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神様のいる教室

作者: 半社会人

*・*・*


神様は隠れて、今もどこかに居る。


*・*・*

突然のことだった。


窓の開く音。


しまりのない肉体をした男が、うめき声をあげる。


彼は窓枠をのりこえようとしていた。


「校長、何を考えているんですか!!」


いつも薄い笑みを浮かべた内藤も、この時ばかりは焦燥を見せている。


その両腕で校長の体を支えようとするも、体重差が違いすぎてままならない。


「誰か!!助けてくれ!!」


劇の一幕を見る、観衆と化した周囲。


教員に数名の学生達。


あまりに非日常的展開に、誰もついていけなかったのだ。


かくいう東雲岬しののめみさきも、麻痺したように手足を硬直させている女性徒の一人だった。


「離せ!!離せ!!儂は神様に!!」


校長はなお内藤教諭と格闘しながら、文脈不明な言葉をまき散らしている。


内藤の顔がいっそう強張った。


数人の男性教諭がやっと我にかえり、彼に加勢しようとするも、幼児のように足をバタバタ振り回す校長相手に、上手く対処できようはずがない。


小太りの小坂井教諭は案の定右頬に痛烈なキックを食らい、体ごとふっとんだ。


「っ!?こ、こうちょう、いいかげんに!!」


仲間の怪我する様を見て、遠巻きに霧ケきりがみね生徒会長が声を張る。


しかし彼女の声にも、いつものような柔和な温かみは見られない。


「儂は、神に、神になるんじゃあ!!!」


騒ぎは大きくなる一方だった。


「なになに?」


「校長が突然叫び出して」


「なにやってんだあのオッサン」


好奇心旺盛な学生達が、廊下にぞろぞろと集まってくる。


厳格で有名な体育教諭の磯灘も、この時ばかりは彼等を制止しきれないようだった。


「こら、お、お前ら…………」


「いい歳こいたオッサンが、なにやってんだか」


磯灘を無視して、宇留野秀樹うるやひできが冷笑を浮かべる。


着崩した制服に、どぎつく染められた髪。


彼だけは、この異常事態においても、変わらないようだった。


東雲岬はそんな彼を見て、憤慨する。


「あいつ……こんな時にまで」


「…………仕方ないよ」


彼女の隣で、田口守タグチマモルがぼそぼそと言った。


「…………あいつは、ああいう奴だから」


観客が増えても、校長の様子は変わりなかった。


上体を器用にくねりながら、追いすがるようにまとわりつく男性教諭陣の手をふりほどこうとうとする。


しかし彼等も両足で踏ん張り、奇妙な膠着状態が続いていた。


廊下にざわめく熱気に、叫び続ける校長。


頻拍した事態のはずなのに、どこか喜劇めいている。


このままこの劇が続くかと思われたところ。


しかし、始まったのと同じくらい唐突に、その劇は終わりを告げた。


「儂は、儂は…………あぁっ!!」


校長の叫びが一段と大きくなる。


空気が変わった。


踏ん張る内藤教諭と裏腹に、思わずひるんだ数人の男性教諭。


足首を掴んでいた手を放してしまう。


それで決まってしまった。


「なっ…………」


内藤が驚愕の声をあげる。


「きゃああああああああああああ」


女性徒達の歓声とも悲鳴ともつかない叫びが、廊下に反響する。


宇留野秀樹の口角が吊り上がった。


東雲岬は、一目散にその窓に駆け寄る。


校長の体は、窓枠を飛び越え、きれいに弧を描いて、地面に落ちていった。


「こうちょう!!!」


「大丈夫ですか!!」


喜劇は終わった。


悲劇の始まりだ。


しばし呆然としていた観客達だったが、やがて思い出したように、ぞろぞろとその窓に集まった。


先行していた岬の肩越しに、哀れな校長の遺体を覗き込む。


5階の南廊下の窓。


高さにして、地面から約20メートルといったところ。


人が死ぬには十分な距離だ。


皆先に待ち受ける残酷さに覚悟して、視線を下にやった。


「えっ…………」


再び、硬直する。


誰もが目を疑った。


岬はその口をあんぐりと開けたままだ。


不審に思ったのだろう、それまで群がる観衆を冷笑していた宇留野は、岬を押しのけるようにして、自らもその事態を目撃した。


途端、驚愕に目を見開く。


それから、おもしろうそうに、ピューと吹く口笛。


目は爛々と輝いていた。


「これは驚いた…………」


口角を吊り上げる。


「校長は、本当に神様だったようだな」


岬に促され、おどおどしながら、田口守も、窓から階下を覗き込んだ。


「………………馬鹿な」


静かな驚きの声をもらす。


…………視線の先には、地面しかなかった。


たった今、校長がこの窓から落ちたばかりだというのに。


墜落したはずの遺体は、どこにもなかった。


*・*・*


「神様、探してみない?」


東雲岬は、自分の席につくなりそう言った。


田口守はそれには返答せず、黙々と一時間目の授業の準備に勤しんでいる。


課題を書き写してきたノートに手を伸ばしたところで、岬の痛烈なお手付きを浴びることとなった。


「痛い!!」


「神様、探してみない?」


ゆっくりと、高圧的な調子で同じセリフを繰り返す。


守はうろんな目で彼女を見やった。


「…………どういうこと」


「神様よ。神様。」


岬は守の低調さとは対照的に、うっとりとした仕草で言葉を続ける。


「噂はあなたも知ってるでしょ?」


「知らないよ、そんなの」


守は首を振った。


「そんな恥ずかしいこと…………」


「なら、校長の墜落はどう説明するの?」


岬が得意げに切り込む。


「それは……ええと……」


有効な返しが思い浮かばず、守は黙りこんでしまった。


「ほらみなさい。」


岬が鼻高々に叫ぶ。


「神様探し、しましょうよ」


「…………うう」


20××年。


世界は控えめに言っても、希望に満ち溢れているとは形容し難いものだった。


相次ぐ自然災害に、連鎖するテロ。


終わりを見せない狂気の域にまで達した絶望が、人々を呑み込んでいた。


だからこそ、ネット上から、こんな突拍子もない噂が湧き上がったのかもしれない。


『神様』。


――『神様』が、人間界に潜んでいる。


「兆候はごまんとあるのよ」


岬は守の不満気な表情を無視して、仕入れてきた情報を開陳する。


