忘却と逃避
「オイ、起きやがれ飼主。早くしねぇと、終わっちまうぞ。いいのか、見そびれて」
揺れる体と掛けられる声で、私は目が覚めた。
「ん~、おはようレスト。あっ、人間の姿になってる」
可愛い緑色の猫とは打って変わって、中々のイケメンな全身緑衣装の男が、眼の前にいる。
「んなこと言ってる場合じゃねぇって、時間見てみろ」
言われた通り、横にある時計を見る。
「えっと、14時30分。あれ? 確か試合が始まる時間って…」
「14時。もう、とっくに始まっているぞ」
暴食陣営の試合は見ないと約束したが、見るつもりだった色欲陣営の試合は、もしかしたらもう終わっているかもしれない時刻。
「急ぐぞ、レスト。まだ終わっていないことを信じて」
慌てて寝起きの顔を整えると、彼の腕を引っ張って部屋を飛び出し、観戦室へと向かう。
「はぁ、はぁ、つ、着いた。良かった、まだ、終わってなかった。…えっ?」
息も絶え絶えに、モニターを見る。そこには、信じたくない光景が映っていた。
「嘘でしょ、なに、これ」
二人ともほとんど残りゲージが無く、明らかに苦しそうな色欲陣営。それをあざ笑うかのように、息一つ乱れていない敵。胸元が開いた袴姿に下駄の男と、食堂にいたメイドの憂鬱陣営。
色欲の二人、あるいはメイド、お互いに食堂にいた時点では、相手の正体を知らなかったのだろうか。
いや、仮に知っていたとしても、他の陣営がいる中では、触れたりしないだろう。
愚考はここまでにして、映像に意識を戻す。
私の目に、不思議なものが映った。
「ねぇ、レスト。あれ、なに?」
小声で、隣にいる猫男に尋ねる。
ミルク姐さんの頭上に現れた、ゲージとは別の、怪しげなアイコンのようなものについて。
「まあ、奥の手っつーか、これでダメならもうあきらめるしか選択肢が無い最終奥義、みたいな」
随分とあいまいな答えだが、その技を使うということは、かなり危機的状況にあることだそうだ。
どういった経緯で、なぜこんな事態になってしまったのか、自分のせいだが、見れなくて心苦しい。
ただ、色欲陣営はそこまで追い詰められている事実は、違いようがない。
観ている私は、一発逆転を祈ることしかできない。
「お願い、勝って」
両手を合わせ、モニターに向ける。
それと同時に、姐さんの頭上に合ったアイコンが弾ける。何が起こるかマジマジ見ていると、徐々に変化が見え始めた。
色欲の罪を宿したウサギ人間こと、ミルク姐さんの身体が透明になっていく。
見えなくなるわけではない。単純に、体が透けていくのだ。どこかで見たことのある、とある固体の様。
【絶対零度の兎】
突如、画面下方に文字が示し出された。
「なんぞ? あれなんぞ?」
思わず、変な口調になってしまう。
「シンプルに言えば、能力名だな。ただ、一回使えばどんな技か一瞬でバレちまうから、対策を打たれちまえば、次からはあまり役に立たねぇんだ」
と言いながら、彼はしっかりと色欲の能力効果を、見定めている。
私も目線をそちらに戻すと、ミルク姐さんの身体が、完全に氷そのものになっていた。
「あの体に抱かれたら、風邪ひいちゃいそう」
声に出ていた。隣の猫男から送られてくる視線でも、風邪を引いてしまいそうだ。
恥ずかしくて、モニターだけに集中する。
飼主の井原さんは一歩下がり、姐さんは前に立って攻めの構えを取っている。
敵側の憂鬱陣営は、特に身構えた様子を見せない。
その隙に、姐さんが嘗てない程のスピードで相手に突っ込む。そして、下駄男の隣で無防備に立っているメイドの後ろに回り込み、両腕を掴む。
その途端、掴まれた腕が凍りついた。
「うわぁっ! 凍った。風邪ひくどころじゃなかった」
凍るのは、触られたところだけではなかった。腕から肩、身体へと広がっていく。
メイドの腕、肩、胸、首筋まで凍った時だった。姐さんは手を放し、飼主の元へ戻る。
その動きが気になったが、それよりも目が行ってしまったのは、下駄男である。
彼は、モニター越しでもはっきり分かるほどのドス黒い気を立たせている。
「なんかあれ、ヤバくない」
尋ねても、応えは戻ってこない。なぜなら、今まで見たことが無い鋭い眼力で、真っ直ぐに画面を睨んでいるから。私の声は、届いていないだろう。
