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建機(前編)

ラヴクラフト御大が這い寄る混沌ニャルラトホテプを創造してから百年に寄せて。

 行儀の悪いのは承知の上で、アイスやヨーグルトの蓋の裏をなめるのが好きだ。


周りに誰もいないのを慎重に確かめてから、舌を出して味わう、一口にも満たない欠片はなんともいえない美味だ。


 その荒野を一人歩いていると、背徳的楽しみの記憶が浮かんできた。チョコとかが濃く溜まっているのを舐め取るのもいいし、なんだかんだバニラが溶けかけたのがいいんだよなあ。


干からびた植物をざくざく踏みながらそんなことを思い浮かべたのは、きっとこの星も今やアイスの蓋だからだ。


千年前は、まだ干上がりかけた水たまり位だったけれど。


今目指しているアイスを回収してしまえば、もはやここには何の神だろうとどんな種族だろうと訪れることなどないだろう。


 地鳴りとともに、単調なサイレンが聞こえ始めた。


「やあ、久しぶり」


帽子をとって挨拶すると、かちかちと歯車の回る音が近付いてくる。


「お疲れ様、わたし」


歯車や基盤が絡み合った機械が、二つの車輪でくるりと回った。


これも私の化身のひとつ、チクタクマンである。


「彼は元気かい?」


カチリと音を立てて、機械(わたし)は私を先導して進み始めた。


 私ニャルラトホテプの化身は千の貌と言われるほど多岐にわたるが、その中でも変則的なものが、機械として現れるチクタクマン。


そして正直自分でも複雑すぎてよくわからない、クルーシュチャ方程式。


数千時間かけて回答した者の前に現れるとか、なに考えてこんな姿になったんだっけ。賢い人間釣るのにこの仕掛けよくない?とか考えてはりきって複雑化した自分しか浮かばない。


調子に乗って難しくしすぎた結果ほぼ釣果なしとか、我がことながら嘲笑いたくなる。笑った。


今から会うのは、そんなクルーシュチャ方程式を解いて私を召喚した稀少な人間なのだが。


「なんだ、元気そうで安心したよ」


それは工場のような、要塞のような、時計のような、チョコレートアイスのような、三階建てくらいの巨大な機械だった。


(千年前)


 長らく放りっぱなしだった釣り糸が、激しく引かれている。実に二三〇年ぶりのあたりに、私はテンションが高かった。


「まずは方程式(わたし)の解体を成し遂げた君に拍手を送ろう!」


ぱちぱちぱちぱち。


「はあ、どうも」


難解極まる方程式(わたし)を解いておいて、なんとも気の抜けた返事である。伸びすぎた茶髪に汚れた白衣。わかりやすい学者の男だ。


「だいぶ消耗してるじゃないか、まずは乾杯しよう」


ワイングラスに赤ワインを注ぐ。気分がいいからとっておきのやつ。


「乾杯!」


「……乾杯」


「勝利の美酒は美味かろう?」


「貴方が勝利をくださるのなら」


「なるほど。君は、えーとたぶん六番目に方程式(わたし)を解いた人間だから記念の品を贈ろう。何に勝ちたいのかな」


「死に」


「具体的には」


「死にたくないし、殺したくないんだ」


「戦争でもやってる?」


「相手が人間じゃなくても戦争と呼ぶのなら」


学者が分厚いカーテンを開けると、兵士らしき男たちがライフルを撃ちまくっていた。


「うわ気持ち悪、足がご、ろく、八本生えてる。あれライフル効いてる? あ、止まった」


黒い毛むくじゃらの獣としか言いようのない、名状しがたい醜悪さを纏った生物は、頭に十発以上の弾丸を打ち込まれてようやく止まった。


「あれが戦争相手と」


「はい。どこが作った生物兵器なんだか知りませんが、このあたりでまだ国と呼べるのはうちだけです」


「たぶん造ったとこも自滅したんじゃないかな。それで、あれを殺すと呪われたりするの?」


「獣の話じゃないです。俺はこの国を滅ぼしたくない。小規模だろうと、ここで産まれて愛された分、この国を愛してる。

だから推薦を蹴ってこの大学院に入った。ここまで育ててもらった。

今俺がこの国を守れないのなら、それは俺がこの国を見殺しにしたのと同じじゃないか」


ワインの酔いもまわってきたのか、学者は顔を赤くして私に訴えた。


「つまり、力が欲しいんだ」


「そうだ、この国を守る力だ」


美味しいワインが飲めたし、六人目のお客様だし、頼られて気分がいいし。


つまりはその気になったので、学者に肩入れすることにした。


「ではこれをあげよう」


獣には鉄が効くことだろうと、チクタクマンの相から歯車を一枚、学者の手のひらに置いてやった。


「さっそく試し撃ちといこう! ほらもう一頭来た来た」


勢いよく窓を開け放って、学者を手招く。


「この這い寄る混沌の加護は、もう君の物なのだよ!」


学者が手をかざすと、虹色のビームが獣を貫いた。


「あははははははは、なんですかあれライフルも地雷もまるで効かなかったのになんですかびゃーって。びゃーって即死でしたね。なんですかびゃーって」


「驚くのはまだこれからだよ。私という神性の強みは、増える事でね」


私の台詞が終わらないうちに、ビームで貫かれた獣が歯車の山に変換されていく。十秒ほどで組み上がり、ベルトコンベアで自律走行を始めた。


おもむろに元同族へ虹色ビームを放つ。

解体されて自立走行を始める。

また元同族へビーム。

解体。

ビーム。

解体。

ビーム。ビーム。ビーム。


「もうこの近くにはいないみたいだね」


しばらく巡回するように走り回っていた機械(わたし)たちは、きちんと整列して窓のそばに停まった。


「じゃあ、国境線に沿ってぐるっと巡回してきておくれ」


カチカチと機嫌良く返事して、機械(わたし)たちは二手に分かれて走って行く。


こうして機械(わたし)は増殖のごとく解体変換を繰り返し、小国家をぐるりと囲む自立型防衛壁へと成長した。

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