「最初は東京のとある私立小学校。人間業とは思えない数々の奇跡が目撃されたと思ったら、やがて、生徒の内の一人が不可解な失踪を遂げた……」


人間消失。


空中浮遊。


その他諸々の、奇術めいた『奇跡』の数々。


「つまり、そのいなくなった生徒が『神様』だったんじゃないかっていわれてるの。」


「……その子は、どうなったの?」


守がずっと黙っているわけにもいかず、渋々といった調子で質問する。


岬はニヤリと笑った。


「失踪から10日後、学校近くの廃ビルの中で気絶していたところを発見されたわ。回復を待って、大人達は何があったのか話を聞き出した。その子の証言が……」


そこでいったん岬は言葉を切った。


効果的な間を空けてから、再び口を開く。


「この噂に拍車をかけることになったの」


「どういう?」


守が眉をひそめたところで、思わぬ邪魔が入った。


「『神様』に乗っとられていたって、証言したのさ」


守の目が心なしか光を失う。


岬はきっとして言葉の主を睨みつけた。


「あんた……」


「何か?」


相変わらず冷たい微笑を浮かべ、宇留野秀樹は二人に相対する。


着崩した制服も、どきつく染められた髪色もそのままだった。


縮こまるように体を萎縮させた守をかばうように、岬が声を張り上げる。


「『何か?』、じゃないわよ。用がないならあっちに行ってくれない」


「手厳しいね。いくらなんでもひどくないか?」


秀樹は言葉とは裏腹に、まったく傷ついた様子を見せずに、肩をすくめる。


「どう思う?守?」


上から圧迫するような視線が、守に向けられた。


守は肩をびくっとさせ、何も答えられずにいる。


岬は秀樹を睨み付けた。


秀樹は軽く伸びをすると、


「朝から疲れるなあ……」


気まぐれにそのまま立ち去っていった。


その背中を油断なく見張りながら、岬が守に声をかける。


「大丈夫?守?」


守は力なく頷いた。


それから、悲しそうに息を吐く。


「その発見された子が、どうなったんだっけ」


「え、ええと……」


岬は一瞬ひるむ様子を見せたが、すぐに気を取り直して続けた。


「…………自分は、『神様』に憑依されていたって、証言したの。数々の奇跡も、全部自分が神様の力で起こしたことだったって……」


守はこっくりと頷く。


岬はためらいがちに


「ええと……それで、それと同じような事態が、学校に限らず、いろんな年齢層の、あらゆるコミュニティで頻発したらしくて」


「『神様』が?」


「そう。『神様』が」


今度は岬が力強く頷いた。


「どの噂でも結局『神様』には逃げられているんだけど……」


そう言いながら、彼女の口調にはどこか希望が感じれた。


「この世界に……ううん、この日本に?……『神様』が潜んでいるのは、間違いないみたいなの」


守は岬の言葉に、ゆっくりと頷いた。


それから決意を湛えた様子で、自らの言葉を続ける。


その視線の先には、同じく柄の悪い仲間と談笑している宇留野秀樹の姿があった。


「『神様』探し……したほうがいいかもしれない」


*・*・*

「そんなくだらないことに現を抜かす暇があるなら、勉強の一つでもしたらどうだ」


内藤慶介は物理教師らしい冷めた見方で、二人の質問をはねのけた。


守はその答えに戦々恐々としたようだったが、隣に控える岬は違った。


彼女はその端正な唇を怒りで歪ませると、女子高生とは思えぬ胆力で食い下がる。


「この希望のない時代に、学歴が意味を持つと思いますか?」


「学がないよりはマシだろうが」


内藤のひそめられた眉も意に介さず、岬は続ける。


「学歴があっても安泰とは限らない世の中だから、私は『神様』に会いたいんです」


真剣な口調だった。


内藤は首を振る。


「くだらん噂だ…………」


○×高等学校、南校舎二階、科学実験室。


整然と並べられた実験器具の数々は、内藤の性格を強く反映している。


小さな部屋ながら、彼はそこに居座る一種の主と化していた。


内藤の冷たい目が、岬の熱気を射抜いた。


「そんなことだから…………」


岬はきっと睨みつけると、みなまでいわせなかった。


その剣幕に、思わず「うっ」とたじろぐ。


「……どうもすみませんでした」


おざなりに礼を言うと、岬は守を引きずるようにして、部屋を出ていった。


おどおどしてこちらをうかがう守の様子とは対照的だ。


怒りに任せて閉められたドアの音に眉をひそめて、内藤はため息をついた。


田口守はいわゆるイジメに遭うタイプだ。


現に、宇留野秀樹をはじめとする強者のグループに目をつけられ、さんざんいたぶられている。


『現実』社会の厳しさを身を持って知る内藤は、そんな彼等に干渉することはなかった。


ただ鑑賞するだけだ。


どのみち、社会に出てからやっていけるのは宇留野のようなタイプであり、負け組確定の守をかばってやる義務などどこにもない。


それが現実だ。


しかし東雲岬は違った。


「ああいう馬鹿がいるから、この日本は……」


彼は苦虫を踏み潰したような不快な気分を味わいながら、彼等のせいで中断されていた実験を続けた。


 *・*・*

学校の規模は標準的ながら、校舎は計三つの棟でなりたっている。


それぞれ漢字の『川』の状態に均一に並べられており、A棟、B棟、C棟と呼ばれていた。


内藤教諭の実験室を出て、怒りにまかせて廊下をゆく二人がいるのは、そのうちのA棟だった。


生徒の教室以外の、主に特別な用途に充てられている建物だ。


校長室があるのもこの棟だった。


そして、彼が『神』になろうとして、飛び降りたのも……


「くだらないですって?なんなのよ、あいつ!!」


岬が怒りで危うげな足取りなのに比べて、守のそれは終始びくびくとしていた。


「なら、校長がなんで飛び降りようとしたのか……ついでにどうやって遺体が消失したのか、教えてみなさいよ!!」


感情をあからさまなくらいにさらけ出す。


守は体を小さくして、目立たないようにしながら言った。


「あ、あの……岬。あんまり目立つような発言してると、また目をつけられちゃうから……」


「あんたも、そんなのだから、虐められるのよ」


岬がくるっと振り返り、後ろでびくびくしている守を叱責する。


「うん?」


「もっと堂々としなさい。」


東雲岬の性格は単純である。


世にはびこる不正とういうやつが許せず、目に付く『弱い者』はかたっぱしから救おうとする。


