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3/10

 昼食を終えた佳乃は、スーツケースを開けた。

 けれど、持ってきたはずの読書感想文の本が見当たらない。

 スーツケースの中身を全部ひっくり返したあとにはっとした。

 深江にくる前日の夜、寝る前に読んでいたことを思い出したのだ。

 出発前に詰めようと思って、それをすっかり忘れてしまった。今も枕元に置きっぱなしだろう。

 せっかく途中まで読んだので、恵子に郵送してもらおうかとも思ったが、仕事と良和の看病で忙しいのに頼むのも気が引けた。

 しばらく考えた末、佳乃は、居間にいたてるよに声をかけた。


「おばあちゃん、本屋に行きたい」

「本屋は、沢田まで出ないとないね」

「遠い?」

「バスで一時間はかかるよ。欲しい本でもあるのかい?」

「読書感想文の題材にしようと思っていた本を忘れてきちゃったの」

「なら、公民館の図書室に行っておいで。そこの通りを真っすぐ行って、坂を上りきったところにあるから」


 佳乃は、助かったと思った。もし図書室で借りられるのならその方がいい。


「行ってみる」


 佳乃はさっそく準備をして家を出た。

 深江が涼しいとはいえ、昼間の外は夏らしく日が照りつけていた。

 車だとすぐの距離だったので油断していたが、歩いたら予想以上に時間がかかってしまった。

 ハンカチで汗をぬぐい、公民館の門を潜った。

 公民館は、深江では比較的新しい建物で、二階建てだった。

 広い駐車場に車が三台止まっている。その奥の駐車場にも自転車が数台止まっているようだ。

 佳乃は、入り口のドアを開けると、管理室の小窓の向こうで新聞を読んでいたおじさんが顔を上げた。

 そして、眼鏡を少しずらして佳乃を見た。

 佳乃は、小さく頭を下げてから尋ねる。


「図書館室はどちらですか?」

「ああ。二階だよ。そこの階段を上がって」


 おじさんは、そう言うとまた新聞に目を向けた。

 施設内は、空調の音がわずかに響くだけで、とても静かだった。

 階段を上りきると、図書室はすぐ正面にあった。

 ドアのそばにある貸出カウンターに座るおばさんに目を向けると、このおばさんも佳乃を物珍しそうに見ていた。

 深江は小さな村だ。おそらく村民はお互いの顔を見知っているのだろう。

 おばあちゃんについてきてもらえばよかったと、佳乃はいささか居心地の悪さを感じながらも目的の本を探しはじめた。

 本棚は、背を合わせるように置かれた六列と、壁に沿うようにして並べられていた。

 カウンターの横には、四人掛けのテーブルがふたつ置かれている。

 佳乃は、本棚を見て回り、目的の本を見つけた。

 他の本を一から読み直さずに済んだので、ほっと安堵の息を吐き、貸出カウンターに向かう。

 その途中で他にどんな本が置かれているのか見ながら歩いた。

 すると、ある棚の前で足が止まった。それは、郷土資料の棚だった。

 その中にあった『日高城の歴史』というタイトルに目が留まったのだ。

 昨夜、秀久から落城した日の話を聞いた。

 でも、それは秀久が吉乃姫を連れて逃げる話が中心で、なぜ日高城が攻められたのかは聞かなかった。

 内容が気になって、その本を取ろうと手を伸ばした時だった。


「あれ。知らない子がいる」


 それは、男の子の声だった。佳乃は、声の主に視線を向けた。

 男の子は、佳乃と同い年くらいで、身長は、佳乃よりほんの数センチ高いくらいだろうか。瞳は好奇心旺盛に輝いていた。

 男の子は、佳乃に近づいてくる。


「地元、どこ?」

「橋爪」


 佳乃は、すんなりとそう答えていた。

 初対面でも緊張させない気さくさがこの男の子にはあったのだ。


「橋爪かぁ。親戚がいるから何度か行ったことあるよ。――本を借りにきたの?」


 男の子は、佳乃が持っていた本に目を落としてそう尋ねた。

 佳乃は、頷いてから言う。


「しばらくおばあちゃんの家にいることになったんだけど、読書感想文の題材にしようと思っていた本を忘れてきちゃって。借りにきたの」

「へぇ。えーっと……、そういえば名前を聞いてなかった。俺は、成瀬智春(なるせちはる)

