観戦と和解
起きた、時刻は午前十一時。憂鬱陣営と強欲陣営の試合まで、残り三時間。いよいよ、佳境に入った。
「さあて、どうしようかな。ご飯を食べに行くか、いけるときに図書館に行っておくか。それとも」
私は、再びベッドに倒れこんだ。
うつ伏せの状態で顔を横に向けると、緑色の猫の、幸せそうな寝顔が目に映る。
「この状態なら、可愛いんだけどな」
猫の頬を指でつつきながら、時間を持て余す。
飽きてくると、起き上がって身支度を整える。今日は試合もないし、服装はオシャレ重視でいく。
櫛を通しても治らない栗毛は諦め、相変わらず気持ちよさそうに眠り続けている猫を、抱き起す。
睡眠を妨げられ不機嫌な猫を抱えたまま、部屋を出て廊下を進む。
「レスト、今はどこに行ったらいいと思う」
建物内をぶらぶら歩いていても、何も起こらない。判断を、猫にゆだねてみると。
「腹は減ってないから、食堂はいい。頭使いたくないから、図書館も勘弁。風呂は論外だし、武器庫には今行く必要がない。となると、あそこか」
そう言うと彼は、私の腕から跳び下りて四足歩行で進んでいく。大人しく、付いて行くと。
「白琉はまだ、上ったことは無かったよな」
三階へと続く階段が、通れるようになっていた。
「ちょっと待って、いつからこの階段、上れるようになってたの。第一、何で知ってるの」
私の質問を無視して、猫は一段ずつ上りはじめる。黙って、その背中を追うことにした。
一回から二階への階段より、はるかに段数が多い。おまけに、上を向いてもかなり先まで続いているように見える。あきらかに長すぎる階段に不信感を抱いた私は、三階には何があるのか尋ねてみた。
すると、猫は立ち止まり、こちらを向いて言った。
「それは、自分の目で確かめてこそ価値がある」
気になる衝動に駆られ、私は猫を掴み、階段を勢いよく登って行く。息が切れても、猫が何か喋っていても気にせず、上に向かって足を動かし続けた。
すると、階段の先に光が見えた。
もうすぐだと、力を振り絞って駆け抜ける。そして、私の目の前に広がったのは。
「なんで。ここ、屋内のはずなのに」
建物の三階、そこは、最初に目を覚ました森の景色そのものだった。
少し前に進んで、360度見回しても、窓や壁は見当たらない。本当に森の中にいるような感じだった。
「どういうこと。なんで、建物内に森が」
ただでさえ、工装がよく分からない建物なのに。まるで、空間が捻じ曲げられているみたいだ。
階段の場所を意識しながら、少しずつ奥へ進んでいくと、さらに目を疑うものが見えた。それは、立派な西洋風の屋敷。
森の中に不自然にそびえる、三階建ての木造建築。その三階はまさに森で、立派な屋敷まで建っている。
建物内の森、木造建築の中に西洋の屋敷。
上を見ると、木々の隙間からは青く塗られた天井か。それとも、本物の空か。肉眼では、区別できない。
私は、猫を抱えたまま屋敷の入り口前まで来た。大きな扉の小さなドアノブに手を掛けようとしたところで、あることに気付いた。
「これ、屋敷じゃない。立体的に描かれた、絵だ」
遠くから見れば、まさに宮殿。しかし、目前で見ればただの絵に過ぎなかった。
ここまで人の目を騙す絵に若干の感動をしながら、どうも不思議に思った。
私は、この絵ソックリの屋敷に、何故か見覚えがあるのだ。記憶があいまいなはずなのに、どうしてか、
以前、このような屋敷で暮らしていた思い出がある。
自分がどこの誰かも分からないのに、屋敷で暮らしていた記憶だけあると言うのは、とてつもなく気持ち悪く、罪悪感すら抱き始めた。
これ以上、この森なのか、森に見えているだけなのか分からない空間にいることに耐えられなくなり、階段へと戻る。登りにあれだけ時間がかかったのだから、帰りも相当と思っていたのに。
「えっ? さっき降り始めたばかりじゃ」
二階に向かって階段を下りはじめた瞬間、既に二階の廊下までたどり着いた。階段を見上げると、先ほど同様、暗くて一番上が見えないほど長く続いている。
「ダメだ、頭がクラクラする。とりあえず、一回部屋に戻るか。なっ、レスト」
猫に声をかけると、彼は私の腕の中で静かに眠っていた。仕方ないので、なるべく静かに廊下を歩く。
体内時計的には、試合が始まるまではまだ時間がありそうなので、それまではゆっくりしようなどと考えていると、部屋に着いた。
猫をベッドの上に置き、その横に倒れ込む。
寸前に確認した現在の時刻は1時18分だったので、まだ30分少しはゆとりがある。
とは言ったものの、これまで何度もその油断で同じ失敗を繰り返しているので、寝落ち内容意識するので必死になった。
ただ横になっているのもあれだから、疲れていても頭だけは働かせる。三階のこと、今後の戦いのこと、まだ見ぬ未来のこと。
