、黒い大きな影が躍り出す。
その影が不意にマリーゼに襲いかかる。
「マリーゼ!」
誰もが声をあげる中、“グリニグル・ギジェ”が大きく振りかぶった大爪は、マリーゼの居た場所に大きく突き刺さっていた。
一瞬早かったのであろう。
マリーゼ本人は後方に跳び退き、避けたもののその衝撃で尻餅をついていた。
”大きい”
だれもがそう思った。目に映る“グリニグル・ギジェ”は確実に人の3倍はある。
“グリニグル・ギジェ”は突き刺した腕とは別の腕、大爪で追い討ちをかける。
マリーゼは横に転がり、これをかわしながらもすぐに立ち上がる。
「このぉ!」
その隙に横からモデナとメルモが後ろ足に打ちかかる。
チェシャは、マリーゼを襲う大爪に槍を構え突進する。
だが“グリニグル・ギジェ”も大きな体に似合わず俊敏であった。
後方に大きくジャンプし、これをかわし、挑発するかのように奇声を上げた。
改めて“グリニグル・ギジェ”の大きさに皆、息を呑む。
「まさかね、こんな大物だなんて」
うらめしそうにモデナがぼやく。
「どうします?」
すぐに横に並んだメルモが“グリニグル・ギジェ”を見据えながらモデナに聞いてきた。
「やはり、やっかいね。戻って応援呼ぶべきね」
悲しいかな今の装備では限界がある。
仕留められない以上下がるしかない。
その言葉に頷くメルモであったが、問題はどうやって下がるかである。
ここで下がれば、餌のなくなった“グリニグル・ギジェ”は別の餌を追ってくるだろう。
そのまま自分たちを追わせて街まで連れ帰るわけには行かない。
「一旦、風下に逃げるわよ」
モデナの言葉を受け、メルモが確認する。
「じゃあ、森に入るしかないですね」
「ええ、仕方ないけど、それしかないわ。私が引き付けるから、その間に・・・。二人に伝えて」
確かにその判断は妥当な選択であった。
体の大きい“グリニグル・ギジェ”ならば森の中では動きづらく、大きな鎌も振るえないだろう。
モデナの言葉にメルモは静か頷き、そのままの姿勢で後ろに移動し、マリーゼとチェシャに伝える。
モデナは巨大な爪を大きく広げて威嚇する“グリニグル・ギジェ”を見据え、相手が森を背負うようゆっくりと右に移動する。
マリーゼ、メルモ、チェシャの三人は静かに見守りつつ、タイミングを計る。
「さあ、こっちよ!」
モデナの挑発がきっかけだったのか、様子を窺っていた“グリニグル・ギジェ”は意を決したようにモデナに向かって奇声を発し、飛びかかる。
チャンスがきた。
マリーゼ、メルモ、チェシャの三人はここぞとばかりに森に向け駆け出す。
モデナは飛びつかんばかりに大爪を振りかざしてきた“グリニグル・ギジェ”に対して、一撃目は盾で受け流す。
その反動を利用して後方に下がって追撃許さない。
自分の視界に“グリニグル・ギジェ”の向うに僚友三人が走り去る姿を捉える。
”さてと、もう少し時間を稼がないと”
そう思いながら構えつつ、退路を探す。
しかし、それはモデナの集中が“グリニグル・ギジェ”以外の“退路””に気持ちが移った瞬間だった。
本能であろうか、人にとっては隙にさえならぬわずかな瞬間を、“グリニグル・ギジェ”は見逃さなかった。
”よそ見をしている暇があるのか!”といわんばかりの突進であった。
わずかな瞬間目は向けたものの、集中を欠いたことによってこんなにも対応が遅れるとは思いもしなかった。
”しまっ・・・”
普段ならばこんなにも対応が遅れることなかったであろう。
むしろマリーゼ達の三人が視界からいなくなったことにより、“グリニグル・ギジェ”のほうが集中力を増していたかもしれない。
戦況の変化は常に移り変わるもの、その分析を怠った自分に気がついた。
確かに遅かった。
対応がくれた分、受け流すはずの大爪は正面から受けるのがやっとであった。
その衝撃で吹き飛び、激しく大地に叩きつけられる。
「うっ」
これまで死線を越えてきたモデナである。
こんな時には追撃に備えなければならないことを熟知している。
体中に痛みが走るが、すぐに剣を支えに立ち上がろうとした。
だが左腕に激痛が走る。
”肩をやったか?”