そのおせっかいな性格ゆえ、内気な守にもさかんに声かけをしているのだが、いま一つ会話に噛み合っていないところがあった。


端正な顔立ちをした美少女であるにもかかわらず、周りから避けられがちな要因はそこにある。


「それは……」


「あら、こんにちは」


守が何とか言葉を返そうとしていたところで、別の声に邪魔された。


声のした方向を見やると、凛とした姿勢に、柔和な微笑み。


抜群のスタイルに、岬に負けず劣らない容姿。


生徒会長の、霧ケ峰麗華。


岬とは違い、その心からの慈愛で、強者にも弱者にも、分け隔てなく気を配る人物だ。


「どうしたんですか?こんなところで?」


A棟には、教職員室を始め、生徒達の教室以外の主要な部屋が備わっている。


生徒会室も、当然そこにあった。


よって『こんなところで』、しかも放課後に、二人がうろついているのはそれなりに異常なことである。


岬は臆せず答えた。


「ちょっとね。……『神様』のことで、気になることがあって」


「例の噂ですね」


霧ケ峰はこっくりと頷く。


「学生の間ではもちろん、教職員の方々でさえ話題にしているようで」


「あなたも『神様』を探しにきたの?」


岬がいたずらっぽく問いかける。


「見つかったら、生徒会運営が、上手くいくかもしれないものね」


「…………いえ、私はただ」


そう言って霧ケ峰は、ふっと視線を廊下側の窓に移す。


そこは、例の悲劇が演じられた場所だった。


『こんなところ……』


「……校長ともあろうお方が、なぜ、あのようなことをしでかしたのか」


「不思議でたまらなくて」と、彼女は落ち着いた口調で続けた。


岬はニヤリと笑った。


「それなら、あたし達と一諸に考えてみる?」


二人はやみくもに実験室を出たわけではない。


校長が演じてみせた『奇跡』は、いかにしておこったのか。


その検証に、廊下を歩いてきたのであった。


「いいですね。そうしましょう」


少女二人が、上品な視線を交わす。


「はあ……」


当然のように数にいれられている自分に、守が傍でため息をついた。

*・*・*

校舎A棟二階。


「例えば、トランポリンなんかどうでしょう?」


顎に手をあてて考えこんでいた霧ケ峰は、やがてそう言った。


岬はしかし首を振り、「それはないわ」と告げる。


「どうして?あの距離から墜落しても、トランポリンがあれば命は助かるでしょう?」


「確かに助かるかもしれないけど」


岬もその点はしぶしぶといった調子で認める。


「でも、そんな大規模な仕掛け、すぐに回収できるものでもないでしょう。見つかるはずだわ……墜落直後に覗き込んだら」


「なるほど」霧ケ峰は気分を害したようでもなく頷く。「一理ありますね」


「そもそも」


岬も考え込むような姿勢を取って続けた。


「校長が飛び降りたのって、自分が『神様』であることを証明するためでしょう?そんな矮小な仕掛けを使うかしら?」


○×高等学校の校長は、別段変わったところのない大人だった。


他人に対して夢見がちだということもなく、まがりなりにも学校の最高位にまで登りつめたのだから、それなりに世間の酸いも甘いも噛み分けることが出来た人間のはずだ。


安易に噂を信じるような種類の人種ではない。


「でも、実際に飛び降りたわけですから」


その疑問は納得だと言わんばかりに霧ケ峰もためらいがちに同意するも、窓の外を悲しげに眺めた。


「こんなところから」


「そうねえ……」


二人の女子高生は、そうすると、その窓を実際に開き、下を覗き込んでみた。


相変わらずのっぺりとした地面が浮かんでいるだけで、血痕のようなものは見られない。


この高さから落ちたら、人間、ただではすまないはずなのに。


『神様』であれば、別だろうが。


「いい歳した大人でも、逃げたくなることがあるのかしら……それで、『神様』になろうと発狂して、飛びおりた。」


窓枠に頬づえをつき、岬が気だるげに言う。


「神様なら、まあ、飛びおりたところで、瞬間移動なりなんなり、いくらでも助かる方法があるでしょうからね」


「今のところ」


霧ケ峰は地面を指差してそれに答えた。


「この高さから飛び降りたのに、地面に遺体が見つからない以上……神の奇蹟を体現していることになりますね。」


「そんなの困るわ」岬がくすくすと笑った。「あんなむさくるしいおじさんが神様だなんて。」


「神様にはいてほしいけど、こっちにも、どんな神様か、選ぶ権利はあるわよね?」


「そうですね」


重々しく霧ケ峰も岬に同調する。


「はあ……」


田口守はため息をついた。


さっきから、盛り上がる二人を傍に、何も言えずにいる。


勝手にヒートアップしていく彼女達に、ついていけないのだ。


そんな置いてきぼりな守に、岬も気がついたらしい。


窓を背にして両腕を組むと、守に厳しい声を投げかける。


「ちょっと、守。あんたも何か意見をだしなさいよ」


ぷんぷんと、頬を膨らませて怒る岬。


非常に理不尽なものを感じるが、ここで応えなければさらに嫌な仕打ちを受けるのは目に見えているので、守はうんうんうなりながらも考えた。


「えーと」


「何?」


おそるおそる、自分の意見を口にする。


「墜落する途中で、どこか、校舎のどこかにひっかかったとか。……それなら、地面に遺体がなくても納得できるし」


「馬鹿ねえ」


岬が「ふんっ」と、鼻で笑う。


「それなら、窓から覗き込んだ時に、あたし達にも校長の間抜けな体が見えてるはずでしょ。」


「それに」


霧ケ峰も遠慮ない調子で岬に加勢する。


「そもそもこの校舎に、何かひっかかるような、空中に飛び出した物はないと思いますけど」


そうして、気の毒そうな目線を守に寄越した。


「…………そうだね」


せっかく答えたのに、ボロボロだった。


痛みにさいなまれながら、守がなおも続ける。


「ええと……それなら」


「はい?」


「校舎の別の階に、落ちる途中で飛び込んだとか」


彼は二人をびくびくしながら見据えた。


「それなら……どうかな」


「無理ですね」


霧ケ峰が無情な答えを返す。


「まず、墜落する最中にそんな余裕のある行動がとれるとは思えません。人間の落ちるスピードは、予想以上に早いと思います」


「それに」と岬。


「頭からおっこちたのに、そんな校舎にへばりついて、別の階に入るなんて芸当が出来るなら」


