万能世話焼き少女襲来!?
高校二年生に上がって、そろそろ一か月が経とうとしていた。それは私が桜華さんと出逢った日とも重なり、今もなお関係が続いている。週に三回、火曜と木曜、そして日曜に家事をしに桜華さんの家に行く。
まるで家政婦のようだ。
私より年上で、社会人として働いている。第一印象はスーツ姿の似合うお姉さんだったが、家に帰れば汚部屋の住人。家事すらままならず、よく一人暮らしが続けられていたなと感心してしまう。
見た目は大人のお姉さんだが、感情表現がコロコロと変わる屈託ない子供。二面性とまではいわないが喜怒哀楽の感情表現が顕著で、掴みどころのない人だ。
そんな桜華さんから、一通のメッセージが届いた。
『今日の夜、八時に電話をしてください』
何度か取り留めのない内容が送られては、私もそれとなく返してきた。
その中でひと際目立った珍文、ならぬ珍メッセージ。送る相手でも間違えたのかと思ったが、頼み込む猫が土下座するスタンプが押された。
これが何を意味するのか。
「ソラちゃん、どうかしたの?」
「ん~何でもない」
「っていう表情じゃなかったけどね」
お昼休み、私はいつものように楓と夢凪の二人と過ごしていた。
不思議そうな表情で小首を傾げる夢凪に、どこかからかうような口ぶりの楓。その視線も生暖かく、明らかに勘違いされたままのようだ。
……二人からすると、私に彼氏がいてほしいの?
確かに浮いた話の一つもない十六年間だけど、将来的にはまだ可能性がないわけじゃない。……そうだと願っている。
あの時の誤解もうやむやのままだ。
だからこう、勘違いされるのも否めない。
「ホントなんでもないから」
そういいながら、私はトークアプリを閉じた。
「ふぅ~ん」
「そっか」
「……だから何なのよ」
一層疑いの眼差しが色濃くなり、興味なさげの態度が胡散臭かった。
……もう、桜華さんも変な連絡してくるから。
結局、送られてきた謎をそのままに午後を過ごした。
元もと桜華さんの家に行く曜日じゃないので、何をするでもない放課後を楓と夢凪の二人と過ごし。他に立ち寄る目的もなく、真っすぐと家に帰宅した。
「……まあ、お願いされたことだしね?」
夕飯を済ませて、お風呂も上がったばかり。することといえば明日提出の課題と、予習くらいだ。後者の方は気が向いたらで、今までしたことはない。
その手前、桜華さんからの連絡があったことを思いだした。
ちょっとだけ過ぎてしまったが、画面をタップしてトークアプリを起動させる。通話ボタンを押すと、しばらく呼びだし音が続いた。味気ない機械音が流れ、悪戯だったのかと首を傾げてしまう。もしくは、やはり送る相手を間違えたか。
けど、桜華さんがそんなことをする意味がわからない。
よくよく考えれば、いつもこの時間は家にいるはずだ。私が家事をしに行く曜日しか知らないが、夕飯を食べ終わるとすぐにソファ横になる。自分の家だからリラックスできるんだろうけど、結構だらしないと思う。
『あ、もしもぉ~し』
「……桜華さん?」
外にでもいるのか、間延びした桜華さんの声に紛れて賑やかな音が聞こえてくる。
『ん、今帰るね。じゃ駅でね、切るねぇ~』
「……え、ちょっと」
通話時間は数秒とかからず、会話にもならず一方的に切られた。
さすがにこれは、悪戯の範疇に入るだろう。胸にモヤモヤとした気持ちが生まれてきた。
桜華さんの言葉を思いだし、私はお風呂上がりにもかかわらず上着に袖を通す。
「ちょっとコンビニ行ってくるね」
キッチンで食器を洗うお母さん、リビングで一人晩酌をするお父さんに告げて外にでた。
最寄り駅までの道すがら、時間帯も夜だけあって新鮮だ。お風呂上がりだけあって吹き抜ける風が涼しくて、上着はいらなかったかもしれなかった。
どこかやってきた桜の花びらが、街灯に照らされた道端に溜まっている。
あの時ナンパされ、桜華さんに助けられた日もそうだったのだろうか? 気づくと、あっという間に春が終わろうとしている。
そんなことを考えながら、家灯りが漏れる住宅街を歩いた。
「さて、桜華さんはどこにいるかな」
駅に着くと、私のような学生よりもスーツ姿や私服の大人が目立った。割と年が近めの人もいて、どこか見慣れた光景が様変わりしてみえる。
そんな中、桜華さんを探した。
ついこの間も似たことをした気がする。
だから今度こそ、桜華さんより先にみつけてやりたいと躍起になってしまう。
それから十数分と駅前に張りつき、一周回って何をしてるんだと冷静になる。
「ソ、ソラちゃん?」
「桜華さん、お帰りなさい」
そんな矢先、今回も桜華さんにみつかってしまった。仕事帰りのようでスーツ姿で、私がいたことに驚いているようだ。
だけど私は用がある。
「あの、さっきのって悪戯ですか」
「え、いや……あれは、そのぉ~」
戸惑ったように桜華さんは顔を俯かせ、しきりにスーツの上着に鼻を押し当て始める。
まるで犬のようだったが、そんなことはどうでもよかった。
「聞いてますか、桜華さん。さっき――」
「ソラちゃんを都合よく使ったのはごめんなさい! 理由は後でしっかりと話します!」
「……は、はあ」
深々と頭を下げた桜華さんに、私は気の抜けた返事をしていた。
この匂い……お酒?
