大人になるって大変だ……
普段は電車で数分の道のりを、車という別の手段で移動する。体感的にはさほど差がなく、少しだけ新鮮な気持ちだった。
ただ、その後が大変になるとは予想外。
「あ、あの、大丈夫ですか」
「……気持ち悪い」
口に手を当てる女性に肩を貸していた。
辛うじて聞き取れた情報からすると、コンビニで売っていた紙パックの日本酒を一気飲み。お酒の力を借りて私を助けてくれたらしい。
……そんな力が本当にあるのかは疑問だ。
そしてタクシーに揺られ、気持ち悪くなってしまったらしい。
車酔いの可能性もあったが、運転は比較的に丁寧で。降りる際に運転手のおじさんから心配された。助けてくれたもらった上にタクシー代をだしてもらうどころか、支払える状態でないことから私が精算。進級祝いのお陰でどうにか足りたけど、正直たった数駅だけなのに驚かされた。
なぜか介護する羽目になっている私は、どうするべきか立ち尽くしている。
「……み、みず」
「お水ですか? ……今買ってきますね」
最寄り駅だから土地勘もあり、コンビニの場所はすぐにわかる。
だけど、この状態の女性を放置していいものか?
「うっ」
「す、すぐ買ってきますから!?」
口もとを手で押さえながらも、女性は目に見えるほど容体が悪化していく。
だから私はその場にゆっくりと女性を座らせ、一目散にコンビニへと駆け込んだ。普段は断るコンビニ袋も一緒に買い、来た道を急いで引き返す。
どうにか水を飲んでもらうと、一呼吸おいた女性は頬を緩める。
「あはは、まさか逆に助けられちゃったよ」
「こちらこそ、本当に助かりました」
身長的に女性の方が背は高く、歩きづらかったけど気にしない。
「お姉さんの最寄り駅って辺なんですか? 良ければ送りますよ」
「こんな体たらくの私にお姉さんか……申し訳ないな」
「そ、そんなことないですよ」
しょーじき、圧しかかられる感覚に近いので一歩が重い。
それでも私にとっては恩人で、出逢い方は本当の偶然。年齢的には離れている感覚はなく、私の二つ上の姉ともちょっと違う。
どこか漠然とした将来の大人像。
だけど、お酒だけには気をつけようと思う。
「あたしは桜華。……君は?」
「えっと、颯来です」
「えへへ~ソラちゃんかぁ~可愛いねぇ~」
「うっ……」
まるでペットのようにすり寄られ、首に回された腕も締まっていく。
結局、私たちが動けるまでさらに時間がかかった。
「本当にごめんなさい!」
「いいえ、私のことは気にしないでください」
辛うじて回復したのか、桜華さんは勢いよく頭を下げてきた。
だけどそれで再び体調を崩されるのも怖く、私はどうにか落ち着かせるので手いっぱい。頼りない足取りの桜華さんを支えながら、示された道順の夜道を歩く。
念のため両親には帰りが遅くなると連絡を入れ、こうして桜華さんに付き添っている。
「次はどっちですか」
「あっち」
どこか見慣れた夜の住宅街。
桜華さんが指し示した場所には、私はただ驚かされた。
「……本当に、この建物ですか?」
「703号室」
手首にぶら下げた鞄から取りだされる鍵を受け取り、私はオートロックを解除する。
……よかった、階は違うのか。
まさかの私も住むマンションという偶然はあえて触れず、そのまま桜華さんを部屋まで連れていく。
振り返ってみれば今日は色々とあった。
学校側から提出を求められた進路希望調査。正直漠然とどころか、何一つ考えていない。それで気分を変えようとして、プチ家出ならぬ気の向くままに知らない駅で下車。そこでまさかの人生初ナンパ。どうにか無事なのは桜華さんのお陰だけど、まさか介抱させられる羽目になるわ……。
これほど濃い一日を過ごしたことはない。
けどそれも今日だけのこと。
ここで桜華さんを送り届けたら、私には変わらない日々が待っている。
「着きましたよ」
「うぃい~す」
どこからそんな声がでるのか、体調が悪かったはずの桜華さんは上機嫌だった。
覚束ない足取りが不安で部屋の前まで付き添い、鍵まで開けて部屋に入れる。
「たらいまぁ~」
一瞬、同じマンションなのかと目を疑ってしまった。
けど桜華さんは気にするどころか、踵の低いヒールを脱ぎ捨てて奥へと消えていく。
「……きったな」
つい本音が口からでてしまう。
玄関を潜ってすぐに置かれた燃えるゴミ袋が数個。それに段ボールの側面に描かれる有名な通販サイトのロゴと、お水を配達してくれるどこかの業者さん。
未開封もあれば、そうでない物と積まれている。
……どんな生活送ってるんだろう。
奥の方から大きな物音に続き、低く呻く桜華さんの声が聞こえてくる。
「大丈夫ですか」
電気もつけずに進んだから、何かに躓いた可能性がある。
すぐに帰る予定だったけど桜華さんの返事はなく、心配で恐る恐る上がり込んだ。
入ってすぐにある照明スイッチを手探りで発見して、夜も遅く暗い通路に明かりが灯る。さすがに二度目の驚きはないと思っていたが、玄関はまだ序の口だったようだ。
辛うじてゴミは袋の中に納まっているも、口の部分を縛られていないモノがある。
しかもそこに紛れるように、下着が放置されていた。これが一枚とか、上下セットになっていないならまだしもカラフルだ。
同性として恥ずかしいを通り越して、唖然としてしまう。
大人になると、羞恥というのがなくなってしまうものなのか?