「十分『神』業じゃないの。」


ぐうの音もでなかった。


再び消沈して言葉を発さなくなった守をよそに、二人の少女は議論を続ける。


「当たり前だけど、窓に何らかの細工した跡もないわね」


「トランポリンじゃなくても、階下で誰かに受け止めてもらうことも考えられはしますけど……」


そう譲歩した後、霧ケ峰は首を横に振る。


「まあ、それなら覗き込んだ時にすぐ私達が気がつくはずですよね……やっぱり考えづらいですね」


「まって……でも、校長に協力者がいるというのは、いい観点だわ」


岬は思いついたように言った。


オーバーな動作で、跳ね上がるように顔を輝かせる。


「そうよ!!協力者……そもそも、校長は、どういう風に落ちたんだったかしら」


「ええと……あれは……」


ある日の放課後のことである。


最初に異変に気がついたのは、教師たちだった。


その日の校長も、別段普段と変わったところがあったわけではない。


ただ、職員会議を終え、そのままふらふらと外に出ていった校長を、何人かの教職員が不審に思っていたのは事実である。


こっそり後をつけていったところ、校長が廊下のある窓をあけ、今にも飛び降りようとしていたので、慌てて駆けつけたのだった。


『儂は!!儂は神様に!!』


そんな言葉を吐き、体をうねらせる校長。


いつもは冷静なあの内藤慶介教諭でさえ、この時ばかりは焦りをみせ、校長に必死に食らいついた。


残りの男性教諭もふんばりをみせる。


騒ぎが大きくなって、放課後暇していた生徒達一同も、その喜劇の場面に集まったのであった。


余りの気迫にさすがの内藤教諭もひるんだところで、校長は窓枠を乗り越え、まっさかさまに地面に落ちっていった。


しかし、当然予想される死体は、終に見つからなかったのだ。


「ますます奇蹟めいてるわね……」


可能性を検討した後だけに、余計に事態の異常さが実感される。


「でも、やっぱり内藤がひるんで掴んでいた腕を離したせいで、校長は落ちていたったのよね?」


「はい。そこは間違いなかったと思います」


記憶を探るように視線をさまよわせながら、霧ケ峰が応じる。


岬はにんまりとした笑みを浮かべた。


「怪しいわね」


「怪しい?」


「そう思わない?守?」


いきなり呼びかけられたことで、悲しみの海に沈んでいた守の意識が、無理やり引き上げられた。


「えっ!?ええと……」


「絶対にそうよ!!校長には協力者がいるわ。」


うんうんと自分の言葉に頷く岬。


「特に、直接死ぬ要因になった、内藤なんて怪しいわね……」


「さっき話を聞いたばかりじゃないか……」


ますます勢いをます岬に、牽制をかけずにはいられない。


「あんなに否定されたばかりなのに……」


「だから余計怪しいのよ」


岬の断定した口調に。


「確かにそうですね……」


聡明なはずの霧ケ峰も意見を同じくする。


岬の心は決まった。


「もう一度、あのいけすかない大人野郎に、話を聞きに行くわよ!!」


「とっちめてやるんだから!!」


元気よく、科学実験室に向かって、再び歩きだす岬。


それに上品な足取りながら、霧ケ峰も続く。


「…………ええと」


守に選択肢があろうはずがなかった。


*・*・*

「あれ、閉まってるのかしら?」


ドアを開けようとした岬は、そういって眉をひそめた。


科学実験室前の廊下。


三人は、再び入口を前にして、顔を突き合わせていた。


それぞれのモチベーションはバラバラだが、目的の上では一致している。


さっそく内藤に話を聞きたかったのに……


「ちょっと、先生!?……」


ドンドンと岬がドアを叩く。


「いないのかしら?」


それよりはもう少し落ち着いた様子で、霧ケ峰が言った。


「単純に、もう帰られたんじゃないですか?放課後も、大分遅い時間ですし」


「生徒もとっくに帰る時間だからね」


皮肉を込めて言ったつもりだったが、守の言葉は二人に届かなかった。


「そうねえ……職員室にでもいてくれればいいんだけど」


諦めて、方向転換をしようとする二人。


そこで、思わぬ人物の邪魔が入った。


「先生!!」


「ん?岬さんに……霧ケ峰会長……何してるんです?こんな時間に」


丸眼鏡と神経質そうな声。


上背のある身長に、うろんな目つき。


社会科の教師、大久保博嗣だった。


彼はすたすたと、事務的な足取りでこちらに近づく。


岬は挑戦するような視線を投げた。


霧ケ峰が愛想よく笑う。


「ちょっと、内藤先生に用がありまして……」


「ははあ。なるほどねえ……」


大久保は彼女の答えに頷いたが、それで納得したようには見えない。


彼は霧ケ峰から、岬と、その傍で縮こまっている守に目を向けた。


この二人が絡んでいるからには、まともな用件ではあるまい。


そんな表情だった。


「それで、彼に何か?」


「ええとですね……」


霧ケ峰が適当な言葉を探して答えあぐねていると。


「校長のことで、聞きたいことがあったんで、すいません」


岬が堂々と胸を張り、彼の疑問に返答した。


大久保は舌でねっとりと乾いた唇を舐めた。


「ふーん……なるほど」


それから、守と岬を交互に眺める。


「なるほどねえ……」


まったく得心いっていないらしい。


三人の生徒がそれ以上喋りそうにないので、大久保は今度は彼から口を開いた。


「もしかして……『神様』云々のことで?」


「……はい」


霧ケ峰が、緊張をにじませた顔で答える。


どこか抜けたところのある彼女だが、生徒会長という立場を、やっと思いだしてきたらしい。


岬はひるむ様子をみせなかった。


「ええそうです。校長が『神様』になろうとしていたことで、お尋ねしたいことがあったので」


「ふーん……?」


大久保は声の調子を奇妙に歪めて、彼女の視線に応えた。


顎をさすり、考えこむような様子。


それから、おもむろに口を開いた。


「まあ……なんというか、陳腐な噂ですよ」


彼は自分の領分にひきずりこむように、滑らかな口調で話す。


「『神様』ねえ……そもそも、このポストモダンの時代において、神様になんか頼ろうとするのが愚かというか……絶対なるものなんて、ありゃしませんよ」


授業の延長であるかのように、言葉を紡ぐ。


「そもそも『神様』なんてものはねえ……アドルノが言うように」


