第二話:図書室の出来事
放課後の図書室は、いつもたまり場だった。
俺と、相模亨、そして加賀真良介。
俺たちはいつも此処でたまっていた。話す事といったら、専ら音楽の話しだった。あのアーティストはどうの、あの曲のアレンジはどうの、と。俺は専門知識がちっとも無かったので、二人が話している事についてはさっぱり、ちんぷんかんぷんな時も多々あった。それでも、三人でこうして溜っている時間が好きだった。
二人は共に音楽を真面目にやっている奴らで、俺には二人のように情熱を持って何かに取り組んでいる奴らがすごく輝いて見えた。自分には何も無いけれど、こいつらと友達でいれる事がすごく嬉しかったし自慢だったのだ。
でも、だからこそ俺は気づかなかったんだろう。こいつらが真面目に取り組んでいるからこそブチ当たっていた壁に。
入学して、まず俺は亨と仲良くなった。
亨は何でも知っていて、良く俺に色々と教えてくれた。
ギターの事も熱く語っていたけど、俺にはやっぱり、ちんぷんかんぷんだった。
それでも俺は音楽にはまって、亨と近くのライブハウスに通うようになった。誰がどうとか、上手い下手とか、俺にはどうでも良かった。ただ、その雰囲気にはまっていた。そんな俺を亨も良く理解してくれていたらしく、俺たちは親友と呼べるくらいの仲になっていた。
それが高校一年の冬の出来事。
そして、俺たちが加賀真に出会ったのも、その冬だった。
加賀真は所謂転校生というやつで、すぐにクラスの奴らと仲良くなるバイタリティを持っているような奴では無かった。勿論俺たち二人も、加賀真と関わるような姿勢など持ち合わせていなかった。
しかしある日、事態はクルリと一転した。
何故って、俺たちの憩いの場にあいつがいたからだ。
暗がりの中、心地良い重低音が心を刺激していた。そしてあいつは、ただステージを見つめて煙草をふかしていた。片手にはハイネケン。高校生にあるまじき姿である。
それを見て、俺たちは一瞬、音楽の中にいる事を忘れてしまった。
加賀真の学校での姿とのギャップに驚いていたのは俺だけだったろうか。俺の隣にいた亨は、言葉も無く加賀真に近づいていった。そして、そこから俺たちの関係は始まったのだ――全ては音楽を媒体として。
加賀真は、亨とは違った意味で音楽バカだった。
亨は最初からギターに魅かれて音楽を志したような奴だったが、加賀真は違った。何もかも忘れさせてくれるような狭い空間の中で、頭が割れそうな爆音を耳にする事で心が癒されたタイプ。所謂、何でこんな奴がロック好きなんだ?っていうタイプだ。
それでも、いつしか自分が音楽を創る側でありたいと思うようになったというのは亨と一緒だ。俺にはそこまでの志は残念ながら無かった。クラーク博士よ、ごめんなさい。
そんな事から俺たちは、いつしか音楽バカ同好会のような集まりになっていった。まあただ一つ違っていたのは、俺だけはただの音楽好きで止まっていたという事。二人は、共に音楽を志す者同士として特殊な繋がりも持つようになった。
そんな関係へと発展した高校二年の夏―――俺には一つの予感があった。
こいつらは、きっと一生続いていく。残念だけれど、俺は二人とは離れていく…そう思った。二人は、きっと一緒に音楽をやるんだろう。俺は絶対的にそう思っていたから。
実際、そんな俺の予感通りに事は進んでいたようだった。
その頃になると、俺は俺なりに気をきかせて図書室での時間を減らしていた。二人だけでいれば、多分俺に気兼ね無くバンド結成でもできるだろうと思ったからだ。それについて、俺は少し寂しい気もしていたけど、それでも二人に成功して欲しいと思っていた。
「なあ、R/PARKに出れるかもしんねえよ!」
ある日、そんな話を持ちこんだのは亨だった。その朗報に俺は勿論喜んだ。加賀真だって大喜びだ。とはいえ、問題は山積みだった。
そもそもメンバーがいない。これは重要すぎるほど重要な問題だ。話し合いの末、加賀真がヴォーカルをする事になったが、その他はギターの亨しかいない。俺は何も取り柄が無いので、残念ながらスタッフ位にしかならない。