先に進むのが怖くなりつつも、私はリビングへと向かった。
「すぅすぅ」
「……寝てる」
開けっ放しだったリビングの扉を潜り、すぐ脇にあるキッチンの床に桜華さんがいた。恐らく角に肩でもぶつかって倒れ、そのまま眠りに就いたのか。お尻を私に突きだす形で気持ちよさそうに寝息をかいている。
見てはいけないモノを前に、私は逆に冷静になっていた。
「これが、大人……?」
私の両親は言葉にはしないが、姉のようにいい大学に行ってほしいという期待が見え隠れしている。
かといって、私は出来がいいわけでもない。
だから正直それはプレッシャーだし、本当にそれでいいのかと悩んでいた。分からなくなったから、家出のように場所を変えて考えごとをしていたのだ。
のはずが、これである。
高校を卒業したらいい大学に行って、社会のためにしっかりと働く。
どこか宗教じみた教えだが、教師たちはよくそんな言葉を口にする。
恐らく私の両親に訊いても、似たことを言うに違いない。
それに応えた姉がいて、続くように私もいる。
周りのようにやりたいこと、熱中できるものがあるわけでもない。だから、出来る限り両親の期待を裏切らないように頑張るつもりではいた。
その決意が揺らぎそうになる。
「お、桜華さん。そんなところで寝ると風邪ひきますよ」
「ん~」
床が冷たくて気持ちいいのか、返事らしきものをしながら頬を床に押しつけて伸びてしまう。これで体勢的には良くなったが、寝ていることには変わりない。
どうにか起こそうと近づき、肩と何度か叩く。
だが、起きる気配はなく身動ぎして逃げるだけ。
その先で壁に激突し、短く呻いて動かなくなった。
……案外、可愛いかも?
年上だと分かりながらも、眠る姿がまるで子供っぽくて可愛く感じてしまう。
「桜華さん、さすがに起きてくださいってば!」
それ故の感情か、しっかりとベッドで寝てほしい。
だって、キッチンも同様だ。
生憎と食生活は不安を抱くほどに、コンビニのお弁当やスーパーのお惣菜パックが見受けられる。明らかに自炊はしていないことから、生ゴミは見受けられない。季節もまだ朝晩は肌寒く、虫たちが活発になるのはまだ先のような気がする。
これで夏を迎える光景を想像すると、引いてしまう環境下だ。
少なくとも大学を卒業して、初めての一人暮らしであれば納得がいく。もしそうでなければ、どんな生活を送ってきたのか。
初めはカッコいい人かと思えば向こう見ずの行動で、挙句の果てにこれだ。
勝手とはいえ、大人への理想を抱いた私の好感を返してほしい。
「桜華さん、いい加減起きてくださいってば!」
「おこ~んないの」
強引にでも起こそうとして、抱き上げようとする私の頭を撫でてくる桜華さん。なぜか私が子ども扱いされるも、この年で甘やかされたことに戸惑ってしまう。
な、なんなのこの人……。
抱き合う形で動けなくなり、衣類越しに感じる桜華さんの温もり。耳もとを微かにくすぐる息遣いに、しがみつくように回された腕に力がこもる。
どれだけ桜華さんに意識がないとはいえ、謎に早まる私の心拍数。
これまで同性の友達とハグすることや、修学旅行で肌を見せ合う機会はあった。
だけどここまで緊張したことはない。
「お、お願いします。……起きてください」
「……ん」
どうにか振り絞った私のか細い声に、ようやく桜華さんが目覚めた。
胡乱とした眼で首を縦に振ると立ち上がり、何かに引き寄せられるように歩きだす。
……た、助かった。
さっきまで感じていた腕の中にあった温もりは薄れるも、私の鼓動は高まったまま。妙に頬も熱い気がする。
今までにない未知の体験に、頭の整理が追いつかない。
それでも桜華さんが起きてくれたことに、平静を装ってキッチンを後にする。
「って!?」
「どうかしたぁ~?」
まるでそれが当たり前で、気にした様子のない桜華さんが首を傾げる。
けど私からすれば急で予想外。
桜華さんはすでにスーツの上着を脱ぎ、今にもパンツをと指をかけたところだった。連続で繰り広げられる展開に、私の脳と心が限界を迎えてしまう。近所迷惑なんてお構いなしに大声を上げていた。
「な、何してるんですか!?」
「……着替え?」
両手で顔を隠す私に、桜華さんはさも当然のように応えてくる。
た、確かにスーツだと寝づらいと思いますけど! 私が帰ってからでもいいのでは!?