内容の壮大さと、やや背中の曲がった中年男の見た目のギャップに、奇妙な感じを抱かざるをえない。


まったく真に迫ってこない話だった。


「馬鹿げてますよ……我々の中に『神様』が潜んでいるなんて……安いゲームの説定じゃあるまいし……」


「先生、もういいです」


岬が大胆にも、手のひらで制止の合図を出す。


「うん?……」


興をそがれたように、大久保の勢いが止まった。


岬は相手がひるんだところを逃さない女だ。


「私達、内藤先生にお話があるので。科学実験室におられないなら……」


そういうと、目くばせをして、自分についてくるよう、守と霧ケ峰を促す。


二人は頷くと、岬に続いて、大久保の下から離れようとした。


しかし、彼はそれを制止した。


岬と同じく、手のひらを突き付ける。


「……なんですか?」


さも心外といった調子で、岬が彼を睨んだ。


大久保は薄笑いを浮かべた。


「内藤先生は、まだこの中にいるはずですよ」


そうして、教室の方を見やる。


「職員室では、おみかけしなかったから……」


「でも……」


岬はドアの方を見やった。


鍵が、かかっている……


大久保は面白うそうに「おかしいな……中にいるはずなんだけど」


「実験でもなんでも、何かしているにせよ、呼びかけに応じないのは妙ですね……」


霧ケ峰が、気を取り直したように言った。


四人は黙り込んだ。


じっとドアを見つめる。


…………異常な空気、雰囲気が、そこから漏れだしていた。


「これは……」


大久保が軽く眉をひそめる。


岬の行動は迅速だった。


「内藤先生!?」


ドアをどんどんと叩き、必死に呼びかける。


返事はない。


それで指針が決まったらしい。


「先生、ここの鍵は?」


「マスターを除けば、内藤先生が管理されているはずだが……」


「持ってこようか?」と目で彼女に応える。


岬は首を振った。


「いや、結構です」


彼女は力を精一杯振り絞った。


霧ケ峰が目を見開く。


大久保は興味深そうに顎をさすった。


守は騒音を逃れるように耳を塞いだ。


バコン。


ドガッ。


たあいない音と共に、ドアが開かれる。


というより、押し倒された。


岬が急いで中に入る。


後ろの三人も、慌ててドアを踏み越えた。


「せんせい……先生!?」


彼女のうろたえた声。


大久保は再び歓声をあげた。


「おお……これはこれは」


霧ケ峰はその残酷な光景に思わず目を背ける。


…………赤いみずたまり。


その源には、驚愕に見開かれた表情がある。


初めて、これほど感情をみせたのではなかろうか。


内藤慶介が死んでいた。


空を仰いで、血だまりの中に横たわっている。


驚くべきことに、さらにその遺体のそばには、別の『物体』も転がっていた。


「校長……」


岬が形容し難い声を出す。


墜落し、消失した、校長の遺体。


内藤慶介の遺体の傍に、それもまた、横たわっている。


同じく、驚愕に見開かれた表情を浮かべて…………


「…………『神様』」


守がうーんと呻いた。


*・*・*

「それで、呼びかけに応答がなかったから、ドアを蹴破ったと?」


「はい」岬がこくりと頷く。「何か問題がありますか?」


「あまりに大袈裟すぎやしないかね。たかが返事がなかったくらいで」


「でも、実際に人が死んでいたんです。」


岬に代わり、霧ケ峰がその疑問に応えた。


「行動としては、正しかったんじゃないですか?」


「それはそうかもしれんが……」


大柄な警部は、そういって頭を掻いた。


弱ったなという風に、左右を見回す。


「『神様』のこともあったし……」


「『神様』?」


岬の呟きに警部がいっそうの困惑を増す。


「『神様』です」


岬が頷いた。


「あたしたちのなかに潜んでいるんです」


「…………それは」


正気を疑うような視線を彼女に寄越すも、返ってくるのは実に挑発的な視線ばかり。


警部は彼女達の後ろに控える大久保の方に視線を移した。


「誤解をしないでいただきたいですな、警部」


大久保は警部の困惑した表情を気にすることもなく、淡々と述べる。


「別に我々が変な宗教教育を行っているわけではありません」


「しかし、彼女は……」


「それは『神様』に関する、たあいもない噂なんですよ」


そして大久保は、生徒の間ばかりか大人の間にも広がっている、『神様』の噂を説明した。


曰く、ネット上から、この絶望の時代に『神様』が人間界に舞い降りたという噂が立ったこと。


神の奇蹟に類する事態が全国各地で頻発していること。


この学校でも実際に、『神様』の仕業としか思えない奇蹟が起こったこと。


一部生徒の間で、そんな『神様』を見つける動きが広がっていること。


「……つまり、何ですか」


大久保の話を聞き終えた警部は、悄然とした口調で言った。


「この学校に、『神様』がいると?」


「そう思いこみたい人間は、少なくともいるようですな」


大久保は顎をさすりながら応えた。


「校長の墜落したはずの遺体は消失するし、密室の中で人が殺されたとあってはね」


警部は苦い顔を浮かべた。


こんなぼろい高校に、よく『神様』も潜んだものだ……


そんな様子である。


警部は岬達に礼を言うと、彼等に別室での待機を命じた上で、現場の検証に戻っていった。


その巨大な背中を見送りながら、岬がベロを出す。


「失礼なオッサンね。警察ってみんなああなのかしら」


「またそんな……聞こえたらどうするんだよ……」


守が震えながら岬を制する。


高校は、混乱に包まれていた。


内藤慶介が、科学実験室の中で死んだ。


しかも、密室状態の部屋で。


墜落したはずの、校長の遺体も傍にあったらしい……


校長の発狂だけで既に危ういところに来ていた空気は、今度の惨劇で完全に緊張の糸がきれてしまったようだった。


残っていた生徒は皆事件のあったA棟に群がり、警察官の指示もきかず、わあわあと騒ぎ立てている。


好奇心に、不安がないまぜになったような表情。


噂をばかにしていた教員陣たちも、さすがに緊張を隠し切れていない。


生徒達をろくに注意もせず、警察の捜査が進むのを見守っていた。


「やっぱり『神様』が……」


「内藤が校長を殺したのかな?」


「じゃああいつを誰が殺したんだよ」


「『神様』が……」


「奇蹟だ……」