数分経ったところで、限界が来た。
「頭痛い。考えたって、何もわからないし。そうだよ、分からない物はいくら考えたって分からないんだ」
体を起こす。立ち上がるために、ベッドに手を突こうとすると。
「おい、押さえつけるな」
私の手が猫に触れ、そのまま彼をベッドに沈めてしまっていた。慌てて手を離すと、彼は人間の姿になり。
「ったく、わかんねぇことを一人で悩むのは止めろよ。めんどくせぇけど、飼主の相談には乗ってやるから」
最高に気怠そうにしながらも、男の眼だけは本気だった。一人でできないことはたくさんあるけど、二人になった瞬間にできるようになることはたくさんある。そりゃあ、人によって力の差はあるけど。でも、そこに誰かがいるだけで、まして、好きな人と二人なら、きっと、どんなことでも頑張れる。
「そうだな。レスト、この戦いが終わったらどうなるかは多分、誰にも分からないけど。それまでは、お前のことを扱き使ってやるよ」
嫌そうな顔の彼の手を引き、試合観戦に向かう。
観戦室には、先客がいた。
「こんにちは。やっぱり、怠惰陣営(た達)も見に来たんですね。敵の弱点を知って、損はありませんし」
暴食の飼主、アリン君が話しかけてきた。動物のロニーカちゃんの姿は見えない。
「私たちは、一度強欲陣営に負けているからね。リベンジしたいのもあるし。でも、試合を見るのは弱点を知りたいからじゃない。単純に、興味本位だよ」
大体、苦手なんていくらでも克服できるし。一々戦術とか考えるのも、もう面倒になったし。
「それはそうと、ロニちゃんはどうしたの」
さり気なく聞いてみると。
「あの子は、明日に備えて色々とね。ペアだからって、必ず一緒に居る必要は無い。適材適所だよ」
相手の本気具合を、再確認した。
「おい、白琉。そろそろ始まるぞ」
促され、私は猫男の隣に座る。
モニターから、いつも通りの試合開始を告げる審判の声が聞こえてくる。
『これより、第一試合、憂鬱陣営VS強欲陣営の試合を始める。両陣営に健闘を祈る』
審判が退場すると、画面越しでもわかる一触即発の雰囲気にも見えるが。
憂鬱陣営は、下駄でステップを踏んでいる狐の楸と、変わりなく落ち着いた様子のユラルコさん。
強欲陣営は、互いに手を握り勝利を誓うように見える、レルルくんとハムスターのリララちゃん。
どちらの誰が最初に動くか、凝視していると。
「えっ、どうして」
和製ホラーさながらの姿をした化け狐の楸が、突然、本当の姿の黒白色の狐に姿を変えた。
ちなみに、私はまだ、面と向かってこの男に会ったことは無い。飼主であるユラルコさんから、たまに会話するときに、もろもろ聞き出したのだ。
狐は、華麗に舞いながら敵へと近寄って行く。
自殺行為に思えたが、そうでは無かった。なぜか、強欲陣営は男を攻めようとしない。
何を考えているのか分からないので、ただ傍観していると。なんとなく、理由が分かった気がした。
舞う狐を、徐々に煙みたいなものがつつんでいく。すると、その気体は突然色を変えた。赤く燃えているようなそれは、まさに、炎だった。
体を火で覆った狐は、ついに、強欲陣営の目前まで迫る。そのまま、正体を知っているからか、動物のリララちゃんに向かって体当たりを仕掛けた。
ここでついに、強欲の動物が動く。彼女はやはり、狐の技を奪うつもりだったらしい。
リララの手が、狐を包む火に触れる。一瞬だが熱そうな顔をし、ゲージも少し減った。だが、すぐに狐の纏った火は鎮火した。
狐は身を翻して、飼主の元に戻ろうとする。すかさず、力を奪った強欲の動物は、今は人間の姿をしているその手から火を放つ。だが、身軽な狐には一向にあたる気配が無い。当たったとしても、偶然、無駄にでかい尻尾が少し焦げるくらいの感じだ。
結局、日の放射をやめなかったが、強欲の反撃は憂鬱にさほどのダメージを与えられなかった。
怠惰(私)陣営は、強欲陣営の能力を一つ知っている。この身をもって味わったのだから、忘れるはずがない。
あの、敵の心臓を奪うと言う、真の一撃必殺を。
それに加え、動物の新能力と飼主の技もある。
憂鬱陣営は未だ、一度も能力を使っていないらしいが、それでもどうなるかは分からない。
敵を知るうえで欠かすことのできない情報であるから、発動の際は必ずこの目に焼き付けなければならない。のだが、それ以上に何故か、単純な興味として見てみたい気持ちを抑えられない。
ソワソワしてしまったら、隣の猫男から何と苦情を言われるか分かったものではないが、それでも、足が震えて仕方がない。
試合に何か進展は無いか、モニターに集中すると。
「なにこれ、どういう状況」
再び人間の姿になった狐男は、飼主であるユラルコさんの胸を鷲掴みながら、彼女の首に歯を立てている。