でも、いつになく真剣な表情なので、その理由が気になって仕方がない。憂鬱の動物は、多分。
スクリーン内では、下駄男がメイドに何か伝えている。話が終わると、腕が凍りついてゲージも徐々に減りつつあるメイドを下がらせ、深呼吸をした。
まさに、一触即発の雰囲気。
触れた相手を凍らせる色欲のミルク姐さんと、忌々しいオーラを放ち続けている(恐らく)憂鬱の下駄男。
男の方は、無闇に相手に接触することはできない。しかし、打撃でなくてもダメージを食らわす例は、今までも何回か見てきた。一方の姐さんは、直截攻撃しか方法は無い。
どのような形で動くか見ていると、下駄男が突然その場に座った。どうやら、座禅をしているようだ。
一見、隙だらけのように見えるが、それは客観的な立場からの予想。実際、眼の前に居たらどうしようか、悩みどころである。
すると、男の姿が変わっていく。どんどんと小さくなっていき、途中で尻尾のようなものが生えた。
完全に変化を終えると、抱いたら温かそうな『狐』になった。普通の狐がどんなだったかは思い出せないが、ソイツは、背と尻尾が黒く、お腹が白かった。
「うわぁ、狐だ。特徴はあまり覚えていないけど、何故かあれが狐ってことは、はっきり分かる」
どうでもいい独り言を、意識的に漏らす。
狐になったからには、何かしら行動を起こすつもりなのだろうと、かじりつく勢いでモニターを見る。が、憂鬱の正体である下駄男、現在の狐は、相変わらず攻めようとする動きを見せない。
体積が小さくなった分、俊敏性は上がったが、姐さんに捕まったら一瞬で凍り付いてしまいそうだ。一体、何が狙いなのか。
どうも、集中して見れば見る程、雑念が湧いてきてしまう。だから、本当に大事な場面を見逃してしまうのだ。考えるのをやめた私の目に映ったのは、メイドの頭に乗っている狐。
彼は、飼主のメイドの頭に、自分の肉球を押し付けている。まるで、何かを吸い取っている様。
数秒後、狐は頭から降りた。それと同時に、メイドは後方へ倒れる。尻餅をつくときは、衝動的に手が地面に着くものだが、彼女の場合は凍っているので、見事に滑って背中から倒れ込んだ。
よく見てみると、メイドのゲージがかなり減っている。飼主のゲージを削って自分の力に変える動物は、意外と多いのかもしれない。
狐は、飼主を特に気にした様子もなく、真っ直ぐに色欲陣営の方を向いている。
そして、尻尾を数回左右に揺らすと、飛び跳ねながら、姐さんに向かって襲い掛かる。
正体はウサギだが、今はまだ人間状態を保っているミルク姐さんは、小さな狐を一瞬で凍らせるために、いつでも包み込めるように両手を広げた。
だが、その格好は、あまりに無防備だった。
狐は、姐さんの目の前で飛び跳ねると、捕まる前に短い右腕を伸ばす。そこから突然、炎が飛び出した。
小さい手から放たれた激しい火は、瞬間的に姐さんの氷の体を包み込んだ。
「な、なに。何が起こったの! ねえ、レスト」
体をゆすりながら、猫男の耳元で声を出す。
彼は、こちらを向かずに言葉だけ返す。
「あれは、所謂【狐火】ってやつだな」
狐火。別名、鬼火・火の玉・人魂、などとも言う。
墓地などの、主に死体が地面に埋められている場所で発生する現象のこと。
死骸がバクテリアによって分解される際、リン化合物が光って青白く見えるものが、狐火と呼ばれる。
どうしてこんなことを覚えているのか、自分でも不思議である。が、そんなことはどうでもいい。
なぜそれが、肉球から放出されるんだ。
「さっき、あの狐は飼主の頭に手を押さえつけていただろ。そして、飼主の女のゲージは減った。つまり、狐は女の魂を吸い取ったんだ」
猫男は、簡潔に説明した。
まあ、一般的に死者の魂とか言われているらしいから、炎が出たことには納得した。
理解できたのは良いが、そのせいでまた、モニターから目を放してしまっていた。
慌てて見直すと、未だに腕が凍りついたまま倒れているメイドと、その腕に尻尾を巻きつけて温めている狐。その反対側には、酷く雑色な体で床に倒れているウサギと、肩で息をしながら立っている井原さんの姿が目に映った。
色欲陣営は、既に二人ともゲージが0になっていた。だが、明らかに前とは違う。