およそ高校生らしくない会話が交わされる。


混乱は最高潮に達したようだった。


「お前が『神様』だろ?」


「そんなわけないだろ」


「お前がそうじゃないのか?」


理解の出来ない事態に、『神様』探しを実行するものまで現れる始末。


事件のただ中にいる岬達は、ひときわ注目を浴びることになった。


動き回る警察官の影に隠れて、びくびくと辺りを見回す守。


岬と大久保は超然として、そんな事態にも動じていないようだった。


霧ケ峰はさすがに顔に疲れを浮かべている。


守の視線が、遠巻きの一人とかち合った。


宇留野秀樹だ。


同じような風体をした不良仲間に囲まれて、事件現場を見物している。


守の視線に気がつくと、口角を薄く吊り上げた。


その目は皮肉に満ちている。


『神様』を初め、あらゆるものを嗤っているような表情だった。


守は体を震わせた。


岬が別室に守達を促した。


「いつまでも見世物みたいに、廊下につっ立っていることはないわ」


周囲の視線を避けるようにしながら入った一室で、霧ケ峰は息をついた。


「ふう…………さすがに疲れましたね」


「こんな事態に行き合うとは思っておらんからね」


大久保が彼女に同調する。


「まったく、迷惑な話だ」


その言い草といい、同僚の死を悲しんでいるようには見えなかった。


むしろ興味をそそられているように見える。


その好奇心を隠し切れていないのは、岬も同じことだった。


部屋に備え付けらえたテーブルにドンっと腕をつくと、残り三人に呼びかける。


「間違いないわ!!」


自信のある口調。


「あれは『神様』の仕業よ!!」


「奇蹟めいてはいるがね」


大久保は癖のある視線を彼女によこす。


「しかし、『神様』とやらは、我々を救ってくれはしないのか?」


「そ、そうだよ……」


それまで恐怖の余り沈黙を強いられていた守が、やっとのことで口を開いた。


「僕達を救ってくれるならまだしも……どうして人殺しなんて」


「神の怒りに触れたんじゃないの?」


岬がどうでもいいといった様子で答えた。


それから、人差し指をぴしっと守に向ける。


「重要なのはそこじゃないのよ」


「うっ……じゃ、じゃあ」


「何が重要なの?」


その質問を寄越す前に、霧ケ峰が彼に先行した。


「『奇蹟』としか思えないことが起こったこと……なんて夢のあることなのか」


「そういうことでしょう?」


にこっとほほ笑む。


岬は「分かってるじゃない!!」というように頷く。


「そう。こんな面白いことが起こっているっていうのが大事なのよ。希望も夢もありゃしない時代に。最高じゃない!!」


彼女はそう言いながら、夢みるような調子で盛んに両手を振り回していた。


熱の入れようが一味違っている。


守としては引くよりほかなかった。


大久保が興味深そうに、そんな学生達を眺める。


「それで?」


眉をあげ、彼は岬に質問を投げかけた。


「そんな面白いことが起こっている今、キミらはどうするつもりなのかね?」


「もちろん決まっているわ!!」


岬が、その豊満な胸を張る。


「『神様』探しよ!!」


*・*・*

議論は白熱していた。


「『神様』探しといったて、実際にあたし達が有効な捜索手段を有しているわけではないから」


彼女はひと呼吸おき、三人を見回す。


「取りあえず、あの密室事件に、何か合理的な解決がつけられないか、検討してみましょう。で、解決できなければ、それは奇蹟だった。すなわち」


にっこり笑って


「神様はいた!!」


「それは私も勘定に入っているのかね?」


大久保が右手を軽くあげて尋ねる。


「もちろん。先生にも協力してもらうわよ」


「何か文句ある?」という彼女の表情に、「別に構わんよ」という微笑で、大久保は答えた。


方向性は決まった。


岬がその流れをけん引していく。


「さて、まずは事態の正確な把握に努めましょうか。いつから内藤先生はあそこにいたのかしら?」


教職員事情に一番通じている、大久保がその口火を切った。


内藤慶介は五時間目の物理の授業を終えると、いったん教職員室に帰り、生徒に課した宿題の点検に勤しんでいた。


成績の悪さに、ぶつぶつ文句を言っているのが見て取れたという。


「それが、何時ごろのことですか」


「さあ、時計を見ていたわけじゃないからね……」


大久保が首を振る。


「まあ、しかし、そんなに遅い時間ではなかった……五時間目終わりだから、二時~四時あたりのことだったろう」


放課後を迎えると、内藤は立ち上がり、どこかへ出かけていったという。


「そこからは、キミたちの方が詳しかろう」


岬は記憶を探った。


校長のことで、直談判に向かったのが、放課後すぐのこと。


時計は、大体5時あたりを指していたような気がする。


それから30分ほど愚にもつかない会話を繰り広げたわけだから、退出したのはもっと後になる。


「廊下で霧ケ峰会長と出会って、そこでもしばらく議論していたから……」


結局再び科学実験室に赴いたのは、午後六時を過ぎたころだった。


その時には、もうドアは閉まっていたわけだ。


「死亡推定時刻は、だから五時半から、六時の間ってことですかね」


「大分狭まったわね。」


岬がうーんと唸る。


「その間に、内藤慶介は殺され、部屋は閉ざされ、ついでに消失していた校長の遺体も出現したわけね。」


岬は笑顔で言った。


「やっぱり奇蹟だわ」


「もう少し丁寧に検討したまえ」


大久保がせせら笑う。


「……鍵は内藤先生のポケットに入っていた。マスターキーはずっと職員室にかかったままで、誰も持ち出した人はいなかったわけだから……」


霧ケ峰が首をかしげる。


「犯人は、どうやって部屋を閉じたんでしょう?」


「……自殺じゃないの」


守が恐る恐るといった調子で口を挟む。


「内藤先生が自分で自分を刺して、中から鍵をかけた」


「校長の遺体のことはどうなるのよ」


岬が常識的なその解決に、不満気に唇を歪める。


「内藤先生が、科学実験室に隠していたんじゃない?」


「それは考え難いな……」


大久保がふるふると首を振った。


「あそこに大人一人を隠しておけるような場所はない。特に、校長のような、肥満体の人間なら、なおさらだ」


「それに」と霧ケ峰。


「自殺っていうのは、ないんじゃないでしょうか?だって、自分の背中をあんな風に、何回もさして死んだりできないでしょう?」