反対側には、恥ずかしそうに顔を抑える小柄な男女ペアの強欲陣営。と、次の瞬間。
【君は( イ)僕の(マイ)、(・)可愛い(キューティ)傀儡ちゃん(リオネット)】
ピンクを感じさせる異様な光景に目を取られた隙に、何をもってしてかこのタイミングで、憂鬱の罪を宿した狐の第一の能力が発動した。
強欲陣営もこれに気付くと、すぐに護りの構えを取る。しかし、何にも起こらない。
不思議に思いつつ眺めていた、その時、狐男に手を離されたメイド服姿の飼主は、膝から倒れた。
味方にダメージを与える技なのかと、あり得ないことを思ってしまったが、彼女のゲージは減っていない。実を言えば、先ほど首筋を噛まれた時に若干は減ったのだが、それほどでもなかった。
ともあれ、これまで不憫な扱いをされるユラルコさんの姿は何度も見てきたが、これは流石にと同情をした。途端に、彼女はゆっくりと立ち上がった。
しかし、何処か可笑しい。
いつも凛とした佇まいの彼女が、今は、私の隣で獣そのものの目でモニターを見つめる怠惰男同様、猫背姿勢なのだ。始めて見る彼女のだらけ姿に驚いていると。動物である狐男が、飼主に命令を下しているかのように見えた。次の瞬間、彼女は。
「まさか、袖の中に」
長袖のメイド服、その両袖の中から、施条銃のようなものを取り出した。そして、容赦なく敵に向かって連射する。
強欲陣営は、二手に分かれて弾を躱す。しかし、もとより標的は決まっていたのか、ユラルコさんは無表情のまま、動きが少し遅いレルル君に狙いを定めている。もちろん、容赦なく打ち込む。
避けきれなかった普通の小柄な男子は、足に弾が命中し、その場で倒れる。急いで飼主の元へ向かうリララちゃんと、またしても狐に指示されて、とどめを刺そうとするユラルコさん。
一足先に強欲の動物が飼主に駆け寄り、庇うために盾になる。そこへ、メイドの連射する弾が豪雨のごとく、強欲へとヒットしていく。
暫くして、弾切れとなったのか、銃を構えた手は下に降ろされた。これで、攻撃が一時中断すると思った。が、狐男はさらに、飼主に何か囁いている。
現在のゲージ具合は、次の通り。憂鬱の動物はノーダメージで、飼主が極わずかしか減っていない。一方の強欲陣営は、動物が先ほどの連射で半分近く減っている。飼主は、現在は4分の1ほどだが、そこからも少しづつ減少している。
私が確認し終わるのとほぼ同時に、狐の飼主への耳打ちが終わった。すると、ユラルコさんは再び銃を持つ腕を上げる。そして、持ち方を変えた。
まさかとは思ったが、本当にその通りになろうとは。
彼女は、施条銃を握る両の手に力を込めると、先ほどの狐同様、敵に向かって突っ込む。違うのは、そのスピード。狐は舞いながら近づいていたが、彼女は直線で、躊躇うことなく迫る。
対する強欲は、飼主は足を撃たれてしまって立つこともままならない。動物は、まだ人間の状態を保ったまま立ってはいるが、恐らくこの状態では、敵飼主相手でも勝つのは容易でないように見える。
私ならここで。それは、あちらも同じだった。
【あたし(ゴスト)の(・ )一番大切な(ハム)もの(スター)】
強欲の第一の能力にして、一撃必殺級の大技が出された。例によって、悪魔のような黒く大きな手が、メイドに襲い掛かる。すると。
「ちょっ。なに、今の」
ユラルコさんは、瞬間的にバックステップを踏み、強欲の一撃を躱した。彼女自身が自力で躱したと言うより、後ろで待機していた動物に引っ張られたみたいに。まるで、本物の操り人形と人形遣いだった。
相変わらず、メイドな彼女の目に光は無い。魂が抜けた、体だけが残った感じ。
当たれば一発で敵を退場させられる場面を逃した強欲の罪を宿したハムスターの女の子は、堪えきれず憎悪の表情を浮かべている。そんな動物に、飼主のレルル君は痛む足を抑えながら立ち、リララちゃんに声をかけた。聞き終えた女の子は、深呼吸の様な動きをすると、両手を前に突き出した。
二個目の能力を使うのかと思ったが、少女の頭上には何も現れない。つまり、今行われようとしているのは、レストの影技同様、元々動物に備わった技。
【子ども(トリッ)達は(オ)、(ア)強奪する(ート)】
強欲が突きだした手から、黒い煙のようなものが流れ出す。それは、真っ直ぐに敵の方へ向かうと、憂鬱陣営を包み込んだ。
技の効果は、すぐに分かった。
憂鬱陣営のゲージが徐々に減って行き、強欲陣営が回復している。おまけに、先ほど銃で撃たれた傷も、治っている。
今は人間の姿をしている、憂鬱の罪を宿した狐は、飼主であるメイドを抱きかかえると煙の中から脱出した。が、この段階で既に、憂鬱と強欲それぞれの残りゲージに差は無くなり、飼主も同様に見られる。
体力的に、勝負は五分に戻ったと思えた。
