第20話
逃げた方が良いのではなかろうか。
私の頭の中はその考えに支配されていた。
先ほどヘレナさんの口から出た『魔神』というワードのせいだ。
魔神といえば、おとぎ話の敵役である。
大抵は憎らしい悪役を因果応報で酷い目に合わせる役だったり、どうしようもない災害みたいな表現をされる。
神様の加護を受けた英雄の軍団がなんとか封印する、なんて話もなくはない。
だが、基本的には人の手には追えない化け物である。
まるっきり架空の存在かと言えばそうでもなく、どっかの国の戦争に出てきて兵士を皆殺しにしたとか、隆盛を誇った国を滅ぼしたとか、そういう話もある。
魔神は実在し、人間をゴミのように殺せる危険な存在。
それがこの世界の共通認識だ。
その魔神がどうやらヤクス城におり、そいつを退治しようなどとこの女騎士サマは息巻いている。
本当に魔神かどうかはともかく、そう表現される程危険な何かが居るはずだ。
これは行くべきではない……のだが。
「何にせよ、城には行かなければならないからね」
「さすがタツローさん!魔神なんて怖くないんですね!」
この2人は深刻さに気が付いていない。
タツローさんはともかく、リンの方は少しは怖がって欲しい。
「どうした?何を迷う。勝算があるのだろう」
ヘレナさんは私達がそいつを倒せると信じてしまっている。
どんだけ単純なんだこの人。
「タツローさん。リン。ちょっとこっちへ」
私は2人を引き寄せ、小声で伝えた。
「魔神はヤバいって!やめとこう!」
「なによネム。あんた本当に魔神がいると思ってんの?」
「そりゃ、そんなホイホイ出てくるもんじゃないだろうけど」
「僕の世界にも魔神はいたよ。素晴らしいフォークを投げる投手だった」
「それは多分関係ないです」
「ジョークだ」
「何をやっている。早く行くぞ」
ヒソヒソと相談する私達の間にヘレナさんがずいっと割り込んでくる。
あ、もしかしたらこの人の誤解を解けば行かなくて済むのでは?
「あのねヘレナさん。さっきのは何というか、嘘なの」
「む?」
「私達はその魔神ってのを見た事無いし、そんなの倒せるとも思ってない。ただヤクス城に何があるか知りたかっただけ」
「どういう事だ。まさか貴様っ!」
「騙しちゃってごめんなさい。という事で、私達はこれで……」
「嘘……か。そうか」
私か2人の手を引いてその場を離れようとしたその時。
「うぅ……ぐすっ」
なんと、ヘレナさんはその場にへたり込んで泣き出してしまった。
「ちょ、ちょ、ちょっ!何も泣く事はないでしょ!?」
「あーあ。泣かせちゃった」
さすがの私も予想外の事態に焦る。
リンの軽蔑するような眼差しが痛い。
「うぐっ……みんなの仇を……取れると……ぐすっ……思ったのにぃ……っ!」
先ほどまでの威厳はどこへやら、子供のように泣きじゃくるヘレナさん。
本当に何なのこの人は。
しかし、仇という言葉は気になる所ではある。
さて、どうしたものか。
私が途方にくれていると、タツローさんが優しく彼女の手を取った。
「何があったか教えてくれるかい?」
優しく、包み込むような安心する声だった。
ヘレナさんはしばしタツローさんを見つめたあと、コクリと小さく頷いた。
「私所属していた隊は、ヤクス城に召喚された魔神に皆殺しにされたのだ」
……ほらね、やっぱりヤバかった。