そんな基本的な問題にぶち当たり、俺たちは期末やら中間テストなんか問題にならない位に頭を抱えた。そして悩み悩んだ挙げ句、二人だけのステージで初ライブを迎える事になったのだ。
通常3~5人で見せる場面を2人で見せるには、個々のテクニックを上げるしかない。でも、当然そんな時間は無い。
制限時間はたったの二週間。
爆発までのカウントダウンはもう始まっていた。
元々この話は、ライブハウスのマスターと仲よくなった亨が「是非出たい」と言ったところ、二週間後のライブに穴が出来たという話を聞いたところから始まったらしい。
その日は2バンドのみの出演予定で、その内1バンドが急きょ出られなくなってしまった。1組だけの出演というのもアレだということで、マスターも丁度対バンを探していたらしい。これは本当に偶然だった。偶然のチャンスだったのだ。
二人は二週間、ひっきりなしに練習をした。
俺は二人の練習に立ち会って、ただ評価をしていた。といっても、所詮庶民の俺の事。曖昧にしか評価はできなかった。それでも、俺は二人の役に立ちたかったのだ。
そんなふうに嵐は過ぎて、本番へと時は流れた。
簡単には表現できない時間だったが、俺はそのステージに見入ってしまった。
高校生の俺たちでも、これだけのものが表現できる。できるんだ。
そう思って俺は興奮した。
そして、ステージにいる二人が本当に格好いいと思った。
俺はそんな技術なんて無いけれど、二人とこんな時間を共有できたら良いのに、とそっと思った。でも、その思いは心にしまい込んだ。だって、今の時点で、俺と二人がいる場所は、あまりにも違い過ぎていたから。
そんな夢のような日々が過ぎて、二人は本格的に活動の約束を交わした。勿論俺は、相変わらず二人を見守っているだけだったけれど。
しかし、その頃、”何か”が変わってしまったのだ。
契機は何だったろう。
あの、ライブだったのだろうか。
二人は、段々と崩れていった。
「何か不満でもあるのかよ!?はっきり言えよ!」
その罵声は亨のものだった。
たまたま図書室の隣を通りすがった俺は、本当にたまたまその会話を聞いてしまったのだ。俺は職員室にプリントを取りに行こうと鼻歌なんぞを歌っていたところだったのに、そんな気分は一転してしまった。
「…別に。ただ…」
「ただ、何だよ?」
ついついドアの隙間から覗き込んだ俺は、二人の微かな姿をキャッチした。
加賀真が亨の事を無言で見据えている。
そんな煮えきらない態度の加賀真に、亨はマジギレ5秒前という感じだ。
「………お前とやっていく事に、自信が無い」
数秒後、加賀真がようやく出した答えはそれだった。
瞬間、俺は胸騒ぎを覚える。
「は?何でだよ。この前のライブが原因か?あれは仕方ないだろ、俺たちはまだ初心者なんだし、思うようにできるようになるのなんてこれからじゃないかよ」
「違うよ」
間髪入れずに加賀真が言う。
「お前と、って言ってるだろ。俺とお前とは、基本的に違うって思い知ったんだよ」
「何が!」
「全てだよ!!」
暫し沈黙が流れ、思わず俺は息を止めた。
あまりに止めていたもんで、息苦しくなり、死にそうになってしまった。
「…違う。全て違うよ。大体、お前はどうして俺とバンドやりたいなんて思った?所詮ただ近くにいたってだけじゃないかよ。お前、メンバーなんて誰だって良いんだろ?」
「何だよそれは!」
「俺だってな!マジにやるなら、ギターの奴だってマジに選びたいんだよ!」
その加賀真の言葉が響いた時、俺は終わったと思った。死ぬと思った。息を止めていないのに息苦しかった。今までの俺たちは何だったんだろう、そう思った。これじゃあ今まで築き上げていたものが音を立てて崩れてしまう――。
「お前は俺の何を認めてくれんだよ!歌い方から何まで全部、お前の指示通りじゃ俺は死んでるのと一緒だ!今までと…」
加賀真の手がグーの形のままふるふると震える。
そして――
「今までと何も変わらないじゃんかよ!!」
それが、加賀真の最後の言葉だった。最後、というのは本当の話しだ。何故って、加賀真はその日以来姿を消してしまったから。
学校にも現れない。