と、ここで。ユラルコさんが、正常に戻った。モニター越しでもよく分かるほどに、狐に操ら(化かさ)れていた時と、顔色や姿勢が全然違う。
なぜ、このタイミングで能力を解除したのか、私が疑問に思っていると。狐男は、下駄で床を蹴った。
すると突然、男を空気の渦みたいなものが取り囲み、次の瞬間、姿が消えた。
そう言う能力かと思ったが、違うっポイ。
どこから仕掛けて来るか分からないので、身構える強欲陣営。一方、憂鬱の飼主はどこか愁いを帯びた表情で下を向いている。
狐男が、姿を現した。強欲の飼主、レルル君の頭に手を置いた状態で。
気付いたリララちゃんは、咄嗟に跳びかかった。男は、余裕そうな顔で身軽によけると、飼主の元に帰る。
強欲の動物が、飼主に声をかけている。しかし、どうも様子がおかしい。
「まさか、そんな」
「まあ、普通に考えたら、こっちの方が正しい使い方だろ。折角の、操れる能力なんだから」
驚いてしまった私に聞こえる様、平然と呟く猫男。
レルル君の目は、さっきまでのユラルコさんと同じで、光を失っていた。
憂鬱の狐は、敵味方関係なく、一人ずつだが触れた相手を自分の傀儡人形と化してしまうのだ。
強欲の飼主は、自らの動物に危害を加え始めた。もちろん、本人の意思ではなく操られて。
動物にとって、ただのニンゲンの打撃など、そんなに食らうものではない。だが、大切なパートナーに攻撃されるのは、肉体より精神的ダメージが大きい。
極わずかだが、防御していてもゲージは減っていく。ココからどうするのか、目を離さずいると。
「…リララちゃん」
強欲は、襲い掛かる飼主の隙をついて、抱きしめた。並大抵ではない。背中に回した腕に力を込め、何があっても放さないと言わんばかりに、しがみ付いている。
憂鬱の能力にかけられているレルル君は、そんな動物を剥がそうと暴れる。それでも、真の姿はハムスターで、そこまで力の強くないはずの女の子は、必死に食らいつく。
傍らでは、思うように動かせなく、つまらなそうな顔をしている狐男がいる。そんな男に、今度は飼主のユラルコさんが声をかけた。何と言っているかはさっぱり分からないが、彼女の言葉を聞いた狐男は、メイドを一睨みすると、渋々な感じで手を止めた。
その途端、暴れていた強欲の飼主は落ち着きを取り戻した。能力から、解放されたらしい。
メイドが、狐に指示したからだろうが、彼女の意図を知るすべはない。情けなのか、策があるのか。
互いにゲージを少し減らした強欲陣営は、再び憂鬱陣営の方を向いて構える。
声が聞こえないのが本当に残念だが、口の動きは見えるので、話していることは知れる。今は、敵の能力から解放されたレルル君が、自分の動物に話している。
強欲も憂鬱も、一つ目の能力は使った。ここで二つ目まで使うと、決勝での切り札がなくなる気がする。
飼主にも力が宿ったそうだが、どれでも、動物に対抗できるものかどうかは定かでない。
ここまで来ても、いや、ここまで来たからこそ、考えなければならないことが多々ある。試合を見ながら頭を働かせていると、能力発動前には瞬間的でも必ず現れる例のあれが、視界に移った。
誰の頭上に現れたかというと。
「驚いた。飼主にも表示されるのか」
やはり、ココでは動物に使わせられないのか。
覚悟を決めた面持ちのレルル君の頭上で、それは弾け飛んだ。始めて見る、飼主の能力。
【ぼくたち(アウアセルブ)は(ズ)、(・)二人で(ン )一つ(エグジ)の(ス)存在】
例に寄れば、確かに能力は発動されたはず。なのに、現状は何も変わらない。
その時、レルル君が隣にいる動物に近づき、抱きしめた。かと思うと、抱きつかれたリララちゃんは、吸い込まれるように、飼主の身体へと溶け込んでゆく。
そして、完全に強欲陣営は、一人だけとなった。
自覚できるほど唖然としてしまった私に、隣に座る猫男は、まるで何度も見たことがあるかのごとく。
「なるほどな。体格も似ていて、意思疎通ができているコイツ等には、持って来いの技だ」
一人納得しているので、説明を求める。
彼曰く、強欲陣営は一つの身体を二人で共有することで、どちらかが傷つくのを防ぎ、集中して敵を倒せるとのこと。
今の強欲の見た目は、完全にレルル君。しかし、心の中にはリララちゃんがいるらしい。
どこまでが本当かは分からないが、もしこの試合で強欲が勝てば、また二人に戻るのだろうか。
観戦している側からすれば、実質2対1に見える。でも、強欲の方はゲージが二人分に増えているので、決して不利な状態ではない。
この先の展開が、純粋に気になる。
ここで、憂鬱の罪を宿した狐が、飼主の前に立った。何か仕掛けてくると予想し、すぐにでも動ける体勢を取る強欲。口が動いているところから、恐らく、体内にいるパートナーと話しているのだろうか。