「こ、氷を使ったんじゃ……」


「そんなの、警察が調べればすぐに分かるわよ」


一蹴されてしまった。


守が沈痛な面持ちで、ずこずこと引き下がる。


それから、しばらく議論が白熱した。


岬が突飛な考えを述べれば、霧ケ峰がそれを常識的な範囲に修正し、大久保がそれを改める。


三人の間で、何か共通の空想物語が練り上げられていくようだった。


やがて、それぞれが持てる知恵をすべて出しつくし、疲れ果てた後。


岬が疲労に体を震えさながらも、にんまりとして言った。


「やっぱり、間違いないわね」


こくりと、三人に頷きかける。


「あれは、『奇蹟』よ」


霧ケ峰はそれに飛び切りの笑顔で応える。


大久保は面白うそうに顎をさする。


守は黙りこんだままだった。


*・*・*

一定の見解が得られたところで。


岬が、尚も黙ったままの守に声をかけた。


「守、あんたはどう思うの?」


「……僕は、ええと……」


もじもじと、女々しく体を動かす。


「もう。はっきりしなさいよ!!」


岬が再び怒りをあらわにした。


その剣幕で、守を余計に萎縮させる。


彼は視線を床に伏せた。


残り二人は、それぞれ異なる期待を浮かべて、彼を見守る。


時を打つ壁かけ時計の音が、彼等の耳朶を打った。


沈黙。


やがて。


気が遠くなるくらいの時間が経った後、ポツリと、守が呟いた。


「僕は……違うと思う」


「は?」


岬が眉をひそめて聞き返す。


「何だって?」


大久保が両腕を組み、隠し切れない喜びと共に尋ねた。


「だから……あれは、『奇蹟』なんかじゃない」


「『神様』の仕業じゃない」


守はきりっとした表情で、顔をあげた。


岬がその剣幕に思わずたじろぐ。


今までの守にない、強い口調だった。


しかし、彼女としてもそのまま引き下がるわけにはいかない。


変人ならではのこだわりを持って、食い下がる。


「なんでそんなにはっきり断言できるのよ。あれだけ可能性を検討して、ろくな答えが出てこなかったのに」


「簡単だよ」


守は、その言葉を、実に何気ない調子で言った。


「僕が、その『神様』だから」


*・*・*

10

「……は?」


「……今まで言えなくてごめんね」


効果は絶大だった。


あんぐりと口をあける岬。


驚愕に目を見開く霧ケ峰。


大久保はピューと口笛を吹く。


その衝撃は、彼等の体全体を射抜いた。


「あ、あんたが『神様』だなんて……そんな、馬鹿なこと……」


「あれを神の奇蹟っていうほうが、よっぽど馬鹿げてるよ」


守が、真剣な口調で首を振る。


「『神様』にそんな力はない」


「……なに?」


「だって、希望のない絶望の時代に、神様も完全ではいられないから」


彼はそう言うと、三人を見回した。


「絶対なものがなくなった時代の……『神様』の残り屑が、僕なんだ」


「そんなの……そんな」


岬はまだ信じられないのか、首を振り振り、小さな体をジタバタとさせる。


「そんなの信じられないわ!!」


「もしあなたが本当に『神様』なら……」


霧ケ峰も同様を隠せない様子で続ける。


「もっと、ちゃんとした、その……」


暗に、こんなさえない男子生徒が『神様』のわけがないと言いたい様子だった。


守は重々しく首を振る。


「言ったでしょう?こんな希望のない時代に、本当の『神様』なんていやしないんだ。」


「でも、噂が……」


岬の抗議の声に


「噂は本当だよ。人間界に潜んではいる。ただし、もはやどうにもすることが出来なくなった、神様の『残り屑』がね」


守の自嘲がそれに応えた。


沈黙が流れる。


消沈した面持ちの三人に対し、しかしただ一人の成人、大久保はどこか楽しそうにしている。


「キミが神様だろうがその残り屑であろうが……」


その爬虫類のような目をぎらつかせて


「あるいは、頭がおかしくなってたわごとを言っているんだろうが」


彼はにこにこと笑みを浮かべる。


「どちらでも構わんがね。仮にキミがその残り屑だというのなら、キミは何が出来るのだね?」


「それは……」


守の表情は曇ったままだ。


しかしその口調は強かった。


「真実を、見通せる。少しづつだけど、確実に……」


「なるほど」


ニヤリと口角を上げる大久保。


戸惑う岬と霧ケ峰。


守は続けた。


「今から……それを証明する」


*・*・*

11


時はゆっくりと流れる。


神様の残り屑。


そう自嘲気味に呟く田口守が、この平凡極まりない少年が、今は場を支配していた。


「校長は、放課後、A棟の二階から飛び降りた。」


「……ええ」


「その時の様子を、説明できる?」


「突然放課後校長が暴れ出して……」


岬の言葉を、霧ケ峰がひきとった。


「内藤先生が最初に取り押さえようとして、後に数人の先生方が加勢して」


「しかし校長が大暴れしたから、手がゆるんでしまい、そのまま逆さま、地面にドっかん、というわけだ」


大久保が肩をすくめる。


「実に単純明快だ。」


「そう、単純なんです。」


守がこくりと頷く。


「校長は、二階から落ちた。」


「それが……?」


「ねえ、岬」


突然の守の呼びかけに、思わずびくっと体を震わせる岬。


「な、なによ…」


ドギマギしながら、なんとか体裁を取り繕う。


しかし守はそんな彼女の様子に気がつくのか気がつかないのか。


「校長が落ちてから、何秒くらいで窓枠に駆けつけた?」


「え、そ、そんなの……」


何秒だったかしら?と首をかしげる岬。


霧ケ峰が自信なさそうに口を開いた。


「あの時はみんなびっくりしてましたから……数十秒くらいは経ってたかと。」


「それだけあれば十分だよ。」


守が得心したように頷く。


「どういうことかね?」


大久保が顎をなでながら尋ねる。


守は彼にしては珍しい笑みを浮かべた。


「校長が、消えるにはさ」


「消えるって、だからそれがどうやって……」


「もちろん」


自分を見つめる三人の顔にしっかり応えて


「内藤先生だよ。」


*・*・*

12


「内藤先生?……」


「そう」守はこくりと頷くと「つまり、こういうことなんだ。」


守は次のように続けた。


校長と内藤先生は共犯だったんじゃないか、岬はそういったよね?