前回やられた時は、0になったら、徐々に体が薄れていき、そして消えた。今回は、言い方は悪いが、カビだらけというか、生きたままバクテリアに体中を犯されているように見える。すごく、嫌な感じ。
色欲陣営が負けたという事実は、一目瞭然だ。これで二敗、即ち、脱落決定。
「ん? 脱落」
その熟語が、私に寒気を誘った。次の瞬間、嫌な予感が現実のものとなる。
色欲陣営の身体が、足元から分解されるように、少しずつ塵となって消えていくのだ。
それはまさに、現実ではなく電子遊具の世界から、排除されていくようだった。
色欲陣営が消え去ると、審判が現れる。
『Aブロック第ニ試合は、憂鬱陣営の勝利。次のBブロック第二試合、嫉妬陣営対暴食陣営の試合は、一時間後より開始する。では、一旦映像を停止する』
色欲陣営のことに関しては、何も触れられなかった。私は、隣の猫男の腕を引っ張り、部屋を飛び出す。
決闘室の前で、誰かが出て来るのを待つ。
最初に出てきたのは、審判の男だった。
「あっ、霊夢。ちょっと、あなたに聞きたいことがあるんだけど。私の質問に、正直に応えてね」
私は男に、色欲陣営がどうなったかを聞いた。
すると彼は、飄々と口にする。
「ああ、彼らなら、この空間から消去したよ。なんと言っても、脱落者には違わないからな」
まるで、敗者を待ち構えているのは死だけだ、と言わんばかりの口調だ。私はそれに、憤りを感じた。
「消去って、一体どこに行ってしまったんですか」
気持ちを抑えることなく、感情をそのままぶつける。
「どこに行くも何も、存在そのものを消してしまったからな。聞かれても、返答に困る」
私は、完全に切れた。
勢いで審判に跳びかかろうとした私を、後ろでただ聞いていた猫男が抑えた。
「やめろ、白琉。腐ってもコイツは審判だ。仮にお前が女だとしても、手を出したら何をされるか、分かったもんじゃねぇぞ」
猫男はペットらしく、飼主である私の身を心配して、止めてくれたのだろう。実に有り難かった、おかげで手を上げることは無かったから。
それはそれとして。
「何が仮に女だとしてもじゃ、ボケェ――‼ 私は、列記とした女だ。部屋に戻って、確認するか。アァ」
今度は、猫男に向かって跳びかかる。私が首を絞めていると、彼はその腕を叩きながら、苦しそうに言い訳をしてくる。
「お、落ち着け、白琉。オレは、ただ、お前が色欲のことで、怒っていたから、少しでも、和ませようと、して、着いた、お茶目な、ジョーク、なの、よ」
最後のオネエ口調で、私は我に返る。猫男から手を放し、辺りを見渡すと、審判の姿は無かった。
「チッ、逃した。次会ったら、問い詰めてやる」
マイルームに戻った私は、堂々と愚痴をこぼす。
一体、色欲陣営はどうなってしまったのか。もし本当に、これが電子遊具の世界だとしたら、今後、二度と会うことはないだろう。
それは、いかに敵とはいえ悲しい。
気持ちを切り替えて、次は自分のことについて集中する。なるべく早く、記憶を取り戻さないと。
今のままでも、別に不便があるということはない。だが、曖昧な点が多すぎるので、一刻も早く自分自身を信じられるようになりたい。
とりあえず、前ほどの色欲と憂鬱の試合を思い出す。どうも、頭に引っかかってしかたがないのだ。ミルク姐さんが、狐の炎で前進焼けているあの姿が。
以前も、誰かが火の海の中でもがいている、そんな光景を、目の当たりにしたことがある気がする。
あれは、正直言って地獄絵図だ。誰かが、自分の目の前で焼け死んで行くなど。
消え去りたい過去とは、ああゆうのを示すのだろう。
それだけではない。
当時は、戦うことに必死で特に気に留めていなかったが。今思い返せば、あれも。
レストが、最後にトドメとして刺殺したことによってできた、体に穴が空いた死体。
過去の私は、そんなに人の死の現場に遭遇する人間だったのだろうか。
誰かが自分の前で死ぬのが怖くて、誰にも逢わない森に逃げ込んで、そこで、そんな自分が嫌いになって全てを忘れたくて、気がつけば、記憶喪失。
「なぁーんてね、そんなの有るわけないっか。もし今の考えが本当なら、どんな因果で今に至るんだよ。これじゃあ、まんまゲームじゃん」
何度失敗しても、コンティニューすればやり直せる。そんな都合のいい話、現実ではありえない。じゃあ、やっぱりここは、電子遊具の世界?
