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さながら、恋人のようです。

 

 桜華さんの家を行くようになり、私の悩みは尽きなかった。

 あ~どうしよう。色々と作ってみたい料理はあるけど、桜華さん喜んでくれるかな? ってか、この調味料って売ってるの? てかてか、私なんかの素人が使ったとして、レシピ通りの味が再現できるのかな?

 おそらく、定期テスト以上に頭を悩ませていた。


「……夢凪。颯来になんか余計なこと吹き込んだでしょ」

「なんで私を疑うのよ、楓」


 お昼休み、いつもの三人で昼食を摂り終える。

 新学期も始まったばかりで、これといって提出の近い課題はない。それにテストもないから、私なりには安息な時期だ。

 だからこうして頭を抱えている。


「……ソラちゃん、悩みなら聞くよ?」

「もしかして、進路のことで何か言われた?」

「ん~そうじゃないんだ。親にはとりあえず大学に行くことにした、くらいしかいてない」


 これといった反応は薄かったが、まるで当然といった空気はあった。

 ただまあ、どこの大学に行くかは言っていない。近々ある担任との二者面談、私の成績で狙えるラインを見定めたいところだ。

 スマホの画面と睨めっこしながら、人差し指でスクロールをかけていく。


「……これは重症なの?」

「残念なことに……娘さんは、もう……」


 怪訝そうに問う楓に対し、夢凪はどこか遠くを眺めるように窓の外を見据えだす。


「二人とも、どうかしたの」


 何やら寸劇でもやっていたのか、楓と夢凪の様子に私は戸惑った。

 ……ヤバい、何の話してたんだろう。最近やってるドラマの話かな。それかSNSで人気のお店? 夢凪のことだしスイーツ店。……スイーツ店だ!?


「そうだ、私の最寄り駅にケーキ屋さんがあるんだ。今度行ってみない」

「「……」」

「……あれ?」


 二人からの冷たい無言の視線に、私は誤魔化すための笑みを浮かべる。

 明らかに話題をミスったどころか、話を聞いていなかったことがバレてしまった。こういう時、話題の中心にいる夢凪が口煩くなる。


「まずいよ楓、本当に重症かもしれない」

「それはマジでヤバい」


 おやおや、夢凪が機嫌を悪くしないぞ? それどころか心配してくれてる。いつも素っ気なくて冷たい楓も、どこか残念なモノをみる視線。

 いやいや、それは普通にマズイのでは!?

 私自身乗りツッコミの小芝居を済ませ、恐る恐る二人に問う。


「あのぉ~何の話してたっけ?」

「「はぁ」」


 短いため息を同時に吐かれ、両肩に二人の手が片方ずつ乗せられる。それから何を言うでもなく首を縦に振るだけで、頭の中は真っ白になっていく。

 何だろう。今日はみょ~に優しいというか、視線が生暖かい気がする。

 季節はまだ春先だが、昼間の太陽から注ぐ陽射しは暖かく穏やかだ。それも相まってか、変な汗が背中を流れていく。


「大丈夫。それが正常だよ、ソラちゃん」

「……へ?」

「そういうのって、人生の経験だっていうしね。後悔しないようにするのよ」

「だからなんのこと!?」


 何故か二人に励まさられ、お昼休みの終了を知らせる予鈴が鳴った。

 何事もなかったかのように離れていく楓と夢凪の背中を見送り、私は集まる視線から逃れるため席に着く。

 ……本当に何なんだ。

 一番前の席で授業の準備をする楓。

 その斜め後ろにいる夢凪。

 チラリと目が合った気がして、首を傾げて問いかける。

 ただそれでも静かに頷く楓、いつものようにテンション高めで両手を握りしめる夢凪。

 それが余計、私の中で疑問の種を大きく育てていった。

 これはアレだ、放課後にしっかりと訊いておこう。

 それから授業も始まり、どこか浮ついた気分のまま板書をノートに写す。内容は全く頭に入ってこなかった。



「……長いな」


 授業間の短い時間で問い詰めるにもゆっくり聞く余裕はなく、適当にあしらわれる。楓は口を紡いで黙るだろうし、夢凪は話題すら逸らしかねない。

 狙うは、放課後。

 しかも六時限目が終わった時の挨拶で着席する瞬間だ。

 お昼を過ぎて、夕方に差しかかる曖昧な時間帯。これが終われば放課後で、どこか気の抜けた空気感が漂っている。部活で汗を流し、何をするでもなく教室で友達と話す。街へと繰りだして買い物、真っすぐと家に帰宅する生徒と様々だ。