今は人の姿をしている狐が、一歩、敵に近づく。舞うような、変な動きはしていない。
何をするのか、狐男に視点を合わせていると、彼は両手を上にあげ、そのまま大きな円を宙に描いた。
二つ目の能力を繰り出すつもりなのかと、戦ってない私でも一瞬焦ったが。
【キツネ(ジャック オ)火( ラン)の(タン)、( グラ)大行列】
何かが弾ける訳でもなく、普通の技として出された。多分だが、狐火の最終形態と言ったところだろう。
形には残っていないが、狐男が描いた円の中に、次々と火の玉が現れる。そして、僅か数秒の間に、火の玉は強欲を囲んだ。
初めは、迫りくる火を先程同様吸収していたのだが、途中からそのスピードは減速し、その隙に、絶え間なく出現する人魂を食らうことになってしまった。思い返せば、今まで強欲は、奪った敵の技をその場で使い、一度使ったら二度は使用していない。
つまり、強欲が奪える技は永遠ではなく、一つ奪ったら消費し、また奪っては消費するしかできないと考えられる。
玉一つ分のダメージは大したことないのだが、数秒に一回のペースで喰らい続ければ、ゲージの減少は激しい。二人分のゲージが半分、要するに、一人分しかなくなった辺りで、強欲は火の渦から抜け出す。
しかし、執拗以上に追いかけて来る火の玉から逃げるのに手いっぱいで、反撃できていない。
折角、一つの身体を二人で共有しているのに、その効果をうまく利用できていない。このまま何もできないのかと思った時、強欲の雰囲気が変わった。
よく見ると、これまでは強欲の姿はレルル君だったのに、いつの間にかリララちゃんに代わっている。
主となるベースを変えたことで、強欲陣営がついに仕掛けた。本当なら決勝まで取っておくはずだったのだろうが、此処で負けては意味が無いからか。
二つ目の能力が、発動する。
【欲を(イア)掌り( コント)て(ロール)、(・)此の(ラク)身と(ズ )成る(グロー)】
途端に、無数にあった人玉が消滅した。憂鬱も、新たに出すことができないでいる様子。
強欲の最終奥義、だとしたら、何となく予想できる気がした。そこで、私は隣にいる緑で全身を纏った猫男に言って見ることにする。
「あの能力って、もしかして。敵の技を無限に奪えるとか、使っても無くならないとか、そんな感じだと思うんだが。レストは、どう思う?」
むしろ、このほかに強欲の能力としてあり得る答えが無いと思えるのだが。数秒後、彼は口を開いた。
「概ね正解だろうが、それだけじゃないみたいだぞ」
モニターに目を向けると、すぐに異変に気付いた。
強欲の頭上には、今まで陣営として使った前3つとは違う能力名が、表示されていた。
全知全能の神と言うには程遠いが、聞けばなんでもこたえてくれる猫に尋ねざるを得なかった。彼は、いつも通り面倒そうな顔のまま、口だけ動かす。
「狐が連射していた火の玉が途絶えたのは、強欲の能力でその技を奪われたとみて間違いないだろう。そして、今奴が使おうとしているのは」
脱落した(・・)、他の(・)動物の(・)能力。確かに、彼はそう言った。同時に、楽しそうに火を放っていただけあって、奪われたショックで哀しそうな顔をしている狐男と、普段と変わらずクールな顔をしているユラルコさんの前で、強欲は、本来有していないはずの4つ目の能力を発動させた。
【汚れた(ビカム ダ)の(ート)なら( アフ)、(ター )綺麗に(ー )しましょう(ウォッシュ ザ ベアー)】
この短時間で次々と技を繰り出すと言うことは、強欲は相当焦っているのかもしれない。残りゲージは既に一人分で、2対1と大差ないこの状況。出し惜しみをしている余裕などないのだろう。
只今使用された能力、効果は。
「うわっ、1,2,3…7人。に、増えた。しかも、何かみんな、道具もってる」
強欲は7人に増え、それぞれが武器と呼べるものからそうでないものまで、所持している。簡潔に示せば、剣、槍、斧、箒、巾、縄、袋。
右の人から順番に見て言ったのだが、真ん中あたりから掃除関連の道具になっているような。そんなことを気にしていると。7体の強欲が、一斉に憂鬱陣営に襲い掛かる。剣を構え、槍を突き出し、斧を振り上げ、箒で掃き、巾で拭き、縄を握りしめ、袋を膨らます。
狐男は、そんな迫りくる強欲に一瞬呆れた顔をしたが、軽く微笑むと、飼主の手を引いて宙に舞いあがった。しかし、一旦は攻撃を避けた物の、強欲全員が着地点に回り込んで、敵が降りてくるのを待っている。
空中での方向転換は、身軽な狐と言えど流石に厳しいように思えた。すると、狐男は跳んでいる途中で飼主を投げ飛ばすと、反動の力を利用して勢いを増し、一番無害そうな袋を持つ強欲の頭を蹴った。
