巡る巡った思考の先へ――
ついさっきまでいたソラちゃんが帰宅して、静かになったリビング。特に観るわけでもないテレビから笑い声が流れてくるも、私の耳にはまったく内容が入ってこない。
「改めて一人になると、本当に静かなんだな」
半年前まではそれが当たり前で、これからも続いていくものだと思っていた。
だけど今は違う。
ソラちゃんと知り合った。
出逢い方からして偶然というか、あの時の私はどうかしていたと思う。
だって、普段は飲まないお酒の力を借りてまでソラちゃんのことを助け出した。明らかに腕っぷしからすれば男女で差はあるし、何かあれば警察に任せればいい。
なのに私は動いていた。
これといったプランもなければ行き当たりばったりで、こうして無事なのが不思議なくらいだ。
……まあ、記憶を辿るとソラちゃんには迷惑をかけた。朧気だけど、それは憶えてる。
けど今日、ソラちゃんの内側に少しだけ触れた気がした。
だから実感する。
私とソラちゃんは違うのだ。
社会的に考えれば当たり前のことで、出生や年齢、育ってきた環境が違う。そんなことを誰かから説かれ、学ぶよりも先に、私は身をもって知っている。
「難しいお年ごろだもんね」
そんな時期が、私にもあったのだろうか。
物心つく前から両親はいなく、周りには顔も知らない人ばかり。年齢が近い子もいれば、そうじゃない年上や年下。大人もいた。
生憎と義務教育のお陰で私は小学校に通え、成長するにつれて色々と知れたと思う。
それは今でも変わらず、毎日の中で学ぶことは多い。
特に働くようになってそれが顕著で、慣れるまでが結構大変だ。それでも続けられるのも先輩が親切で、職場環境が良いからだと思う。
本当に私は運がいい。
そう、短い人生ながら感じてしまう。
「年寄りくさっ」
つい自虐的になってしまう。
おもむろに立ち上がり、キッチンに足を運ぶと洗われた食器たち。冷蔵庫の中を確認すると、私が買ってきたケーキの箱とは別の入れ物。
そのプラスチックの容器はどこか見慣れた光景で、手を伸ばして中を確認していた。
「……お浸し? それとこっちはひき肉と……いり卵?」
私が作っていないことは確かなので、必然的にソラちゃんだと分かった。
さて、これはどうすればいいのだろうか。
料理をしないどころか、今日は手伝おうとして指を切る始末。だからほとんどの食事はスーパーの総菜か、コンビニ弁当が多い。
ない知識を目いっぱい振り絞るも、思考を遮る通知音が聞こえた。
「ソラちゃんからだ」
まるでタイミングを見計らったかのような連絡で、通知画面をタップしてトークアプリを立ち上げる。
《冷蔵庫の中にあるタッパー、温めたご飯の上に乗せて食べてください》
ほほぉ~そんな食べ方が。
しかもご丁寧にも参考にしたレシピのURLが張られ、興味本位でタップして飛んだ。
「三色丼。……確かにこれくらいなら私にもできるかも」
つい独り言ちってしまうが、おそらく作ることはないだろう。
だって、面倒だもん。
《少しずつ、一緒に覚えていきましょう》
釘を刺してくる一文に、私は小さく笑い声をあげていた。
「頑張ります」
どこまでも真面目で、こんな私相手にも嫌な顔一つもしない。
……ん? いや、呆れてるのか?
家事が出来ないから女子高生を、しかも同じマンションの住人にお願いするのもおかしな話だ。たまたま駅でナンパされているのを助けただけで、慣れないお酒で潰れかけたのを介抱までしてくれる。
そんな優しい子に、エレベーターではかなり勇気を振り絞ってみた。
結果としてはこれで良かったと思うが、いつまでも続くなんて夢にも見ていない。
だって、近いうちに違和感に気づくはずだ。
一人暮らしにしては、広いこの部屋。
私だってそれは自覚があるけど、唯一とも呼べる家族との繋がれる場だ。
「ソラちゃんは、どう思うのかな……」
今までこの家に来た人は数人いる。
中学で仲良くなった友達と勉強会の場として提供し、よく定期テスト前は賑やかだった。高校生に上がってもそれは変わらなかったが、どちらかと言えば私が招かれる方になっている。
だって、そうじゃないと家族の時間を邪魔してしまう。
それでもここに帰ってくれば、私は姉として妹の面倒を見てあげた。
血の繋がりはないけど、私の姿を見れば嬉しそうに甘えてくる。何も知らない妹を責めるわけでもなく、突き放すなんてできるわけがなかった。
『桜華ちゃん。優衣のお姉ちゃんとして、面倒を見てあげて』
母からのそんなお願い。
『時が来れば優衣も知るだろうが、私達は家族なんだ。一緒に支えあっていこう』
父からの温かな言葉。
決して嬉しくないわけじゃない。
親のいない私を、我が子のように引き取って育ててくれた。
だからこうして今があって、私なりの人生を歩んでいる。
気づくと、私は廊下にでていた。
真っすぐと玄関に向かうでもなく、T字に分かれた先にある二部屋。
その内の一部屋、私が使っていた扉の前に立つ。
そういえばソラちゃん、あの時にこの部屋を見たのかな?
