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入門

 無口な事務員に促されて登壇すると、大講堂は一つの空きもなく聴衆で埋まっていた。


教授から講演の話を持ちかけられた時は五徹目で、依頼内容もろくに頭に入らぬまま引き受けてしまったがなんとか体裁は整えられた。手土産のキャラメルプリンはおいしかった。


 学生の姿も前方に見えるが、一般の方向けで、との話通り若者から中年、高齢者までが階段状の席を埋めている。私の人気もさることながら見事な手腕を発揮してくれた大学スタッフに感謝しつつ、第一声。


「空を飛ぶ夢を、視たことがあるでしょうか?」


首をかしげている人間がちらほらいる。初歩的な科学講話でこの切り出し、なにか違う集会に紛れ込んでしまったかと思っただろうか。


「飛行が荒唐無稽な夢であった時代が終わるのに、長い時を必要としました。世界初の有人飛行で知られるライト兄弟以前の蓄積があり、その後は人や貨物を大量に運ぶための発展があり、単純な滑空から数えて実に一七〇年。今や、飛行機のない世界の方が夢といえるでしょう」


「夢物語でしかなかったものが現実になる。世界はそうして発展を遂げてきました。空に張り付いた書き割りだった宇宙を押し広げ、目に見えない電磁場を操り、世界の構成を素粒子にまで分割し、世界は隅々まで観測可能になりました」


 すこし大げさに両手を広げて見せる。人間は皆私を見つめている。本日のコーディネイトは灰色のジャケットに青いシャツ、黒地に白い星柄のネクタイ。照明と視線とを独占するこの瞬間、やはりたまらない。


「ですが、観測可能範囲は全てではないでしょう。そう、現在荒唐無稽な夢であるものの中から現実が広がっていく可能性は大いにあると……」


 一時間ほどの講演は成功といえるだろう。

お辞儀をしても拍手のひとつもなく私を見続け、小声でつぶやきを繰り返し、剥がれ落ちた鱗を膝上に集め、白や茶色や黒の翼を小刻みに羽ばたかせ、頭蓋骨や額を割って伸びてきた角を磨き上げ、不協和音を気にもとめず歌ってる人間たちは、それでもおとなしく席に並んで座っている。


「さあいらっしゃい。夢の門に至った方々」


マイクを通さない私の呼びかけに立ち上がった人間数人が、異形の列をすり抜けて壇上への階段を登ってきた。


 高校生に若い女性に杖を持った老婆。

 スーツ姿がいくらかに、日に焼けたあれは農夫だろう。


講演前と少しも変わらない人間たちを壇上に揃えて、深睡の門に続く焰の洞窟を開けた。


「いらっしゃい。夢視る方々」


一列に並んで洞窟に入っていった十人を確認してスイッチを切る。


「……上々だ」


プロジェクターが白い幕に戻っても、ミスカトニック大学大講堂に比べて手狭な一室はざわめきに満ちている。枝分かれしていく角の隣で蝙蝠の翼が広がり、まだら色の毛皮が身をよじり、丸い鱗が床を転がっていく。


日本支部で夢の門に至ったのは三人で、元の数を考えればかなり良い割合だと思う。


「おいで、夢視る者たち」


細くて小さな腕で手招いてやると素直に焰の洞窟へ入っていくのが面白い。ブームに乗って黒いロリータファッションで着飾った姿に最前列で熱狂していた奴が赤い焰に照らされて消えた。


「今日の集会はこれでおわり。どうだったかな、特別講演は」


 私の言葉で異形から醒めた雑居ビルの一室は、いつもどおり私のなめらかな白肌と黒薔薇とフリルたっぷりのファッションを崇め讃える者たちでいっぱいだ。

ざわめきから聞き取れる感想はどれも講演内容をよく理解しているものだ。


「そうかい、君たちにとっても興味深い内容でなによりだ。では解散」


 帰って行く信者に手を振り終わって、革張りの大きな、今の私の背丈からするとかなり大きな椅子に沈み込む。


我が主アザトースへ供する悪夢を視続ける人間を集める作業は順調だ。ちょうどいいタイミングで講演を依頼してくれて、あの教授、良い仕事をしてくれる。撮影許可を快く出してくれたおかげでかなり楽をさせてもらった。


 それにしても、私の講演に導かれた異形の群れ。枝分かれしていく角……もっと均整のとれた、美しい…………。


「あああ、嫁に会いたい」


美しい人に前会ったのはいつだったか。互いに忙しくしているからなかなか会えない不満が染み出してしまったのかもしれない。


「んあー、嫁……」


「おつかれ、ニャル君」


「え、あ、おつかれさまです!」


聞かれただろうか。今の。


「もうすぐノルマ達成だよ。もう少しがんばったら休み調整してみようか」


ばっちり聞かれてた。ヨグ=ソトース先輩は出てくるの静かすぎです。


「ヘッドドレス、ずれてる」


長い身体を折り曲げて、黒薔薇をあしらった小さいシルクハットを直してくれた。


「ありがとうございます、先輩」


「さっき届いた子たち、なかなか良質な悪夢を視てるようだよ。あと、この間の教授くんも。あの子の悪夢、量も優秀だしすごく美味しいみたい」


「それは良かったです。我が主がお喜びになるのなら」


「一度城に戻ってご飯にしようよ。行こう」


先輩の大きな手が差し出され、背後が音もなく二つに裂けて凍てつくカダスに繋がる階段が現れた。少女の姿をとっているとき、毎回こうしてエスコートしてくれるのが少し嬉しい。


「世界の全てを観測できるか、ね」


「気に入りませんか」


「いいや? 夢をみるのは良いことだと思うよ。できるかどうかなんて関係ないよ」


「門にして鍵たる先輩にしか言えませんね」


ヨグ=ソトース先輩はにやっと口だけで嗤った。


「そうでもないかもよ?」


「……え」


「万物の王たる盲目白痴の御方は、目覚めることなく夢見続けるんだから」


私はすべてを嘲笑うものだが、先輩を嘲笑う日がくるなんて思わなかった。

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