無事に着地をした狐男と、一方、頭を蹴られた強欲は空気見たく薄れていき、そして消えた。
強欲は増えたのではなく、幻影を見せている。つまり、本物は一つで、残りは嘘の存在と言うことになる。能力名と、技の感じから察するに、この能力の本来の所有者だったのは。
「虚飾。私たちの、最初の相手」
能力を見る前に虚飾は脱落してしまったので、まさか、こんな形でお初にお目にかかるとは。
これで、脱落した陣営も含め私が知っている能力は、怠惰、傲慢、嫉妬、強欲、色欲、虚飾、憂鬱。
暴食は恐らく、相手を焦らすことが出来れば、次の試合で見ることはできるだろう。という訳で、心なしか、その素性さえよく分からないまま敗退してしまった憤怒の能力を使ってほしいと、願ってしまう。
それはそれとして、モニターの中では6人の強欲が、それぞれの武器を利用して憂鬱の狐男に迫っている。
気になるのは、ピンチなはずなのに、楽しそうに相手の攻撃をかわしまくる狐男と、何の心配もしてないかのように傍観しているユラルコさん。
確かに、武器が箒や巾、近づかなければ何て事のない縄だけなら、そこまでは。でも、剣や槍、斧と言った、食らえば致命傷を避けられない物にまで恐怖を感じていないかに見えるのは、なぜだろうか。
その時、剣と槍を一斉に突き出され、避ける時にバランスを崩した狐男の腕を、斧が掠った。
慌ててもう片方の手で、腕から流れる血を抑える狐。その顔に、余裕はなくなっていた。
これは、いくらなんでも無事ではないだろうと思った時、声は聞こえないが狐男が大笑いしているのが、モニター越しに分かった。そして、彼は笑うのをやめると、本来の姿である黒い毛並みの狐へ姿を変える。
体積が小さくなり、軽快さ(アジリティー)が増した狐は、いかに怪我をしているとしても、先ほどよりも楽に攻撃を避けているかにも見える。すると、狐は縄を持った強欲の頭に前後4つの足を乗せた。
敵の東部で休憩をする気かと思った、その時、狐に乗られた強欲の顔が激しく燃えだした。
蹴られただけで消えてしまう幻影が、燃える顔の苦しみに耐えられるはずもなく、消えていく。
もし今のが、本物の強欲だったとしたら。正直、凄く恐ろしくて想像できない。あのリララちゃんの顔が、蝋細工のごとくドロドロに溶けていくところなど。
偶然なのか、それとも、知っていてわざと外しているのか。同じように、隙をついて頭に乗っては顔を焼いていく狐。そして、遂に強欲は一人となった。
幻影の頭上にもゲージが表示されていたが、やはりただの幻なので、すぐにゼロになって行った。だが、どうしてか、直接ダメージを受けていないはずの本物の強欲のゲージが、確実に虚飾の能力を使う前と比べて減っている。代償なのだろうか、自分の幻影を数体映し出す代わりに、それがやられたら本体がダメージを受けると言うみたいな。
ゲージが減ったのは、強欲だけではない。
腕を切られ、血が流れ続けている狐の残りは、半分を切っていた。いくら、飼主の方がまだ3分の2ほどあるとしても、動物が消えては勝負にならない。
強欲の二つ目の能力の効果がいつまで続かは知らないが、いけるのであれば出してもらいたい。
【怒り怒られ(ゲット&キャッチ ザ アン)、(グリー )進化する(チンパンジー)】
瞬く間に表れ、そして弾け、次の能力が発動した。「来た――――。一つ目の能力、コンプリート目前」
無意識に、スタンディングオペレーションしてしまった。幸い、同室にいる男たちの気には止まらなかった御様子。私は、静かに座りなおした。
まごうことなき憤怒の能力、その効果は。
「え、なんで」
強欲は、真の姿であるハムスターになった。いや、少し違う。確かに、強欲自体はハムスターだし、ハムちゃんは可愛いけど。この可愛さは、ハムちゃんと異なる。第一、見た目が似ても似つかない。
ハムスターみたいな毛のモフモフ感は見当たらず、それどころか、針のようなトゲトゲ感が見受けられる。
隣に座る、私にとっての頼りがいのある、解説者的立場になったレストに尋ねる。
「解説のレストさん。この能力は、一体、どういった能力なのでしょうか。分かりやすくお答えください」
猫は、想像以上の呆れ顔をしながら、しかし答える。
「アレじゃねぇか。進化っつーくらいだし、本当の自分を、種族が同じのもっと強い生物に変えるんだろ。犬なら狼、みたいな。強欲の場合は、ありゃー、ハムスターからハリネズミになったんじゃねぇの」
言い方は適当だが、確かに強欲の見た目は、トゲの生えたネズミ。つまりトゲ、じゃなくて、ハリネズミ。
現在、モニターに映っているのは。画面の隅で、邪魔にならないよう立ち尽くしているユラルコさん。それと、狐とハリネズミ。これまで何試合も見てきたが、動物状態同士での戦いを見た記憶が、無い気がする。