私が心の中で叫んだところで、桜華さんには届かない。
だから気づいたら、その場から駆けだしていた。
「部屋のカギ! ポストに入れておきますからね!!」
靴なんか履かずに外へとでて、返せないまま手持ち無沙汰だった鍵を差し込んで施錠する。細長い口のポストに鍵を押し入れ、急いでエレベーターに乗り込んだ。
ナンパから助けてもらったお礼も中途半端に、私は上の階にある我が家の階を押す。
な、なんなんだこの気持ちは!?
桜華さんの部屋からここまで、ほぼ全力で走ったからなのか。今まで感じたことのない胸の高鳴りに困惑させられる。
たまたま桜華さんが助けてくれたけど、それが別の人だったらどうだったのだろう。
異性、同性かかわらずにこうなるのか?
それとも桜華さんが特別?
……いや、そんなことはないと思いたい。だって、相手は同性だ。それに大人とはいえ、あの部屋の惨状は目も当てられない。少しくらいは綺麗に掃除とか……。何よりも! 同性だからって堂々と着替えなくてもいいと思う!!
軽快な到着音に私は顔を上げ、あれこれと込み上げてきた気持ちを落ち着かせる。
「今日のことは寝て忘れよう」
これは何かの悪い夢で、進路に悩んだ末の最悪な未来図だ。……ああは絶対になりたくない。
「ただいまぁ~」
いつもより遅くなってしまった帰りだが、我が家の玄関を潜ると妙な安心感があった。
奥からお母さんの声が返ってきて、微かにテレビの音も聞こえる。時間的にお父さんも帰ってきているに違いない。
リビングに顔をだすと夕食が用意されていて、私は一度部屋に戻って制服を脱いだ。
「それにしても桜華さん、あの家に一人暮らしなのかな」
他の住居人がどうかわからないが、比較的にここはファミリー世帯向けの物件だと思う。3LDKで各部屋の広さはまちまちでも、一人で住むにはかなり持て余すにいるはずだ。私も小学生の中学年頃までは姉と一緒の部屋だった。
けど今は、一人部屋を与えられている。
だから余計、違和感を抱いてしまう。
本当に一人暮らしなのか。
もしそうだったとして、何かしらの事情があるに違いない。
「……って、私が立ち入ることじゃないか」
出逢って数時間、たまたま同じマンションに住んでいただけで初対面。恐らく社会人と学生の生活サイクルからして合わず、今後も顔を合わせるか疑問だ。
それにお酒でやられている。
憶えていなくても不思議じゃない。
「とりあえず進路は、二人にでも聞いてみようかな」
一人悩んでいても答えが見つかるどころか、私の場合は迷走し続けそうだ。
こんな時の友達は頼りになる。高校からの付き合いだけど、小中で離れて音信不通の子たちには違う。
一方は頼りに甘え、もう片方は私にないものを持っている。
「さぁ~て、ご飯食べたら宿題しなきゃ」
手早くルームウェアに着替えて、私は遅くなった夕飯と食べた。
◇ ◇ ◇
翌朝、どうにか布団の誘惑を振り払って学校へと向かう。
私が通う私立聖光学園は共学で、周りはどこか頭良さげの雰囲気をした生徒が多い。
いや、実際に頭は良いと思う……。
そんな場所に通っているのが不思議なほど、私は上手く成績をキープできている。
どれもこれも親の方針で、姉もここの卒業生というだけ。私の意志はここにはない。
「おはよう」
「……おはよう、ソラ」
教室に入ってすぐ、窓際の一番前に座る女子生徒に挨拶をした。
一拍遅れるどころか、席に近づくまで顔を上げない同級生の三城楓。長くもない黒髪の後ろで一つに括り、知的な印象を与えるシャープな眼鏡。
その奥に宿る、気が強そうな双眸。
広げていたテキストを片付け、かけていた眼鏡を外した。
「……どうかしたの?」
「楓先生は、朝からマジメだなぁ~と」
「そう? 二年生にもなったんだから、大学受験のことは視野に入れておくべきよ」
「その言葉、胸に刺さる……」
わざと胸を押さえて苦しんでみるも、楓は不思議そうな顔をする。
うん、そうだよね。
いつも通りの楓に私は冷静にさせられる。こうしたおふざけを真剣な目で見られると、こっちが恥ずかしい。