あまりにも勢いがよく、桜華さんの長い髪から微かに香る匂い。嗅ぎ慣れたわけではないからか、私の知らない大人の世界が広がっていた。
「それで、お酒飲んできたんですか」
「違うの! これは仕事の付き合いで、私が弱いの……知ってるでしょ?」
「あ~懐かしいですねぇ~」
すでに私が夕飯を済ませていたため、桜華さんが提案してきたファミレスには寄らず帰路に就く。
緑と白、青のボーダーラインが入った看板が目に留まった。
あの時に駆け込んだコンビニで、学校帰りに立ち寄ることも多い。けど今は、駆け込まなくてもいいようだ。
隣を歩く桜華さんからお酒の匂いがして、風が吹くたび私の鼻先を掠めていく。
「今日が会社の新入社員歓迎会だって忘れててさぁ~出席はしてきたんだよ? けど、流れで二次会に連れていかれるのが嫌なんだよねぇ~」
「……そういうのって、ハラスメントに入りますよね」
「まあそうなんだけどさ……付き合いって、難しいだよ」
表情から諦めの色が濃く、口ぶりからも察しられる。
大人になるって、色々と大変なんだな……。
いつものように喜怒哀楽の感情表現は激しく、だから余計に伝わってくる。
「それでね。どうにかこうにか二次会を回避するため、ソラちゃんにあのメッセを送って電話をしてもらったの」
「それが、どんな意味を成したんですか?」
会話にならない通話だったから、悪戯だと思って問い詰めようと来たのだ。
「ほら、用があるから帰りますって言いやすいんだよ」
だけど桜華さんは、朗らかに笑い返してくる。
決して悪戯されたことを怒っているわけでもなく、どんな意図があったから気になった。ただ、理由を聞いても納得がいかない。
「こうしてソラちゃんが迎えに来てくれたし~二次会にもいかなくて済んだ。私からすれば一石二鳥だったよ~」
上機嫌な桜華さんを横目で見上げ、私は短く息を吐く。
「次から私を使うのやめてくださいね」
「あれ、もしかして怒った?」
「……」
「ごめんソラちゃん。だからさ、許して?」
「…………」
黙る私に、桜華さんは不安げな声で顔を覗き込んでくる。
……はあ、私ってお人好しなのかな。
まるで当たり前のように握られていた私の手。同性なにのやけに細く感じる桜華さんの指先も絡められ、微かに力も籠められる。
これだけで許してもいいかなという私自身の甘さ。
「今度、何かで埋め合わせしてくださいね」
「うん! ソラちゃんが喜びそうなところ連れてくね!!」
普通は反省するはずなのに、桜華さんは嬉々として声を弾ませた。
「近所迷惑になりますから静かにしてくださいね~」
夜の住宅街にはいい迷惑なほど響き、落ち着かせるのが大変だった。
◇ ◇ ◇
そんな夜が明けた次の日。休日の土曜日ながらも午前中は登校しなければいけない。少し前までは休みだったらしいが、日本の教育制度が変わってのこと。部活に所属している生徒からすれば些細なことでも、帰宅部の私からすれば休みたいことだ。
「じゃあね、ソラちゃん」
「課題、忘れずにやるのよ」
「はぁ~い」
お陰で午前中が潰れる。
かといって予定もなく、夢凪が遊びに行こうと誘われればついていく。
だけど今日は、そんな気分じゃない様子。
私達は学校の最寄り駅で別れ、いつものように帰宅する。
……さてと、午後は何しようかな。
家に帰っても誰もいないし、すぐに思いつくのは楓に釘を刺された学校の課題くらい。
「……この感じ、また?」
通知を知らせるスマホが震え、相手が桜華さんであることに怪訝する。今回はメッセージではなく通話で、少し躊躇ってしまう。
けどすぐに切れると、しばらく時間を置くとメッセージが送られてきた。
『ソラちゃん、助けて』
昨日の今日だ、若干の警戒心を抱いてしまう。
嫌な予感をヒシヒシと、私はフリップ画面を操作する。
『駅に着いたら電話します』
ゆっくりと減速する電車が目の前で止まり、扉が一斉に開いて人が流れてくる。ある程度流れが途切れたのを見計らい、私は電車に乗り込んで席に着く。
何をするでもなくスマホの画面を見下ろし、桜華さんからの返信を待ちながら揺られる。
ただ結局、返信はなく私から通話を繋いだ。
『ゾラヂァン……?』
「ど、どうしたんですか!?」
耳に届いた第一声は掠れ気味で、昨日とは打って変わった装い。ガサゴソと衣擦れる音に続き、桜華さんの呻くような声が聞こえてきた。
『ごめん……大きいごえ、頭にヒビぐ……』
「……?」
まったく要領を得られずに首を傾げてしまう。
それでも何かを必死に訴えようとする桜華さんの気配に、耳を澄ませて立ち尽くす。
『カギ、開いてるからうちに来て』
「わ、わかりました。……何か買っていった方がいいですよね」
『お願いしでいい』
あまりにも苦しそうだったの通話を切り、私は足早にスーパーへと向かった。症状がわからないけど、体調が悪いことは明白だ。そんな状況で食べられそうな物を調べ、スマホを片手に食材を探した。
「お米はあるからいいとして、タマゴと……ショウガ? どこにあるんだろう」
よく来るようになったとはいえ、未だに物がどこにあるか探してしまう。
「すみません。道を空けてもらっていいですか」