なんだか、またしても心の中が盛り上がってきた。
罪は互いに、ゲージの残りが半分前後。怪我をしている狐の方が、何もしていなくても減っているため多少不利。それを狙ってか、ハリネズミと化した強欲が、狐へとアタックする。もちろん、体中に生えたトゲを激しく尖らせながら。
だが、炎を自在に操れる狐は、動かざる友攻撃できる。遠距離ができる分、その点では狐が有利にも思えるが、ハリネズミも負けてはいない。
素早い動きで火を躱し、憂鬱に近づくと。
「うわっ。もうすぐで、串刺しになりそうだった」
鋭いトゲが伸びた。狐は、反射的に身を引いたが、少し刺さったのか、腹部からも微量の血が流れている。強欲の攻撃は続く。次は何と、尖らせたとげをミサイルのように、勢いよく狐へと放っていく。おまけに、放つたびに後から後から新しいのが生えている。
狐には、これまでほどの身軽さは見られず、全てとまではいかないが、確実にダメージを受ける数は増えている。怪我による減少も相まって、憂鬱の罪のゲージは3分の1までも切った。
ハリネズミが狐に勝つ気がした時、憂鬱の飼主が静かに動き出した。強欲は、目の前にいる憂鬱しか見えていないため、背後から歩み寄ってくるメイドに気付かない。そして、ゆっくりと抱き抱えられた。
油断していたわけではないだろうが、敵の飼主に掴まったハリネズミは、逃れようとトゲを尖らせ、ユラルコさんに刺す。しかし、彼女は手を離すどころか、血が流れているにも関わらず、苦痛の表情を堪え更に抱きしめる。そこへ、人間に戻っていた憂鬱がフラフラと歩み寄り、飼主もろとも強欲に火をつけた。
身体が燃えているのに、決して手を離すことのなかった憂鬱の飼主と、最後まで逃れることができなかった強欲は、やがて、燃え尽き消えた。
強欲は、完全に一つの存在となってしまったため、ステージに残ったのは憂鬱の罪を宿した狐だけ。
満身創痍で、立っているのがやっとな狐男の前に、審判が姿を現す。
『第一試合は、憂鬱陣営の勝利。連絡通り、次の試合は明日同時刻より開始する。憂鬱と次の勝者には、最後にふさわしい試合を期待する。では』
こうして、強欲と憂鬱の試合は終わった。
私は、しばらくその場を動けなかった。勝つためとは言え、自らの身を犠牲にすることも、ペアを傷つけることも、私にはできない。したくない。気持ち悪い、仲間を傷つけずに勝つことができるのなら、それが一番。だが、それ即ち、敵を容赦なく倒さなくてはならない。気分が、心が、今になっても痛い。
「白琉、大丈夫か。苦しいなら、オレが運んでやるぞ」
俯いていた顔を上げる。そこには、いつのも増してカッコよく、何だか頼れそうな彼がいた。
「うん。じゃあ、お願い」
部屋の中には既に、私たちしかいない。目を気にすることなく、ココは言葉に甘えることにした。
彼は、私に背を向けてしゃがんだ。
「あれ。レスト、運んでくれるんだよね」
「そう言っただろ。早く乗れよ」
聞いた私に、何言ってんだコイツ的な感じで言ってくる猫男。私は、てっきり。
「抱っこしてもらえると思ったんだけど、レストは背負うつもりだったんだな」
私が呟くと、彼は突然立ち上がり、こちらを向くと。
「さっさと立て。そうじゃないと、持ちにくい」
半ギレな様子で、指図してきた。大人しく立ち上がると、彼は私の背中と膝裏に手を回し、持ち上げる。
お姫様抱っこ状態になった。
「ありがと。でも、レストの顔、赤い。重かったら、降ろしてくれても構わないけど」
すると、彼は声を上げて。
「重くねぇし、余裕だし。ほら、部屋に戻るぞ」
一瞬、顔が凄く近づいた。今でも、ドキドキする。
別の部屋に寄ることなく、真っ直ぐ自室まで戻って来た。私の場合、最後まで運んでもらった。
「…さて」
「さて、じゃねぇだろ。何、誇り顔してんだ」
個人的には、一息ついただけなのだが。どうも、他人の捉え方は違ってしまうものだ。
「レスト。私のこと、好き?」
自分でも驚くほど、超唐突な質問をしてしまった。多分、心のどこかで、今すぐにでも好きと言ってもらいたい衝動に駆られてしまったのだろう。
彼は、まあ至極当然なのだが。
「白琉。それはどう考えても、今改めて聞くことじゃないだろ。お前は、オレに何を求めてる」
怪訝そうな顔で、見下される。
今の状態は、私が寝具に座っていて、彼が目の前に立っている。よって、必然的にもとより見下ろされてはいるのだが。
「いいから、応えて。別に、何も求めてない。純粋に、レストの想いを聞きたいだけなんだ」
上目づかいを意識して、少し甘える感じで言った。
彼は、後ろ髪を掻きむしりながら。
「好きに決まってんだろ。じゃなきゃ、やらねぇよ」