 私の今日の予定は特にはなかった。

 それはいつも一緒にいる楓や夢凪もで、把握済み。

 だからたっぷりと時間がある。

 あとは私が、二人に逃げられずに捕まえられるかが問題だ。でなければ、お昼休みの話が曖昧なままになってしまう。

 残り五分で終了するはずなのに、今日だけはやけに長く感じる。秒針が一秒を刻むのがゆっくりで、ずっと目で追ってしまう。


「よぉし、今日はこの辺りで切り上げるか」


 時間通りに授業を終わらせる教師らしく、間延びした声で手にしていた教科書を閉じる。左手首の腕時計を目に、首を揉むように軽く回した。

 静かだった教室の空気が一気に緩み、チラホラと会話も聞こえてくる。

 けど私は、気が抜けない。

 視界の先にいる楓は教科書とノートをまとめ、夢凪は頬杖をついている。

 警戒心の無い後ろ姿に、私は腰を少しだけ浮かせた。

 チャイムが鳴ると同時にガタガタと椅子が引かれ、気だるげな雰囲気が一層増していく。挨拶すらおざなりに、あっという間に放課後になった。

 今だ!!

 教壇に立つ教師が教室をでるよりも先に、私は動きだしていた。


「楓、逃げるよ!」

「えっ、ちょっと!?」


 夢凪の大きな声に、楓は驚きながら手を引かれていく。クラスメイト達も楓と同様に驚いたようで、一瞬の間が生まれた。

 読まれてた!?

 お互いに廊下へとでる扉は遠く、私は不意を突かれて戸惑ってしまった。

 一番後ろの私と、前の楓と夢凪。

 追う側と追われる側に最初からわかれていて、私の行動を先読みした夢凪がもう動いている。

 教師よりも先に前の扉からでようとしていた。

 それを後ろから追うにも、私が教師に捕まってしまいかねない。

 余裕の笑みで手を振ってきた夢凪に、すでに一本取られて出遅れる。

 だったらと、私は少し遅れながら方向転換。

 教室の後ろ、もう片方の出入り口を目指した。


「ほらほら楓、急がないと捕まっちゃうよ」

「そ、そんなこと言っても……夢凪」


 はしゃいだ声の夢凪に、急だったことに戸惑う楓。

 授業も終わって数分と経っていない廊下は、生徒の姿すらなく私達だけ。目と鼻の先とはこれを指すのか、これなら見失うことはなさそうだ。

 こうなると、あとは運動神経の問題。

 生憎と私は楓よりは動けるが、夢凪には勝てない。

 同じ帰宅部なのに不思議なこともある。

 夢凪だけなら逃げ切れるだろうけど、向こうには楓がいるから可能性があった。


「捕まえた!」

「ちょ、夢凪! ストップだってば」

「ありゃりゃ~もう終わりかぁ~」


 狙い通り楓の手を掴み、どうにか階段前で追いついた。あと一歩遅ければ、夢凪が下っていたかもしれない。それはそれで危なかった。

 すでに肩で息をする楓と、楽し気な夢凪と向かい合う。


「で、お昼休みのアレってどういう意味なの?」

「まあまあ、落ち着きなってばソラちゃん。あとで詳しく話すからさ」


 にっこにっこの笑顔のまま夢凪は楓から手を放そうとしない。むしろ、まだ逃げだそうという意志が見え隠れしていた。

 さすがに逃がすわけにもいかず、私は楓の手を少しだけ引く。


「あとでって、気になりすぎて授業に集中できなかったんだよ」

「それはそれで末期だけど……、今は急いでるからさ」

「夢凪……颯来……、腕が痛いから」


 無意識に力を込めていたのか、私は慌てて楓の手を放した。

 だが夢凪は、そのまま楓を引っ張って行ってしまう。バランスを崩しながら階段を下る楓の姿を、放然と立ち尽くして見送ってしまった。

 しまった!? このままじゃ逃げられる!!

