第七話:迷彩とビーサン
翌朝、俺は死体のような変な格好で寝ている事に気づいた。夢の中で結榎と格闘していたせいだろうか。
結局昨日は、亨の写真を見るだけでミーハー熱は収まったらしい。今ではちゃんと元の場所に、卒アルがあるアルヨ。
とにかく今日は、皇にローディ時代のあいつの事を聞かなくてはならない。
ふと時計を見ると、もう8時を差している。
朝飯を食べている時間は無いな、と、俺は頭の中で計算をする。
部屋の隅に山盛りになっている服の中から適当なものを着ると、あとは鞄に必要なものをぶち込んで、俺は疾風の如く部屋を後にした。
皇に事情を聞こうという願望は炎の如くだったが、やはり学校への道は退屈極まり無いものだった。
やっぱり今日もダルい。
はー、やはり夢が悪かったのか。
はたまた、俺の頭が悪いだけか…。
そう思いながら、学校の最寄り駅の一つ手前の駅まで電車はやって来た。
俺はいつもドア側に立つ癖があって今日もやっぱりそうしていたわけだが、何せ今日は頭がポーっとしていたわけで…その駅でドアーが開いた瞬間、体がズルッと外へ飛び出してしまった。
「ギャッ」
俺は奇声を発した。
乗客は、うっわーっ…という視線を送りながら、せせら笑っている。
俺はホームに尻をついた状態だったが、それはつまり乗客と面と向かっている…というわけで。
俺は即席ユデダコとなり、石化した。
とてもじゃないが、あの中に戻れないだろう…。
ああっ!
学校は次の駅だというのに何という事なんだ!
そんな熱い葛藤をよそに、ドアーは屁のような音をたてて閉まった。俺としては、悲しさとホッとしたのが入り混じった複雑な心境だったのは言うまでもない。
「……次の電車、待つか……」
俺は疲れたサラリーマンのようにがっくりと肩を落しながらそう呟いた。
BGMは勿論、坂●龍一だ。
次の電車がくるまであと10分そこらある。
とにかくイスにでも腰かけるか。
じじい思考の俺はそう思い、看板付きの4連のイスに近づくと、ふう、なんて言いながら腰をおろした……かった。
が。
「待ったああっ、座るなあっ!!!」
何だ…!?
俺はビクッとしてまたしてもホームにひっくり返った。
目を見開くとそこには長身の男が立っている。
歳は多分二十前半。
ベージュのニット帽を深くかぶり、青いサングラスをかけている。
体のラインがぴっちりと出る青いロゴTシャツに、今時もう遅いだろうと思われる迷彩のワークパンツ。その割に、何故か厚底ブーツ。
胸には、ゴツめアクセがキラリと輝いている。
くそう…クロムハーツか?
腕にも数珠のようなのと、革のアクセなんかをつけやがっている。
鞄はホディバックときたもんだ。
俺は直感的にこいつとは関わりたくないなと思い、腰砕けポーズのまま後ずさった。しかし何ということか、迷彩はこっちに向かって一歩踏み出たでは無いか!
俺は本能的に、やられるっ!と訳の分からぬ事を思い、また後ずさった。
しかし迷彩はまたもやこっちに!
ああっ、俺はもう此処で終わるのか!?
そう思っていると、迷彩の手がビュッと風を切った!
ああっ!何故だっ!
俺は無実だ!
確かに電車で背の低い女の子の隣に立った時は、胸の谷間なんかチラッとやっちゃったけど、それはもう時効ではないのですか?
おお、ジーザス!
「ごめんごめん。だいじょぶ?」
「へ?」
「いや、だから。ごめんって。驚かせたでしょ?」
思わず目が点になった。
てっきり平手が飛んで来るのかと思ったのに、迷彩は手を差しのべただけだったらしい。見ると、迷彩は意外と人なつこそうな顔をしている。
「いやさー、さっき此処のベンチに携帯忘れちゃったのよ。で、キミ、座りそうになってたからさ。ついね。携帯壊れたらシャレにならんからねー」
そう云って、俺が座るはずだった場所にちょこんと置き去りにされていた携帯を手にする。けしからん事にドコモの最新型だ。
「じゃ、おさわがせしましたー」
迷彩はにっこりして背を向けた。
そして無言で去っていく。
「なんのこっちゃ?」
俺はどっと疲れてしまった。
と、そんな時、待望の電車が丁度ホームに滑り込んでくる。
俺は、自分が今どういうポーズでいるのかをすっかり忘れていて、やはり開いたドアーの中の乗客の視線を浴びた。
しかし此処でこの電車を乗り過ごしたら男がすたる!
そうではないかっ?
そう心に一喝し、俺はキングコングの如くドアーに向かった。
嗚呼、しかしなんということだろう!
俺が威嚇しながら詰め寄ったにも関わらずドアーは俺の直前で閉まりやがったではありませんか!
……俺が再び石化したのはいうまでもない。
「……今日はツイてないな」
やはりこういう場合、また次の電車が来るのを待つ事になるのだろうか。しかしまたあの青いベンチに座りにいこうものなら、また腰抜け事態になるのではないか?