ライブハウスにも現れない。
挙げ句、家にもいない。
加賀真は――行方不明になってしまったのである。
そうして、俺と亨は元通りに戻っていった。そう、加賀真と出会う前の二人に戻ったのだ。亨は加賀真との事には触れなかった。俺も、それについて何も触れなかった。ただ、何も無かったように大好きな音楽について熱弁をふるう。俺は笑って聞いていたけれど、内心とても切なかった。
亨はあの時、加賀真の言葉に傷ついた筈だ。
勿論加賀真だって、あの言葉から察するに、亨に傷つけられた事は確かだ。
しかし、今となってはそれを確かめる術は無い。
何にしても、真面目に音楽を志す二人にしか分からない壁があった事を、俺はあの会話で知ってしまったのだ。それは、本当に切ないことだった。
それからの日々は以前と変わらなかった。ただ、もの凄いスピードでギターの腕が上達していく亨を、俺はただただ尊敬していた。俺は思ったんだ、神様みたいな奴だな、って。こいつなら出来る、そう何故か確信できたから。
そして、高校三年――
俺たちは卒業を身近に感じながら、日々を過ごすようになった。
亨はこれからの事に対して迷いなど持っていないようだった。
進学はしない。フリーターでいい。稼ぎながら音楽をやる。
それが亨の意志。
一方、俺はかなり焦りを感じていた。
これといって何をしたいわけでなく、ただ音楽と過ごした高校生活。だけど、それは自分の技術に結びつくものでもなかったし、そこまでの決心をさせるものでもなかった。結局俺は、担任が適当に拾ってきた進学情報に、さしてやる気もないまま手を出したのだった。
――そうして俺達の高校生活は、終わりを告げた。
それは切なくて、楽しくて、輝いていた。
俺は時々考える。
目を閉じて考える。
瞼の裏には、歓声の中、ステージの上でギターを弾く亨の姿がある。
そして、もう一つ。
別のステージで、微笑みながら歌う加賀真の姿がある。
分かりあえなくても、衝突しても、同じ志を持った二人が、成功してくれたなら。
回想から戻り、俺はゆっくりと目を開けた。
瞼の裏の加賀真が、目前のヴォーカルとクロスしていく。
――あれは、加賀真なのか?
俺の疑問に答えを差し出すように、神様が抑揚の無い声で呟く。
「……あいつ」
俺は神様を見た。
どういう心境なのだろう。
おいおい、どーいうわけよお?と笑って言えるのだろうか。それとも憎らしくて声も出ないだろうか。隣には、ただステージを見る神様の姿。
「あいつ、なのかな」
「じゃねえか?」
俺はちょっと戸惑ったが、
「ちゃんと続けてるんだな。良かった。…なあ?」
そう問いかけてみた。
「………そうだな。良かった」
少しの空白の後、そんな神様の言葉が返ってくる。その顔を盗み見ると、そこには控えめな笑みが浮かんでいた。
「怪登。呼んでおいて悪いが、ちょっと出ないか?」
「ああ、良いよ」
俺がそう頷くと、神様も一つ頷きドアに手をかけた。
最後にもう一度と思ってチラリとヴォーカルの方を見ると、気の所為か、奴もこちらを見ているような気がした。
R/PARKを出て駅の方へと歩いていくと、ちょっとした商店街に出る。ここは昔ながらの商店街で、若者はあまり姿を見せない。
俺達はこの商店街の常連なので、この古臭くて時代遅れとしかいいようのない汚い通りを歩く事には微塵も迷いが無かった。まあどちらかというと戸惑っているのは、店のおばちゃんたちだろう。
金髪が歩いてりゃあそれはおばちゃんだって「時代も変わったもんだねえ」なんてため息をもらす事は間違いない。まあ俺達は常連さんなので、最早そういう問題では無くなったわけだが。
商店街の終わりかけに、俺たちの行き着けのコーヒーショップがある。
しかし皆さん、ここで間違えてはいけない。
その店がドトールだとかアートコーヒーだと思っては大間違いというもの。何故って此処はシルバー商店街。勿論全国に一店舗しかないだろうという店である。
俺達はそこに足を踏み入れると、チョビヒゲのマスターに軽く会釈した。
そして、常連の特権を有効利用した。
「いつもの」