 結局、再び追う側になってしまった。


「黒沼、ちょっといいか」

「……はい?」


 さっきまで気づかなかった、後ろから野太い男性の声に体中が固まってしまう。

どうにか首だけで振り返ると、ついさっきまで私の教室で授業をしていた教師が立っていた。


「あれだ、放課後で浮かれるのはいいが廊下は走るな」

「……すみません」


 何故か私だけが怒られる羽目になり、逃げた楓たちをすぐには追えなくなった。

 ユナのヤツ……どこまでも計算高いなぁ。

 ほとぼりが冷めるまでその場に立ち尽くし、見えなくなった教師の後ろ姿に短く息を吐いた。

 こうなってしまうと、もう追えない。

 校内にいるのはわかるが、あてもなくだと途方もなさそうだ。すれ違いなんてなれば、本当に放課後が潰れてしまう。

 モヤモヤとした気持ちはあるが、仕方なく私は教室へと戻って待つことにした。



「やっほ~ソラちゃん」

「はぁはぁはぁ……」


 それから数分もしないで楓と夢凪が教室に姿を現した。

 手には玄関前にある自販機で買った飲み物を握り、私の席に近づいてくる。


「私だけ怒られたんですけどぉ~」

「もぉ~そんなに怒らないでよぉ~、はい」


 わざとらしく頬を膨らませ、怒った態度をとってみた。

 それでも夢凪は、悪びれるどころか紙パックのジュースを手渡してくる。


「ほらほら、女子会の始まりだよ」

「……楓は大丈夫なの」


 さっきから呼吸が整うどころか、一言も発しない楓が心配だった。

 だけど夢凪は気にした様子もなく空いてる椅子に座らせ、私の小さな机を囲う。


「で、ぶっちゃけ順調なの」

「……何が?」


 脈絡のない質問に、私は首を傾げてしまった。

 買ってきてもらったリンゴジュースにストローを刺し、一口啜って喉を潤す。


「だ・か・ら、彼氏とよ」


 つい最近も似たことで弄られたが、夢凪の確信を持った口ぶりに咽てしまった。

 か、彼氏っ!? だ、誰にって……私に聞いてるからわかるけど……へぇ?


「そんなに慌てちゃって、ソラちゃんも可愛いところあるじゃん」


 語尾にハートがつきそうなほど夢凪は上機嫌で、両手で頬を包み込んで笑みを浮かべる。


「その様子からすると、違うのかもよ」

「ん~そうなのかなぁ~」


 楓の言葉に、夢凪は難しい表情で唇を尖らせる。


「そうだよ。私に彼氏って……どういうこと?」

「「……」」


 無言で顔を見合わせる二人に、私も口を紡いだ。

 事の顛末からして、夢凪の勘違い。

 ただどうも、根本からして私が誤解を招くような言動があったとのこと。

 ……うん。全く心当たりがないや。

 他人事にもかかわらず、盛大に残念だとため息を吐く夢凪。機嫌を損ねたように机に突っ伏し、かける声がみつからない。


「夢凪ってば……子供じゃないんだから」

「楓は気づいてたの?」


 頬杖をつきながら、夢凪の頭を撫でる楓。どこか悟ったような口ぶりで、チラリと視線を向けてくる。


「最初はまさかって疑ったけど、颯来だしね……」

「ねえ、失礼じゃない」


 悪びれもしない楓にツッコミを入れてしまう。


「けど良かったわ。友達が変な男に引っかかったわけでもなさそうだし、勉強のことだったらいつでも見てあげるから」

「……さいですか」


 酷い言われようだったが、かなり心配されていたようだ。

 笑いかけてくる楓を憎めず、私は夢凪に視線を向けた。


「で、なんでユナはご機嫌斜めなの?」

「斜めじゃないですぅ~。ちょっと拗ねてるだけですぅ~だ」

「一緒じゃない?」


 視線で楓に問うと、肩を竦めて苦笑い。


「颯来ってつい最近まで料理とかしなかったでしょ? むしろ、興味がないというか――」

「キッチンに立つのも珍しいけど……」


 言葉にして気づいた。

 いや、桜華さんの家で立ってるな。それに興味本位で料理の本とか、アプリもダウンロードしてる。……少し前なんてお母さん任せだったしな。

 だからといって、夢凪が拗ねる意味がわからない。


「それで、どうして料理なんて始めようとしてたの」

「何となく……かな?」


 首だけを動かす夢凪は、机にだらしなく突っ伏しながら見上げてくる。未だ私に彼氏がいるのを疑いっているのか、眉間にシワが寄っていた。


「何その理由、彼氏のために頑張ってるなら応援したのに」

「そんなに彼氏がいてほしかったの?」


 正直驚いてしまう。

 そこまで友達に色恋を心配され、挙句の果てには応援までしてくれる意気込みだったらしい。振り返ってみれば好きな人どころか、恋人すらいたことがないのが現実。未経験な私からすれば心強いが、その機会がくるのかも定かじゃないのが悲しい。