新学期早々にくじ引きによる席替えをして、私はもぎ取った一番後ろの席。
だけど楓は、クジを引くどころか自分の意見を主張してここにいる。どれも自分のためでもあり、誰もその意志に口を挟むことはなかった。
どこか冷めたく周囲の空気すら見向きもせず、我が道を進んでいる。
私は自分の席に鞄を置いて、楓の隣に腰かける。
「その……進路について悩んでおりまして」
「それ、私に相談することじゃないでしょ?」
「ごもっともです」
容赦のない言葉に、私は教師に怒られる生徒とかす。
それでも楓は、両親よりはどこか相談を持ちかけやすい相手ではある。
短いため息吐くと、体ごと向き直って聞く姿勢をとってきた。
「おおむね進学か就職で悩んでるんでしょ? 進学するにもどこの大学が良いとか、就職しようにも親を説得できない」
「それに、働くにしてもこれだっていう職種がないんだよね」
九割方言い当てられてしまい、私はただ笑うしかなかった。
……私って、そんなに分かりやすいかな。
そんな楓でも、私が抱える残り一割の引っかかりを見抜けない。そうだったとしても、楓に相談することで解決しそうな気がしていた。
「時期的にまだ可能性はあるから、とりあえず塾に通ってみるとかどう」
「え、早くない」
二つの意味で食い気味になってしまった。
一つ目は、こんな私の成績に可能性があると言ってくれたこと。毎回スパルタ指導に悲鳴を上げながら勉強を見てもらっている。
そんな楓先生からのお言葉には期待してしまう。
二つ目は、塾に通うことだ。
「ちなみに中学から通ってるわ」
「はへぇ~」
驚きを通り越して感心してしまう。
予想通りというか、想定の範囲内ではあるけど……早くない? 中学からって、どれだけ勉強漬けの毎日なんだろう。想像しただけでも震えてしまう。
「ま、あくまでソラの頑張り次第だけどね」
「ねぇ! 私の期待を返してよ」
「だってそうでしょう? 何もしないで頭がよくなるなら苦労しないわよ」
露骨に肩を竦めてため息を吐かれると、最悪な方にも意味が取れてしまう。
どこか真剣な様子で考え込む楓は、私の顔を見て一言。
「好きにすればいいんじゃない」
「そんなぁ~楓先生にまで見捨てられたら私、期末テストすら乗り切れないんだよぉ~」
「だったら勉強しなさいよ」
ウソ泣きで楓に抱き着こうとすると、必死の抵抗で近づけさせてくれない。
だけど、楓より私の方が動ける。
頭はそれほど良くないけど、楓に負けない運動神経があるのだ。
一瞬の隙間に腕を滑り込ませ、楓のほっそりとした腰にしがみつく。
「お願い、少しは真剣に――」
「おっはよぉ~」
急に後ろから抱き着かれたかと思うと、後ろに引き剥がすような力が働く。私は距離感が近すぎる、もう一人の友達に挨拶する。
「おはよう、ユナ」
「うん、ソラちゃん。それに、楓も」
「おはよう、夢凪」
同じ制服を着ているはずなのに、一段と可愛く見えてしまう女子生徒。深藤夢凪の羨ましく感じる豊満な胸が、私の背中に存在を主張するように押し付けられる。
何を食べたらここまで育つのか、圧倒的な格差に泣きたくなってしまう。
しばらく夢凪に抱き着かれたままなのかと思い、私は楓から離れると重みが消えた。
「なぁ~に話してたの?」
校則を表面上は守る黒髪を肩から払う夢凪は、私と楓の間に椅子を引っ張ってきて訪ねてきた。陽の光で染めた内側は明るい茶色で、教師の目を掻い潜った隠れお洒落。癖なのか、組んだ脚の曲線美が存在を主張してくる。しかも黒タイツで隠されていうから、余計に大人の色気が増して見えてしまう。
「進路のこと」
私がつい夢凪の脚に魅入っていると、楓に額を小突かれた。
「あ~提出って今週末だっけ」
「しかも親じゃなくて私に相談とか、教師ならまだしも……」
「ちなみにユナは決めてる?」
楓からの非難じみた冷たい視線を避けるため、まるでお人形のようなエメラルドの瞳をした夢凪を見据えた。カラコンだって分かっていても、文句なしで似合っている。
本当に日本人なのだろうか?
