プロローグ:とりあえずプチ家出してみた。
「進路か……」
こうなることは、近い将来的に薄々と感じていた。ただそれでも、今日ということに心の準備ができていない。
だから家出を決行してみた。
とはいえ、最寄り駅から数駅先の普段は下車しない場所だ。
……私、何したかったんだろう。
漠然とした疑問を抱きながら、私だけを置き去りにして進む日常を眺める。世話しなく行き来するスーツ姿の会社員、賑やかに会話する大学生風のグループや同い年かもしれない高校生たち。
それ以外にも、たくさんの人が私の前を通り過ぎていく。
誰も私を気に留めるどころか、まるでそこにある置物かのように注目されない。別にしてほしいわけでもないし、客観的に見れば時間を潰しているだけに映っているだろう。
実際にそうで、少し環境を変えることで何か新しい発見があることを期待していた。
かれこれ一時間と改札を抜けた先の広場でいるが、儚くも私の期待は散っている。
「ねえねえ、君。誰かと待ち合わせ?」
「もし良かったら、一緒にカラオケとか行かない?」
あまりにも唐突で、ここで知り合いに声をかけられたかと思えば違う。見ず知らずの男性二人組が私の前に立っていた。周りからの目を遮るように囲まれ、逃げだそうにも隙がない。
「あれ……俺の声聞こえなかった?」
「お前が馴れ馴れしく声かけるから驚いてんだよ」
いかにも遊び慣れた風貌で髪は染められ、片方の耳にピアス。もう片方からは微かにタバコの臭いがする。……いや、両方からかもしれない。
「あ……あの……」
まるで私を置き去りに盛り上がる二人組に、掠れて声すらでない。
明らかにナンパされている状況だと理解しても、まさか私なんかが標的になるとは思ってもみなかった。
「あ、もしかして彼氏にでもフラれて傷心中?」
「だったらぱぁ~と騒いで忘れちゃおう! お兄さんたちが驕るからさ」
酷い勘違いにも程がある。
彼氏どころか、高校二年生にもなって浮いた話すらない。周りの友達が色めく姿を眺めているだけで、これといった興味がなかった。
イヤ、ウソだ。
ドラマのキスシーンはドキドキするし、話を聞いているだけで羨ましい気持ちはある。
だけど、お父さんや学校の教師以外の異性にどう接していいのかわからない。
「だったらほら、こんなとこいないで行こう」
「あ、いや……」
「どうする、いつものカラオケ屋にするか?」
急に腕を力強く掴まれ、少しだけ体がよろめいてしまう。しかも膝が震えて、逃げようとしてもいうことを効いてくれない。
助けを求めようと辺りを見回しても、誰一人として目もくれずに通り過ぎていく。
さらに力強く引っ張られ、全身に悪寒が駆け巡る。
私なんかが抵抗したところで、この二人組に敵うわけがない。最悪声を上げようとしても、口を塞がれたら終わりだ。
その後に何をされるかと考えただけでも泣きたくなる。
……ホント、何してるんだろう私。
ちょっと気分を変えて考えごとをしてただけなのに、まさかこうなるなんて思ってもみなかった。わかっていたら寄り道……いや、家出じみたはしなかったはずだ。
時おり向けられる視線だが、すぐに背けられてしまう。
駅へと向かう人の流れに逆らい、私はただ引っ張られ続ける。
「いた! もぉ~どこ行くのよ?」
「あっ……」
どこか不満げにかけられた女性の声に、先を歩く男性二人組が足を止めた。
いかにも仕事終わりのパンツスーツで、垢抜けた茶色の長い髪をなびかせた女性。低いヒールの踵が鳴る音は、やけに私の鼓膜に響いた。
「さっきから連絡してるのにでないと思えば……知り合い?」
凛とした目じりを細め、いかにも怪訝そうで男性二人組を睨みつける。
異性で体格的に差がある相手を前に堂々としていて、腕を組んで首を傾げただけなのに威圧感が強い。
なのに二人組は、臆するどころか気兼ねなく声をかけていく。
「なになに、この子のお姉さん」
「良かったら一緒に飯でも――」
「助けて!」
咄嗟に出た声に、女性は口角を上げて笑った。
そのまま私の掴まれていた腕を男性からひったくり、その場から連れだしてくれる。
あまりのことに驚く男性二人組を置き去りに、駅へと向かう人の流れを縫って走った。それから改札を抜けるのかと思えば女性は手を上げ、一台のタクシーが停車する。
「だしてください!」
「あ、はい」
行き先を尋ねる声に重なる剣幕に、運転手のおじさんは驚きを隠せず発進させる。
「ほら、シートベルトして」
呼吸を整える女性に横目を向けられ、私は大人しくいうことを効く。
「どちらへ?」
「――駅までお願いします」
手慣れた感じで目的地を告げた女性は、座席に深く座り込むと瞼を閉じてしまう。
私は助けてもらったことをお礼しようにも、到着するまで起こすなオーラに口を閉ざすしかなかった。
さっきの男性二人組のように、助けてくれた女性とは初対面。
それなのに見ず知らずの私を助けてくれたどころか、手は握ったままでいてくれる。それだけで安心感と、震え上がっていた悪寒が引いていく。
だから余計、疑問が生まれる。
……この女性、どこかで会ったことあったかな?
向かう先は私の最寄り駅で、もしかしたらすれ違っているかもしれない。
それとも偶然か。
ぼんやりとそんなこと考えながら、乗り慣れないタクシーに揺られていた。