「私もその点気になってたんだけど、急だったよね」

「……そう?」

「なんかこぉ~年上に支えられる感じで、下手ながら料理を頑張っていくのを想像してたんだぁ~」


 夢凪の勝手な妄想に笑ってしまう。

 そこまで言うか。私ってそんなに甘えたがりに見られてる? 勉強のことはさておいて、そんなことは……ない気がするけど……。


「夢凪が余計なこと言うから、颯来が困っちゃったじゃない」

「ソラちゃんは、一生養ってもらうべきだよ」

「それはそれでどうなのかな? さ、最低限はできるようになりたいよ……」


 ふと、桜華さんの顔が脳裏を過った。

 あの人は特例として、いい大人として見習いたい存在ではある。今日は家に行く日ではないが、何をしているのか考えてしまう。


「ねえ、やっぱりウソなんじゃない?」

「怪しいよねぇ~」

「聞こえてる」


 声を潜める楓と夢凪に、私は少しだけ語気を強めて制した。


「もし料理で知りたいことがあったら私を頼ってもいいよぉ!」

「さすがユナだよねえ。あれだけ美味しいそうというか、お店で売られてても遜色ないレベルの腕でしょ? 何でも作れちゃうんだろうなぁ~」


 これで私の彼氏騒動は終わったようで、机の下でパタパタと夢凪が脚を揺らしている。こういった後腐れもなく、喜ぶ姿を目の当たりにするだけで許せてしまう。


「颯来。夢凪を頼るのはやめておいた方がいいわよ」

「……どうかしたの?」


 その一方で、楓が真面目な表情をしていた。

 勉強をしている時とはまた別な真剣さ、どこか恐怖で強張った感じがある。


「もぉ~楓はまぁ~だ引きずってるの?」

「トラウマよ」

「そのレベル!?」


 冗談じみるどころか、真顔の楓に驚いてしまった。

 逆に夢凪は変わらずで、だらしなく机に突っ伏したままでいる。表情もさっきより機嫌よさげに、楓の様子に嬉々と楽しんでいる節があった。

 写真をみせられたかぎり美味しそうだったし、学校に持ってくるのも文句ない。私以外にも仲の良いクラスメイトも食べて、評判はかなり高かったと思う。

 けどこうして、幼馴染の楓が制するのだ。

 深呼吸をするほど覚悟がいるのか、私は固唾を呑んで耳を傾ける。


「颯来、カレーって甘口派?」

「私? ……家だと、確か中辛だった気がする」


 台所を預かるのはお母さんで、そこら辺の事情はよくわからない。だけどお父さんはもっと辛いのが好きなのか、一味やらを振りかけている。逆にお姉ちゃん用は小鍋で、何やら手を加えられているらしい。

 ……そう考えると、我が家も意外と味に好みがあるみたいだ。

 私の場合は、特に気にせずだされた物を食べている。


「私もね、颯来と同じで中辛が多いの。商品によって差はあるけど、辛いのをそんなに好んで食べないわ」

「だからね、私が作ってあげたの」

「チョコレートたっぷりの、カレー色をしたカレーを」


 夢凪の声を弾ませた笑みは、幼馴染想いの微笑ましさがあった。

 ただどぉ~も、楓の言葉に理解が追いつかない。カレー色のカレー? それは……カレーではないのか?


「他にも、オムライスなのにイチゴの味が」

「ケチャップとイチゴジャムを混ぜたの」

「ポテトサラダかと思えば――」

「ホイップクリームでデコってみました」

「あと――」

「も、もういい! わかったから、楓……あ、ありがとう」


 放課後とはいえ、朝晩の寒暖差ほど気温は変わっていないはずだ。

 なのに、楓の両肩は小刻みに震えている。表情もわずかに青白く、瞳の焦点もあっていないようにみえた。

 楓を落ち着かせるため、私は優しく触れて静かに頷く。

 これ以上は、聞いているこっちも怖くなってくる。想像しただけでも、しばらくは疑り深くなって口にできそうにない。

 意外な夢凪の一面。

 お金を払わなくていいかと錯覚するほど美味しいお菓子を食べさせてもらっていたが、何でもできるわけではないようだ。

 ただ、ちょっと極端な気がしなくもない。


「ソラちゃんにも作ってきてあげようか?」

「あ、いやぁ~私はお菓子の方でいいかなぁ~」

「そぉ? 誰かのために作るが好きだから、気とか使わなくていいよ」


 当の夢凪が悪びれない。

 むしろ、気遣われたのが申し訳ないほど笑顔だ。

 ……誰かのために作るか。

 成り行きとはいえ、今の私にも当てはまる。好意からというか、そういった契約の上で関係でしかない。そのついでに、私も料理を勉強しようとしているだけ。

 それでも、せめて美味しい物を食べてもらいたい気持ちはある。

 結局、その後は何ら変わらない放課後を過ごした。

 取り留めもない会話で、楓が塾の時間だからと席を立つ。それに倣うように夢凪も立つから、流れのままにお開きになった。駅まで一緒に向かい、改札を潜って別れる。

 待つこともなく到着した電車に乗り、私は帰路に就いた。


 

