第2話
「それでは主さま。お体を清めせていただきます」
ルナミリアは一礼すると、その場でクルリと一回転した。すると、ルナミリアのまとっていた漆黒のローブがランチェスターのメイド服に、特大の水晶の付いた魔杖がモップとバケツにそれぞれ形を変える。
なんか、魔法少女の変身みたいだな。変身前と後の格好は逆な気はするが。
「主さま。失礼いたします」
ルナミリアが俺の背中にふわりと飛び上がると、楽しそうな顔で鱗を一枚一枚丁寧に磨いていく。
電車みたいな俺の巨体をモップ一本で掃除するなんて、えらい重労働だろうに。俺なんか考えただけで疲労困憊しちまうよ。
いくら肉体的疲労とは無縁の精霊だからって、面倒だとか思わないのかね?
「なあルナミリアよ」
「なんでしょうか? 主さま」
「身体洗うんだったら、やっぱ魔法使った方が手っ取り早くねぇか? 強酸の雨を降らせるアシッドレインなら、埃や垢なんか簡単に溶かし落せるし、水系広域殲滅魔法のタイダルウェイブなら、俺の巨体でも一気にすすげると思うんだけど」
ん? タイダルウェイブ……。タイダ、ルウェイブ。『怠惰』、ルウェイブ! なんつって。
「アシッドレインなど絶対だめです! 鱗が傷んでしまったらどうするのですか。タイダルウェイブもです。あんな大雑把な魔法では、鱗の隙間にこびりついた汚れは落とせません。あと、全然うまくありませんよ主さま」
強酸くらいで傷むほど軟じゃないんだけどな俺の鱗。昔は生身で宇宙まで飛んでいったこともあるし。っていうか心読まれた。元素の大精霊、恐るべし!
「けどよお。言っちゃなんだが、こんなデカイ身体を一人で洗うのって手間じゃね? 真っ黒だから汚れも目立たんしさ。適当でいいぜ?」
俺は鱗も角も真っ黒な黒龍だ。ちなみに目も黒だ。紅じゃないぞ。
「いけません。汚れが目立たないからこそ磨き残しがないよう、入念に磨かなければならないのです」
「そんなもんかねぇ」
「それに主さまのお世話は私の生きがい、いえ生きることそのものです。幸せこそ感じますが、手間などと思ったことは一度もありません。これまでもこれからも」
「お、おう。左様でございますか」
「左様でございます」
うーん。コイツは何だってここまで俺を慕ってくれるのかね。
前世じゃものぐさな性格が災いして、年齢イコール彼女いない歴の非リア充だったんだけどなぁ。
ルナミリアは1万年くらい前にいきなり俺の元にやってきて、「命を救われた恩をお返しします」とか言って押しかけみたいな形で俺の僕になった。
俺には全く心当たりがなかった。
当時も俺は基本的に寝てばっかりだったから、僕なんて必要なかったし面倒だから人違いならぬ龍違いだと断ったが、ルナミリアは聞き入れなかったんだよなぁ。
言葉を変え、態度を変えて断ってもルナミリアは折れなかった。
結局は三日三晩の問答の末、最終的には俺が面倒になってルナミリアを僕として受けいれた。その時のルナミリアのはしゃぎようは、半端じゃなかったな。
そしてその時からルナミリアは彼女の言葉通り、献身的に尽くしてくれている。
昔の思い出に浸っている間に、ルナミリアは俺の身体をあらかた磨き終える。そしてモップを布巾に持ち替えて、翼の被膜の掃除に取りかかった。
「ハーッ(キュッキュッ)」
息を吹きかけながら被膜を一心不乱に磨いているルナミリアを横目で見ていると、悪戯心がムクムクと膨れ上がる。
チョイチョイと翼を軽く動かして、掃除の邪魔なんぞしてみる。
「あ、あんっ。もう主さま。ジッとしていてください」
「あいよ~」
素直に翼を下ろす。
おとなしくなった翼をルナミリアがまた磨き始める。そのタイミングで再び翼を動かす。
「ひゃっ。も~っ主さま。いたずらしないで下さいまし」
ルナミリアが頬を膨らませて怒った。プンスカと効果音がつきそうだ。