「あ、ごめんなさい……」
そんな私をよそに、後ろから女の子に声をかけられた。
ここら辺では見慣れない学校のセーラー服。背丈的にも私より低く、中学生のような見た目。おっとりとした目つきなのに、どこか芯のある物言いは年下に思えなかった。短めに切られた黒髪は綺麗で、お人形と見間違えてしまいそうだ。
「……?」
どうやら道を塞いでしまったようで、脇に逸れると一礼して店の奥へと向かっていく。
ほえぇ~中学生なのにしっかりした子だなぁ~。
つい感心してしまうほど足取りにも迷いがなく、カートを押す姿が様になっていた。目で追う間もなく、女の子はみえなくなってしまう。
我に返ったように私も続き、買う食材を探しに歩きだす。
時おり店内でその子を見かけては、何やら難しい表情をしていた。親の買い物に付き添う同い年っぽい子とは雰囲気からして異なり、気になってしまう。
お野菜コーナーで二つのキャベツを小さな手に乗せ比べ、ネットに入ったタマネギを品定めするような視線を向けている。
……何が違うんだろう。
マネをしてはみるものの、これといった違いが判らない。
「あ、ショウガみっけ」
木の根っこを連想させる形で、小さな袋に入っていたお目当ての食材。どうやら表面の皮をむく必要があるようだ。
前回のカレーでの失敗を糧に、買い過ぎないように注意する。
女の子は鮮魚コーナーに向かっていくが、私はそっち方面には用がない。
顆粒だしって、何?
ピンとこない調味料を探すため、店内をフラフラと彷徨う。
そんなこんなで買い物をするのも一苦労で、時間はあっという間に過ぎていた。
「買い物袋あります」
休日でもある店内は混み合うも、よく通る声が耳に届いた。レジ待ちをする間、私は気になって首を伸ばす。
……あ、さっきの子だ。
父親か母親のどちらかに付き添いかと思えば女の子は一人で、押していたカートの買い物カゴに積まれた食材。遠目からでもキャベツやタマネギといった野菜に、お肉や魚が入っているパックも複数と重なっている。それだけでも驚きなのに、大きめのペットボトルや牛乳パックと重量感のある飲み物までも買うようだ。
一目見て大家族の買いだし量ではあるものの、持ち帰るのは難しそうだった。
「これ、ポイントカードです」
レジ打ちするお姉さんも不安そうな表情を浮かべるも、女の子は淡々と会計を済ませていく。カートに精算済みのカゴを乗せてもらうと、軽く会釈をしてその場を離れた。
同じ時間に入って、あれだけの量を先に買い物を済ませる。
私なんて食材を探すので一苦労で、顆粒だしを買うのを諦めた。
いや、見つけはしたよ? だけど量が多かったから、使いきれるかっていう不安で手が伸びなかっただけ。カレーの時みたいな惨状にはなりたくない。
女の子が買った量と比べると、生タマゴとショウガ。あとはネギくらいしかない。ネギといっても万能ネギというらしく、白い部分がないヤツだ。
これだって使い切れるのか不安でしょうがない。
ぼんやりとレジを待つ間、私はその子を眺めていた。
けどそれもあっという間で、買い物袋に詰めてお店をでていく。
「負けてられないな……」
年下にもかかわらず、名前も知らなければ面識もない。会話だってしたことのない女の子に、謎に対抗心を燃やしてしまう。
さほど時間もかからずレジで会計を済ませ、私もお店をでた。
足早に帰路を歩き、見慣れたマンションが目と鼻の先に聳え立つ。
「……あれ、さっきの子?」
何かの見間違いだと思ったけど、両手に膨らんだ袋を携えてよろめく小さな後ろ姿。入り口の自動ドアを潜り、マンションの中へと消えていく。
桜華さんの時といい、案外と世間は狭いなって感じてしまった。
いつものように家の鍵を差し込み、エントランスホールでエレベーターを待つ。本来は家のある階を押すが、これも手慣れてきたものだ。桜華さんの住む階を迷わず押し、それほど広くない通路を進む。
「あれ、閉まってる?」
ドアノブに手をかけると、鍵がかかっていた。
記憶が正しければ開いているはずで、メッセージにもそう書いてある。
けどまあ、体調も悪いようだから記憶が曖昧だったのかもしれない。開けっ放しの方が普通はあり得ないし、不用心すぎて心配になる。
だから私は、インターホンを迷わず押した。
「桜華さん、颯来です。大丈夫ですか」
どのくらい体調が悪いのか、結局はわからずじまいだ。もし起き上がれないほどだったら色々と変わってくるし、昨日の今日だから心配である。
微かに聞こえる足音が近づいてきて、向こう側から鍵の音がした。
「どちら様でしょうか……」
「……え?」
桜華さんとは別の声。
なのに、ついさっき耳にした女の子に似ている。
どれだけオートロックマンションとはいえ、しっかりとかけられたドアチェーンの隙間から覗く瞳。おっとりと垂れた目もとは気が弱い印象だが、こちらを警戒して注意深く観察してくる。
「えっと~こんにちは」
「こんにちは、お姉さん。……さっき、スーパーで会いましたよね」
私の記憶違いじゃなく、どうやら同一人物のようだ。
それを確認できたことに胸を撫で下ろし、最大の疑問が生じる。
……桜華さんって、子持ち?