 炒め物だと野菜が油吸いそうだし、揚げ物とかやったことないから怖いでしょ。なんだったら冷食でまかなえそう……。けどそれだと、お惣菜と変わりないよね。ん~作り置きできそうな物って色々あるけど何が良いんだろう。

 最寄りまでの短い時間、桜華さんに何を作ろうかと考えていた。

 ダウンロードしたアプリを起動させ、画面をスクロールしながら睨めっこ。料理のことは始めたばかりだけど、使う材料や手順が書いてあるから非常に助かっている。

 この通りに作れるかは別として……。

 まあ、私がそこまでする必要があるのかも疑問だ。

 だけどやっぱり、桜華さんが美味しそうに食べてくれるのが嬉しい。この気持ちだけは偽りようもなく、ぼんやりと過ごして来た私にとって初めてのこと。

 何かを自分で考えて行動する。

 大げさかもしれないけど、そんな大人っぽい考え。


「ソ~ラちゃん!」

「お、桜華さん!?」


 無意識だったけど私は電車を降り、最寄り駅の改札を潜っていた。

 駅から家まで向かう道すがら、かなりの交通量がある交差点でのこと。信号が青になるのを待っていると、後ろから抱き着かれた。

 人目も憚るどころか、もし人違いだったらどうするのか。

 奇声じみた声を上げた私と後ろから抱きしめる桜華さんは、ほんの一瞬ではあるが周りにいた人たちから注目されてしまう。


「な、何ですか急に……」

「チラッと後ろ姿を見かけたから、驚かせようかなぁ~って」

「驚きましたから離れてください……」


 顔との距離も近い。

 肩越しに覗き込んでくる桜華さんを押し退け、私はやけにうるさく鼓動する胸に手を当てた。静かに深呼吸をして落ち着かせ、少しだけ不機嫌そうな態度で桜華さんから離れる。


「……で、驚かせたいだけなら用は済みましたよね」

「え、冷たい。……その、一緒に帰ろっかなぁ~思うんだけど……」


 この表情が素か、わざとかわからない。

 落ち込んだように肩をすぼめて、上機嫌だった声がか細くなる。いい大人が叱られた子供のような振る舞いに、罪悪感が胸をチクリと刺してきた。

 ただそれでも、人前でベタベタするのは恥ずかしい。……いや、人前とか限らずに距離感が近すぎる。


「わかりました、一緒に帰りましょう」


 いつの間にか信号が青になり、人の流れを妨げるように立ち尽くしていた。

 別に同じマンションの住人で顔見知り、私が変に避けるのもおかしな話だ。


「それにしても、帰りが重なるなんて偶然だねぇ~」

「……そうですね」


 隣に並び立つ桜華さんはスーツ姿で、どうやら仕事帰りのようだ。

 こういう姿は、本当に大人だと感心してしまう。

 外面が良いというのか、オンとオフのメリハリがいいのか。家でのだらしなさをまったく感じさせず、できる大人的なカッコよさがある。


「……」


 自然と手を重ねてきたかと思えば、なぜか指先を絡めてくる。それを指摘するのも恥ずかしく、桜華さんも意識してのことじゃなさそうだ。

 楓とはないけど、ユナはよく手とか繋いでくるし……そんな感じなんだよね?

