第三話:大学にて
新校舎と旧校舎を結ぶ長い廊下で、俺は呼び止められて振り返った。
「ようよう」
そこには、大学入学時に真っ先に友達になった、市碕皇がいた。
昨日の一件から一夜明け、俺は元通りの退屈な大学生活へと戻っていた。頭が痛くなり、なおかつ腰と肩まで痛くなりそうな分厚い教科書郡と辞書をぶら下げ、長い道程をとことこと歩く。これの繰り返しである。そりゃあ眠くもなるわ、と毒づきたくなる。そこを頑張って目を見開き、教授の話しを右の耳から左の耳へと流し、4時間という莫大な時間を過ごしてのけた俺は、愛しの我が家へと向かおうとしていたのだ。が。
「何だよ。まだ俺を大学に縛り付けるのかよ。勘弁してって」
俺はそう言うとがっくりと肩を落した。
すると皇は、人聞き悪い事言うなよ、などと言いながら、俺様の神聖なる肩に腕を絡ませ、腰痛を腰激痛へと変えて下さった。
「朗報だって。ほら、お前だって見たいって言ってたやつ。あれ、手に入ってさ」
「は?何の事だよ?」
「やあねえ。つれない、いけずう」
皇は、つんつん、と俺の脇ばらを突いた。
「ギャハハハ…ってコラ!やめんかい!」
「ははは。ごめんごめん。じゃーんっ」
皇のバックの中から、黒いケースに包まれたビデオテープが出現する。俺はそれを見て、ようやく皇の言った事が掴めた。
「おお、お前が前やってたバンドの?」
「そう!」
そういえばそんな話しをした。
皇は高校時代にバンド活動をしていたのだ。メンバーが全て年上で、しかもかなりのキャリアの奴らだったらしく、かなり本格的な活動を行っていたんだとか。それで、デモビデオ配布なんてものも行っていたらしい。
その話しを聞いて、俺はそのバンドにかなり興味を持った。何故って、皇はそういうタイプに見えないからだ。ぽわーんとしているし、本当に穏やかだし。
そういう奴がステージでどう変わってしまうのか、とても興味があった。ある意味、皇と神様は正反対といってもいい。
皇はビデオを俺に渡すと、さらにバックの中をゴソゴソと探し始めた。
「えーっと…あ、あった。ほら、これが歌詞カード」
俺はそれを受け取って、少し眺めた。ポジティブな歌詞が並んでいる。皇らしいなと思ってちょっと納得してしまう。
「快登、今日って暇?」
「ああ、ヒマヒマだね」
でももう学校には残らないぞ、と一言つけ加えると、皇は、ははは、と笑った。そうしながら一度俺に渡したビデオテープを自分の手の中に収めると、一つ提案してくる。
「っていうかさ、俺も見てないんだよねソレ。俺って見直しとかって嫌いで。だから小学校の頃から苦労してんの。高校の時のテストなんか早く終わっても見直しなんかしなくってさー。そのおかげで5点も損して…」
「いや、そりゃ今は関係ないだろ」
俺はナイスツッコミをしてのけた。
「いやはや失礼。そうそう、だからね、俺も一度見てみたいなあって。だからさ、良かったらウチに来ない?一緒に見ようよ」
どうせ暇だしそれも良いか、と思い、俺は皇の提案にのる事にした。それに皇の家にお邪魔するなんて初めての事だし、茶菓子なんて出ようものならご機嫌だし、いろいろ発見があるかもしれない。俺はそんな邪な考えを交えつつ、にっこりと笑い、皇と共に岐路につく事にした。
学校を出て駅まで向かう。その間、俺は皇の高校時代の事を聞いた。予想通りというか、やはり奴は友達が多く、なかなか楽しく三年間を過ごしたらしい。
「バンド始めたきっかけは…何だろ?やっぱり格好良いっていうのもあるし。でもさ、多分その頃って、何か夢中になれるものが欲しかったんだよね。ただ単に高校生活が過ぎていくっていうのが何か嫌になったっていうかさ。で、やっぱり音楽って馴染易いじゃない?それでかなあ…。ただね、将来につなげようとか、そういうのは元々は無かったよ。ただ、学校以外の場所で、自分ががむしゃらになれて、叫べて…そんで、認めてもらえる、っていうか…そういう場所が欲しくてさ」
キザかな、なんて良いながら皇はそう説明してくれた。
「でも皇だったら、悩みとかも無さそうだけどなあ」
俺はふと自分の過去を思い出す。
俺にとっての高校時代は、普通の高校生よりも苦い時間だった気がする。あの頃の自分だから感じた苦痛。悩み。しがらみ。その頃の自分には、とてつもなく大きくて辛い事がたくさんあった気がする。まあ今になってみれば笑って語れるわけだが、中には勿論、未だ笑えない事もある…。