私は、寝具から降りて、ソファーに寝転がっている猫男に尋ねる。
「ねぇ、レスト。正直に答えて。これは、ゲームなの」
その質問に、私は自分が予想していた応えとは、全く異なるものが返ってきた。
「それ、マジの現実逃避か」
私が想った真実を、彼は偽装と断言した。
「ち、違う。ただ、これが電子遊具の世界なら、いろいろと辻褄が合うと思っただけで」
「だから、それはお前の、これがゲームの中の出来事だったらいいなっつー理想だろ。結局、まだ現実を受け止められてねぇんだな」
私の反論は、あっさり退けられた。そしてまた、彼を怒らせることになってしまった。
すごく切なくなったが、ここで黙り込んでしまっては、この前の二の舞いだ。
私は、喉元を振り絞って声を出す。
「わ、私はただ、もしかしたら、そう、かもって、可能性の、ひと、つを、出した、だけだもん。別に、現実、逃避を、した、かった、わけじゃ、う、うぅ」
最初から、うまく喋れていないことは自覚していた。それでも、一所懸命自分の想いを伝える。けれど、言い切る前に、涙腺が崩壊してしまった。
泣くつもりはなかった。都合の悪い時はすぐ泣く、弱い女だと思われたくなかったから。
それでも、結果的に涙が止まらなくなった。
両手で目を覆っても、止まる気配はない。自分の力では体を制御することもできない私の手を、温かい何かが包み遠ざける。
涙で視界が悪いが、私の手を強く握っている、恐らく必死で泣くのを堪えている猫男が、映った。
彼は、何やら言いたそうだが、私と同じように詰まり詰まりの話し方に成るのを、躊躇っているのだろう。
そう思ったら、不思議と可愛く感じて、自然と笑みがこぼれた。泣きながら笑う、よくあると言っちゃああるが、私個人としては多分、人生初である。
彼も、この状況で笑っているおかしな私に洗脳されたのか、笑い出した。と同時に、抑えていた涙が流れ出す。もうどうにでも成れというように、彼はいきなり謝りだした。何度も、「ゴメン」の一言を繰り返す。
泣きながら笑う私と、泣きながら笑い、そして誤る彼。突然見た人は間違いなく引くであろうこの状況のまま、私たちは重なるようにソファーに倒れた。
◯
これで何度目だろうか、電話のコール音が目覚まし代わりになったのは。毎度ご丁寧に、審判の男から、夕食の準備ができたと伝えられる。
電話だし、寝起きだしで、上手くしゃべれないと思ったので、脱落者の末路への質問は抑えた。
いつもどおり、身支度を整えてから夕食の為、食堂へと向かう。緑色の猫になった男を、抱きながら。
食堂へ入ると真っ先に、誰がいるのかを確認する。
これまで以上に幸せそうに食事の悦に浸っている暴食のリスとその飼主、何度か見ているが未だに正体を知らない小柄な男女。そして、私の記憶の中ではさっきまで色欲と戦っていた人間のメイド女。彼女のペットの、憂鬱の動物である狐の姿はない。
私は、特に考えも無いまま、メイドに話しかける。
「あの、少しいいですか。ユラルコさん」
彼女は、静かに私の方を向く。
「ごきげんよう、白琉様。また、動物を素の状態のまま連れてきたのですね」
しまった、すっかり忘れていた。
「そんなことより、目の前で見ていたあなたに聞きたいことがあります。色欲陣営が消えていく時、どんな感じでしたか」
色欲陣営は、メイドと狐の憂鬱コンビに敗れたことによって、脱落が決定した。
倒した本人なら、知っていて当然だろう。
だと予想していたのだが、彼女は。
「どんなも何も、私は色欲の攻撃を受け、その後は楸様の糧となったことで意識を失いましたので、色欲の方たちが消えていくところは見ていないのです」
そう言われてみれば、確かに最後の方の彼女は、倒れている姿しか映っていなかったような。