ノックをするでもなく扉を押し、家具一つない一室を眺める。
両親がここを引っ越す際、家具から何まで処分してもらった。今使っている寝室は、ここにきて初めてできた私だけの個室。いつでも両親と顔を合わせられ、部屋で静かにしていれば微かな物音で繋がりを感じられる。
けどここには、何もない。
使っていた母は寂しそうな顔をしていたけど、了承してくれた。
大半は新居に運びだされ、今でも使われているのだろう。
奥にあるもう一つの部屋は、父の寝室だ。
夫婦の仲が良かったが、仕事でよく帰りが遅くなった時に母を起こさないための配慮された場所。
娘として、本当に微笑ましい光景だった。
だからなのか、そんな仲の良い夫婦の関係を求めてしまう。
ほぼ開かずの扉としてあり、来客用で布団の一色は用意している。
……使われたことは一度もない。
ソラちゃんにバレたら、埃っぽいって言いながら干しそうだな。
そうしてもらおうかな?
いっそのこと処分も考えたが、確かコンビニで買わないといけない物がある。……面倒だ。
一通り気の向くままに我が家をうろつき、リビングに戻ってきた。
「って、なに感傷的になってるんだろう」
ソファに身体を投げる形で仰向けになって寝っ転がった。
◆ ◆ ◆
別に私は、恋愛に対して興味がないわけじゃない。
あれを交際にカウントしていいのかと疑問だが、気が向いたらソラちゃんにでも訊いてみようと思う。
多感な高校一年の頃、入学したてで間もない時に男子生徒から告白されたことがある。クラスが一緒だったくらいで、名前すら憶えていなかった。接点もなければ唐突な告白は、高校で知り合った友達に煽られてこと。
そこからお互いに手探りながら付き合い始め、手を繋ぐことすらなかった。
別れた原因は、夏の長期休みだ。
運動部にとっては朝から晩まで練習漬けで、会う機会が減っていった。今どき連絡なんて簡単に取り合えるのに、私からは一切しない。していいのかわからなかった。
家では妹の面倒をみて、空いた時間は課題を消化する。
気づくと休みも明け、久しぶりに顔を合わせたかと思えば別れを告げられた。
何が悪かったのか私にはわからなかったが、相手も同じ気持ちでいたらしい。そこは私が一歩を踏みだすべきだったのか、今だから何となくどう動くべきか想像できる。
そんな感じで甘酸っぱくも、どこか苦い経験になった。
それからは新たな環境に慣れるので手いっぱいで、目まぐるしかったと思う。
義妹が少しずつ成長し、父方の実家が近い場所に新居を構えた。どうにも待望の子を身籠った際に建てる計画があったようで、私にとっては寝耳に水のこと。
けど、そう電車でいけない距離じゃなかった。
高校と新居の往復で通常の登校時間は伸びることになるが、帰宅部だったから朝も早くなければ夜も遅くない。
だけど私は、マンションに残ることを選んだ。
今でも思いだせる残念がる義父と、心配だから定期的に来ると言ってくれた義母には申し訳なかった。
それでも私なりに考えた、家族への配慮。
もしくは、遅れてきた反抗期だったのかもしれない。
本当の両親じゃないのに、義妹にとられたことでも嫉妬したのか。再び環境が変わることを恐れ、新たな友達関係を作ることに不安だったのかもしれない。
その決断が正しかったのかはわからないでいる。
だからといって、両親との交流を切ったわけじゃない。
いつしか通ってくれた義母に代わり、私の世話を焼いてくれる義妹を経由して状況は耳にしている。
我ながら、年下に面倒を見られるとは恥ずかしい。
最初は義母に連れられていた義妹だったが、顔をみれば甘えるように駆け寄られた。
家事をしてくれる義母の変わりに遊んであげたが、室内で出来ることは限られる。正直どうしようと頭を悩みながらも、ただ話しているだけで喜んでくれたので何気ない学校でのことを聞かせてあげた。
それから気づけは、義妹は一人でマンションに来ることが多かった。
しかも私以上に家事ができ、手を貸そうとすると座ってていいの一点張り。授業の家庭科を教えてもらっただけどとは思えず、義母ですら任せても問題ないという判断でよこしていたのだろう。
そんな年の離れた義妹だが、帰り際は寂しそうな顔をするのがまた可愛い。
……本人を前にすると冷たくあしらわれるので、ひっそりと胸の内で思っている。
けど、今となっては普通に素っ気ない。
勉強に部活動、まだ先とはいえ高校受験も控えている。それに加えて家事を私の代わりにしてくれて、自分の時間がとれているのか不思議でしょうがない。
義妹は、私が血の繋がった家族じゃないことを知っているのだろうか?
◇ ◇ ◇
気づいたら、また転寝してしまっていたようだ。
「ソラちゃん、何してるのかな」
こうして誰かのことを考えるのも、幼い頃に本当の両親を知ろうと思った時以来かもしれない。
家族以外にこういった感情は、初めてのことだ。
ぼんやりとした意識の中、テーブルの上に置いていたスマホに手を伸ばした。
「……」
トークアプリを開いて文字を打ち込む、後は送信すれば連絡はとれる。
そのはずなのに、取り留めのない事で連絡をするのが怖い。
この気持ちを、年下のソラちゃん相手に告げていいのか。
「はぁ……わかんない」
どこか答えのない問題にぶち当たった感じで、グルグルと頭の中を巡り続ける。
それでも一つだけ確信をもっていえるのは、ソラちゃんを助けていなかったら後悔していたことだ。
何かに悩んで、自暴自棄ではないが答えを求めていた。
ぼんやりとした横顔の表情が。
まとっていたその雰囲気が。
私自身どうすればいいのか、岬家に養子として引き取られた時と重なった。
……そう映ったから、助けようって動いてたんだよね。
他人からすればただのエゴで、ソラちゃんに過去の私を重ねてみてしまった。