余談だが、俺はこの台詞を口にすると、いつも自分の格好良さに惚れ惚れする。彼女でも連れて「マスター、いつもの」なんて斜め45度で言って見たら、そりゃ彼女の目もハート、ユーのハートをゲット!ってなものだろう。そんな妄想をしつつも、いつものオレンジジュースを手にする俺。トホホ。
神様はいつものアイスカフェラテを手にし、俺と同時に腰を下ろした。俺は良く此処で座り損ねてオレンジをこぼしたりしたものだが、二枚目な彼はそんな事はしない。席について、アイスカフェラテを一口すすると、彼はふう、と息を吐いた。俺は思い切りズズズーと音を立てて一口飲んだ。半分減った。
「――さっきの。正直びびったよ」
席に座るなり、神様がそうこぼす。
それは俺も同感だった。
「初めてあいつを見たのは1か月前…だったかな。たまたまR/PARKに遊びに行っててさ。どうせだから見ていけって言われて見てたら、どうだよ。あいつがいるだろ?何ていうか…変にショック受けたな」
「ショック?」
「ああ。なんていうかな…あいつが姿消した時から、俺の中からあいつの存在そのものが消えてたわけよ。それがステージの上のあいつを見た瞬間、何かが弾けたみたいだった。…結局心のどっかには、ずっとあいつの事があったのかもな」
俺は少し罪悪感を覚えた。
何故って、俺は今日まで加賀真の事を思いだした事など無かったからだ。
それは別に、奴への思いやりが無いだとか、そういった事じゃない。ただ、自分の生活にしか考えが及ばなかったからだ。
結局、加賀真という人物は、俺にとって高校生活の一部だった。つまり過去の一部ということだ。
その一時期が過ぎれば関係が無くなるなんていう話は珍しくない。世間にはザラにある話だ。俺にとっては、彼もその一部だった。
しかし、神様にとってはそうではなかったのだ。
音楽というものを続けるにあたって、いつも平行線上に、加賀真という存在があったのだろう。
「あいつが今どうやって生活してるかとか、そういう事は全然分からない…。でも、あいつはまた俺達の前に姿を現した。これって偶然か?それとも…」
「加賀真が、わざと狙って……?」
俺の言葉に神様が唸る。そして。
「…心当たりが無いわけじゃない」
俺はピンときた。
それは、あの時俺が立ち聞きしてしまった会話だ。
“お前の指示通りじゃ俺は死んでるのと一緒だ!今までと何も変わらないじゃんかよ!”
そう叫んで消息不明になってしまった加賀真――それが多分、神様の心に罪悪感となって残っているのだろう。きっと今もネックになっているに違い無い。もしだとしたら…。
罪悪感を持つ神様。
そしてそれを知っている加賀真。
つまり加賀真の登場は、世間一般でいうところの────復讐?
「いやいや。まさかそれは…」
俺はつい反論しそうになって、ハッと我に返った。いかんいかん。あの図書室での出来事は、俺は知らない事になっているんだった。
それにしても、もしその推測が合っているなら、加賀真の奴は本当に腹立たしい奴という事になってしまう。
だってそうだろう?
確かに指示ばかり出して加賀真の自由にやらせなかったというのは神様に非があるかもしれん。だけど、あの時加賀真が口にした「今までと変わらないじゃないか」という台詞はちっとも神様には繋がらない。ただの謎だ。
多分それはあいつの個人的な問題なんだろうから、それを他人にぶつけるというのは言語道断もっての他である。
そんなことを考えていると、神様がぽつんと呟いた。
「…俺は確かめたい。音楽を続けた結果の再会なのか、それとももっと意味のある再会なのか。ただ、確かめる術がない」
「そんなの決まってる。直接対決だぜ!」
「は?」
鼻息荒くそう言った俺に、神様がハテナマークを飛ばす。
「だーかーらー!直接対決だって。もう本人に聞く!これっきゃないっしょ。R/PARKに出てるんだったら何とかなるべ。いずれ対バンになるかもしれないし」
その前に、君ならいつでも楽屋入れるでしょ、と俺は突込みたくなったが、地獄に落されるのも難なのでやめておいた。
「直接…か」
神様はぽつりと呟くと、アイスカフェラテを一口啜った。