 女の子同士のスキンシップに慣れていないわけじゃないけど、こうも人目がある場所だと気になってしまう。

 学校とはまた別の緊張感がある。


「どうかしたの?」

「別に……何でもないですよ」


 横断歩道を渡り終え、私と桜華さんはゆっくりと住宅街を歩く。機嫌のいい桜華さんの横で、私はただ黙っている。

 あの時とは違う。

 こうして桜華さんの体調もよく、私が介抱するという構図じゃない。偶然な形とはいえ知り合った仲、まさか面倒をみるとは思ってもいなかった。

 今では変な感じがする。

 この間のスーパーへと買い物しに行った時と、ほぼ同じのはずだ。なのに、心がちょっと落ち着かなかった。

 ……もしかしたら、さっき驚かされた時の余韻が残ってるのかも。


「そういえばさ、この前の作り置きありがとうね。美味しかったよ」


 急なお礼に、どう返せばいいのかわからない。


「口にあったなら良かったです。……その、機会があったらまた作りますね」


 本当は桜華さんが少しでも家事をできるようにと請け合い、それまでは私がサポートするだけの関係だ。

 それに、さっきだって疑問を感じていた。

 私がここまでする必要があるのか? 本当に偶然が重なっただけで、お人好しすぎるのかもしれない。

 だけど、一緒にいたいと思ってしまう。


「だったら今から作りに来てもいいよ!!」

「いえ、今日は月曜日なので行きません」

「ぶぅぶ~ちょっとはゆーずー効かせてよぉ~」


 唇を尖らせる桜華さんに、私は素っ気ない態度をとってしまう。意識しているわけじゃないけど、このまま甘やかすとダメな気がする。

 毎日のように帰りが遅くなり、受験を意識するには早い気がするけど勉強をそっちのけ。しかも他人の家で家政婦じみたことやっている。アルバイトを禁止された学校ではないけど、色々と特殊な気がしなくもない。

 桜華さんは甘えたように繋いだ手を揺らし、私の腕が大きく左右に動かされる。

 こういったところは、本当に子供っぽい。


「明日のリクエストに応えるってことで、今日は我慢してください」

「ハイハイ! だったら、カレーとかはどう?」


 この似たくだりは何度目か。

 元気よく手を上げる桜華さんに、私は顎に手を当てる。

 肉じゃかとほぼ同じ材料だし、ルーを入れるだけだから簡単か。それに多めに作っておけば明日も食べれるから一石二鳥だ。


「じゃあ、明日はカレーにしますか」

「はぁ~い」


 たったそれだけのやり取りに、桜華さんはさらに機嫌をよくしてくれた。

 私個人としても料理は勉強中で、ほぼ毎回作り置きを要求されると困ってしまう。それこそまた、楓や夢凪から恋人疑惑をかけられる。


「……で、いつまで手はこのままなんですか」

「え~まだいいじゃん」


 歩きづらいわけじゃないけど、目と鼻の先には見慣れたマンションが建っている。

 もしこんな光景をお父さんやお母さん、もしくはご近所さんに見られたらどう言い訳をすればいいのか。楓や夢凪にもそうだったが、桜華さんとの関係は説明しづらい。

 一向に手を放してくれない桜華さんに引っ張られ、私はしきりに辺りを見渡していた。


◇    ◇     ◇


 迎えた火曜日。

 前回のことを踏まえた私は、スーパーで買い物をしていた。


「ニンジンにタマネギ、それと~」


『お肉は何にするの? 牛? 豚? それとも鶏?』


「桜華さんは好みとかってありますか」


『ん~どのお肉も捨てがたいんだよねぇ~。牛肉はあのゴロっとした感じあるし、豚肉は牛肉と違ったが歯ごたえと脂身が好き。けど、鶏肉もなぁ~』


 ……結局、なにがいいんだろう?

 耳もとから聞こえてくる、桜華さんの独り言のような問答に苦笑い。

 どういった状況かというと、トークアプリの通話を繋げていた。前みたく鍵がないから家に上がれず、今も桜華さんは仕事が終わったばかりですぐには来れないとのこと。

 元より食材の買いだしもあるため気にしていなかったが、桜華さんの要望で繋いている。

 買う食材は憶えているから、スマホに耳を当てながらスーパーのカートを押していた。


『あ、電車が来たから黙るね』


「……いや、切ればよくないですか」


『え~このままじゃダメぇ~』


 微かに聞こえる駅のアナウンス音。

 それに混じった桜華さんの甘えた声に、私は短めにため息を吐く。


『あ、今の吐息好き』


「変態ですか」


 このまま通話を切ってもよかったが、何となくそのままにして買い物を続けた。


「お肉は私が適当に決めますよ」


『……』


「そうだ、辛さは中辛でいいですよね?」


『……』


 応答がないからと、私は好き勝手に質問を投げかける。こうも反応がない桜華さんが新鮮で、あれこれと思いついたままに口にしていく。


「へぇ~今日は牛肉がお買い得みたいですよ。けど、私的にはカレーは鶏肉が好きなんです。ん~やっぱり好みがあるから悩みますね」


『んっ!』


 露骨な咳払いに、私は気にせずカートを押す。


「そういえば、カレーはカレーでも色々と名前がありますよね。キーマとかシーフード、あと夏野菜とかも。桜華さんの要望通りカレーは作りますけど、もしかしてそっち方面だったりしますか?」


 私個人としては、無難にカレーと言われれば連想するレシピしか知らない。ルーの箱に記載された通りに作る予定だし、桜華さんのワガママに応えられる腕と知識はないのだ。

 それでも画面越しの向こうにいる反応を待つ。


『玉ねぎは多めがいい』


 桜華さんがいったいどんな状況かわからない。

 けど、車内でよく耳にする車掌さんのアナウンス声に紛れたか細い声での要望。それだけはしっかりと耳に届いた。


「タマネギ多めですね、わかりました。あと、買い物がそろそろ終わるんですけど、どうしますか?」


『……』


 再び黙り込む桜華さんをよそに、私はレジに並んで会計を済ませる。

 それからしばらく桜華さんからの応答はないままで、微かに聞こえる車内の音に耳を澄ませていた。

 ……からかい過ぎたかな?