俺は微かに迷った。
また十分の空き時間…これを憎き青いベンチで過ごすのか、このままキングコングで過ごすのか……
頭の中では天使と悪魔が戦っていた。
『もう歳なんだからゆっくり座った方がいいわ』
『何云ってやがる、またハプニングが起こったらどうしやがる!』
『だからってキングコングはバカげているわ!』
『てやんでえ、これが大和魂ってもんよっ』
『何云ってるの、ばかねっ、これからは男も化粧の時代なのよ』
『大和魂なんてナンセンスよっ』
『何云ってやがるっ、こいつが化粧したって男は男よ、不気味になるだけにきまってらあ』
『何云ってるの、多少はマシよ、多少は!』
『何云ってやがる…』
「ブツブツブツブツ…」
「あ、あの……」
「ブツブツブツブツブツ…」
「もしもーしっ」
「ブツブツブツブツブツブツ…」
「ちょっとー。すいませーんっっ」
「うるせえってんだ、ええっ!?」
せっかく俺の空想タイムだったというのに、隣の曲者が何かを言ってきやがる。俺はキングコングからガメラに華麗なる変身を遂げた。
俺の大切な空想を台無しにして下さった曲者は、何だかビクついた、しかもひきつった表情を浮かべながら、そこに立っている。
そいつは俺より頭一個分も背が低く、外人ちっくな顔をしていた。
バサバサの金髪をしている。
の割には普通のダボダボTシャツにジーパン。
何故か黄色のビーサンなんか履いている。
「す、すいません…ひ、独り言の邪魔して…」
「馬鹿っ!独り言とは何だ、独り言とは!俺は男が化粧をして映えるかどうかという事を公正且つ厳密に口論していたところなんだぞ!独り言っていうのは、独りでぶつくさ訳の分からん事をずーっと話してやがる奴の事を言うんだ。そうではないか、君!」
「え。だからその…今、独りでぶつくさ…」
「大体君は何なのだね?俺の神聖なる弁論の場を中断させるなんて、どういった理由があってのことかね?言ってみたまえ!」
「あ、あの…大丈……夫、ですか?」
「無論だ!」
ビーサンは、首を捻りながら、おそるおそる俺に言った。
「あのですね…。あそこのベンチで…携帯とか、見かけませんでしたか?」
「ケイタイ?」
「はあ。あの、小型の電話でして、電話線なくして相手に連絡がつくという電気製品のことなんですけど」
「そんくらい知ってるわっ!」
俺はハリセンでその外人面をひっぱたいてやろうかと思ったが、あいにくアイテムが無かったので無くなく諦めた。
「携帯だろ?さっき持ち主が来たよ。もう、あの迷彩のせいで俺は電車を…」
「マジでっ!?」
ビーサンは突然叫んだ。
俺はまたもやビビってのけぞってしまった。
まあさすがに腰抜けポーズからは卒業したが。
「そいつ、そいつってどんな奴!?」
ビーサンは突然人が変わったように、すごい剣幕で俺に詰め寄ってきた。
あまりの形相についつい怖気づいた俺は、しどろもどろになりながら、とにかく迷彩の外見を説明してやった。
すると、ビーサンの顔にみるみる焦りの色が浮かんでくる。
「何か都合でも悪いのか?あの迷彩の奴、さっき忘れたって言ってたけど…」
「違う…違うんです…」
「違う?」
「その携帯…そいつのじゃないですよ」
「へ…?」
何やら物騒な問題に引っ掛かったようだ。
俺はこいつらの事情なんてこれっぽっちも知らないし知りたいとも思わない。でもこの場合、俺はキーパーソンってやつになるんじゃ…?
「あの携帯、俺のなんですよ」
「ええっ!?」
俺は派手に叫んだ。
あの携帯は、迷彩野郎のじゃなくて、このビーサンの…?
驚いて固まる俺に向かって、ビーサンがずいっと詰め寄ってくる。
「そいつ、どこに行ったとか分かりませんか!?」
「さ、さあ? 俺はその後、電車待ってただけなんで…」
「そうですか…」
ビーサンは酷くがっかりした。
そして、俺に聞いてくる。
「それ…どのくらい前の話しでしょうか?」
「ええと、確か…」
俺は思考を巡らせた。
さっき電車が来た時間は5分程前。ちょうど迷彩が去った後に電車が来たという事は、まだあれから5分しか経っていないという事になる。
「5分くらい前かな」
「えっ?」
じゃあまだどこかにいるかもしれない、そうビーサンは呟く。
随分と深刻そうな表情だ。
一体全体あの携帯に何が隠されてるっていうんだ?
まさか麻薬の密売でもやってるとか?
俺はかなり不安になってきた。
「あの、すごくいきなりですけどっ」
「はい?」
目前のものすごい形相が俺の視界にドアップになる。
「もしヒマがあったら、一緒にそいつのこと探してもらえないですか?」
「はああっ!?」
「俺じゃあパッと見で見つけられないと思うし。姿を見た人の方が良いから」
「おいおいおいっ!俺は隣の駅にある学校に行くためにだなあっ!」
「独り言言ってたって事はヒマですよねっ!」
「いや、だからあれは公正且つ厳粛な…」
ビーサンは俺の手を引っ張ると、急に出口に向かって走りだした。
俺は頭がパニックになった。
おいおいおいおい!
何故に名前も知らぬ奴に連れ去られなければならないのだっ?
大体、俺は皇に加賀真の事を一刻も早く聞くという使命があるというのに…!
「ありがとうございますっ」
まだYESとも言っていない俺に向かって、ビーサンがそう叫ぶ。
「ああっ、もうっ!」
今日は本当にツイてない―――!!!