「冗談!俺なんて、独りになったらもう弱くて弱くて。何ていうの。いつも皆に囲まれてるとさ、独りでいる事に耐えられなくなるじゃん?俺、そういう所あったからさ。でもある日さ、そういう自分がすっげー嫌になったんだ。独りじゃ何もできないのかよ、男だろ、ってさ。で、自分を鍛えようって思った。独りでいても、心の支えになるものを探そうってさ。バンドもその一つだったのかなあ」
「じゃあ皇って何気に真面目にバンドマンしてたって事じゃないか?」
「うーん、まあ…そうかもねえ」
俺はちょっぴり奴を見直してしまった。俺としたことが座布団三枚あげるくらい感心してしまった。
何でこうバンドマンというのは、真面目なのが多いのだろうか。神様だってその一人だ。そんな事を考えていると、ふと自分がとても情けない人間のように思えてきたので、俺はそれ以上そう考えるのをやめた。
でもまあ、と皇が遠い目をする。
「真面目すぎるってのも、何かと問題ありって思わない?俺がバンド辞めたきっかけもさ、そんなもんだから」
俺は、そうか?なんて思った。
だって俺にとっては、人生かけてバンドやってる神様なんてのはもう尊敬に値するわけで。
「重くなってきた、っていうか…さ」
「バンドが?」
「そう。皆、マジだったから。俺って初心者だったからさ、やっぱり技術とか低いじゃん?あのバンドではそういう事って許されなかったんだよね。俺だってさ、上手くなりたいっていう向上心はあったし、そりゃ必死で練習したけどさ。でも、もうそういうレベルじゃなかったんだよなあ…なんていうか。学校で言うなら、選択科目じゃなくって、必修、ってカンジ」
「……」
俺はちょっと考えてから、その例えに納得した。つまりは、何とか上手くならなきゃ、じゃなく上手くならざるを得ない状態だったという事だ。
「で、成果は?」
聞くと、皇はにっこりと笑った。
「さあね。分からない。分からない…けど、俺なりには頑張ったよ。で、皆がもっともっとマジ入って…。俺が進路に悩んでる時…そう、高三の夏くらいかな?勿論やるよな、って言われてさ。でも、俺ってば肝心な所で踏み込めなくって、結局リタイア」
外人並みに両手を広げて、ふう、なんていう皇を横目に、俺はちょっと切なくなった。神様の決断。皇の決断。あの淡い時代に、将来という分厚い壁を目前にして、下した決断。俺には出来なかった決断。
俺は神様の進んだ道をすごく誇りに思ったけれど、ある意味、皇の下した決断も凄いものなのではないかと思った。きっと俺がその立場だったら、逃げ出してしまいそうだから。
俺は、俺の周囲の人間達に対して、ものすごく劣等感を感じた。ちょっと、寂しい…。
「ま、そんなわけで。ほら、あれがウチ」
えっ、もう?
俺の思考はすっかり皇の過去の中を彷徨っていたので、ちっともそんな事を考える余裕が無かった。しかし、思えば皇の家を目指しているのだった。
皇が示した場所には、4階建ての綺麗なマンションがあった。茶色のレンガで積み重なっていて、入り口は住居者以外は入れないぞという意気込みが感じられる。まるで、ぬりかべのようだ。その手前の植木なんてのは、これまた綺麗に揃えられている。
皇は躊躇わずにその入り口へと近付き、俺を手招いた。俺は恐る恐る入り口に近付く。よくスーパーなんかの自動ドアは、一人目はすんなり入れさせてくれるが、それに便乗して入ろうとする二人目には冷たく、目前でシャー、なんて閉まる事があるではないか。俺はそんな些細な事にビクつきながら入った。なんとか奴は静かでいてくれたようだ。俺はふう、なんて胸を撫で下しながら皇を見た。そして目が点になった。
「そ、それはっ!?」
俺は皇が手にしているカードを見て思わず叫んだ。
皇はきっとんとして言う。
「ん、これ?ドア開ける為にはこれが必要なんだよ」
そう言いながら、ドアの横に設置された四角い機械に部屋番号を打ち込み、カードを差し込む。すると。
『オカエリナサイマセ』
オーノー!uyw…おっと思わず英語になっちまった!何て事だ!しゃべるぜ、畜生!ハイテク!はいてく!リッチー!
俺は思わず取り乱しながら皇の後に続いた。二枚目のドアをくぐると、突き当たり右側に何とエレベーターなんてものがあーるじゃありませんか!羨ましい事に、皇は慣れた足付きでそれに乗り込んだ。俺もすかさずお邪魔したのはいうまでもない。
最上階で止まったエレベーターから下りると、すぐ目前に見えるのが市碕家だった。
「さ、どうぞ」
皇は、素早く鍵穴に鍵を差し込み、俺にそう言った。
「お、おじゃましまーすっ」
俺は恐る恐る足を踏み入れた。それはまるで、忍者の忍び足の如く。