勧誘(ニ)
いつか夢で訪れた島、ル・リエー。
都会の騒がしさから離れたい家族連れから自分だけのアトリエを構えたい芸術家まで、幅広くターゲットにしているこのリゾートは、三十の無人島と、それらの中心に浮かぶ本島からなっている。
早朝から本島に渡り、二つの会議に出席した私は、息つく間もなく三つ目の仕事にとりかかっていた。
「いかがですか?」
「ふむ……壁際にさりげなく掘られたレリーフは海底都市とクトゥルフ。カーテンには天の川模様、壁紙と揃えているね。よくまとまっていると思うよ」
「そちら、海底在住の彫り師に依頼しております。ただいま中央庭園に設置する噴水を製作中です」
「非ユーグリット的なやつ?」
「まさに、神殿風のデザインになる予定だそうですよ」
「それは楽しみだ」
「失礼いたします、シーフードピッツアと地ビール、フルーツ盛り合わせでございます」
「ご苦労、テーブルに頼む。……ニャル様、冷めてしまいますよ」
「うん……ピザ……」
このままベッドと同化していると、昼食が冷める。ビールもぬるくなる。
その一心で気合いを入れて、すべすべのシーツからやっと起き上がった。
気持ちよすぎるこのシーツ、いや、マットから枕から、すべてのパーツが人を眠りへ引きずりこむために最高の状態でここにある。
さすがは眠りの神プロデュースの寝具である。
秘書とピザを分け合いながら、大きな天蓋付きベッドを眺める。今回の視察の目玉、ヒプノス社製寝具の導入は大正解といえるだろう。
この宇宙の根幹は夢である。
すべての夢を降っていけば、ひとつの夢にたどり着く。すなわち私ニャルラトホテプが統べる幻夢郷へと。
幻夢郷を構成する凍てつく荒野のカダス、千の驚異の都タラリオン、猫の安息地ウルタール、歓楽叶わぬ地ズーラ、彼の王の統べるセレファイス、美しい土地も腐臭漂う土地も、等しく元は一つの夢である。
宇宙とはこの瞬間何もかもが消え去るかも知れぬ、ただ魔王の視る夢である。
夢見続けるアザトースへ供するのに最適なのは、やはり夢である。
盲目白痴の魔王アザトースを無限に寝かしつけるため、夢と子守歌とで囲い続ける。
夢が安定供給されてこそ、ひとつの夢は保たれる。
人々を夢に引き込む眠りの神ヒプノスは、長年よりよく夢を視させる寝具の開発プロジェクトを進めてくれていた。
そして導入されたこの寝具のなんと恐ろしい気持ちよさ。あとは正式発売してヒプノス社がトップメーカーに君臨するのを待つだけでいい。
夢から産まれた者たちは、夢を産み、そしてひとつの夢に還っていく。現世の欲につられて眠りをおろそかにしている暇などないのだ。
ヒプノスの名を目にするとき、人類は正しく夢へと還るであろう。
さて食後すぐ動き回るのもよくないし、もう一眠りしようか……。
そんな白昼夢のような昼時をぶち破ったバイオリンの音は、またしても同僚トルネンブラにちがいなかった。
太鼓のリズムを欠いて少しだけ威力を減らした旋律は、それでも私の眠気を吹き飛ばすのにちょうどよかった。
「いやーぴったりのがいてよかったです!」
ダークブロンドの長髪をひとつにまとめ、しわしわのジャケットをはおった男は、にこにこと魔王の子守歌を弾き続けている。
「ここってピアノあります?」
「でしたら、広場の突き当たりに音楽ホールがございます。貸し切りにしましょうか?」
「お願いするよ」
きびきびと手配をすませた秘書は、新曲を楽しみにしておりますと丁寧にトルネンブラを送り出した。