おそらく激しい痛みは、肩が抜けたのであろう。
体中が悲鳴を上げているはずなのに、肩の痛みだけが体の中から響いてくる。
しかし、今は戦いの最中である。相手はそのようなことを気にかける義務はない。
脱臼した左腕は力が入らずだらりと垂らしたまま、左の剣を構えつつ敵を探す。
しかし、すでに“グリニグル・ギジェ”が目の前に立ち、死神の鎌のような大爪を横薙ぎに振ってくる光景が視界に飛び込んできていた。
”ここまで・・・”
モデナそうが思った刹那。
「ギシャァァァ」
”ガキッ”
“グリニグル・ギジェ”の奇声に混ざった金属音と共にモデナ自身を大きな衝撃が左から襲ってきた。
もんどりうって、地面を転がるモデナはまた左腕の痛みに苛まれる。
「ウガァ・・・」
さすがに今度は声を上げてしまう。
痛みがあるということはまだ生きている証拠であった。
そしてモデナは激しい痛みの中、人の声を聞く。
「生きているだけでも儲けたな」
僚友たちの声ではない。
男の声だ。
「仲間を逃がすために一人で引き受けるとは恐れ入ったね。さすがは“シスレィ”のリーダーといったところかな」
“シスレィ”とはそよ吹く風を意味するパーティー名である。
特に人数の決まりは無いが、基本的には4人一組が最も効率的であると云われる。
上半身を抱き起こされたモデナは声の主を見た。
全身を黒い鎧で身を固めたレーサーであった。
目を真っ直ぐに“グリニグル・ギジェ”を見つめ、鼻の下にうっすら髭を生やした男であった。むろん面識はない。
ただ黒い鎧、そうこの漆黒の鎧を見たことがある気がしたことぐらいである。
そしてモデナは自分たちに追い討ちをかけるであろう“グリニグル・ギジェ”を探す。
不意に漆黒の鎧の向うから奇声が聞こえる。
「グギャァァ」
奇声は“グリニグル・ギジェ”だった。
追ってきているはずの相手がこちらではなく、別の方向に奇声を発しているではないか。
しかも体の傾きがおかしく、足を引きずっているようであった。
「な・・・」
思わずモデナは声を失った。
その“グリニグル・ギジェ”の足元には、先ほどまでの脅威であった大爪が片方だけ転がっていた。
さらに、足であろう細長い物が先端から液体を滴らせながら横たわっていた。
良く見れば“グリニグル・ギジェ”の向こうにもう一つの影があった。
銀色に光る鎧が、身の丈もありそうな大剣を構えて正対しているところであった。
「あとは俺たちがやる。ここにいてくれ」
モデナに手を貸しながら漆黒の鎧はつぶやく。
「何を勝手な・・・」
モデナはそう言って、漆黒の鎧の腕を振り払おうとしたその瞬間であった。
「うっ」
お尻の当たりに変な感触があった。
「うん、いい尻だ。それならいい子ができる」
漆黒の鎧は満面の笑みを浮べる。
次の瞬間にモデナの裏拳が漆黒の鎧の顔に的確に吸い込まれた。
が、すでに漆黒の鎧はモデナから離れた後であった。
「いいな、下がっていろよ。クリス、腕を入れてやってくれ」
その言葉にモデナは振り返る。
(クリス・・・?)
モデナはこの時初めて気がついた。自分の後ろに蒼い鎧を着た少年がいることを。
「クリスといいます。今の人はソル。すいません、ああいう人なので。肩を入れましょうか?」
クリスと名乗る少年は微笑みながら話しかける。
「いったい・・・?」
「とにかく、もう少し下がりましょう。ここでは“ギジェ”に目をつけられますよ」
自分に気を使い微笑みながらいう少年に対して、片方の腕だけで虚勢を張るほどの覇気はすでにモデナにはなかった。
少年が肩を貸し、少し離れた茂みに身を隠すようにすると、モデナは腰を下ろし痛む右肩を少年に託す。
「君がいれるのか?」
”自分で入れたほうがよっぽどいいが”
そう思いつつも少年の言葉に従うことにした。
クリスは無言で頷き、そっとモデナの腕を取り、引きながら徐々に上げていく。
「つうっ」
モデナの肩にやはり激痛が走るが、やがて『カコン』とも『カポン』とも言えない独特の音が体に響き、激痛が去った。
「これでいいですね」
笑みを浮べてモデナの言葉を待つ。
「上出来よ」
痛みから解放されたモデナは深く息を整えながら答えた。
まだ痛むがさっきまでとは雲泥の差である。
”痛みさえなければ、たとえ腕が上げられなくとも・・・”
痛みが消えたとたん、自身の油断と漆黒の鎧から受けた侮辱への怒りが込み上がって来た。
その時である。
「キョエェェェ!」
長い断末魔があたりに響いき、一陣の風が吹きぬけた。
「終わったようですね」
吹きぬける風に目を細めながらクリスがつぶやく。
モデナはその光景に目を見開き、やっとのこと乾いた唇から言葉を搾り出す。
「オゥーガー・ズ・ディレイ(属性効果上級技法)・・・」