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放浪(一)

 色鮮やかなフルーツパフェをどれだけ口に運んでも、虚無の味がした。


生クリームを土台に黄色いゼリー、ピンクのババロア、カットフルーツ、バニラアイス、一口サイズのチョコレート。美しく盛られたパフェから得られるであろう甘味もわずかな酸味も、どうやっても感じられない。


 昔破産した人間が、何を食べても土の味がするなどと泣いていた事があった。たぶんあのような状態なのだろう、あの頃はずいぶん忙しく人間に混じって活動したっけ、と思い返しつつ含んだアイスだけは舌に冷たさを感じた。


昼下がりのオープンテラスはほどほどに混んでいて、片隅でパフェをつつくスーツの男なんて誰も気にとめない。道の向こうの花屋が大きな花束をこしらえているし、隣の本屋では若い男が立ち読みしていて、足下に茶トラのネコが寝転がっているのに気付きもしない。まったく平穏な日常が流れているのに、私だけがここから切り離されているようだ。


 食べ終わったらどこへ行こうか、講演もあといくつか予定していたがやる気にならないし、人間と話したくない。どうせ書き換えられるのに、とポケットに突っ込んでいたチラシをテーブルに広げた。


「お抱え研究者の食卓」


白い皿のイラストの上に大きく印字されたタイトルは一人芝居のものだという。演者は私のここでの名前になっている。


道化師、科学者、詐欺師、教師と人間の姿においても千の貌を持つ私だが、役者の貌など造ったことは無いのに。


 いつもどおりに傾いた国に行き、いつもどおりに機械仕掛けの手品を披露して大衆を集めた。砂漠の地から彼方よりの託宣をもたらす者として講演を行い、震えながら私をペテン師と呼ぶ観客を招く。いつもどおりの日常業務は芝居と名の付くフィクションに書き換えられて、意味を失った。


我が主に供する悪夢のために、人々の間に混乱と絶叫をもたらし破滅を見届ける我が使命が。

単なる消費物としてのフィクションになり下がっていた。


最先端の先を行く科学知識を披露し、心理学で観客らの精神の奥底を拡張する私を包むはずのざわめきも叫びもなく、ただの笑いが会場を満たした時、私の精神にあらわれたもの。あれはまぎれもない恐怖の感情だった。


私の言葉は混沌をもたらすための種。


私が見せる異次元の光景は狂気へ連れ去るための門。


それが作られた消費物として流されていく一時間。恐怖をもたらす私が恐怖にさらされた壇上。


 決定的な恐怖は舞台を下りた後にあった。小さな二階建ての劇場、講演は高層ビルの大会議室で行われたはずなのに、のロビーで一人芝居のチラシをつかみ取って、どうやってこの席まで来たのか思い出せない。

適当に混雑して隣のテーブルなど気にしない時間帯でよかった。今の私はかなりひどい顔をしているだろうから。ぬるくなったパフェを機械的に口に運んでは飲み込む。


 アザトースの従者にして這い寄る混沌たる私を巻き込んで世界を書き換えるなんて、出来る存在は限られる。人間でも並外れた夢想の力で地球の神々を魅了する街を造りあげてカダスを空っぽにした挙げ句、私のシャンタク鳥から飛び降りて逃げ去った者がいたりするが、夢見人の力が及ぶのは夢の中だけだし、普通の人間は私の不興を買ってしまえばそれで終わりだ。結局、最後の一口まで味がしなかった。


 ところで、テラスの向こうは花屋だったと思うのだが。今では肉屋が客を呼び込んでいた。注文どおりに切り出した肉を紙に包んで、できあがった赤い花束を客に手渡した。


「あれ、肉屋が花束渡して、いや花屋だったのか?」


書き換えにしては雑じゃないか?

隣の本屋はいつの間にか建物ごとほこりを被ったような古本屋に変わっている。飽きもせず立ち読みに没頭している男の足下に、黒い水たまりが波打っている。


「あんなとこ書き換えて何の意味があるんだ。なんだか壊れたみたいな挙動にも見えるが」


壊れたと自分で言っておいて、ぎくりとした。

この世界が壊れるならば、原因はひとつではないか。

我が主、アザトースが目覚めようとしている。


 世界はアザトースが微睡む間の夢のひとつにすぎないのだから、主が目覚めるならば消え去る運命なのだ。

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