極光
霊妙なる絵画の主役が踊っている。
すべてを埋め尽くした雪原の白から浮かび上がるように、金色の裾をひらめかせてくるくると回る。
その人の、月より玲瓏な銀色に光る髪も、蜂蜜よりも鉱石よりも素晴らしい金色の瞳も、神秘的な魅力をたたえて雪上に浮かんでいる。
足跡ひとつ無い雪原を舞い遊ぶ女神。彼女を照らし出すのは、紺碧の夜空を覆う天蓋状の薄布だ。端を垣間見ることとて叶わぬ長い長い布が緑に、青に紫にと緩やかに変化をつけてその人を照らし出す。
何人たりとも踏み入ること許されぬ隠された土地は、今や鮮やかな絵画として完成していた。
「まだ入らないんですか旦那」
むっすりと口を挟んだウルム・アト=タウィルは、私が絵画に心酔している間にも開き続けていた次元の扉を少し閉じかけた。
「こんなに美しいんだ、もうすこし楽しませてくれないか。限られた次元の断片から生じる法則性から成る一瞬の美だ」
とはいえ、かなり長い間異次元の門を維持していてくれる彼に労いのつもりで視線を向けた。布に覆い隠された身体は身じろぎもせず、円形に開いた次元の門が微かな風音をたてるのみだ。
絵の具を端から流し込んだような空の下、巨大な石の台座が並ぶここは、あらゆる多次元、ひいては窮極の門に接続する門前。導くものにして門を護るもの、ウルム・アト=タウィルの座す処だ。
静かに霧が流れるばかりで、窮極の門の奥の奥、最果ての絶対領域とも表現されるヨグ=ソトース先輩に気を遣っておくなら整然とした、素直に言えば殺風景な空間から、円形に切り取られた鮮やかな絵画が垣間見られるのだ。
「こんなに美しい光景を、私が入っていくことで壊してしまうんだよ。愛しい人の優雅な舞は終わってしまうんだ」
「お待たせしているのは良いので」
「あんなに! 楽しそうなんだ! あんなに楽しそうな彼女はしばらく見ていないし、もうすこし目に焼き付けたら行くから」
寡黙な門番はそれきりじっと待機してくれて、空の赤い布が緑に染まったタイミングで感謝の意を伝えて次元の門をくぐった。
しんとした冷ややかな空気が身を包む雪原に一個目の足跡をつけてしまったので、愛しい人が舞うのをやめてこちらに氷の微笑みをくれた。
「やあイホウンデー、遅くなってすまない」
「私もさっき来たところですわ、ナイさま」
「門を開けてもらったところで、君の舞う姿に見とれてしまっていたんだ。君は、本当に美しいから」
そう、と白い顔にほんの少し赤みがさして、愛しい人の美しさが魔術的に増した。
白い毛皮で作られたケープ付きコートには金の刺繍でナナカマドがあしらわれており、胸元までを包むケープの金色のリボンと合わさって、近くで見ると可愛らしい印象がつよくなる。
白い毛皮の編み上げブーツに白い手袋、腰まで豊かに広がる銀の髪。極寒の地の女神たる彼女によく似合う白い衣装の中で、野性的な迫力と神秘的な魅力を備えた金色の瞳が光っている。
そして、アルケタイプより生まれた鹿の女神たる彼女が頭に戴く一対の角。完璧なバランスと角度で構成された枝分かれは、対面した者を信仰へ導くものだ。
「久しぶりに紅茶を入れようか」
「覚えていて下さったんですね」
「もちろん、君が好きだと入ってくれた茶葉を用意したよ。四十年ぶりのティータイムだし」
「ナイさまは、いつも私を甘やかしてくれるんですのね。小さい頃みたいに」
「もちろん、君のために惜しむものなんてないよ」
目尻を下げた笑顔に幼さが宿って、彼女が凍てつくカダスにやって来た頃の幼い姿とだぶって見える。
全ての祖たるウボ=サスラから生じたアルケタイプたち、そしてアルケタイプたちから生まれるのはあらゆる生き物の祖であるはずだった。
鹿のアルケタイプから神性を宿した鹿の女神が生まれた理由を確かめる術はないが、成長過程で不安定な状態となったイホウンデーはカダスの城へ、地球の神々の守護者である私の元へ送られてきた。
自己を形成仕切れずに揺らぐ幼子の瞳は暗く、私の虹色のローブにすがりついた手は冷え切っていた。
「君が笑ってくれるなら、それだけで何事にも代えがたく嬉しいんだよ」
「……では、美味しいミルクティーをお願いいたしますね」
一人分の足跡を残しながら、別荘までの道を行く。
空には鮮やかな青の極光、オーロラが緑へと移り変わっていくところで、隣を行く愛しい人は穏やかに私を見上げて微笑んで、私はもうすっかり満ち足りてしまった。