う~ん。愛い奴よのう、我が僕は。
「お清め、全て完了しました。主さま」
ルナミリアが達成感のにじみ出た笑顔を浮かべながら一礼する。
結局あの後も、掃除するルナミリアにちょっかい出しては窘められるというやり取りを何度も繰り返した。おかげで俺の身体の掃除で丸一日潰れちまった。
プリプリと怒るルナミリアが可愛くて、ついやっちゃったんだ。反省も後悔もしていない。
「おう。ご苦労さんルナミリア」
ルナミリアが喜色の笑みを浮かべる。
ふと見ると、その横顔が汚れている。
その程度じゃルナミリアの美貌は何ら霞むことはないが、俺ばっかり洗ってもらうのは申し訳ない。綺麗にしてやろう。
「ルナミリア、こっちゃ来い」
「はい? なんでしょうか主さま。はっ。もしや磨き残しが!? も、申し訳ありません! すぐにやり直しを……」
「あーちゃうちゃう。いいからこっち来いって」
「は、はあ。では失礼いたします」
戸惑いの表情を浮かべながら、ルナミリアは俺の元に歩み寄ってきた。
ほんじゃ綺麗にしてやるか。
「動くなよ」
「は、はい。……えっ?」
俺はおもむろにルナミリアの頬の汚れを、大きな舌先でベロリと舐めとってやる。
「……ひ」
「ひ?」
「ひぃやぁああああああっ!?」
まるで変質者に襲われた被害者のような悲鳴が、洞窟に響き渡った。
哀れな被害者女性、もといルナミリアは腰が抜けたようにその場にへたり込んでしまった。
俺に舐められたのがそんなにショックかよ。なんか凹むわ。
「あ、あああ主さっさま! いいいいったい、なな何をっ!?」
「い、いや。汚れていたから、綺麗にしてやろうと……」
頬を真っ赤にして涙目で睨みつけるルナミリアに慌てふためきながら弁明する。
女子の涙って、無条件で男を狼狽させるよなあ。何年生きても、この最終兵器には勝てる気がしないわ。
「僕の汚れを舐める主がどこにいますか! それでは立場が逆ではありませんか! 次からは私が主さまの汚れを舐めて掃除いたします!」
いやいやルナミリアさん。俺は別に女性に汚れを舐めとらせて喜ぶような難儀な趣味はないんですが。
「そもそも私は大精霊です。多少の汚れなど魔法で簡単に落とせます。それこそアシッドレインやタイダルウェイブでもかぶっておけばいいのです」
……あるぇ~? さっき似たようなこと言ったら全力でディスられたよね?
ドラゴンの俺よりも、外見は人間の女性と変わらないルナミリアのほうがもっと清潔さに気を使うべきなのではなかろうか。
「そ、それに……。あ、主さまに舐められるなど、お、恐れ多いですし。でも、どうせ舐めるならもっと……」
ルナミリアが顔を真っ赤にして、何やらゴニョゴニョ言い始めた。う~ん。こりゃかなりお怒りのご様子だ。
まあ女性の顔を舐めるなんて、恋人同士でもなけりゃ完全にセクハラだ。
俺とルナミリアは主と僕の関係。前世の基準で考えれば課長と部下のOLだ。
脳内に、部下の美人OLの頬を舐めるバーコードはげの中年親父の図が浮かぶ。
どう見てもセクハラです。本当にありがとうございました。
「すまんルナミリア。もうしねえよ」
「どうせならいっそのこと主さまのお口の中に飛び込んで……、えっ?」
ルナミリアがきょとんとした顔で俺を見上げた。
「いや、だから。もう舐めたりしないって。だからもう怒るなよ」
「い、いえ別に怒っているわけでは……むしろもっと、ゴホンっ! い、いえ。ご理解いただけたのであれば結構です。はぁ~……」
はて。ルナミリアが心なしかショボンとしてしまったぞ。また何か気に障るようなことしたか俺?
女心は何年生きても謎だ。
口をとがらせるルナミリアに、首をかしげる俺だった。
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