無駄だったかと、肩を落とす。
その時、とあるセリフが耳元に戻ってきた。
「あの、楸って、誰ですか」
「あっ」
メイドは、珍しく驚いた顔を見せた。
私は、続けて聞いてみる。
「もしかして、黒い袴に下駄の、狐さんのことですか」
「ど、どうしてそれを」
彼女は、私たちが試合を見ていたことを知らない。憂鬱の、正体見たり、枯れ尾花。
どちらが動物で、正体は何で、名前は何というか、これで分かった。あとは、狐には他にどんな能力があるのかを、知りたい。
私が色々考えていると、メイドから声をかけられる。
「あの、どうかしましたか。私としては、これ以上の情報を与える気は無いので、できればお引き取りを願いたいのですが」
私も同意見だ、もはや話が続く状況とも思えない。
話してくれたことにお礼を言い、今度は暴食の方へ向かう。食悦ポニテ少女に声をかける前に、振り返る。そこには、既にメイドの姿は無かった。
幸せな一時を邪魔しないように、タイミングを見計らって、暴食の罪を宿したリスである、ロリ巨乳なポニテ少女に声をかける。
「やあ、ロニーカちゃん。なんだか、ご機嫌だね」
少女は、ゆっくりこちらに顔を向ける。
「エヘヘ、そう見えますか。そうなのですよ~、ボクたち初戦を勝ったのです。もう、嬉しくって。アリンも何時になく、はしゃいじゃって」
負ける者がいるということは、当然、勝つ者もいる。色欲陣営は、一回も勝てなかったんだよなぁ。戦い
には、強さだけでなく、相性も必要ということか。
明日は私達の試合はないが、だからこそ、次の対戦相手のことが気になって仕方がない。早く戦いたいといった、戦闘意欲が有るわけではなく。単純に、どんな人達がいるのかを知りたいのだ。
「どうしたのですか、白琉さん。なにか、考え事でも」
話の途中で自己世界 に入りこんだ私は、少女の言葉で現実に戻る。
「ゴメン、ちょっとボーっとしちゃった」
説明が面倒なわけではない。ただ、話す必要が無いだけだ。私は、続けて言う。
「今日、ロニちゃんたちが戦ったのって、嫉妬の人たちだよね。どんな感じだった」
今の質問を、少女がどのようにとらえたかは、次の応え方で分かった。
「普通だったよ。ジト目で少し背の高い細身の男性と、鋭い目つきで、アリンほどじゃないけど、それなりに長身で体格の良い男性です。結局、どちらが動物で、正体はなんなのかは、分からなかったけど」
暴食陣営は以前、憤怒対嫉妬の試合を見ている。しかし、未だ動物の方を知らないとは、嫉妬陣営は余程、正体をさらすことを躊躇っていると思われる。
人間状態の姿かたちを教えてくれたのは、有り難い。だが、私の聞きたかったことはそれでなく。
「それじゃあさ、倒した時って、相手はどうやって消えて行ったの。変な色とか、ならなかった?」
再びの私からの質問に、少女は。
「別に、ゲージが0になったら、空気に混じるようにいなくなったよ。なに、変な色って」
そうだった、嫉妬陣営はこれで一勝一敗だ。
今度は私が、色欲陣営の脱落時の消え方を、少女の飼主であるアリン君も交え説明する。あの現場に暴食陣営の姿は無かったから、知らなくても無理は無い。
話が終わると、明らかに落ち込んでいる様子の二人。さっきまでの私を、表しているみたいだ。
暴食の飼主は、残念そうに言葉を漏らす。
「そうですか、あの方たちが負けてしまいましたか。これは、僕たちもどうなるか分かりませんね」
私たちも彼らも、お互いに既に一勝はしている。なので、問題ないとは言えぬが、もし、次の試合で負けても、その場で脱落することは無くなった。逆に、勝てばトーナメント参加権を得ることになる。