さらに人差し指を顎に当て、小首を傾げて不思議そうな表情をする。
「ソラちゃん、まだ決まってないの?」
あざと可愛さを振りまきながら、さらりと私の心を抉ってくる。
ど、どうやら私以外は決まっている口ぶりだ。
他の誰かに聞いたわけではないけれど、顔の広い夢凪がいうのであればそうなのだろう。男女分け隔てなく接し、様々なグループに所属している。それなりに生徒の情報を持っているに違いない。
朝から泣きなくなる私の心境を気にせず、夢凪は続けてきた。
「まぁ~だってさ、ウチだよ? ほとんどが大学とは言わず、専門学校とかには進学するんじゃないかな」
「そうですよねぇ~」
よく聞く、やりたいことがないからとりあえず大学に行って見つける。
そんな気楽な考えはあるが、それを両親が許してくれるのか? ……あまり想像したくないな。
ハッキリと口にされたわけじゃないから、余計に不安が過ってしまう。
「私もそんな頭いいわけじゃないけど進学はするよ、専門に」
「へぇ~ってことは、何かやりたいことがあるんだ」
「うん! パティシエ」
こうも言い切ってみせる夢凪が羨ましかった。
可愛くて胸も大きければ、男女問わずに好かれる。しかも自分の考えを持って主張できるとか、私には無理だな。
……ホント、何ができるんだろう?
ケーキを作る夢凪の姿を想像してみると、確かに似合っている。それ以外にも持ち前の明るさで何でも乗り切ってしまいそうな気がした。
「昔っから言ってるのよ。甘い物好きだし、いろんな写真に撮ってSNSにあげてるでしょ? それを狙ってるのよ」
「な、なるほど」
さすが昔ながらも付き合いだ。
私がこの高校で知り合うよりも前から楓と夢凪は仲が良さげで、いつもつかず離れず一緒にいる。楓が姉で、夢凪は妹の構図がピッタリだ。
「そんなこと言って、楓も私が作るの美味しいって食べてくれるじゃん」
「作るだけ作って食べないのは誰よ。……私の身にもなりなさい」
険しく眉間にシワを寄せるに楓に、夢凪は怯えたように私の腕を掴んでくる。
この様子、どうやらかなり付き合わされているようだった。
「けど楓の言う通り、ユナの作るお菓子って美味しいよね」
「でしょ~? 何か食べたいリクエストとかある?」
「そう言われるとぉ~悩むなぁ~」
楓ほどではないが、夢凪が時おり作って持ってくるお菓子を貰っている。お店で売られていても遜色ないどころか、試食としてタダなのが申し訳ないくらいだ。
過去に作って撮った写真を見せられ、これはこれで幸せな悩みである。
「投げやりに聞こえるかもだけど、とりあえず進学でいいんじゃない」
半ば呆れて頬杖をつく楓は、無難な選択肢を勧めてくれた。
「ん~もうちょっと考えてみる」
「また何かあったら話聞くからね! もちろん、何もなくても相談して」
朝のHRを知らせる予鈴が鳴ったためお開きに、頼りになる二人の元を離れて席に着く。
こうして進路の話をするのは初めてで、正直驚かされることばかりだった。楓は普段の生活態度を見れば明らかだが、まさか夢凪も決めてたとは。フワフワした感じの見た目だけど、色々と考えてるんだな。
それを自分に当てはめてみると、少しだけ恥ずかしくなった。
目標がない。
「はぁ~」
自然と零れたため息に、私は窓辺から外を眺めた。
結局答えが見つかるどころか、キッカケすら掴めずにいる。このまま時間だけが過ぎて大人になるのか。……けど、桜華さんみたくはなりたくないな。
今も私がこうしている間に、桜華さんは会社に行って働いているのか。スーツ姿からしてオフィスの事務関係? それとも営業?
