肉食
皓白 (こうはく)
〘名〙 (「皓」「皎」は白いの意) 白いこと。輝くような白さ。純白。
出典 精選版 日本国語大辞典
(コトバンクより)
皓白の巫女は雪の中に座っていた。
三つの死と一柱の巫女が、白い平野に佇む光景を私は目の辺りにしたのだ。
「この者らは」
月光のごとく輝く銀髪と純白の衣をまとった皓白の巫女は、私に語りかけた。
「私が許容した糧に満足せず、己を満たしてなお私の懐から富を掠め取ろうと、いつまでも山を踏み荒らした挙げ句彼を死に至らしめました」
真白き皓白の巫女たるイホウンデーは、胸に抱いたトナカイの生首をそっと撫でた。
「生きるための狩りから、毛皮や角や、そんな欲望のための狩りに転じた彼らを、これからも恵みを与えるべき狩人として扱うなど、できませんでした」
愛しき我が妻イホウンデーは、虚ろな目のトナカイと一緒に私を見た。
彼女の金の瞳は神秘的な光を湛えて、この雪原唯一の色彩として輝いている。
「大丈夫だよ。私たちにまかせて、彼を弔って差し上げよう」
「人間の処理はこっちに任せて、イホウンデーさん久しぶりだね」
「ハスター様、来てくださって感謝いたしますわ」
死体を片付けるにはどうすれば、という妻からの連絡にハスターと共に駆けつけた私は、神として成長した妻の姿にほっこりした気分になった。
血の一滴もこぼさずに眉間を打ち抜かれた死体を侍らせる皓白の巫女、美しき鹿の女神イホウンデー、ああ神秘を纏いし私の妻イホウンデー。
「はい失礼しますよ」
ぬっと私たちの間を横切って、死体を二つ担いでスノーモービルに括り付けた大男は、ずいぶん久しぶりに会う気がする。
「悪いね、イタカ君。休暇前に」
「滞在する予定の土地、すぐ近くなんすよ」
それだけ言って、さっさとスノーモービルに座ってしまう。
「ハスタ先輩、行きましょう」
「じゃー行ってくるね!」
乗り物ならなんでも乗り回す風の神格ハスターに従うのは、時に宇宙の風にも乗る風の神格イタカである。
イホウンデーと同じく極北に住む神格だが、基本的に静かに世界を見守る彼女とは違い、あちこちを移動しながら現場仕事に精を出す彼の異名は、「歩む死」である。
ようするに神にも人間にもかなり厳格な性格で、私が信頼している仕事仲間の一人である。
「あ、皓白の巫女さん」
「はい?」
「おつかれ」
白い大男の赤々とした目が一瞬ふわりと笑んで、すぐに風に溶けて行ってしまった。
できる男め。
残ったのは、それはそれは立派な雄のトナカイだった。手伝ってくださいと言われて内臓の処理をして血抜きのために高く吊して、空になった腹に雪を詰め込む。
こうして冷やすことが、おいしく食べられる肉にするためになにより大事なのだと言う。
ナイフを手に、手際よく皮を裂き内臓をつかみ出すイホウンデーは初めて見る美しさだった。銀色のナイフが女神の美しさを引き立てている。
流れるように残りの皮を剥ぎ、分解し、食肉の形へと切り分ける女神を手伝いつつ、震える幼子だった彼女がたくましく成長した嬉しさに内心感極まっていた。
「これで身体はいいですわ。残りは……」
雪の上で、胴体の解体を眺めてた頭部が、こちらを見つめ返している。
「彼、立派な角だね」
「そうでしょう、美しい角でしょう。これが失われるのは忍びないわ」
インテリアとしてこんな感じの頭部が飾られているのを、見たことがある。しかし、それは。
「その角によって、彼は狩られてしまったのだね」
「そうですわね。人の欲のための殺戮など、わたくしは許しておりません。ですが」
極北の地を統べる皓白の女神が、まっすぐに私を見る。
「間に合わなかったのですから、責任というものがあります。彼を引き受ける責任が」
「……そうだね」
「きれいにのこしてあげたいのです」
「私は、君の想いを手伝うよ。何をしたらいい?」
「まず必要なのは……」
燃えさかる赤い火にかかる大鍋に、重曹を一袋。
「すこし火が強いですわね」
「弱火にしていいの? りょうかーい」
クトゥグアが手をかざすと、ふっと火は小さくなった。
「入れるよ」
私は雄トナカイの頭部を、大鍋に静かに沈める。
「あとは、日が沈むまで煮込みます」