 スーパーにある休憩所で時間を潰しながら、ちょっぴり不安になってしまう。

 桜華さんの家に行くようになってから数回と、出逢って日も浅い関係だ。しかも相手は年上の社会人で、私みたいな年下の女子高生に遊ばれれば気をよくしないだろう。


『ソラちゃんって、実はイジワルだよね』


「そんなことはないと思いますよ」


 声音からして不機嫌そうで、周りに迷惑をかけるのを気にした様子がない声音。もしかしたらすでに電車を降りて、最寄り駅に到着したかもしれない。

 最初はこの通話を繋ぎっぱなしの意味がわからなかった。

 ただそれでも、不思議と嫌いじゃない。

 相手の表情はみえないけど、ただの素っ気ない文と違って声がある。だから何となく、どんな感情を抱いているのか察しがつく。


「駅前で待ち合わせます?」


 恐る恐ると桜華さんの機嫌を取るため、私はそう訊ねていた。


『前みたく手を繋いで帰ってくれる?』


「え、それは恥ずかしいです」


『もぉ! だったら先に家の前で待ってて!!』


 そんな桜華さんの悲鳴染みた叫びに続き、一方的に通話は切られた。

 うわぁ~これは絶対に怒らせたよぉ~。

 何度かけ直しても繋がらず、メッセージを飛ばしても既読はつかない。最寄りの駅からスーパーによって帰るとなると、少しだけ回り道になってしまう。

 もし桜華さんが駅前にいたとして、私より先にマンションに着く可能性がある。

 その待ち構えた先で何をされるか。

 掴みどころのない桜華さんだけあって、内心は恐怖でしかない。

 気づいたら私はスーパーを出て走っていた。

 向かうは駅前で、桜華さんを迎えに行く。

 すれ違って追う形になっても、気を悪くさせたことはしっかり謝ろう。可能な限りではあるけど、今日はどんなワガママも受け入れる態度をみせた方がいいだろうか?

 私は焦りに歩調を速め、駅前に到着して辺りを見渡した。


「さすがにみつかるわけないよね」


 行き交うスーツ姿の男性や女性、私と年の近い制服を着た学生。チラホラと私服も目立ち、改めて最寄り駅の利用客の多さを目の当たりにさせられた。

 いつもはただ何となく眺めるだけで、待ち合わせの目印もない相手を探すのは一苦労。

 ひとまず交差点を渡り、改札前で桜華さんの姿を探した。

 電車の到着時刻に合わせて、人の流れはさざ波のように寄せては返していく。できるだけ邪魔にならないよう私は端により、目を皿にしてくまなく見回す。

 何度か桜華さんに似た人は目にしたが、私に見向きもせず通り過ぎていく。

 当たり前のことだけど、他人だからだ。

 そうなると、あの時の桜華さんはどう私を見つけたのだろうか? しかも確信をもって後ろから抱きしめてきた。

 これといって制服を着飾るどころか、身長だって女子からすれば平均的だ。

 さっきだって、私は桜華さんに似た人に声をかけようとしたけど違っていた。


「ホント、不思議な人だな」

「誰が?」


 耳朶を打つ声に、私は振り返る暇もなく抱き着かれた。


「お、桜華さん!?」

「ソラちゃん、みぃ~つけた」


 改札を抜けて交差点へと向かう人の流れを見送り、私は次の波が来るのを立ち尽くす形で待っていた。

 その背後を取ってきた桜華さん。

 身長差が少しあるから肩越しに見上げると、桜華さんは変わらず笑みを浮かべた。


「ここにいるってことは、私のこと迎えに来てくれたの?」

「いえ……その、怒らせたかなって……不安で……」

「怒らせた? ソラちゃんが、私を?」

「……はい」


 不思議そうに瞳を丸くさせた桜華さんに、私は顔を合わせられず俯いてしまう。ここで逃げだすのも変な話で、後ろから抱き着かれていて身動きが取りづらい。

 だからせめてもと、私は顔を背けて怒られることに身構える。


「むしろ私の方がソラちゃんに怒られてない? ……いや、呆れられてると思うんだけど。そこには不満はない」

「不満……ですか?」


 桜華さんが何を言いたいのかわからなかった。

 確かに最初は家の惨状を目の当たりに呆れたし、喜怒哀楽でコロコロと変わる感情にはついていけない。私と年がちょっと上なだけなのに大人っぽく、掴みどころのないお姉さん的な存在だ。