脱落が決定すると、見ているだけで恐怖に包まれる消され方をされる。できれば、そんなの御免だ。
それでも、生き残れるのは一ペアしかいない。もしかしたら、目の前の二人とも、いずれ戦うことになるだろう。それは、覚悟の内だ、
だからと言って、いきなり対立などはしない。
私はもう一度、暴食陣営に声をかける。
「ロニちゃん、アリン君、私たちも何時かは、戦う日が来るかもしれない。もしそうだとしても、これだけは約束して欲しい。決裂するのは、その時だけ。それ以外は、今まで通り普通に接して」
本来、こうやって接触すること事態が間違っていると言われても可笑しくない。だけど、敵だから仲良くしてはいけない、なんて決まりは無い。
二人は信用に値すると判断したからこそ、お願いを申し出た。返答は、予想していた通り。
「もちろんだよ、出来ることならボク達だって、白琉さんたちとは戦いたくないですもの。ねっ、アリン」
暴食少女は、飼主に賛同を求める。
「うん。全員が重たい空気の中、白琉さんだけは、話しかけてくれた。人見知りの僕が気軽に喋られる人なんて、あまりいないから。すごく、嬉しかった」
二人とも、心からの言葉だと、その目を見れば分かる。曇りのない、綺麗な瞳。
ただ、こちらが思っていた以上に、有り難い言葉が返ってきたので、少し恥ずかしくなった。
片手で猫を抱えながら、髪を触る私に、少女が疑問符を浮かべている感じで、尋ねてくる。
「それはそうと、白琉さん。ご飯を食べなくて、いいのですか。いつも、慌てながら食べていますよね」
またやってしまった、話に夢中で時間が経つのを忘れてしまう。いい加減にしろと自分に言い聞かせながら、猫を椅子の上に降ろすと、料理を取りに行く。
前回の反省を踏まえ、最初から取りすぎないよう厳選してから、食べ始める。
おかげで、今回はそんなに焦らなかった。
緑色の猫が、最後まで起きないまま、マイルームに戻ってきた。思い返してみれば、試合を見るか、寝るか、食べるかしかしていないので、心持少な目でやめておいた。猫は小食らしいので、一食ぐらい抜いても、文句は言われまい。
私は、猫をソファーの上において、シャワーを浴びるため服を脱ぐ。全ての衣類を身から外し、洗濯を開始して、いざ体を清めようとした、その時だった。
「ハクルゥ~、腹減った~」
半開き状態の目で、寝ぼけているせいか呂律の回っていない、人間姿の猫が現れた。
「「あっ」」
目と目が合う。私の視線は、彼の顔をとらえている。一方、彼は目線を逸らした。恥かしくなくなって、顔をそむけるのなら問題ない。しかし、彼の目線は明らかに、私の胸部に向けられている。
「おーい、レスト。どこ見てんだー」
手を彼の顔に向けて振り、どんな反応をするか確かめる。すると。
「お前、改めて見ると貧乳だな。何カップだ?」
ガチで、ぶっ殺してやろうと思った。
自分が今、何歳かは分からないが、まだ成長の余地があるに違いない。絶対、見返してやる。
殺気を片端から放ちまくっている(つもり)の私に、彼は怯える様子もなく。
「記憶が曖昧な飼主に、助言を授ける。古来より、胸は揉めば大きくなるらしいぞ。という訳で、揉ませろ」
ハイコロス、コイツコロス。
ワタシ、カンゼンニキレマシタ。
殺意を込めて襲いかかろうとした寸前、我に返って彼の言葉を思い出す。
私のために、気を使って言ってくれたのかもしれない。これは、素直に好意に甘えるべきか。そもそもだ、なんで裸を見られただけで、恥ずかしいんだ? 体を触られるのだって、別に汚れる訳でもないし。あれ、じゃあなんで、色欲陣営が脱落した時、悲しくなったんだろう。なんで、暴食陣営と仲良くしていたいんだ。
なんで何でなんでナンデなんでナンデ何でナンデ?