年からしてこの子は中学生で、逆算したところで桜華さんの年齢に齟齬が生じる。いや、若い頃に産んだ……にしても犯罪臭が強い。
いったい何がどうなってこうなってるんだ?
「……あの、どういった御用でしょうか」
さらに警戒の色を濃くさせる女の子に、私は少しだけ前かがみになって視線を合わせる。
「ここに住むお姉さんは一人暮らしのはずだけど……部屋の番号間違えたのかな?」
「いえ、間違えているのはアナタだと思います」
……うん、確かにここは私の家じゃないよ。けど、ここしばらく出入りして見かけない顔はこの子もなんだよな。
状況がのみ込めず、頭の中がテンパっていく。
「もしストーカーなら、警察呼びますよ」
そういった女の子は、手にしたスマホの画面に110と打ち込んでみせた。
「いやいやいや、決してストーカーというわけじゃなくて。ここに住む桜華さんの知り合いというか、お世話しているというか……とにかく警察呼ぶのだけは――」
「お姉ちゃんのお知り合いですか?」
「……へ?」
季節の変わり目は体調を崩しやすい人がいると聞くが、どうやら私ものようだ。
まあ確かに、進路のことで悩んでいたよ? けど、とりあえず進学することに決めた。他にもクラスは一年の頃と変わったけど、楓や夢凪がいるから上手くやっていけるかの心配はない。
あと他にあるとすれば、慣れない家事をするようになったことかな?
特に料理。
ここ最近時間があれば料理アプリを眺めてるし、まったくもって学校の授業と関係ない知識ばかり増えてると思う。そのせいで楓と夢凪に彼氏ができたって勘違いされたままだし、悩んではいるけど打ち明けるほどのことじゃない気がしてる。
「……ウイ、どうかしたの?」
私は必死に頭をフル回転させて、状況を整理しようとしていた。方向性としては現実逃避に近いが、部屋の中から聞こえてきた声に我に返る。
「桜華さん、この子は?」
扉の向こう側、廊下に体を預けながら歩く桜華さんの姿を目にした。
「ソラちゃん、わざわざ来てくれてありがとうね……。ウイ、お姉ちゃんのお友達だから通してあげて」
いつも浮かべる緩い笑顔はそこにはなく、今にも倒れそうな青白い表情。
これ、本当に病院とか行かなくて大丈夫なの。
胸を締めつける感覚に、私は唇を浅く噛みしめる。
「……うん」
しきりに私と桜華さんの顔をみていた女の子は頷くと、一度扉を閉めるとドアチェーン外す音が聞こえた。
「岬優衣です。優しいに天ぷらの衣と書いてそう読みます。いつもお姉ちゃんがお世話になっています」
「こちらこそ、黒沼颯来です。……上がらせてもらってもいいですか」
ご丁寧にも挨拶をされ、私も慌てて頭を下げた。
「本来は明日の予定だったのに、ちょっとね……」
「そんなのどうでもいいですから、ベッドで寝ててくださいよ」
改めて玄関を通され、私は桜華さんの傍に駆け寄った。肩を貸す形で桜華さんを支え、リビングへと向かう。いつの間にか優衣ちゃんが先にいて、私のことを促してくれる。表情からして読み取れないが、桜華さんのことが心配なのかもしれない。
「とりあえず寝室でいいですか?」
「あの、ソファでお願いします」
「……わかった」
「あはは~だそうですぅ~」
桜華さんに聞いたはずなのに、なぜか優衣ちゃんが指示をだしてくる。リビングに入るとそのつもりだったのか、ソファの肘掛け部分に枕と毛布が用意されていた。
口ぶりからして優衣ちゃんが用意したのだろうけど、疑問でしかない。
とりあえず指示通りに桜華さんをソファに寝かせ、その上から毛布をかけた。
「それで、病院とかは大丈夫なんですか?」
「そんな大げさだよぉ~これくらい」
横になった瞬間、桜華さんの緩み切った表情で毛布に顔を埋めだす。
それくらい余裕があるならいいが、心配なのは変わりない。だから私はソファの傍に座り、桜華さんの顔を覗き込む。
その隣に、優衣ちゃんも正座する。
「はい。ただの二日酔いです」
「……」
「へへへぇ~面目ない」
照れるところでもなければ、わざわざ呼びだすほどのことなのか。けど、優衣ちゃんの落ち着きようから、そうではなさそうだ。
……もしかして、私が心配しすぎなだけ?