 そこに不満がないかと訊かれると、考えてしまう。


「少なくとも、家事は頑張ってほしいです」

「それは耳が痛い」


 渋い表情で笑う桜華さんの腕に力が籠められ、私との距離がさらに縮まる。


「正直ね、ソラちゃんが迎えに来てくれただけでどうでもよくなっちゃっただ。イジワルなところは意外だったけど、それくらい私に心を開いてくれてるってことでしょ?」

「それは……そうかもです……」


 囁くような掠れた桜華さんの声に、こそばゆく感じる息遣い。抱き締められているのに背筋が震え、私の自然と全身が強張っていく。


「それだけでも嬉しかったのに……私なんかが怒れないよ」

「怒ってないんですか?」


 つい、問い返してしまう。

 それなのに、桜華さんは怒った様子も私を開放してくれた。


「いやぁ~こっちとしては家事をお願いしてるからねぇ~頭が上がらないんだよぉ~」


 快活と笑う桜華さんは頭をかき、いつもと変わらない態度を見せてくれる。

 だから余計、不安になってしまう。

 私なりの繕わない本心を表すには、どんな言葉なら桜華さんに届くか。よく向けられるその笑顔を前にすると、心の中に霧がかった気分でモヤモヤする。

 桜華さんがいった通り私が心を開いているのであれば、その逆はどうなのだろうか。

 どこか誤魔化すような、そんな繕った雰囲気がある。それが私を含めた周りに対する桜華さんなりの対処法。


「……ソラちゃん?」

「手、繋いで帰るんですよね」


 気づくと、私は桜華さんの手を握っていた。

 どうしていいのかわからない。

 けどこれが、私なりに背伸びして頑張った誠意のみせ方。私のない知識を振り絞ったところで限界があるし、薄っぺらで桜華さんには届かない気がした。


「恥ずかしいって言ってなかった?」


 そういいながら、桜華さんは指先を絡めてくる。


「……変に拗ねられると、色々と面倒ですから」


 少しだけ指先に力を籠めて、私は歩きだす。


「ソラちゃんにとって私って子ども扱いなのぉ~」


 不満そうな口ぶりの桜華さんだったけど、表情を見なくても声音は嬉しそうだった。


「自分の使った物を片づけられないとか、小さな子供と同じじゃないですか」


 これといった照れ隠しではないけど、つい皮肉交じりに返してしまう。

 それ以降の会話はなく、私と桜華さんは手を繋ぎながら帰路に就いた。そのまま家に上がってカレーを作り、一緒に食卓を囲んだ。


「……ねえ、多くない?」

「大丈夫です。カレーは一晩おいた方が美味しいっていいますから……」

「だとしてもだよ?」


 カレーは無事に出来上がった。

 味の方は有無もなく、私の家でもよく食べるのと変わりない。

 ただ、多めに作りすぎたのは否めなかった。

 原因は何なのか?


「牛肉に豚肉、鶏肉のオンパレード」

「あと、タマネギもいっぱい入れましたよ」

「それはうん。具だくさんで嬉しいよ」


 私がキッチンに立っている間、桜華さんは野菜のゴロっとした感じがいいと、ソファに寝っ転がりながら要望してきた。

 だから、少し食べづらいかもと思いながらジャガイモやニンジンをカットしている。食べた限り、しっかりと火が通っているから芯はない。


「……そのぉ~明後日はドリアにでもしますね」


 スマホでカレーのアレンジレシピを調べていると、そんな検索がヒットした。


「うん、楽しみにしてるね」


 桜華さんは笑顔だったが、どこか遠い目をしていた。

 それもそのはずだ。

 最低でも三日はカレーが続き、アレンジを加えたところで味は変わらない。


「次は気をつけます」

「まあまあ、そんなに落ち込まないでよ」


 慰めてくれる桜華さんに、私は本当に申し訳なくなった。

 料理って、味付けもだけど分量も難しいんだな。

 とりあえず買ってきた食材を全部入れたが、あまりにも調子に乗りすぎたようだ。さすがに反省しながら多めに食べ、しばらくカレーはいいかと思ってしまった。


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