「私は、小鹿佳乃」

「おじか? 珍しい名字。どう書くの?」

「小さい鹿って書くの」


 佳乃は、空に指で書いて見せた。

 すると、智春が言う。


「『おじか』っていうより、『こじか』って感じがする」


 智春は、先ほど佳乃が取ろうとしていた『日高城の歴史』をひょいっと取った。

 それに佳乃は、思わず言う。


「あ、その本……」


 智春は驚いたように、佳乃を見て言う。


「え、こじかもこの本を?」


 本に興味を持ったきっかけは秀久だったが、話したところで信じてもらえるとは思えなかったし、なんとなく気軽に話してはいけないような気がした。


「……せっかく深江にきたから、自由研究の題材にしようかと思って」


 宿題に自由研究などなかったが、苦し紛れにそう答えた。


「マジで? こじかも? 俺も自由研究で調べようと思っていたところだったんだ。それならあとでこじかに貸してやるよ」


 佳乃は、ほんのちょっぴり膨れたように言う。


「私が先だったのに……」


 智春は、気にする素振りも見せず、四人掛けの机で読みはじめる。

 同じ机の席に座るのに気が引けて、本を読みはじめてしまった智春をどうしたものかと佳乃は見ていた。

 智春が不思議そうに顔を上げた。


「座らないの?」


 智春が正面の席に目配せしたのを見て、佳乃は、少し気後れしながらも、座ることにした。

 智春がページをパラパラとめくるのを眺めながら佳乃は尋ねた。


「日高城の話ってこの辺りでは有名なの?」

「そうだな。みんな聞いたことはあると思うよ。けど、俺は特に。うちのじいちゃんがそう言う話が好きなんだ。小さい頃からよく聞かされていてさ。うちの寺が建立されたきっかけっていうのもあるのかな」

「え、成瀬君の家ってもしかして深江寺?」


 大きな声を上げてしまった佳乃は、慌てて口元に手をやった。

 辺りを見回したが、幸いにも他に図書室の利用者はいなかった。

 しかし、貸出カウンターにいるおばさんが苦笑気味にこちらを見ていたので小さく頭を下げた。

 智春は、そんな佳乃を小さく笑った。


「こじか、詳しいな」

「おばあちゃんから聞いたの。おばあちゃんの家の庭に小さな慰霊塔があって、それは日高城の武士の霊を弔っているんだって。その時に、深江寺のことも聞いたの」

「へぇ。初耳。この村に慰霊塔があるんだ。けど、深江に『小鹿』って名字の家があったかな。こじかのおばあちゃんちってどこ?」

「山のすぐ麓。おばあちゃんの名字は入江だよ」

「ああ。入江のばあちゃんの家か。その慰霊塔、見てみたい。案内してよ」


 智春は、本を閉じて立ち上がった。

 佳乃は驚いたように智春を見上げた。


「え? え? これから?」

「そう。早く行こうぜ」


 智春はさっさと貸出カウンターに向かった。

 佳乃も借りようと思っていた本を片手にあとを追う。

 智春に振り回されていると、そう気づいた時には、もう智春は図書室を出ていた。


 佳乃が公民館を出ると、智春はすでに自転車を引いて待っていた。

 二人はてるよの家に向かい歩き出す。


「こじかは何年生?」

「中三」

「同い年だ。どこ受けるか決めた?」

「第一希望は橋爪西だよ」


 佳乃が言うと、智春がびっくりしたような嬉しそうな顔で言った。


「俺も橋爪西!」


 今度は佳乃がびっくりした顔で尋ねる。


「ここから橋爪まで通えないでしょう?」


「親戚の家に下宿する予定。俺、野球やっていて、橋爪西は強いから。甲子園に出るのが夢なんだ」

「下宿するんだ」

「深江に高校はないから、深江の子供は一時間以上かけて沢田(さわだ)の高校まで行くか、下宿するかのどちらか」


 そんな話をしているうちにてるよの家に着いた。

 智春は適当に自転車を止めて、佳乃のあとをついてくる。

 佳乃は慰霊塔の前まで来て言う。


「ここだよ」


 興味深そうに智春は慰霊塔の観察をはじめた。

 佳乃は数歩下がってそんな智春を見ていた。

 智春が丸みを帯びた石に触れながら、佳乃を振り返って言う。


「この丸い石、動かせそうじゃない?」

「ちょ、ちょっと壊さないでよ?」


 佳乃は慌てて智春を止めにかかる。

 そこへてるよが裏庭からやってきた。


「なにやら人の声がすると思ったら、深江寺のせがれじゃないか」


 智春がぺこっとお辞儀をする。


「てるばあちゃん、お邪魔しています」

「佳乃と一緒かい?」

「図書室で知り合ったんだ。てるばあちゃんの家に慰霊塔があるって聞いて、こじか……、いや、小鹿さんに連れてきてもらいました」

「そうだったのかい。しばらく佳乃はうちにいるから遊びに誘ってやってね」

「はい」


 智春はそう返事をして、また慰霊塔を観察しはじめる。


 しばらくして十分に観察した智春は、佳乃の横に来た。


「明日、日高城に行こうと思っているんだけど、こじかも一緒に行く?」

「日高城ってまだ残っているの?」


 佳乃がそう尋ねると、智春は笑ってから言う。


「石垣とか一部は当時のままらしいけど、城はレプリカ。今は博物館になっている」

「そうなんだ。私も行きたい!」

「じゃあ、この本、先に貸してやるよ」


 智春は、『日高城の歴史』を佳乃に差し出す。


「いいの?」

「いいよ、実は前に読んだことがあって、今回は自由研究の為に借りようと思っていたから。明日行く前に、少しでも知識があった方がいいだろう?」


 佳乃は、差し出された『日高城の歴史』と受け取る。


「ありがとう」

「じゃあ、明日、バス停に八時な!」


 智春はそう言って、自転車まで走っていく。

 その背後から、佳乃は声をかけた。


「バス停ってどこ?」

「公民館の前のとこ!」


 智春はそれだけ言って、帰っていった。

 嵐のような子だと佳乃は溜息を吐いた。

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