確認しようと優衣ちゃんに視線を向けると、静かに首を縦に振るだけで立ち上がった。
「お姉ちゃんが本当にご迷惑をおかけしてます。不躾ではあるのですが、しばらくの間そばにいてもらえないでしょうか」
「それはいいけど、優衣ちゃんはどうするの?」
普段は閉ざされたリビングにあるもう一つの扉。桜華さんの寝室がある先が開かれていて、優衣ちゃんは真っすぐとみつめていた。
それだけのはずなのに、どこか迫力がある。
「私は少し、家のことをやりたいので」
「あ、うん。……私に手伝えることがあれば声かけてね」
「ありがとうございます」
ただ何となく、私にはその必要がない気がした。
小さな背中を静かに見守っていると、急に手を握られる。
「ウイなら心配ないから、ソラちゃんはここにいて」
「まったく……人騒がせなんですから」
「けどけど、ソラちゃんがそんなに私のこと心配してくれたんて~」
「調子に乗らない」
握られた手は腕ごと布団の中に引っ張られる。離さないといわんばかりに捕まれているが、どの程度の扱いが適切なのかわからずされるがまま。
まるで猫のように擦り寄られ、自由が利くもう片方の手で撫でてあげる。
◇ ◇ ◇
「改めまして岬桜華の妹、岬優衣です」
「黒沼颯来です。……優衣ちゃん。ずいぶん手慣れた感じだったけど、普段から掃除とかしてあげてたの」
自分の名前を説明するのが難しく、スマホのメモ帳に打ち込んでみせてあげた。
「まあ、そんなところです」
ウソでしょ……。桜華さん、妹の優衣ちゃんに家のことやらせてたの。
驚きが一周回って呆れ、愕然とさせられながらスマホを返してもらった。当の桜華さんは私の腕にしがみついたまま、寝息をたててお気楽なものだ。
「何か苦手な食べ物ってありましたか?」
「ううん、大丈夫だよ。ごめんね、お昼ご飯まで用意してもらって」
結局、私は桜華さんの傍から一歩も動けなかった。
そのせいで家のことを優衣ちゃんに任せっぱなしで、少し遅くなったお昼ご飯まで作ってもらう始末。今日知り合ったばかりの初対面、しかも年下の子に甘えっぱなしだった。年上として情けない気持ちでいっぱいだったが、ここでの年長者がこのありさまだ。
……はあ、桜華さんってホントだらしないよな。
さらに私の腕を布団の中に引っ張り込もうとするので、必死に抵抗して争う。そうじゃないと、優衣ちゃんが作ってくれたご飯を食べれない。
「お口に合うか分かりませんが、どうぞ……」
「自分で食べれるから大丈夫だよ!?」
桜華さんのお世話で慣れているなら色々と大問題で、それを私もとなると抵抗がある。
私が食卓へ動けないため、優衣ちゃんがソファ前のテーブルにお昼を運んできてくれた。それをわざわざ食べさせようとしてくれるのだ!
それだけは、絶対に超えちゃいけないラインの気がする。
みている限り桜華さんの寝室を往復し、洗い物を脱衣所の方へと運び。リビングもせっせと働く掃除ロボとは別に、床拭きシートでフローリングを磨いていく。時おり姿がみえなくなると、お風呂場の方から物音も聞こえてくるなど。
小さな身体のどこに、こんな原動力があるのか不思議だった。
どのタイミングで作っていたかわからないお昼を前に、お腹の虫が悲鳴を上げる。
それを食べさせてもらうなんて、人としてダメになりかねない。
「気にしないでください。お姉ちゃんの時もよくありますから」
「お願いだから、桜華さんと一緒にしないで!?」
決して食べたくないわけじゃない。
むしろ、食べれないことがもどかしすぎる。
青々としたサラダの中央に、茹でた卵の白身と黄身を細かく切って盛り。さらに切り口がまったく崩れていないトマトがスライスされ、彩りがキレイだ。
サラダだけでも美味しそうなのに、メインのハンバーグに目がいってしまう。
普段は家でケチャップのところ、おそらくこれはデミグラスソースな気がする。
「本当は赤ワインがあるといいんですが、未成年なので買えなくて……。お姉ちゃんも匂いを嗅ぎ過ぎるとこうですし」
「いやいや、そうだったとしても作れるのがスゴイよ!?」
だって私にはできないもん。
最近始めたばかりだと言い訳するにしても、優衣ちゃんとまだ中学生だ。私がその頃は、ほとんどお母さん任せだったと思う。
それと比較するのも恥ずかしいほど、優衣ちゃんはしっかりとしたできた娘だ。
テーブルの向かい側に座り、両手を合わせる姿勢ですら育ちの良さが滲みでていた。
桜華さん。妹の優衣ちゃんを見習った方がいいですよ?