知り得る限りの職種を想像して桜華さんに当てはめてみるも、どれもピンとこない。
教師から進路希望調査の提出日を耳に、私はグルグルと頭を悩ませ続けた。
◇ ◇ ◇
「素直に相談してみるべきか……」
気づくと放課後になっていて、私は帰路に就いていた。楓と夢凪は路線が違うため、学校の最寄り駅までは一緒で、お互いの電車が来る時間までホームで立ち話をして過ごす。
その時だけ進路のことを忘れられたが、一人になると嫌でも考えてしまう。
だから余計に自己嫌悪。
楓と夢凪は明確な進路が決まっているからの余裕で、朝も相談した身としては焦りでしかない。
「どうしよう」
三人で作ったグループに、夢凪が散歩中のワンちゃんとじゃれる動画を上げてきた。短かったけどそれに癒され、羨んだ自分に反省して内心で夢凪に謝る。
……ごめん、ユナの方が可愛いよ。
そう打ち込むと、喜びを表すスタンプが連投された。紛れるように投げキッスするキャラもいて、かなりオーバーなリアクションに戸惑ってしまう。
そんな暴走を、楓が一喝『くどい』で締めくくる。
すると、ピタリと止むのが笑えてしまう。
私同様に、夢凪も楓に勉強を教えてもらってる身。何かと頭が上がらないでいる。
そんな当たり前のやり取りをしていると、あっという間に帰ってきていた。
時間からしてお父さんはまだいないだろうけど、お母さんは夕飯作ってるだろう。お姉ちゃんもしばらく一人暮らしを堪能したいからいない。電話すればでるだろうけど、相談に乗ってくれるかな……?
決して仲が悪いわけじゃない。
ただいつからか、私は避けるようになった。
その理由は明らかで、姉には問題はない。
全部は、私のありようだ。
「気が重い……」
トーク画面を開くと、お互いの入学と進級を祝う一文で終わっている。遡っても短めに用件を済ませ、有無の確認ばかり。
……あれ、もしかして仲が悪い?
謎の不安に電話でもと考えたが、静かにホーム画面に戻った。
「うん、気のせい」
そう自分に言い聞かせる。
「なにが気のせいなの?」
自動ドアを潜るまでは誰もいないことを確認している。
だからあれこれと言い訳を並べて、帰りたくない気分を吹き飛ばそうとしていた。だって、昨日みたくナンパされると大変だし。
まさか、そんな姿を見られるとは……。
声がした後ろに視線を向けると、仕事帰りの桜華さんがいた。
「こ、こんばんは……」
「乗らないの?」
いつからいたのか、到着したエレベーターを待たせて私のことを見つめてくる。
「の、乗ります」
昨日の今日で、顔見知りの間柄。
知らん顔でその場を切り抜けようとしたが、桜華さんは笑みを浮かべている。
「昨日はごめんね」
「……いえ、こちらこそ助かりました」
狭くないエレベーター内、二人っきりだから声はよく通る。それに何をとは言わず記憶に新しいから会話もスムーズだ。
かなり気まずかったけど、私は軽く頭を下げた。桜華さんも照れたように頬をかく。
「……」
「……」
ゆっくりと上へと動く感覚に身を任せている間、特に会話はなかった。
いや、何を話せばいいのか分からない。
だがそれもすぐに終わり、エレベーターは七階で止まった。
「……」
「……?」
桜華さんの部屋がある階のはずが、一向に降りようとしない。いつまでも開くボタンを押したまま、謎の時間が続いた。
「ソラちゃんって、これから少し話せる時間ある?」
「……はい」
この時点で薄々と感じてはいた。
どこか申し訳なさそうな目を向けてくる桜華さんに、私は首を縦に振る。こっちとしても、家に帰れる気分じゃない。
「立ち話もあれだし、上がってって」
降りるように促してくる桜華さんに、私は言葉の意味を理解する。
……え、あの部屋に。
昨日の光景を思い返すが、少なくとも一日でどうにかできるレベルじゃなかった。しかも仕事終わりの様子からして、片づけをする暇があったとは思えない。
そうなると、何も変わってないのは明白だ。
「お、お邪魔します」
それでも桜華さんの何かを訴えてくる視線に、私はエレベーターを降りた。