そうこれ、この照れた顔が見たかったのだと、自分の欲を満たした。私が愉悦に浸っていると、猫男はソファーの背もたれに腰を掛け、尋ねてくる。
「それで、これからどうするつもりだ。オレ、腹減ってきたんだが。時間的に、食堂か部屋か決めてくれ」
時計を見ると、時刻はもうすぐ18時。確かに、お腹が空いてくるころだ。空腹は生理現象、抗うことなどできない。僧侶ともなれば、別だろうが。
「食堂行きたいけど、暴食ペアがいる気がするんだよな。避ける訳じゃないけど、試合前日に食事で同席って、何だか気まずいような」
悩んでいると、眼前の男が何かを思い出したみたいに言う。かつての、私の科白。
「白琉。お前、結構前に暴食陣営に、『決別するのは戦う時だけ、それ以外は、普通に接して』、とか言ってなかったか。今の感じだと、約束破りに見えるぞ」
そうだった。確かに、そんなこと言った気がする。だったら、私は今、ものすごく申し訳ないことをしている。一気に、踏ん切りがついた。
「レスト、食堂に行くぞ。腹が減っては戦はできぬと言うし。さあ、立って」
猫男の腕を掴んで、部屋を出る。もちろん、世情は怠らない。最低限の安全は、保障せねば。
食堂の扉を開けると、思ったとおり、暴食陣営が食事をしようとしている。向こうも、こちらに気付いた。
「あっ、白琉さんたち。こんばん…え」
「ロニちゃ――――ん! ごめんね、ごめんね。私がバカだった。お詫びと言っちゃなんだけど、私のこと、とことん罵っていいから。ほら、どうぞ。思う存分、罵倒して。私には、怒る権利なんてないんだから」
真っ先に、ロリ巨乳な暴食の動物に抱きついた。無闇にではなく、テーブルの上に置かれた食事に被害を与えぬよう、注意して。
我に返って、いきなり跳びかかったら迷惑だったかと後悔した。すると、少女は私の後ろ髪を撫でながら。
「白琉さんはバカではありません。恐らく、螺旋が何本か抜けてしまったドジッ娘だと、ボクは思います」
優しく声をかけてくれた。発言の内容は、特に気にしないようにした。
色々あったが、初めて会った頃のことを思いだした。初心忘れるべからずとは、その通りである。やっぱり、スタート地点に立った時の気持ちが、一番大事なんだ。
女二人で笑っていると、少し離れたところにいる男たちの会話が、嫌でも自然と耳に入ってきた。
「白琉さんって、おバカなんですか」
「ああ、かなりな。まあ、馬鹿な飼主は使いようという諺もあるくらいだし。アイツも中々強いぞ」
「うちのロニーカだって、強い子ですよ。あと、諺にあるのは、馬鹿と鋏は使いよう。なのでは」
「知ってる、ワザとだ。覚悟しておけよ、明日はもしかしたら、うちの最終兵器飼主が爆発するかもだぞ」
「ご忠告、ありがとうございます。お互い、尽力しましょう。いくらロニーカが美味しそう。じゃなくて、可愛いからって、油断は禁物ですよ」
「油断なんかしないから、安心しろ」
などと、殺したくなるようなアホみたいな内容が。
今の会話は、少女にも聞こえていたらしく、笑顔でこう言ってきた。
「バカなのは、男の子たちの方ですよね」
私は、思わず咽そうになったが、何とか耐えて同調した。話してみれば、何てことは無かった。
その後、私たちは食事を共にした。
お腹が満たされ、集中力が少し散漫になったので、部屋で休んでいると。
「どうだ、気分は。かなり優れたんじゃないか」
確かに、食事前と今では、心のゆとりが全然違う。明日戦う敵同士といえど、それ以前に友達だ。避けるのは申し訳ないし、健闘をたたえ合ってこそ、互いに全力で挑める気がする。
「何か、明日は思い切り戦える感じがする。躊躇うことも無さそうだし、戦闘じゃなくて遊戯だと思えば、楽しめそうだな」
容赦とか油断とか、言ってる場合じゃない。油断したら、確実に足元を掬われる。
つまり、そこまで気を重くすることは無い。緊張じゃなく、楽しんだ者勝ちだ。
「考えたって分からないし、てゆうより、考えるだけ無駄だと思う。明日は明日の風が吹く、ってね」
ベットから足を投げ出し、ブラブラさせていると。
「なんか、最近のお前、記憶が無い設定が薄れてる気がするんだが。もしかして、気付いてないだけで戻ってるんじゃないか」
猫男がそんなことを言ってきた。
「日常会話に支障はないけど、過去の記憶はまだ。だけど、時々頭が痛くなるんだ。こう、何かをよみがえらせようとしているみたいに。それより、設定とか言わないでくれる、嘘吐きみたいじゃん」
それからは特に、何をするでもなくただ時間だけが過ぎて行った。グダグダするだけ、まさに怠惰陣営。
身体だけでなく、脳まで動かせたくない。というのは比喩で、本当に脳の動きが止まってしまったら、それ即ち死を意味する。
頭を働かせないとバカになると聞くが、どうでもいい。今は、とにかく何もしたくなくなった。