まったく起きる気配のない桜華さんをよそに、私は動かしづらい腕を動かす。
「……やっぱり、食べさせましょうか」
「お願い、それだけは本当にやめて」
どこまでも気遣いのできる子なのだろうか! 辛うじて箸で掴めたハンバーグをお皿に落とし、それを繰り返しているとスプーンとフォークを持ってきてくれた。それでも嬉しいのに、まだ食べさせたがるのか。
チラチラと向けられる視線を感じつつ、泣くのを我慢しながらお昼ご飯を食べた。
美味しい意味もあるけど、まさか年下に心配を通り過ぎて介護される状況に泣きたい。
「優衣ちゃん、本当に美味しいよ」
「ありがとう……ございます?」
優衣ちゃんに不思議そうな表情で小首を傾げられながらも、私はただ食べる手を動かし続けた。
私にもいつか、優衣ちゃんみたいに料理とかできるようになるのかな?
そんなことをしみじみと思いながら、家主が抜きで初対面の中学生と食卓を囲んだ。
それから何をするでもなく、気づくと夕方になっていた。
「ん~よく寝たぁ~!」
「それは良かったですね……」
ようやく解放された私の腕は平熱よりも高い気がして、桜華さんがしっかりとホールドしていたからか知らない匂いも漂ってくる。
柔軟剤? けど、こんな匂いだったかな。
炊事から洗濯までするようになってからか、桜華さんの家事情は把握している。そのはずなのに、私の知らない甘い匂い。
「ソラちゃん、機嫌悪い?」
「そんなことないですよ。って、近いですってば……」
「いいじゃん、いいじゃん! 私とソラちゃんの仲なんだから~」
「どんな仲ですか」
あくまで同じマンションの住人で、雇用? という形なのか面倒をみている。
「お姉ちゃん、おはよう。体調の方は大丈夫?」
「ウイ、おはよぉ~」
私たちの会話を聞いてか、ソファの向こう側から顔を覗かせた優衣ちゃん。お昼ご飯を食べて以降も食器洗いから、まだ手が行き届いていない場所の掃除と動き回っていた。
しかも私が一人で退屈しないようにテレビのリモコン、喉が渇かないための飲み物。他にも座りっぱなしでお尻が痛くならないためのクッションと、身動きが取れない私への気配りには頭が上がらなかった。
ホント、気の利くよくできた妹さんだ。
「お腹空いたよぉ~ウイ~」
だというのに、桜華さんは相変わらず他人だより。
「そうだと思って作ってあるよ。……すぐ食べる?」
「食べるぅ~」
両腕をバンザイさせる桜華さんは、身体ごと使った喜びを表現する。
それをさも当然の光景かのように触れず、優衣ちゃんはキッチンへと向かっていく。
どっちが姉で、妹なのかわからなくなる。
「おお! ソラちゃん、いつのまにウイと仲良くなったの?」
優衣ちゃんからの手厚い歓迎のようなものを受ける私に気づき、桜華さんの寝起きとは思えない声量が耳もとにキンキンと響く。
……元気そうで何よりです
「まあ、良くしてもらいましたよ」
誰のせいでとはいえないが、慣れない対応に私も戸惑いを隠せないでいる。
「颯来さんには、お姉ちゃんのことで色々と迷惑をかけましたからね。妹として、できうる限りのことをしたまでです」
「ウイ~ありがとねぇ~」
それを決して誇るでもなく、淡々と口にする優衣ちゃん。両手で小さなトレーに土鍋を乗せて、かなり遅めのお昼ご飯を運んできた。
まるで餌に喜ぶ子犬のように、桜華さんは両手を擦り合わせてソファから降りる。
私の隣にピッタリと座り、土鍋の蓋を素手で触ろうとした。
「ストップ!」
「お姉ちゃん!」
咄嗟にでた声が優衣ちゃんと重なり、動きもまったく同じだった。
「そ、そんなに仲良くなったの? ソラちゃんとウイ……」
「「……」」
桜華さんの手首を掴む私と、土鍋の蓋にミトンを装着した手を置く優衣ちゃん。ただ何となく似たことを想像したのか、目が合って笑ってしまう。
「お互い大変だね」
「そう、みたいですね」
「え、なになに? 私の知らない間に何があったの!」
小一時間ほど前の二日酔いで体調不良とは思えないほど桜華さんは元気で、私と優衣ちゃんの顔を交互に視線を向ける。
明らかにこの中で一番の年長者なのに、どこか手のひらの上を転がる駒のよう。
これとして私は意識していないが、無性に湧き上がってくるこの感覚が不思議でしょうがない。
……私的には、キライではないと思う。
「それよりお姉ちゃん、早く食べないと冷めるよ」
「そうだった! いっただっきまぁ~す」
「召しあがれ」
落ち着きのない桜華さんを窘める優衣ちゃんは立ち上がり、再びどこかへと消えていく。私も何か手伝おうとしたが、それにストップをかけてくる存在が一人。
「はい、ソラちゃんも」
「……いや、桜華さんが寝ている間にお昼ご飯――」
「え~せっかく美味しいのにぃ~」
差しだされたレンゲの上に乗る、粒々のお米と合わさる黄色いタマゴ。私が作ろうとしていたタマゴ粥だったけど、こうも上手くいくかはわからない。