頭の中が、真っ白になった。
「オーイ、何をそんなに考えてんだー」
「ヒャッ⁉」
耳元で彼に囁かれ、変な声を出しながら意識が戻る。
「てっきり、すぐに突っ込まれると思ったんだがな。オレ、そこまで悩ませること言ったか」
この数秒間で、何て言われたのか忘れてしまった。思い出そうにも、全然出てこない。
「ううん、何でもない。問題ない、大丈夫だぞ」
言った直後に思い出す。こういう事、よくあるよね。
「ちょっと待っ、キャッ‼」
弁解する間もなく、少し出っ張っているぐらいしか無い胸を、見事に鷲掴みされる。
どれだけ抵抗しようとも、全くと言っていいほど効果が無い。せめて、喘ぎ声だけは出さないように、口は堅く閉ざして粘る。
それから数秒後、ようやく解放された。手を放すやいなや、猫男は悪びれた様子もなく。
「結構、頑張れるじゃねぇか。どんな状態でも相手の言いなりにはならないとするその姿勢、ナイスだ」
一応、褒められているみたいだ。私は、軽く微笑む。そして、勢いよく渾身のアッパーを、彼の顎にヒットさせる。見事に、彼は吹き飛んで壁にぶつかった。
冷えた体を温めるべく、すぐにシャワーを浴びる。
身を清め終え、バスタオルを体に巻いてリビングに戻る。すると、どこから持って来たのか、猫男が、私に殴られた場所に氷の入った透明な袋を当てながら、ソファーに座っている。
「ゴメン、ちょっと強すぎたかな」
まあ、これで五分五分でしょ。
「お前、次の試合から、敵にその拳を食らわせてやれ」
彼は、殴り飛ばされたことがショックだったのだろうか、少し切なそうに言ってきた。
「私、別にボクサーじゃないから。普通のか弱い乙女が殴ったところで、あまり効かないでしょ」
彼は、蟇目で私を見てくる。まるで、信じられない物でも見るかのように。
ここでいきなり、彼から思いもよらない質問がきた。
「なあ、前から思っていたんだが。白琉は何もかも忘れたわけじゃ、無いんだよな。現に、今こうして普通に話しているのも、ある程度の知識が残っているからだろ。お前の記憶で曖昧なのって、具体的にどういったジャンルのことについてなんだ?」
言われて見れば、その通りだ。最初に目が覚めた時、自分がどこのだれで、どうしてここにいるのか分からなかったから、記憶を失ったんだと思った。
でも、記憶喪失って言葉も、その意味もちゃんと覚えているし、その他のことも、大概は不確かだが、全く知らないというものは殆どない。
これは、どういうことだ。自分が、何を忘れたのかを忘れている。またしても、頭が痛くなってきた。
膝から床に倒れ込む。彼の、私の名前を呼ぶ声が、どんどん遠くなっていく。意識が、薄れていく。
次に気が付いた時、私はきちんと服を着た状態で、ベッドで寝ていた。
体を起こすと、掛布団の上で、丸まりながら寝ている緑色の猫が目に映った。その背中を撫でていると、猫は目を覚まして、大きな欠伸をする。そして。
「調子はどうだ、白琉。寝たから、少しは気持ちが落ち着いただろ。感謝しろよ、服を着せて、ベッドまで運んだんだから」
言葉を発した。今まで一度も、動物の状態で人間の言葉をしゃべったことなんてなかったのに。
「レスト、その姿でも、喋ること出来たの」
彼、と言っていいのかどうか。猫は、短い首をかしげながら聞いてくる。
「ん、教えてなかったっけ」
はい、初耳です。人語を話せるのは、人間状態の時だけだと思っていたのに。なんか、騙された気分。
「それで、どうだ。何を忘れてるのか、思い出したか」
猫は聞いて来た。私は、一分ほど考えた後、応える。
「本当に分からないのは、やっぱり、自分についてのことだな。【夜桜白琉】ってのも、あの審判から聞いただけで、本名かどうか定かじゃないし」
自分に興味が無かったからか、忘れたい過去があったからか。いずれにせよ、私自身に関する記憶だけを失ったからには、それなりの理由があるはずだ。
猫も、一言「そうか」と呟いただけで、後はお互いに口を開かなかった。
この沈黙を破ってくれたのは、お馴染み電話のコール音。その発信主はもちろん、審判の男。
昼食の準備ができたから、いつも通り食堂に来いと言われた。もうすっかり、部屋で食べるか食堂に来るかは、聞かれなくなった。
「だって、レスト。ご飯、食べに行こうか。…あれ、昼食って、今何時だ」
時計を確認。時刻は、正午5分過ぎ。
「しまった。虚飾と強欲の試合、見損ねた。せっかく、強欲陣営がどんな奴らか、確かめる機会だったのに」
悔しがっている私の肩に、猫が乗ってくる。そして、肉球でホッペを押しながら言ってくる。