「けっこう長時間ねー」
「ご協力ありがとうございますわ」
「それはいいんだよ、ニャル君と奥さんの頼みだもん」
「急に呼びだしたのに、よく来てくれたな、ありがとうクトゥグア」
火が必要だと言われて、即電話してワンコールで出た。
経緯を話して、後でバーベキューやるから来てくれないかと言い終わる前に、おっけー網とか鍋とか一式持ってくから!と即答されたし一時間経たずに雪山の奥までこいつはやってきた。
「追加の薪作ってきます」
半裸で五時間分の薪割りをこなしてくれる、部下まで連れて。
金髪に小麦色の肌で細マッチョが上半身脱いでるとか、さすが炎の神格。
半月がのぼった星空の下に、いつの間にかキャンプ場ができあがっていた。
「パン焼けたよー!」
帰ってきたハスターとイタカは楽しそうにパン生地をこね。
「こっちはもう少しですよ」
薪を積み上げた後、さすがにパーカーを羽織ったクトゥグアの部下フタグアは野菜類を刻み始め、マリネ液を調合し、今は大鍋でシチューを煮込んでいる。
そして会場を仕切っているクトゥグアは、三つの白いテントを組み立てたと思うと、大きなテーブルとイスを組んでランチョンマットまで敷いている。
すこし離れたところには小さめのかまどまである。
「みんな、ステーキの焼き加減どうするー?」
「ミディアムね」
「ミディアムレアでお願いします」
「俺ウエルダン」
「私、ミディアムでお願いしますわ」
「ミディアムかな」
「おっけー鉄板あたためていくよ!」
私たちが雄トナカイの頭蓋骨を洗う頃には、すっかり食卓が完成していた。
トナカイ肉のシチュー、レタスたっぷりのサンドイッチ、焼きリンゴにピクルス、そして焼きたてのステーキ。
「頂く前に、一言失礼いたします」
イホウンデーが静かに立ち上がる。
「本日は私と彼のためにお集まりいただき、ここまでご協力いただいて、ほんとうに感謝しております。この夕餉が良きものになるならば、こんなに嬉しいことはありませんわ。みなさんありがとうございます」
「私からも、ありがとう。急に呼びだしたのにすぐ集まってくれて」
ハスター、クトゥグア、いつもの同僚たちはにやりと笑った。
「そりゃあ、ニャル君だし?」
「ニャル君に呼ばれればどこへでも?」
持つべき者は頼れる同僚だな。
イタカ、フタグアの部下コンビは並んでどや顔である。
うちの城だと小柄なタイプが多いから、こう体格のいい男が白黒二人並んでいると新鮮である。
「わりと近所にいるのに、いままで皓白の巫女さまには御挨拶できていませんでしたから、いい機会でした。今後ともよろしく、イホウンデーさん」
さすがにイタカは真面目だな。
「今までは、ハスター様を通してやりとりさせて頂いてましたものね。仲良くできれば嬉しいですわ」
「イタカ君、よろしくお願いします」
「俺も、また遊びに来させて、」
「連絡はカダスのニャルラトホテプを通すように」
「メールは」
「それもまずこちらで確認する」
「クトゥグア先輩……」
「ニャル君はね、イホちゃんのこと滅茶苦茶愛してるんだから」
「そのとおりだから変なことするんじゃないぞ」
炎の部下は同じく炎だった。
「それじゃ、熱々のうちに」
「いただきます」
美味しいトナカイ料理を食べ尽くした後、テントに置かれていたベッドに腰かけて。
きれいに骨だけになった頭部をイホウンデーが磨いている。
「ほんとうにあなたはきれいだわ」
本当にきれいな骨と角だった。
イホウンデーのような均整の整った幅広の角とはまた違って、樹木の枝のように枝分かれし曲線を描くトナカイの角。
きれいなので、当然のように妻に頼んだ。
「彼、カダスの城に来てもらえないか」
「あら、よろしいの?」
「君が嫌でなければね。仕事場の、暖炉の横にいてくれれば、いつも彼を間近にして仕事できる」
白く美しい女神の金色の瞳が、ぱっと燃え上がった。
「ええ、ええ、それがいいわ。ナイさまがお側に迎えてくださるなら、それがいちばんだと思いますわ」
「それなら、壁に掛ける台座を作って貰わなくてはね」
「私も一緒に」
「ああ、そうしようね」
極北の土地で白い骨を抱きしめる我が妻を、私はそっと抱きしめた。