確かにこの事件には共犯者が関わっている。


でも、それは厳密な意味での共犯者じゃない。


校長と内藤先生が示し合わせていたわけじゃないんだよ。


校長がああやって暴れだしたのは、多分偶然だと思う。


頭がおかしくなったのか、ただふざけてみたかったのか、それは分からないけど……


とにかく、校長は暴れ出した。


で、急いでそれを止めに入った内藤先生だけど、足を必死で押さえている内に気がついたんだ。


今なら、ちょっとした芝居で、校長が自発的に飛び降りたように見えるって。


上手い具合に力をゆるめれば、そのまま校長はまっさかさまだ。


元々死のうとしていた人だ。


殺意を持って「落とした」としても、気づかれないと踏んだんだろうね。


案の定、誰も彼の思惑に気がつかなかった。


みんなただ呆然として、その場にへたりこんでいたからね。


「でも、校長の遺体は消えて……」


「そこだよ。」守は分かっているというふうに「この事件のポイントは」


校長が飛び降りたのは、あくまで二階からなんだ。


屋上からじゃない。


だから、絶対にありえないことじゃないんだよ。


外傷もなく、すぐさま死ぬような傷も負わないなんてことは。


もちろん、骨ぐらいは折ったろう。


でも、その場で死んだわけじゃなかった。


校長は、飛び降りた後も生きていたんだ。


自分の意志で、校舎に入ったんだよ。


「そんなこと……」


「いや、ありえなくはない。人間の生命力は、それこそ『奇蹟的』だからな」


大久保がククっと皮肉めいた笑いをもらす。


「ミステリーでよく、被害者が怪我を負った後、自分から密室に入って死ぬ例がある。被害者の行動によって、密室が完成するんだね。これも、その一例だよ。」


「もっとも、今回は被害者が視界の端から『出た』ことによって、完成したものだけど」


「でも、それなら校長はいつ……?」


「決まってるじゃないか」


守は続けた。


この事件で、皆が曲りなりにも『奇蹟』を信じたのは、それが皆の望む物の見方だったから。


そして、内藤先生がその外形に貢献していたからだ。


彼だけが、窓枠からずっと離れず、校長先生が生きている姿を目撃出来た。


そのまま校舎内に入っていく姿もね。


先生は考えたろう。


まずい、このままでは……


「自分が復讐されてしまうってね。」


「校長は、自分から死にたがった人なのに?」


「自分一人で死にたかったのかもしれない。だから、余計に復讐に燃えた。」


内藤先生は気が気でなかったに違いない。


校舎内に校長が入りこんだなら、いずれ見つかるはずだ。


ところが、まったく現れない。それどころか、周りは奇蹟だなんだともてはやしている。


でも、校長は自分が『落とした』ことを知っている。


復讐されるかもしれない。


あんな怪我をしているのに、そもそもなんで見つからないんだ!!


いったいどこに……


「それじゃあ……内藤先生は」


「もちろん、校長に殺されたんだ。」


「そんな!!そんなの……」


「ありえない?」


守がどこか楽しげに言う。


こくり。


岬はうーんと唸りなgら頷いた。


「ありえないなら、校長が『消える』ことの方がよっぽどありえないよ。校長は怪我を負いながらも、まだ生きていた。そして、内藤先生を殺したんだ。」


「……どこに、校長は隠れていたというんですか?」


岬よりはまだ落ち着いている霧ケ峰がたずねた。


「もちろん、科学実験室の中だよ。」


「それは無理ですよ。だって、大人が隠れれるようなところはどこにも……」


「普通の『大人』ならね。……でも、校長は怪我をしてたんだ」


「あっ!!」


霧ケ峰が息を飲む。


岬は目を見開き。


大久保は相も変わらず楽しそう。


守は動じずに続けた。


「怪我をして、骨を折った校長は、そのまま体を曲げて、科学実験室のどこかに入りこむことも可能だった。それで、校長から逃れようと自分の要塞に閉じこもっていたつもりの内藤先生を、後ろから、難解も執拗に刺したんだ」


「そんな、そんなことって……」


「ありえなくはない、か……」


大久保が首を振り振り、それでも落胆した様子もなく話す。


「かくして……?」


「消失事件は、完成したんだ。」


そういう守の口調は、しかしまた、自信なさげなものに変わっていた。


*・*・*

13


翌日のこと。


「よかったわね、あんたの推理が証明されて」


岬は、相も変わらず、いつもどおり、守に話しかけていた。


それに応える彼の表情も、いつもどおり、ひどく暗い。


「うん、まあね……」


「でも、全部警察の捜査でいずれ分かることだったということは……」


岬はビシっと守に指を突き付けた。


「………あんた、特に必要なかったんじゃ」


「そうだね。」


守は素直に首肯した。


「ダメじゃない」


「ダメだよ」


「何のための『神様』よ……」


「残り屑だから。」


そう笑う彼の顔は、どこか悲しい。


穏やかな春の陽気。


あんな事件があった後だというのに、皆変わらず過ごしている。


霧ケ峰は相変わらず凛としているし。


宇留野は相変わらず不良だ。


岬は相変わらず守に絡んでいる。


「……仕方ないわね」


バンっと背中を叩く。


「痛いよ……岬」


「あんたは私が面倒見てあげるわ」


そしてなおも背中をさすっている守に向かい、にかっと笑って


「よろしくね、神様」




















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