「良いじゃねぇか、別に。そりゃあ、今日が試合だったら不戦敗だから、悔しくて無理ねぇけど。敵の戦いを見逃しただけで済んだのは、不幸中の幸いじゃね」
あまりに、楽観的過ぎたおかげで、気持ちが和らぐ。
寝起きだったので、顔を洗って寝癖を整え、いつの間にか人間になっていた猫男と、食堂に向かう。
今日この後、A・Bブロックの最終戦が始まる。
Aブロックは、共に色欲陣営に勝利した、傲慢陣営VS憂鬱陣営。勝った方がトーナメント参加を決め、負けた方は敗者復活リーグに回される。
Bブロックは、一敗と一勝の、憤怒陣営VS暴食陣営。憤怒が勝てば、3組同率となる。その場合、審判はどういった判定をするのか。まあ、私は暴食陣営の勝利を願っているのだが。
その暴食陣営と、私たち怠惰陣営は、テーブルを挿んで向かい同士に座っている。
今回は、予め料理を選んでから、ゆっくりと話しながら食べている。人間は、成長する生き物だ。
「ねえ、この後のあなた達の試合、見に行ってもいいかな。モニター越しだけど、生で試合を見る方が、応援しがいがあるから」
キリのいいところで、私は暴食組に頼んでみた。
「う~ん、いいよ。見られてるって分かってる方が、頑張れる気がしてきたし。ねっ、アリン」
「そうだね、ちょっと恥ずかしいけど」
どうやら、認めてもらえたようだ。私がお礼を言うと今度は、リスが正体である少女が言ってきた。
「その代り、明日の白琉さんたちの試合を見に行ってもいいですか。理由は、同じです」
断る必要が無い。猫男は若干渋っていたが、お互いに了承をした。健闘を誓い合った所で、暴食の飼主の青年が、静々と聞いてくる。
「ところで、何故先ほどの試合は見なかったのですか。てっきり、偵察に来るものだと思っていました」
それは、虚飾と強欲の試合のことか。
「あっ、そうそう。ボクたち、お二人と一緒に試合を見ようと、観戦室で待ってたのに」
少女も、不思議そうに聞いてくる。
寝ていたからとは、恥ずかしくて言えまい。
私たちが返答に困っていると、暴食の動物少女が、今までより少し低めのトーンで言う。
「さっきの試合、前に白琉さんが言ったとおりだった。虚飾が負けて、全身がすごく不気味な色に染まって、
本当に、分解されるみたいに消えて行った」
その声は、恐怖からか震えていた。
当然だろう。次の試合で自分たちが勝ったら、相手の脱落が決まる。そうなったら、汚染され解体されていく敵を、目の当たりにするのだから。
気の利いた言葉が思いつかない、どうすれば、この重たい空気を振り払うことができるのか。
私が、悩みに悩んでいると。
「そんなの、一々気にしてんじゃねぇよ。自然の世界なんて、それが普通だろ。弱肉強食、多勢に無勢、勝てば生きて負ければ死ぬ。動物のくせに忘れたのか」
辛辣、だけど、的確。猫男は、言いきった。
私のイメージ的に、リスは平和な山や森に住む、争いとは無関係な動物だ。
しかし、当のメルヘンチック少女は。
「レストさん! ありがとうございます」
元気に返事をしたかと思うと、姿が変わっていく。
茶色く、縞模様で、体と同じくらいの大きさの尻尾を立たせた、愛らしい手の平サイズのリスになり。
「ボク、見ての通りに身も心も小さくて。実は、食べている時以外はいつも怯えていて。でも、今のあなたの言葉で決めました。逃げません、強くなります」
小さい体から、精一杯大きな声を出している。机の上に立ち、両腕両足を全力で伸ばし、少しでも大きくなろうとしているその姿は、悶絶級の可愛さ。
すると、飼主であるアリン君が立ち上がり、リスを両手で包み込んで叫ぶ。
「僕も、強くなる。どんな辛い現実が待っていても、絶対にあきらめない。ロニーカ、一緒に頑張ろう」
暴食陣営の心の闇が、見事に晴れた。
もしかしたら猫男は、みんなを元気にできるのか。
「すごい。レストの言葉で、二人とも明るくなったよ」
私が、暴食陣営から猫男に目線を移すと。
「チッ、余計なことをしゃべりすぎた」
まるで、苦虫をかみ殺すような顔をしている。
「ちょっと、現場の雰囲気を残念化させること、言わないでよ。折角、暗いムードが消えたのに」
どうやら、暴食陣営には聞こえていなかったようなので、まだよかった。
これ以上、猫男が変なことを言わないうちに、会話に終止符を打って、ご飯も食べ終える。
暴食陣営の試合が始まるまで、自室で時間をつぶすことにする。当然、仮眠を取ろうなんて思わない。十分寝ているし、寝坊したら元も子もないし。
しかし、これと言ってやることは何もない。男も、猫状態になっていて、動く気配が無いし。
とりあえず、これからの戦いに対する、自分なりの予想を立てておく。すると、試合状況を妄想するのは案外と楽しくて、すっかりはまってしまった。