普通に炊く時の量より、少し水を多めにしてタマゴを溶き入れる。
それだけのイメージで簡単だと思っていたが、優衣ちゃんが作ったのはそうじゃない。見た目はドロッとした感じはないのに、口に入れただけで溶けそうな気がする。
「ひ、一口だけですよ……」
「はい、あ~ん」
わざわざ食べさせてもらう必要はなかったけど、ここで押し問答しているより欲求が強かった。
決してお腹が空いてるわけでもないのに、優衣ちゃんが作った料理に惹かれている。
「うまっ」
たった一言、それだけしかでてこなかった。
◇ ◇ ◇
「では、私はそろそろ帰ります」
「え~もぉそんな時間?」
時計はすでに夕方を指し示している。
午後からすることがないと思っていたが、あっという間に時間が過ぎていた。
桜華さんがご飯を食べて以降、私は捕まってしまい家のことは優衣ちゃんに全投げ。だというのに、優衣ちゃんは不満の一つも口にしない。
それどころか、気にした様子もなくせっせと家の中を動き回っていた。
……本当に頭が上がらない。
「優衣ちゃん、駅まで送るよ」
だからせめてもと、玄関で靴を履く優衣ちゃんに声をかけた。
「ウイもそんな子供じゃないんだから――」
「わかりました、お願いします」
からかったように笑った桜華さんだったが、優衣ちゃんのハキハキとした声音が遮った。
「じゃ桜華さん。お邪魔しました」
「あっ、うん……」
こっちから申し出に、優衣ちゃんは礼儀正しく頭を下げてくる。
それすらも申し訳なくて、私は桜華さんの脇を擦り抜けて靴を履く。
そしてでかけるような感覚で、優衣ちゃんと一緒に玄関を潜った。
「「……」」
外はすっかりと陽が落ちていた。
そこまで肌寒いわけでもなく、少し歩くにはちょうどいい。
「行きましょうか」
「そ、そうだね」
優衣ちゃんに声をかけられて、ようやく私は動きだした。
こうして桜華さんがいない状況で二人っきり。お昼の時もそうだったが、会話の切り口がみつからない。
エレベーターに乗り込んで、エントランスを通り過ぎてマンションの敷地をでた。
お互いに距離感を計るでもなく、自然と横並びになって歩く。
「颯来さんは、良い人ですね」
「きゅ、急にどうしたの?」
抑揚のない優衣ちゃんの声音に、私は無意識に身構えてしまう。
「もし迷惑でなければ、私と連絡先を交換しませんか?」
だが、そんな暇もなく優衣ちゃんはスマホの画面を掲げてくる。
私としても断る理由はなく、連絡先を交換した。
「今後ともお姉ちゃんのことをお願いします」
「そんな大げさな……。私なんて、優衣ちゃんの足元にも及ばないよ」
実際に、優衣ちゃんの働きようは真似できない。
最近始めたばかりとはいえ、未だ手探り状態で家事をしている。それなのに優衣ちゃんは、戸惑うどころか手を貸してもらうという意志がなくみえた。
だから私は、桜華さんと一緒にリビングで過ごしていたのだ。
「色々と掃除の面も含め、冷蔵庫に作り置きした物の説明しておきますね」
「お願いします」
再び私と優衣ちゃんは、最寄り駅へと歩きだす。
「大まかなところは掃除ロボが動いてくれてますが、手の届かない水回り。お風呂場やトイレを掃除する道具は、買って玄関のあそこにしまってます。細かい用途は後で連絡しますので活用してください」
「あ~色々あったかも」
よく中を確認していないが、コード付きの掃除機以外にもフローリング拭きする道具。何に使うのかわからない毛色の塊や、スポンジのついたデッキブラシのような物と。私の家では見かけない物が多かった、気がする。
「それと料理ですが……、お姉ちゃんにはどのくらいの頻度で呼ばれてるんですか?」
「そのことなんだけど、優衣ちゃん。桜華さんに私が呼ばれてるというか……雇われたというか……何というか……」
「……?」
楓や夢凪と違い、優衣ちゃんは桜華さんの家族だ。
私としては誤解のないような関係性を伝えたい。
あれこれとない頭をフル回転させ、私の歩く速度が遅くなる。
「恋人じゃ、ないんですか?」
「……へぇ?」
「ですから、お姉ちゃんとお付き合いされてるんですよね。颯来さん」
頭の中が真っ白になった。
私が桜華さんの恋人? ……いや、優衣ちゃんにそうみられたことに驚いたわけじゃない。少なくとも私と桜華さんはお互いに女で、同性だ。
普通、恋人といえば男女のことを指し示すのではないのだろうか? 楓や夢凪も、私に彼氏ができたことを疑ってきた。だから、恋人の認識的には間違っていないと思う。
何かの冗談で優衣ちゃんが私のことをからかい、そう発したのかと視線を向ける。
「あれ、違いましたか?」
だけど優衣ちゃんは、そんな様子を微塵もみせない。
むしろ、不思議そうな表情で小首を傾げていた。
「今どき同性愛は珍しい事じゃないと思いますよ? 実際にパートナーシップという制度が、地方によっては異なりますがあります」
「は、はあ」
耳にしたことがあるようでない単語に、私は生返事をしてしまう。
さらに優衣ちゃんが続ける。
「これまでにも、お姉ちゃんの恋人さんたちのことは聞かされてきました。ほぼ一方的でしたけど、口を開けば相手のことばかりです。……いわゆる、惚気なんですかね。聞かされる身にもなってほしいものですよ」
まるで、それが一度や二度でなかった口ぶり。
「けどいつも、長続きしないのは不思議でした。今までは顔すらも見ることなく別れ、聞かされるのはまた別の相手。あんな感じでもお姉ちゃんはモテる方みたいです」
優衣ちゃんの口から聞かされる、私の知らない桜華さんの過去。ほんの一部分とはいえ交際情報で、そこには男性のみならず女性もいたのだと匂わせてくる。
立ち止まっていた私に気づき、優衣ちゃんも振り返ってきた。
「だからこうして恋人さんの顔を……って、颯来さん?」
向けられる視線に、私は戸惑ってしまう。
明らかに優衣ちゃんの勘違いではあるが、どこか納得のいく点がある。
いつも相手のことを気にかけて、まるで行動の先読みしたような立ち居振る舞い。最初はできる大人の女性と、生活力は皆無だけど尊敬していた部分。他にもほぼ初対面の相手にも距離感が近く、喜怒哀楽が表情にでるからわかりやすくて接しやすい。普段の仕事ぶりはわからないけど、何となく出来る雰囲気はある。
それは表にはださず、私にだけみせる裏の表情。
そこに勝手な理想を私が抱き、何か真似できることがないかと知るために関係を続けている。
だから、桜華さんがどんな相手と付き合ってきたかは関係ない。
「その、私は違うよ」
なのに、言葉で否定して刺さる謎の感覚が不思議でしょうがない。
「私はただ、駅前でナンパされてたところを助けてもらったの。事情はどうであれ、偶然同じマンションに住んでた。だから、お礼的な意味も兼ねて家事をやってるの」
あれだけ必死に私を引き留めようとした桜華さんの姿は、あえて伏せておく。わざわざ伝えなくても、優衣ちゃんのことだから困った態度をとるような気がする。
「そうでしたか。……それは、変な勘ぐりをしてしまいました」
しっかりと向き直って頭を下げてきた優衣ちゃん。
そうだ、優衣ちゃんはこういうしっかり者のイメージが強い。同い年と比べるとどこか達観した口ぶりと雰囲気は、姉である桜華さんの恋人に失礼がないような態度。だから私と桜華さんが一緒にいる間に割り入ってこなかった。
それくらい、姉想いのできた妹さん。
「ここまでくれば大丈夫です。では颯来さん、また」
「うん、またね……」
距離的に駅はまだ先な気がするが、空気を読んでか足早に去る小さな後ろ姿。
その姿をただ見送る。
これが最初で最後かもしれない可能性はどのくらいか。ほんの短い時間とはいえ、優衣ちゃんとは仲良くなれそうな気がした。私としては色々と学びたいことがある。
けど過去に、付き合いがあった人とは長続きしていない。
それは私には当てはまらないが、桜華さんの見た目で気配り上手ならモテるだろう。
じゃあ、この気持ちは何なのか。
「桜華さんにとって、私は都合よく面倒をみてくれる相手?」
それでもどこかしっくりとこない。
「恋人?」
もしそうみられ、接しられていたとしたら。
疑問を言葉にして、どれだけ頭の中で考えても答えがみつからない。
それをわかるのは桜華さんだけ。
「っ!?」
どれくらいこの場に立ち尽くしていたのか、優衣ちゃんの姿はもうなかった。
その代わり、私を思考の渦から引っ張り上げるスマホのバイブ。短く断続的で、しまったポケットの中で震えていた。
やけに早い鼓動の胸に手を当て、スマホを取り出して画面を見下ろす。
桜華さんからの、短いメッセージが送られていた。
《今どこにいる?》
《ウイを送ってくれてありがとう》
《そうだ、明日ヒマ?》
《もしよかったら、どこか出かけない》
《今日のお詫びをさせてほしいの!》
私がそれらに目を通し終えると、画面がすぐに暗くなってスマホが震える。
「ど、どうしよう……」
既読が付いたことに気づき通話をかけてきたのか、相手を表す丸いアイコン。あとは右と左を選ぶだけでいい。
今日のお昼にかかってきた時とは違い、すぐに私はでれなかった。
しばらく画面をみつめていると、通話画面は元通り。
《明日の件、ソラちゃんに任せるね》
すると、その一文だけが送られてきた。
「任せる……か」
それ以降、スマホはぱったりと動かなくなった。
日付が変わるまでそれほど時間はない。それに明日は、楓や夢凪と遊びに行くなどの約束もなく暇だ。優衣ちゃんの働きからして、特に家事をする必要はないだろう。
いくらだって理由をつけ、誘いを断ることはできる。
「……わかんないよ」
胸の中にモヤモヤとした感情が渦巻き、今までにない気持ちが揺さぶってくる。
このあと真っすぐと家に帰れたのかわからない。
挙句、気持ちがスッキリとしないまま翌日を迎えた。




